四話
「……美鶴、教室に入ろう。双子の話は立ち話には向かないぞ」
「その言い方、なんかムカつくんだけど。……と言いたいところだけど、確かに話は長くなりそうだし」
「それは寝たきりだった美鶴の体には良くないだろうね。大人しく教室に行こう」
「……あ、うん。そうだね」
三人の視線が美鶴に集まる。
鶯と双子の会話をぼんやりと眺めていた美鶴は、その視線に慌てて首を縦に振った。
そうと決まれば、と葉月と雁夜が美鶴の背後に回り、優しく背中を押して歩き出す。
立ち話をしていた場所から教室まではそう遠くなく、ゆっくり歩いても一分もしないで辿り着く。美鶴が双子に押されたまま教室に顔を出せば、数人の女子生徒がそれを待っていた。
「おはようございます、美鶴様。そしておかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ美鶴様」
「美鶴様、ご無事で何よりですわ」
皆一様に安堵したような微笑を浮かべて美鶴に声を掛ける。
美鶴もまさかそうくるとは思っていなかったため、ぽかんとしていた。
そんな美鶴に、葉月がくすくすと可愛らしく笑う。
「ふふっ。美鶴ちゃんたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるよ」
「まあ。では図らずもサプライズになったということでしょうか?」
近くの女子生徒が悪戯に成功した子供のように嬉しそうな笑みを浮かべて問い掛ける。
それに対して葉月が頷けば、女子生徒達は顔を見合わせて笑い合う。
「よかった。本当は贈り物にしようかと思ったのですけど、美鶴様はあまりそういう物に良い顔をなさらないので……」
「特別なことでもない限り、『お気持ちだけ受け取らせていただきます』と仰いますものね」
「ですが、その謙虚さが美鶴様らしいですわ」
ほうっとガールズトークよろしく微かに頬を赤らめて話す女子生徒達に、美鶴は内心驚きを隠せなかった。
(記憶を失う前の私は、彼女達に一体何をしたんだろう……)
もしや他所様のご令嬢方を誑し込んだのか、と自分を疑いながら鶯のエスコートで席に着く。席に座れば座ったで、やはり女子生徒に囲まれたが。
美鶴が居ない間はこうだったとか、やはり美鶴が居てこそだとか、以前美鶴はこう言ったとか。記憶を失う以前の自分の情報を求めていた美鶴にとっては、嬉しい誤算だった。
傍で鶯や双子が微笑ましげに見守る中で女子生徒の話を時折相槌を打ちながら聞いていると、不意に教室内の一部が騒がしくなる。
「ああ、本当に美鶴だわ」
凛とした高い声に、教室内が一気に静まり返る。
見れば一人の女子生徒が教室に足を踏み入れていた。
「桜庭さん……!」
「今日もお綺麗だ……」
「なんて神々しい……。天女か! 女神なのか!」
「大和撫子って、桜庭さんのような人を言うんだろうな……」
視界の端で男子生徒が頬を赤らめる。
その理由も一目瞭然。女子生徒は、とても美しく、清楚な容姿をしていた。動き一つで黒檀のような長い髪が揺れ、挙動は全て控えめに淑やかに。確かに、大和撫子という言葉がしっくりくる。
歩み寄ってくる女子生徒に美鶴が思わず見とれていると、葉月が美鶴の横で頬杖をついたまま女子生徒に声を掛けた。
「ごきげんよう幕吏ちゃん。今日も美人だね」
「ありがとう。葉月も今日も可愛いわ」
「そう? ありがとう」
幕吏の言葉に葉月が口角を上げる。
その笑みはさながら、挑発的な小悪魔の笑みだ。
葉月のそれを一瞥して、ゆるりと幕吏の視線が美鶴に向けられる。
「おはよう美鶴。元気そうね」
「あ、おはよう。割と元気だよ」
「そう、よかった」
ふわり、花が咲くように穏やかな笑みを浮かべる。控えめな笑い方だと思う。
それが更にキュンとするのか、やはり視界の端で男子生徒達が悶えていた。
「それじゃあ、私は戻るわ。美鶴の元気そうな顔が見られたもの。葉月に雁夜も、あまり他所の教室に長居しちゃダメよ」
「はぁい」
「わかってる」
くるりと踵を返した幕吏の動きに合わせて黒髪が流れる。
それを周囲の女子生徒に混じってほうっと羨望の眼差しで見つめていると、ふと幕吏がその足を止めた。
「――美鶴」
「え、はいっ」
慌てて返事をすれば、幕吏は肩越しに微笑みを向ける。
「もう大丈夫よ。貴方のことは、私が見ているから」
それだけを言い残して、幕吏は教室を後にした。
残ったのはぽかんとした顔をする美鶴と、すっかり見惚れている女子生徒達だ。
「幕吏ちゃんたら、かーっこいい」
「男前だね」
「流石友達同士。かたーい絆で結ばれてるってやつ? まあ、わたしと美鶴ちゃんは更に強い絆で結ばれてるけど!」
「そこは俺じゃないんだ」
「うん? 雁夜ってばヤキモチ?」
「まさか」
双子特有の掛け合いに挟まれながら、美鶴は幕吏の言葉の意味をぼんやりと考えていた。
(さっきの、どういう意味……?)
そのままの意味でとって良いのか、それとも――。
そこまで考えて、考えすぎか、と美鶴は首を横に振って考えを振り払った。そして記憶を失くして少し精神が不安定になっているのだと自分に言い聞かせ、顔を上げて周りの女子生徒に話し掛ける。
気を張りすぎているせいか、先ほどから物言いたげな眼差しを向けて黙り込んでいる鶯に、美鶴は一向に気づかない。