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月華の花嫁  作者: 藤井 蓮華
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二話

 美鶴と鶯が通う学校は私立の高校だ。

 しかし一口に私立の高校と言っても、庭師つきの日本庭園を持つ家の娘が通うのだから、当然普通の学校ではない。

 私立東咲あがりざき学園は日本屈指の名門校であり、お金持ち学校としても有名である。進学は初等部からのエスカレーター方式で、大学部まで存在する。確かに通う生徒のほとんどが申し分ない家柄の子息や令嬢だが、中には難関と言われる入試問題を突破できた一般家庭出身の生徒、所謂特待生も全体の一割ほどいるのが現状だ。

 山一つ分という広大な敷地面積を誇り、「歩くと遠いが車だと近い」距離を置いて初等部、中等部、高等部、大学部を設けられている。校舎は金に糸目をつけずに建てられ、普通教室や保健室、職員室といった生徒が多く利用する教室が入った“本館”、実験室や音楽室などの特殊な環境や設備を必要とする教室は“特別棟”、会議室や更衣室とシャワールーム完備の部室の入った“新館”が続く。余談だが、当然のように全室冷暖房完備されている。

 お金持ち学校だからこそ文武両道は当たり前であるため、校舎の隣にはだだっ広いグラウンドがある。ナイター設備完備の野球場に人口芝生のサッカー場、男女各三面のテニスコートにランナー用の設備されたコース、ラグビー場にソフトボール場などの屋外運動場が一つずつ設けられている。屋内運動施設も例外ではなく、オリンピックサイズの温水プールをはじめバレー部やバスケ部、卓球部やバドミントン部が使用する体育館に、柔道部や剣道部、空手部やフェンシング部の使う格技場もこれでもかと金が費やされていた。


「……お金の無駄使い」

 走行する自家用車の後部座席で、美鶴はぼそりと呟いた。

 その視線の先には、東咲学園のパンフレットがある。

(設備を整えるにも、『ほどほど』って言葉があると思うんだけど……)

 美鶴の表情はすっかり呆れ顔だ。

 車に乗り込んだ際に「校内地図があるから目を通しておけ」と鶯に手渡され、目を通した結果がそれだった。

 美鶴は令嬢と呼ばれる立場の人間だが、母親が一般家庭の生まれであるためか、金銭感覚はいたって普通だ。立場上仕方がないと分かっていても、正直宝の持ち腐れは好きではない。

「美鶴はやっぱり変わらないな」

 ふと隣に座っていた鶯が言う。

 落ち着いた声色と言い、柔らかな雰囲気と言い、目元は隠れて見えないが美鶴は何やら微笑ましげな眼差しを向けられているのに気づいた。

 何故なにゆえ、と美鶴は顔を上げる。

「いつからだったか、さっきみたいに『この学園は無駄が多すぎる』と不満そうな顔をするようになった」

(不満……というよりは、呆れてたんだと思う)

「周りの奴らが当然のようにそれを受け入れている中、美鶴だけは学園が与える物に甘えないようにと努力していた。俺はそれが凄いと思った」

 ずっと近くで見ていたからこそ、と鶯は口元を綻ばせた。

 鶯の話を聞いて、美鶴は内心安堵する。

 記憶を失う前の松浪美鶴と、記憶を失ってからの松浪美鶴はあまり変わりがないようだと分かったからだ。

 これならもしかしたら……という考えが、美鶴の頭に浮かぶ。

「よかった。じゃあ前の私と今の私って、根本はズレてないんだね」

「みたいだ。性格が変わっていないのは助かる」

「何かあったらフォローお願いします。鶯」

 体の向きを変えて鶯に頭を下げれば、鶯は一つ頷いた。

「約束する。今度こそ、お前を守ってみせる」

 その言葉に確かな意思を込めて。

 鶯の言葉に込められた意思を正確に汲み取った美鶴は、僅かに目を伏せる。

(私がこうなったのは、鶯のせいじゃないのに……)

 美鶴は二週間ほど前、校舎内で倒れているところを発見された。

 階段の踊り場で、意識不明の重体だったらしい。

 信頼の置ける警備員がいるということで校舎内には監視カメラは設置されておらず、階段から誤って落ちたのか、それとも誰かに突き落とされたのか、真相は未だ明らかになっていない。

 それと鶯と何が関係あるのかというと、その日鶯は美鶴の傍に居なかったということだ。

 鶯の家、梅影うめかげ家は武道の名門で、おまけに文武両道を掲げる東咲学園は部活に入ることを強制していたため、剣術部に所属していた。

 そうしてその剣術部の試合のため、朝から美鶴の傍を離れていたのだ。

 守るべき存在に笑顔で見送られて傍を離れたというのに、帰った時にはその唯一の存在が危うい状況だった鶯の心境は、誰にも理解できないだろう。

 それを知っているからこそ、美鶴は鶯に何も言うことができなかった。



 アイアンフェンスの門扉を潜り、車が車寄せで止まる。

 運転手が素早く車から降りると、「どうぞ」という声と共に美鶴側のドアが開けられた。

「ありがとうございます」

 運転手に一言そう言って降りると、足を止めてこちらを見やる生徒達に気づいて内心ぎょっとする。顔に出なかったのは単に表情筋が現状に追いつけなかったからだろう。

「美鶴」

 微かに背中を叩かれてはっとする。

 隣にはいつの間にか鶯が立っていた。

 口元に柔らかな笑みを浮かべていた鶯を見て、大丈夫だ、と言われているような気がして、美鶴は少し肩の力が抜けた。

「いってらっしゃいませ、美鶴様」

「はい。いってまいります」

 深々と頭を下げる運転手に美鶴は頷いて足を踏み出す。

 それは傍目から見たらなんでもない一歩に見えただろう。

 しかし美鶴にとって、その一歩は酷く気合いのいる一歩だった。

 二歩、三歩と進んでいくうちに、美鶴は徐々に力を緩める。変わらず生徒の眼差しが向けられているが、元々人の視線に疎いのもあり、美鶴が気づく気配はない。

 そんな、ピンと背筋を伸ばす美鶴の後ろ姿を、少し後ろを歩く鶯は前髪の下で目を細めて見つめていた。

「ああ、ようやく来たな」

 けれどその足は、第三者の声でピタリと止まった。

 前しか見ていなかった美鶴はその時初めて壁に寄り掛かる人物に気づいたのだ。周囲の生徒は美鶴を見るのと並行して、その人物を見ていたというのに。

 けれど煩わしいとも感じる視線を全て無視し、その第三者は美鶴と目が合うなり口角を上げた。

「待ってたぞ、松浪」

 シン……と静まり返った廊下に、笑みを浮かべる第三者の声だけが響き渡った。

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