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この道を抜けたら

作者: 見直しぽこりん

私には遠回りをしてでも必ず通る道がある。

いつからか忘れたけどその並木道は神社へ続く道で、毎朝神社の手前まで歩いてから引き返して学校へ行く。なぜだかこの道を通ると温かい気持ちになるのだ。けど本当の理由はこの場所で何か大切なものを忘れてしまったような気がしてならなくてそれを思い出すために毎日、歩くのだ。

「あぁ~疲れた。」

思わずこぼしてしまった独り言。昼休みなのに私はゆっくり出来なかった。七月半ばの暑い中、吹奏楽の朝練習で貧血気味になり、ヘトヘトに疲れていたのだ。個人練習三十分、合奏一時間、合計一時間半の練習というだけでもハードなのに、部員数五十名という密集した音楽室で蒸し暑い中、耐え抜いたのだ。そのせいで体力的にも精神的にもかなり疲れていた。夏休みが始まれば吹奏楽コンクールまであと二週間しかない。幸い、今日は金曜日。それに加え、お昼休みの放送で顧問が急用のため今日の放課後から四日間、部活がなくなったと聞いたので少しほっとしていた。そしてこれが部員にとって久しぶりの休養であったので、昼休みから早速、家で練習するつもりであろう楽器の手入れをし始め、帰る準備万端の奴らまでいる。また、来週末から夏休みということもあり教室がいつもより賑わっていた。放送の連絡が来るまでの予定では私の身が持ちそうになかったので、あの放送は天使からの贈り物だったのか。とまで考えてしまったほどだ。しかし油断していてはだめだ。この数日間の休みでしっかり休まないと夏休みの最初の二週間で追いつかなくなりそうだった。

キーンコーンカーンコーン。

授業開始五分前のチャイムが鳴り響く。次の授業何だっけ、とボーっと考えているとクラスメイトの慌ただしい様子が見えた。

「うわ、やば。次、音楽だ。」

気づいた途端、思わず立ってしまった衝撃で椅子がひっくり返ってしまった。慌ててそれを直し、急いで準備する。時刻は午後一時三分。あと二分しかなかった。急いで音楽室に向かおうとしたとき、教室のカーテンがふわりと膨らみ、風が流れ込んできた。次の瞬間にはその風が強風に変わり、私の身体を打ち

付ける。

「ザァーザァー」

耳元でものすごい勢いの爆音が響き渡る。その音は時折、人の罵声や暴言を吐いているかのように聞こえ、不協和音が私の周りを取り巻く。その音が今度はより明確になり、何故か苦手なクラスメイトの声に聞こえた。その子は暇さえあれば誰かしらの悪口を陰で囁き、聞いている私まで心の中に黒い雲が広がるようなイヤな感じがするのだ。それと同時に次は自分が対象になるかもしれないという恐怖心があった。その恐怖が呼び覚まされた。聞きたくないその声のような幻聴が私の周りでまるでそれしかいないかのように堂々と君臨していた。その音が大きくなるにつれて、あのイヤな感覚と恐怖心が強くなっていく。手で自分の耳を強くふさいで、それと同時につむっていた瞼に、より一層の力を加えた。しかし、多少周りの音は緩和されたものの、強風で作り上げられた幻聴は私の身体を伝いながら内側から湧いてくるような変な感覚で聞こえてきてしまう。どんなに耳をふさいでも響いてくるその音と、強く目をつむっていて何も見えない暗闇でまるで山の嵐で洞窟に逃げ込んだ子供のように自分が震えているのが分かった。

 どれくらい経っただろうか。数分にも数時間にも感じた恐怖は静寂と共に静かに治まった。恐る恐る目を開けてみる。そこは先ほどと変わらない光景が広がっていた。木造の扉が目の前に見える。この学校は割と新しく造られた為に建物の全てが真新しく木の匂いがほんのり香る。いつもの香りに落ち着きを取り戻した私は静かに胸を押さえていた手をほどいた。手をほどいた途端、どっと疲れが襲い、その場に崩れるように座り込んだ。背中に汗がツーっと流れる。そうしているうちにやっと気づいた。この何とも言えない違和感を。この木の香りも教室も私が確かにいた場所なのに空気だけがなぜだかひんやりしていて気味が悪かった。夏だとは思えない空気を感じたのかじっとりと汗が噴き出て背筋が凍った。汗が恐ろしいくらい冷たい。徐々に心臓の鼓動が速くなってきた。この場所は違う。冷静にならなくちゃ。と心の中で自分を必死になだめた。きっとまた、あの場所へ来てしまったのだ。

 一か月前。私、小林凜々香は自転車で雨上がりのカラッとした天気の中、幼馴染の家に向かっていた。川瀬晴斗は子供の頃から私の良き理解者であり、頼れる親友である。神主の家の長男であったため最近では修行の一環としてお祓いなども引き受けている。幼い頃から彼のことをハルと呼び、ハルは凜々香と呼んでいる。今でも高校は違うものの週末は会いに行ってハルの手伝いをしたりどこかへ出かけて遊んだりしている仲だ。今日は丁度、神社で「水無月祓い」という行事が行われているのでハルと一緒に参加することになっている。水無月祓いとは六月に行われる半年分の穢れを落とす行事で残り半年の健康と厄除けを祈願する。内容は茅の輪くぐりと紙でできた人型を川に流すというシンプルなものだが、今日はそれだけではなく、神社の中でお祓いをするらしく、特別に巫女として儀式に参加することになっている。幼い頃から神社のお祓いに子供心に憧れを抱いていたせいか、同席出来ると聞いたときは飛び跳ねて喜んだ。巫女装束を着られることとハルに会えるのもあって、朝から足がフワフワしているようだった。

「ハル。来たよー。」

ガラガラと引き戸を開けてそう言った私は早く神社に行きたくてうずうずしていた。ハルの家は町の奥にある山の少し奥まったところに建っていて夏でも木陰で涼しい。その代わりと言ったらなんだが、この大きい日本家屋の玄関から伸びる長い廊下はここから見ると薄暗く昼間でも奥まで見えない。とっても風情のある家だし、大きな庭園も誰もが羨むものなのだろうけど私はちょっぴり怖い。

「おはよ。予定より二時間も早いよ。神社の行事は八時からだろ?」

ちょっと眠そうに目をこすってハルが奥から出てきた。

「おはよう。眠いの?朝、二人で川に行く約束したよね?行くよ。」

「あれってマジな話だったの?別にお清めなんて朝早くに準備するほどいらないと思うけどなぁ。大事なのは周りに左右されない強い心だと思うよ。」

ハルは冗談で言ったのだろうが、初めて見るこっちの立場からしたら念には念を入れたいものだと思う。私が単に心配性なのだろうか。そんなことを真剣に考えていたから返事が出来ずに、ずっと黙っていたまま停止していた。眉間にしわが寄っていたかもしれない。するとその姿を見たハルがお腹を抱えて笑い始めた。そのままずっと笑っていたのでついに私から口火を切った。

「ちょっと、いつまで笑っているつもり?こっちは真剣に考えているし、何なら一人で行くよ。」

ちょっとイラッとしていた私は憎たらしく言葉を吐き捨て、足早に歩き出した。いつもこうだ。またからかわれてしまった。三メートルほど進んだとき、一人であの場所に行きたくなかった私は少し後悔していた。そんなことを考えていたら、少し大きな手が私の腕をグイッと引っ張った。ちょっと強かったので少しふらついたら、気づいたらその手に肩を支えられていた。

「さっき言ったことは冗談だって。そんな難しいこと最初から本気で言うと思うか?思った以上の反応でおかしくて、つい笑いすぎた。ごめん。不安なのは当たり前だよな。俺も行くからここでちょっと待ってくれ。すぐ戻るから。」

そう言って軽く私を押して、小走りに家の奥へ戻って行った。当の私はというと、不意のハルの行動に我ながら驚きつつも、怒っていたことも忘れて一緒に行ってくれる嬉しさと安心感でほっと胸を撫で下ろした。もともと憑りつかれやすい体質の私は誤って霊に取り憑かれるようなことが起きたら元も子もないので昨日は遅くまで色々と準備していたのだ。閉館ギリギリまで図書館で本を読み漁り、使えそうな本を借りた後、家に持ち帰って夜のうちに実践できるものをやっておいた。そこで調べたものの中で「川でお清め」というものがあったのだ。しかし、川は下流になればなるほど人の邪気を吸い取るので、川でのお清めはなるべく上流で行ったほうがいいらしい。丁度、ハルの家の近くに川の源流があるのでそこに行ってみることにした。昨夜の十一時頃にハルへ連絡したところ、一緒に行ってくれると約束してくれたのだ。けどさっきの言葉はちょっと悔しかった。それでもなんだかんだ言って最後は付いてきてくれるところがハルの優しさだった。数分後、タオル数枚を持って動きやすい服装をしたハルが出てきた。

「じゃあ、行こうか。」

ハルの一言で私たちは川へ向かって歩き出した。もちろん、その間は無言で歩いた。道が険しくなってきたのと、なんとなく、さっきのことは私が子供っぽい反応をとって怒ったので罪悪感が沸いてきたのだ。明らかにハルに悪気はないのは分かっていたけど、怒ったのは私だからちょっと場が悪かった。それでも今こうして付き添ってくれているハルのことを考えるとやっぱりこのままではいけない感じがして私はおもむろに口を開いた。

「本当にありがとう。ハル。私もさっきは言い過ぎたよ。ごめんね。」

昨日は遅くに連絡したのに約束してくれたし朝早くに起きて待ってくれたのだから。それに、ハルを許したかったし、またいつものノリで話したかったのだ。ハルは少し微笑んで話した。

「いいよ。お互いさまってことでチャラだな。今回は俺からだったし、そんなに気を遣わなくてもいいよ。」

ハルのその言葉のおかげでその後からはいつも通り話し始めた。学校のこと、神社のこと、お祓いのこと。その全てをハルは楽しそうに聞いてくれたし、私も久しぶりに色々聞いた気がした。

より一層道が険しくなり始め、やっと川が見えたとき、私は思い出に浸り始めた。この場所は私が小さい頃から、夏になると川遊びをしている思い出の場所だ。ここに来ると夏が始まった感じがする。梅雨明けのカラッとした空気。強い日差しが木漏れ日として神秘的に光る。私はそのまま思いっきり飛び込んだ。冷たい水が服に染み込む。話していたので到着に時間がかかって体中、暑くてたまらなかったがこのちょうどいい深さの川の水は火照った体を包み込むように冷ましてくれた。

「気持ちいいなぁ。」

私の声を聞いたハルも川に飛び込んで気持ち良さそうだった。

「お互いなるべく上流の方で思う存分泳ごうね。そしたら、上がろう。時間はいっぱいあるから。」

言うより早く私は泳ぎ始めた。水は透き通っていて魚が悠々と泳いでいるのも見える。本当に気持ちよかった。川の水が私の体に馴染み、私を泳がせてくれているみたいだ。私はなるべく上流を泳いでいた。そこは陽の光が差し込んで水中の石が宝石のようにキラキラと輝いていた。ようやく息継ぎをした私は辺りを見渡す。ハルの姿は岩場が多かったので見えなかった。もうちょっとだけ泳ぎたい気分だったのでそのまま探さずに泳ぎ続けた。それから三十分ほど経ったくらいに川から上がってタオルで体を拭いた。心は爽快だ。後はハルを待つだけだったのでハルに見つかりやすい岩の上で待つことにした。空気が美味しくて、そよそよと前髪を揺らす風が心地よかった。

「思った以上に時間が過ぎていたな。あと一時間くらいだから、少し急ごう。」

後ろの方からハルに声を掛けられた。

「今、行くよー。」

返事をしてハルの方へ走り出した。

「戻ろうか。装束も着るよね?」

「もちろんだ。だから早めに戻ろう。」

私たちはタオルを体に巻きながらも、行きより速めに歩いた。そのおかげか十五分で戻って来ることが出来た。ハルが先に家に上がって行ったので私も一緒にお邪魔することにした。

「じゃあ、着替えてくるね。」

私はそれだけ言うと奥の襖の部屋に入った。ここに巫女装束が置いてあることは知っていた。以前からハルのお母さんに着方を教わっていたので着付けはバッチリだった。私は素早く着替えた後、髪を一つに結い上げ、神社へ行く準備を整えた。装束を着たら一気に緊張が増したように感じた。それでも日々の勉強やら部活などのプレッシャーから逃げられる正当な理由がこれしかなかった私はこのほんの少しの緊張が温かく感じるのだ。私はその温かさを噛みしめながらゆっくりと玄関へ向かって歩き出した。玄関に着くともうそこにはハルが緊張しているのか、顔がこわばって少し引きつりながら待っていて、私が出てきたことを確認するとおもむろに口を開いた。

「さっきまで冷たい川の水で泳いでいたのが信じられないくらい暑いよ。」

そう言ったハルの顔は少しだけ火照っていた。蒸し暑い六月の最終日にこの服では無理もなく、体の奥から熱が沸いてくるようだった。

「今日は暑いもんね。神社の中が少しでも涼しいことを願うよ。」

少し笑いながら話したら、ハルの顔が少し緩んだ気がした。私は出来るだけ緊張が和らぐようにいつも通りの調子で話し始めた。そのおかげか並木道に着くころにはもう二人に緊張の色は見えなかった。私の話で笑っていたハルがまだ少し笑いながら

「そういえば、この道ってすごく思い出深い場所だよなあ。」

と言った。ハルが私と同じように感じている場所だと知って少し驚きもしたが、この先は神社なのでハルにとっては家みたいなものであることを思い出し、失笑した。

「そりゃあ、かれこれ十年はこの道を通っているもんね。私もこの道はいつからか忘れたけど毎日通っているよ。」

私は脇に並ぶ銀杏の木を見つめながら何気なく話していた。ハルも同じように見つめながら何か話そうとしていたが口をつぐんで私が聞くのを阻止するように私より一歩前で歩き始めた。何を言おうとしたんだろ、と気になってはいたがハルの真剣そうな横顔に押されて聞けずに気まずい空気が流れた。その後からお互い無言で私はただただハルの背中を見つめることしか出来なかった。五分ほどしか経ってないはずなのに何故だか梅雨のじっとりとした空気がいつもより重く感じた。やっと神社に着くとやはり無言のまま中に入って個々に挨拶を済ませ、私は神社の奥にある自分の座布団に静かに腰を下ろした。他数人の巫女たちも自分の定位置に座り儀式の準備が整った。ハルは私の目線の先にある神棚の前に座っていた。ハルが傍に置いてあった御幣を振りながら唱え始めると、少し緊張はしているもののはっきりとした言葉が体に伝わってきた。私は目を閉じながら手を合わせてその言葉に集中した。すると神棚の方からなにやら冷たい冷気がゆっくりと本殿から出て行っているように感じた。私はとっさに目を開けると黒い靄みたいなものがするすると動いていた。何、あれ、私は心から冷え切ったかのように全身が震え、その靄をぼーっと見ていた。

「そいつから目を離せ。ここから出るぞ。」

頭上からハルの声がしたかと思うとハルの手が優しく私の肩を包み込み支えてくれた。私は肩を支えられながらゆっくり扉へ向かって歩き出した。なるべく靄を見ないようにまっすぐ前だけを見つめて外へ出た。さっきまで感じていた寒気が消え、梅雨の蒸し暑い空気が懐かしく感じる。ハルのおかげでギリギリ立っていられたがまで足はふらふらしている。「どれくらいここにいたの?あれは、なに。」

声を震わせながら言うと、ハルは一瞬、迷ってから口を開いた。

「儀式が終わっても動かない様子を見て巫女達が心配していたんだ。だから俺以外の人達を家に帰したんだ。あのまま一時間くらい動かないで座っていたよ。あの靄は人間がこの神社で本来の参拝じゃなくお願いごとをしに来た人達の汚い思いが念となってああなるんだよ。もう少しで吸い込まれそうになっていたんだ。今日は家に帰ってゆっくり休んだ方がいい。」

私はそれを聞いた後、ハルに心配をかけさせたくないと思い、そのままハルの家まで走り続けそこから自転車で家まで帰った。家に帰ると軽い食事とお風呂だけ済ませてベッドに突っ伏しその日は熟睡した。それから一回もハルに会っていないし毎日通る習慣にしていた並木道にも足を運んでいない。

 教室の冷気は一層増したように感じた。あの時とは違い今は私一人しかいないので不安の霧が心に覆いかぶさっていた。それを振り払うかのように床に落ちていた教科書を取り、思いっきり立ち上がった。まずは外に出ようかな。ここにいても何も始まらないし、そう思うと、ゆっくりと廊下へ出た。コツンコツンと廊下にローファーの音が鳴り響く。息を殺して歩いていたのでローファーの音だけの空間が不気味で仕方なかった。階段を降りて外の渡り廊下を歩き中庭を見渡した。教室の中ほど寒くはないが、異様な冷気は健在であった。青々とした葉が風になびいている桜の木の下にベンチがある。夏になると丁度ベンチに座ると見える位置に向日葵が咲き乱れるので私は暇があればここに足を運んでいる。

ベンチには先客がいた。淡い黄色のワンピースにシンプルな白いサンダルを履き、麦わら帽子を被った同年代くらいの女の子が座っていた。絵を描いているのかしきりに持っているキャンパスに大きく手を動かしている。その様子に思わず見惚れていると彼女が自分の隣をコツコツと指で鳴らした。隣に座れということらしい。私は何だか彼女とは一度会ったような気がして自然と隣に座っていた。隣に座っている彼女から懐かしいおひさまの香りがした。その香りに見覚えがある気がして私にとって大切なことを忘れているような気がしていた。思い出そうとしても頭に靄がかかって思い出せなかった。私の様子を隣で見ていた彼女は切なそうな顔をして私の頭を優しく撫でた。

「今日は凜々香に、あの時渡してくれた大切な記憶を返しに来たの。」

そう言うと彼女は柔らかく笑った。記憶と聞いた途端、少しだけ思い出した。私が小学生に上がるとき、今までの記憶の一部をこの子に渡した。忘れてほしくなかったのだ。だから私が忘れる代わりに彼女に覚えてもらうことを条件として記憶を渡したのだ、双子の妹である朱莉に。私の頬から温かい涙が流れた。朱莉が優しく抱きしめてくれた。

「私は凜々香のことを忘れたりしないよ。だから心配しないで。私は待っているから。でも今、凜々香が忘れていることで傷つけている人がいるんじゃない?」

なだめるように優しく言うとまた私の頭を撫でてくれた。

 そよそよと流れてくる風が心地良い。あれはまだ四歳のとき、私はハルを待っていた。土日になると神社の手伝いで忙しくなるハルのことを心配して、終わるまで並木道のベンチで待っているのだ。でもたまに遅くなる時がある。そういうときはこの道を走り抜けてハルに会いに行くのだ。今日も遅かったので立ち上がって神社に向かおうとしたら目の前に朱莉がいた。

「え、朱莉、何でここにいるの?今日は朝から具合が悪かったからベッドで寝てなきゃだめじゃない。」

私は病気が悪化するかもしれないと思ってとても心配しながらこわごわと言った。生まれたときから朱莉は病弱でよく喘息の発作を起こしていたのだ。すると朱莉がぽろぽろと泣き始めた。よく見ると朱莉は寝間着姿で裸足のままそこに立っていた。

「私ね、もう凜々香やハルに会えないの。さよならを言いに来たの。」

私はそのときその言葉の意味が分かってしまった。思わず朱莉を抱きしめて二人で泣いていた。涙が治まると朱莉が離れようとしたので私はそれが辛くて思わず

「私と朱莉が一緒にいた記憶を朱莉にあげるから私が忘れる代わりに覚えていて。こんな辛いこと忘れたいよ。」

と泣きじゃくりながら言った。すると朱莉は優しく私の頭を撫でて

「いつか返しに会いに行くよ。」

と笑いながら言った。おひさまの匂いが遠ざかるのが分かった。私はベンチに座ったまま泣きはらしていることに気づいた。何で泣いてたんだろ、私は頬に残った涙を優しく拭った。するとこちらに走ってくる男の子が見えた。神社の神主さんがよく着ている服を着ている男の子が私に近づくと

「朱莉のこと聞いたみたいだな。大丈夫?」

ととても心配した顔をして優しく話しかけられた。朱莉って誰だろうそれにこの男の子、初めて見るな。誰なんだろう。

「ごめんね。朱莉って誰?それにあなたに会ったのが初めてで、私のことを知っているの?」

わたしは怪訝そうに話した。それを聞いた男の子は一瞬、傷ついたような顔をして少し考え込んだ後、

「俺の名前は川瀬晴斗。ハルって呼んでくれていいよ。今日、引っ越してこの先にある神社で手伝いをしてるんだ。将来はその神社を継ぐんだ。よかったら友達になってくれる?」

と親しみやすい笑顔で言ったので笑顔でいいよ、と返した。その後二人で私の家に行って

ハルは私の両親となにやら話し込んでいた。

 朱莉はそれらの記憶を話してくれた。そしてそのときハルが言っていた言葉も朱莉は聞いていたみたいだ。

「凜々香はショックからか朱莉のことも俺のことも覚えていないみたいなんですけど、もしかしたらいつか思い出すかもしれないので今はあまり朱莉のことは話さないでやってください。って言っていたよ。まだ四歳だったのにハルは頭が良くて思いやりがあったんだよ。」

そこで朱莉の話は終わった。私は失っていた二人との記憶を全て思い出した。

「私、ハルを傷つけてしまった。それに自分勝手に朱莉のことまで忘れていたなんて。朱莉ごめんね。私はもう大丈夫だよ。ちゃんと向き合うから、見守っていてね。」

朱莉は私の言葉を聞くと今までにないくらいの明るい笑顔でありがとう。と言いながら消えた。向日葵のような笑顔だった。ザーっと風が吹き始めていた。私はもう一度目を閉じた。もう怖くはなかった。温かいおひさまの香りが私を包み込んだ。

 気がつくと私は教室にいた。夢のような気がしたけどほのかなおひさまの香りが夢ではないことを物語っていた。私は急いで荷物をまとめて授業を受けた。授業が終わると部活がないことをいいことに走り出していた。私は坂と階段を何回も駆け上りながらあの並木道に向かっていた。ベンチの前を通り過ぎ、並木道を抜けた。ハルが神社の掃除をしていた。息を切らせながら走ってきた私に気づくと驚きながらもほうきを投げ出し、駆け寄ってきた。

「ハル。あの日から記憶はなかったけど、ハルが来るのをずっとあのベンチで待っていたよ。待ちきれなくて走って来ちゃった。今日、朱莉に会ったよ。私の記憶を返しに来てくれたの。全部、思い出したよ。私の我儘で忘れちゃってほんとにごめんね。ありがとう。」

三週間ぶりのハルは何だかずっと何年も会っていないかのように感じて、会いたかったんだなあと思った。

「思い出すと信じてたよ。この間は変な態度とってごめんな。朱莉もきっと喜んでいると思う。」

そう言うと久しぶりに明るい笑顔を見せてくれた。あれ、何だかデジャヴだな、と思ったけど二人に対しての感謝の気持ちが大きくて涙がこぼれた。私はたまらなくなって、ハルをぎゅっと抱きしめた。十年ぶりに本当の自分に戻れた気がする。ハルは一瞬、驚いたけど抱きしめ返してくれたのだ。

「ハル、本当にありがとう。」

一滴の嬉し涙がポタっと落ちた音がした。


長い文章を読んでくださりありがとうございます。

初投稿です。一年前に書いた文章をここに載せようと思いました。

いいなと思ってもらえたら幸いです。

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