表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月華の花嫁  作者: 藤井 蓮華
19/35

十八話

 同じ頃、美鶴は生徒玄関にて一人佇んでいた。

 近くを見回しても、迎え役である鶯二郎の姿は見当たらない。

 予定時間よりも少し早いために車も来ないので、美鶴は邪魔にならないように隅で待っているしかできなかった。

 溢れる部活特有の音に耳を傾けて、美鶴はそっと息を吐き出す。

 まだ登校して二日目だというのに、すでに疲れが溜まっていたのだ。記憶喪失だということを悟られないように、という条件つきでの登校なのだから仕方がないが、親しい人達にまで嘘をつかなければならないことが正直心苦しかった。かと言って、これ以上学校を休むわけにはいかない。

(本当に、由鶴お兄様には感謝の言葉しか出ないなぁ)

 性格に見合った優しげな笑みを浮かべる由鶴の顔が浮かぶ。

 記憶喪失が鳳斗にバレたことは、その日に家族全員に伝わっている。しかしそれでも美鶴が学校に通えているのは、由鶴の言葉があったからだ。

 提示した条件を早速守れなかったために最初は本当に登校禁止令を出されそうになったのだが、そこで由鶴がやんわりと反対し、尚且つ鳳斗がいかに利用できるかを語ったところ、渋々ノーカウントということで了承したのだ。

 ちなみに、最後までそれに反対していたのは言わずもがな鶴義だった。最後の方は駄々をこねていた鶴義さえも言いくるめた兄に、鶴義も自分も一生頭が上がらないことだろうと美鶴は冷静に考える。味方でいてくれる彼の心強さにこれからも傍にいてほしいと思うものの、それは決して叶わぬ願いだと美鶴はよく理解していた。

 松浪家の長子である由鶴とは違い、女児で松浪の姫である美鶴はそう遠くないうちに他家へ嫁がなければならない。それが鳳斗が言っていた許嫁の下なのか、美鶴が慕った人の下なのかは分からないが、結局はそういう未来であることには変わりはないのだ。

 こればかりはどうにもできないと分かっているからこそ、美鶴は堪えきれずに深い溜め息を吐いた。

 来年の一月で十七歳になる美鶴は既に結婚ができる年齢であるため、まだ見ぬ許嫁が仮に十八歳だったならば、留学から戻ればすぐに結婚を強いられるかもしれないと不安になる。

 早いうちに祝言を挙げ、子を多く成せれば良し。昔はそう考えられていたから――無きにしも非ず。

 ぞっと冷や汗が流れれば、美鶴は思わず遠い目をした。

「美鶴様……ですか?」

「はい?」

 ふと聞き覚えのない声を掛けられ、美鶴は顔を向ける。

 そこにいたのは、軽く頭を下げる女子生徒が五人。学年章を見る限り、一年生のようだ。

「そうですけど……申し訳ありませんが、どちら様でしょう?」

「申し遅れました。わたくし、一年の千葉彩花ちばあやかと申します。そして左から順に――」

真山夕まやまゆうです」

赤坂茉莉あかさかまりです」

新田菜々美にったななみです」

平坂香織ひらさかかおりです」

 リーダー格なのだろう、彩花の目配せ一つで美鶴から見て左側から一人ずつ名乗っていく。

 いまいち状況が理解できていないが、美鶴は一応会釈しておいた。

「それで、美鶴様は先ほどからどなたかをお待ちのようですけれど、もしかして梅影様を待っておられるのですか?」

「はい。弟の方ですけど」

「まあ、やはり! ああ、美鶴様には大変申し訳ないことを致しました……」

「え?」

「いえ、美鶴様がこちらにいらっしゃる前にその方がここでお待ちしていたのですが、まだ春先ということもあって体が冷えてしまうと思ったわたくし共はその方を校舎の方へ招いてしまったのです」

「そうだったのですか?」

「はい。ですので、美鶴様をそこへお連れしようと参りました」

 にこっと可愛らしい頬笑みを浮かべて彩花が言う。

 後ろの四人もそうだが、彩花は同性から見ても可愛いと思う容姿で、ふんわりした髪や雰囲気がおっとりした雰囲気を醸し出している。

 まさにお嬢様だ。そう思わずにはいられない。

 かと言って、美鶴は自分の母親似の容姿を恥とは微塵も思わないが。

「いいんですか?」

「もちろんです」

「……では、お願いします」

 美鶴が頭を下げると、彩花は笑って頷く。

 どうぞこちらへ、と踵を返した彩花に続いて歩きだせば、残りの四人は無言で美鶴の後ろに並んだ。

 廊下には生徒の姿はなく、教室内に残っている生徒も合計で片手で足りる程度。部活に属することを強制している学校であるから、その人の少なさは何ら不思議なことではない。

 中庭をはじめとした外を見やれば、あちらこちらに部活動中らしき生徒を見掛けた。仲間同士で和気藹々と部活に取り組む姿は、ご令嬢や御曹司とは思えないほど、学生らしく輝いている。

 それらを見ていて、美鶴の脳裏にふと部活に誘ってくれた葉月と雁夜の顔が浮かんだ。羨ましいと少しでも思った結果だろう。次からは部活に参加してみたいと思う。

 そのためには随身である鶯や鶯二郎、送迎車の運転手である佐藤、それから家族を説得して了承を得なければならない。

 まずは鶯二郎から、と決意して美鶴は視線を前方へ戻す。

 その時、いつからか肩越しに顔を向けていた彩花と目が合った。

「……えっと、なにか?」

「いえ、なんでもありませんわ。不躾な行いをお許しください」

 彩花はそれだけ言って前を向く。

 そんな彩花に、美鶴は小首を傾げる。何か気になることでもあったのだろうかと、思ったのだ。

 そうしているうちに彩花が不意に足を止めた。

 特別棟の最奥の教室。室名札には“第五音楽室”と書かれている。

 ほとんど使われていない音楽室で、最奥であるために人もあまり来ない教室だ。確かに、ここならば中等部の生徒がいても分からないだろう。

 彩花がドアを開けると、「奥へどうぞ」と促された。鶯二郎がいるならば、と美鶴は迷いなく教室内に足を踏み入れる。――瞬間、ドンッという鈍い音と共に、背中に衝撃が訪れた。

 えっ。

 美鶴がその音を発しながら、重力に逆らえずに床に膝と手をつく。

 床に強打した膝の痛みを唇を噛んで押し殺し、振り返る。

 ドアがピシャリと閉じられたのは、それと同時だった。

「なっ……、どういう……」

「聞こえますか? 美鶴様」

 美鶴の頭が動揺と混乱でまともに働けなくなっていると、閉ざされたドアの向こうから落ち着き払った彩花の声が聞こえた。

 その声は先ほどとは違い、低く冷たい。

「そちらの声は防音設備のおかげで聞こえませんので、一方的に話させていただきますね。

 突然ですが美鶴様は、お慕いする方はいらっしゃいますか?」

「……え?」

わたくしにはいます。まともにお話ししたことも、お傍にいたこともございませんが、その方はわたくしの運命なのです」

 愛おしそうな、恋する乙女の声。

 彩花の脳裏には、いったい誰の姿が浮かんでいるのだろう。

「ですが、ある人から聞いてしまったのです。その方は悪い魔女に捕まって、良いように使われているのだと。ですからわたくしは、魔女を一生あの方に――梅影様に近づけさせないように魔女を追放することに決めたのです」

 わかりますか? 美鶴様。つまり貴方が、その魔女です。

 顔は見えないが、声で分かった。彼女は今、笑っている。

 美鶴は絶句した。恋は盲目と言うけれど、ここまで人を狂わせるのか、と。

「ま、待ってください! 私と鶯は、」

「何も言わなくて結構です」

 とにかく弁解をしなければ、と美鶴が口を開くも、それは先ほどとは違う悲鳴にも似た罵声によって遮られる。美鶴の声が聞こえていたかのようなタイミングだ。

 美鶴は思わず口を閉じた。

「梅影様と貴方の話を聞いて、わたくしがどれほど苦しい思いをしたか……貴方には絶対に分からないでしょう。けれど、それでいいのです。わたくしのこのたった一つの想いたからものを、貴方のような方に理解していただきたくもありませんから」

 ドア越しでもぞっと背筋が凍るような声が、美鶴を完全に停止させた。

 今も彩花が前に立っているであろうドアに手を伸ばしかけたままで。

 息が詰まって、美鶴は息苦しさに胸元を掴む。

「美鶴様、ゲームをしましょう」

 すると唐突に、彩花が打って変わって明るい声でそう声を掛ける。

 美鶴はおもむろに顔を上げた。

「ゲーム……?」

「今からこの階に複数人の男性が参ります。その方々と隠れ鬼をしてください。逃げ果せたら貴方の勝ち、捕まったなら貴方の負けです。捕まった場合、貴方を好きにしてくださって結構ですと事前に言っておりますので、どうなるかは……分かりかねますね」

 楽しそうな声だ。きっと彩花は可愛らしくクスクスと笑っているに違いない。

 しかしそれが、美鶴に更に恐怖心を与える。ヒュッと空気が喉に詰まった。

 とてもご令嬢がすることではない、と訴えたいところだが、今の彩花には何を言っても無駄だろう。素より、美鶴の声は物理的に届かない。

 彩花のすることを黙認しているところを見ると、他の四人も期待できない。彩花より家柄が下なのか、はたまた彩花と同類なのか。それは分からないが、美鶴の味方ではないということだけは分かる。

「女性と男性のハンデということで、こちらに鍵は掛けておきます。しかし他の教室も鍵が掛かっているので、それを見越してマスターキーを持っているかもしれませんが、頑張ってください」

 思ってもいないような応援の言葉を最後に、彩花は「それでは、ごきげんよう」と言って去っていった。

 五人分の足音が遠ざかっていく。

 それを認識した美鶴は、ぱたりと力なく手を下ろした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ