七話
鳳斗は仕切り直すように一口紅茶を含み、静かに口を開く。
「何を知りたい」
「え?」
「お前には選択権がある。目の前に選択肢があるのに、それを見て見ぬ振りをするのは愚か者のすることだ。俺は、お前にそうあってほしくない」
選択肢……、と美鶴はぽつりと繰り返して視線を手元のティーカップに向ける。
「選べと言われましても……」
「なんでも構わない。俺が知る限りの全ての情報をお前にくれてやる」
「……」
「十二月華のこと、松浪の姫のこと。なんでも良い」
選べと美鶴に選択を迫り、困らせる原因はそう言って本を開いた。
タイトルが見えなかったため何を読んでいるのかは分からないが、洋書だということは見て分かる。
(意地悪されている……のかな?)
まるで興味なさそうに本を読み進める鳳斗に、思わず不安に思う。
記憶を失ってある程度のことは家族や鶯から教えられたものの、十二月華や松浪の姫といった単語はまったく知らなかった。
だから知りたい。そのためにここに居る。
しかし選べと言われたからには選択しなければならないだろう、と思考を巡らせる。最善の答えを、選択を見つけるために。
「……知りたい」
知りたいのなら訊けば良い。
選べるのは一つだけ? ――否。
この場合、答えは決して『ひとつ』ではない。
「全てを」
顔を上げて唇を動かせば、いつの間にかこちらに目を向けていた鳳斗と目が合い、笑みを零される。
「上出来だな。それでこそ、松浪美鶴だ」
何故か嬉しそうに口角を上げ、片手で本を閉じる。
それがやけに様になっていた。
「そうだな、ではまず始まりの話をしよう。
昔、一人の巫女姫と鬼の頭が契りを交わして子を成した。生まれた子供は十二人。いずれも鬼の血を継いでいた。鬼を血を継ぐ者は人並み外れた五感に優れた頭脳、ずば抜けた身体能力を持っていたため、着実に高い地位を築き上げることに成功した。そこで十二人の子供達は己の名に新たな姓をつけ、各々別々の道を歩んだと言う。
十二人の子供達が姓に選んだのは植物の名だった。それは芒、それは梅、それは桜、それは桐――それは松。植物の名を背負う十二の一族は後に十二月華と呼ばれ、十二人の子供達の血は数千年経った今でも途絶えることなく受け継がれているらしい」
昔話を話すように語り、鳳斗はそこで一度口を閉じる。
らしい、とは随分他人事だ。
耳を傾けていた美鶴が目を瞠っている。
美鶴が「松」の名を持つように、鳳斗もまた、「桐」の名を持つ。それはつまり――。
「単刀直入に言えば、お前や俺を含め、上流階級の奴らには鬼の血が流れている」
「お、鬼……」
「ああ。一般的な鬼と同一視してくれて構わない」
唐突にファンタジックな話になったな、と美鶴は思ったが語る鳳斗は至って真面目だ。
記憶を失ってから会って間もないが、鳳斗は真面目な雰囲気で冗談を言えるほど器用な人間ではないとなんとなく分かっていたから、当然冗談ではないのだろう。
しかしいきなり人ならざるモノの血が流れていると言われても、すぐには納得も受け入れもできないわけで。
「……鬼……」
「そうこの世の終わりのような顔をするな。お前は人間だ」
「でも、鬼の血が……」
「鬼の血が流れていると言っても、人間として生まれたお前の血は薄い」
「……どういうこと、ですか?」
やけに落ち着き払った声音と態度で鳳斗が言う。
衝撃の事実を突きつけられた美鶴は、顔を青ざめながら必死に遠ざかりそうな意識を引き止める。
膝の上で握り締められた拳が白い。
「俺達鬼の血を持つ者は二種類いる。人として生を与えられた者と、鬼として生を与えられた者。お前は前者で、俺は後者に当たる」
「……鬼として、生を与えられた人は……普通の人と何が違うんですか?」
「根本は変わらない。しかし人より優れすぎた頭脳と身体能力に加え、先祖の鬼の血を色濃く受け継いだ者は稀に言霊を操る異能を生まれ持つ」
なんてことはない、とでも言うようにさらりと言ってのけた。そこで美鶴の脳裏にふと、鳳斗の言葉が再生される。
――呼称の忘却、言霊の効きめから考えると――
美鶴はそれに気づき、目を瞠った。
そんな美鶴を見て、鳳斗は優しげに目を細める。
「五感はともかく、それらは人間界では誤魔化しきれるものではないから、生きていくのに苦労するというだけだ。お前がそんな顔をする必要はない」
そう言った鳳斗の瞳には、眉を八の字に下げる美鶴が映っている。
人であるのに、人ではない。それはどれほど息苦しいことだろう。鬼として生まれた彼らにとっては、常に水の中でもがいているようなものだろうか。
想像しただけで、息が苦しくなった。
「まったく、松浪の姫は随分感受性が高いな。構わず切り捨てれば良いものを」
「できません……。切り捨てるくらいなら、引きずってでも連れて行きます」
「それが命取りにならなければ良いな。始まりの巫女姫の末裔、松浪の姫を継ぐお前にはくだらないことで命を落としてもらいたくはないんだが」
呆れ交じりに吐き出された言葉に美鶴ははっとする。
鳳斗の顔は、やはり呆れを表していた。
「あ、あの、結局松浪の姫って……?」
「……それは、」
恐る恐るというふうに問う美鶴に鳳斗が口を開き掛けた時、不意に鳳斗はピタリと動きを止めて黙り込む。
その反応に美鶴が首を傾げて鳳斗を見つめると、鳳斗は一度短く息を吐き出して腰を上げた。
「時間切れだ。迎えが来たようだ」
「え、ああ、送迎ですか?」
「まあ、そんなところだな」
それじゃあ仕方がない、と美鶴は少し残念に思う。
そんな美鶴の思考を読み取ったかのように、鳳斗は次に告げた。
「松浪の姫のことも含め、お前は一度全てを訊け。俺が話したこともだ。お前のところの長男あたりならば話してくれるだろう」
そう言って鳳斗は背を向け、「カップはそのまま置いておいてくれ」とだけ言い残すなりさっさとその場を後にする。
何かから逃げるように去ったものだから美鶴はきょとんとしていたが、
「美鶴!!」
焦ったような声音で呼ぶ鶯の姿を見つけ、鳳斗の行動の意味を理解した。