3話 盛大な騒ぎ
葉桜が咲き誇るこの日の頃。紅花高校の北校舎の二階にある教室、一年三組のロングホームルームでは来月にある体育祭についての話し合いが行われていた。教壇には一組の男女が立って仕切っている。
そんな中、このクラスの廊下側の列の前から三番目と四番目が空とカンナの席である。彼女はこちらに振り向いてきた。彼らは二週間前に聞いた都市伝説のことすらを忘れているようである。
「ねねっ。ここの体育祭ってどんなカンジかな?」
「さあ? 中学よりかは迫力はあるんじゃね?」
実際に見たことがないため、どう答えていいのかわからないのか空は腕を組む。それにカンナは配られたプログラムとスマートフォンの画面を見て「よっし!」と決意を固める。
「わたし、絶対にパン食いキョーソーに出る!」
「食い意地が張ってるなぁ」
「だって、中学のセンパイの情報だと六姫の大通りにあるパン屋さんのアンパンを使うって!」
カンナの言う大通りと聞いて、あの場所かと思い出す。いつも朝に行列ができているパン屋のことを差しているようだが――。
「たかがガッコーの行事にパン屋が協力してくれるのか?」
「何言ってるの? センパイの情報だし、信じてあげなきゃ、カワイソーじゃん」
可哀想ではなく、そうだと信じたいだけなのではないか。そうツッコもうとしたとき、教壇に立つ学級員の女子生徒がパン食い競争の参加者を募り始める。
それにカンナは勢いよく手を上げて元気よく声を上げた。
「はいっ! はーい! わたしやりたいっ! 絶対したい!」
しかし、その競技をしたいのはカンナだけではなかった。他のクラスメイトたちもやりたいと手を挙げているため、最終的にはじゃんけんで決めることとなる。絶対に負けられない、として彼女はかなりの本気で右手の拳を覗き込む。
そのじゃんけん勝負の結果は――。
「よっしゃぁあああ!」
カンナの独り勝ち。勝利の鍵となったチョキの手上に掲げて叫んでいた。その様子を見ていた空を含めたクラスメイトたちは苦笑いをせざるを得ない。
「やったよぉおおお! センセぇ! わたし、やったよぉおお! やったぁあああ!!」
相当嬉しかったのか、大騒ぎしていると、隣のクラスの担任がやって来て「三組うっさい!」と怒られてしまった。
その怒声とドアを開ける音の大きさが仇とでもなったかのように、その場がしんと静まり返る。
「誰だ!? バカ騒ぎをしているのはっ! ホームルームだとしても授業であることには変わりないんだぞ!」
その言葉に続けるようにして、空たちの担任が「すみません」と頭を下げた。
「三春、席着け。嬉しい気持ちはわからんでもないから」
担任はカンナを宥めるようにした。その言葉通りに彼女が素直に従いながらも席に着く。
「チッ、何? 喜んだっていーじゃん」
「カンナの場合は大げさ過ぎだ」
空にもっともなことを言われて不服なのか、学校が終わるまで口を尖らせるようにして不貞腐れているのだった。
もちろん、それは下校中でさえも表情を絶対に変えようとしない。カンナのその精神をある意味ですごいな、と思っていた。
「まだ不貞腐れてるのかよ」
「だってー。あのハゲ、人の喜びを分かち合うってコト知らないのかな?」
カンナのあの喜びを十分に理解できるのはあの場に誰もいなかっただろうな、と苦笑いをする。それよりも、あの大声はかなりの大きさだった。故に隣のクラスの担任が怒鳴り込んでくるのも無理はないはず。
隣のクラスの担任の不満をぶちまけて、それを空が流し聞きをしている最中、後ろの方からブツブツと独り言が聞こえてきた。それは何も彼だけではなく、カンナも聞こえていたようで同時に振り返ると――。
「おっさん、何一人でブツブツ言ってんだ?」
包帯を巻いた男の頭を鷲掴みしている青年がいた。その青年、彼を不審そうに見ているようだ。これに二人は怪訝そうにする。
「えっ、あ、あの……?」
青年が入ってくるのがイレギュラーだったのか、男は顔を青ざめさせた。
「そこの二人、このおっさんの知り合い?」
「や、あの……誰ですか?」
空は知っていた。ここ最近自分たちの後を着けていた人物であることを。しかし、それを口に出せばカンナは怖がるだろう。彼はそのことについては言わないでおいた。
ずっと自分たちを着けてきて、何がしたいのだろうか。それを問い質したい空は詰め寄るも――青年がくしゃみをした隙をついて逃げてしまった。
「あ、ワリぃ」
くしゃみをして逃してしまったことについて、頭を下げてくる。
「いいですよ。オレらを助けてくださってありがとうございます」
「おー。えっと、二人とも紅花高校だよな?」
「はい。そーいうアナタは……」
カンナは青年の背格好を見た。空よりも背が高くて黒色の学ランを着ている。この町でその制服を着用しているのならば、八姫農業高校か。
「八姫農業高校の人ですよね?」
「おーよ。じゃ、二人がなんともないなら――」
「ありがとうございましたー。じゃ、帰ろ。空」
「そうだな。あり……って、カンナ。服引っ張るなよっ」
と、ここで青年がその場を立ち去ろうとするも、二人の状況を見て硬直する。
「どうしたんですか?」
そんな青年が気になるのか、呼びかけようとしたとき、なぜか空は胸倉を掴まされてしまう。思わず変な声を出してしまった。
「な、何ですかっ!?」
「オマエら、グーゼンの同級生じゃねーのかよ!?」
「はあ!?」
言っている意味がわらないとでも言うように、空は眉をひそめる。
「や、オレ――ボクらは同級生ですけれども?」
「どこがじゃ! さっき、互いに下の名前で、しかも呼び捨てで呼び合ってただろーがっ!」
じれったいとでも思っているのか、こめかみに青筋を立てて青年は怒鳴っている。
「確かにそうですけれども!? えっ、何かオカシイです!?」
どこかおかしいのかわからない様子で、空はカンナの方を見る。彼の目は救済を求めているようであるが、どうすることもできずに首を傾げていた。
「……あー。もしかして、わたしらが幼馴染だってコト知らないんじゃない?」
「や、知らないのもトーゼンじゃん」
「あ? 幼馴染?」
カンナの言葉に青年は掴んでいた手を緩めた。彼の様子を見ている限りだと――ああ、この人は盛大に何かを勘違いしているな、と二人は覚った。
「あー……えっと、ホント何度もワリぃな」
ここで問題は起こしたくないとでも思っているようだが、もう遅い。カンナは青年を逃がすまいとして服の裾を強く握る。絶対離すものか。
「あの、伸びるんですケド」
「勘違いしたならば、お詫びが欲しいんですケド」
「謝ったじゃん。何か奢れって?」
「おい、カンナ。オレらはこの人に助けてもらったろ? いーじゃん、もう」
空は止めてさしあげろ、と言う。それでも止めてあげないカンナ。
「ダメだよ。だって、何もしてないのに空は胸倉掴まれたじゃん」
「そーだけどさぁ……」
今日初めて会った人なのに失礼ではないだろうか。空が不安そうに青年を見ていると、カンナからは逃げられないとわかったのか大きなため息をついた。
「あーもー、わーったよ。そこのコンビニでジュースかラテでも奢ってやるよ」
「やったね!」
青年の言葉にカンナは笑顔を戻す。その表情を見て空はまあいいか、となんとも他人事のようにしていた。