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月華の花嫁  作者: 藤井 蓮華
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十五話

 あれはどういうことだったのだろう……。

 膝を抱えて、美鶴はぼんやりとそのことばかりを考える。

 あれ、とは、昨夜松浪家に不法侵入した鳳斗が美鶴の額にキスをしたことだ。

 許嫁がいると言っておきながらキスをしたり、よくよく思い出してみれば開口一番に嫁になれとも言われた。

 親同士が決めたことで、おまけに本人の意志じゃないにせよ、将来は妻になるかもしれない女性がいるのだから、そちらを構ってあげてほしいと思う。

 それ故に、ストレスでも溜まっているのだろうか、と美鶴は的外れなことを考える。

(……二年生で生徒会長だもん。きっと大変なんだよね)

 鳳斗には人を惹きつけるカリスマ性がある。だから一年生の後期から生徒会長として生徒を率いていた。

 おまけに十二月華の一角、桐生家の御曹司であるから家のこともあるだろう。家でも学校でも、もしかしたら休まる時間がないんじゃないか。そう考えれば、昨夜の件は何とか水に流すことができた。

 かと言って、女遊びはいただけない。許嫁の女性がいるのだから、それだけは何としてでも直してもらわねば。

 次会った時にちゃんと言おう、と一人心の中で決意して、美鶴は顔を上げた。

「キャー! 雁夜頑張ってー!」

 そして同じように隣に座っている人物を見やる。

 快晴の中、上下長袖長ズボンのジャージに身を包んだ葉月が、グラウンドのサッカー場でクラスメイトとサッカーに励む双子の弟に声援を送っていた。

 他の女子生徒はと言えば、サッカー場からそう遠くない場所にあるテニスコートで汗を流している。

 美鶴は退院したばかりということもあり、見学させてもらってたのだ。

 当初は大人しくテニスコートの隅に座っていたのだが、そんな美鶴に気づいた葉月があれよあれよという間にサッカー場へと引っ張って来たため、今に至る。

「ほら美鶴ちゃんも! 美鶴ちゃんが応援してくれれば、きっと雁夜も本気出してくれるよ!」

「えっ、あれって本気じゃないの?」

「もちろん。雁夜ってば『学校の体育で本気出すわけないじゃん』とか澄ましちゃってさ。最近そういうのでちっとも本気出してくれないんだー。それがつまんなくて」

 折りたたまれた膝の上に頬杖をつき、不満気に頬を膨らませる葉月の視線を追って、美鶴も雁夜に目を向ける。

 目に映るのは、美鶴のクラスメイトの男子から巧みにサッカーボールを奪い、しかしすぐに自身の仲間にあっさりとパスした雁夜の姿だ。そうして人の意識が自分から外れるなり歩き出すあたり、相当やる気がないように見える。というか、実際ないのだろう。

 実力があるのにもったいない……と愚痴る葉月の言葉に、美鶴は思わず頷いてしまった。

 それでもボールを奪ったその一瞬が、遠目からでも格好良く見えたのだから彼の容姿が整っているのだと実感する。まあ、クラスメイトの女子達がそう話していたのを聞いただけなのだが。

 ふと、サッカー場を眺める。一部を除いて元気に走り回る男子生徒達の中には、よく見知った――鶯の姿はない。

 美鶴は朝から、鶯の顔を見ていない。

 迎えに来たのは鶯二郎だった。随身となってからの初めての仕事ということで、ガチガチに緊張していた姿は今思い返しても微笑ましい。しかし鶯ではないことに疑問を抱かなかったと言えば、嘘になる。

 その証拠に、鶯二郎が現れた時に美鶴は開口一番に「鶯は?」と訊いてしまったのだ。それに鶯二郎が少し悲し気な笑みを見せた時には、罪悪感が美鶴を襲った。

 それでも鶯二郎は「兄上は今日は欠席です。ババ様からの頼まれ事があるらしくて」と答えてくれたので、美鶴は申し訳なく思う。

 鶯二郎の言うババ様とは、梅影家先代当主の妻であり、鶯と鶯二郎の祖母にあたる人だ。当主が息子に変わっても、その発言力は当主に並んでいると言われている。

 そんな人物からの頼まれ事となれば、内容によっては学校を休むのも致し方ないだろう。

 鶯二郎が随身になったことについてどう思っているのか聞くのが怖かったという思いもあり、休みだと知った美鶴は内心安堵してしまった。

「美鶴ちゃん?」

 顔を覗き込ませる葉月の声に、美鶴ははっと我に返る。

 入院していたことがあってか、心配そうな顔で「どうしたの?」と問い掛ける葉月の顔が目の前にあって驚くが、すぐに首を横に振って笑い掛けた。

「なんでもないよ」

「本当に? 美鶴ちゃん、元気になったばかりなんだから無理しちゃダメだよ? 今日は鶯もいないんだし、倒れちゃったら元も子もないんだから」

「ありがとう。でも私は葉月の方が心配だよ。暑いのに、長袖長ズボンで大丈夫?」

「だいじょーぶ! しっかり水分補給もしてるし、濡れタオルとかちゃんと用意してるもん」

「そっか。どうしてもダメだったら、我慢しないで脱いでね」

 美鶴がそう言えば、何故か葉月は目を見開いて美鶴の顔を凝視した。

 何か変なことを言っただろうか、と美鶴は首を傾げる。

「葉月?」

「……ううん。なんでもない! さあ美鶴ちゃん、雁夜に声掛けて! 応援してみて!!」

「ええ……? えっと……か、雁夜っ、頑張って!」

 何事もなかったかのように雁夜を指さす葉月に言われ、美鶴はできるだけ声を出してみた。

 しかしその声は恥ずかしさと、クラスメイトではなく敵を応戦するという罪悪感から、とてもコート内に届くとは思えない大きさだ。

 けれど雁夜は美鶴の声に一度足を止めて、顔だけを美鶴と葉月に向ける。

 そうしてしばらく見つめると、雁夜はふと「仕方ないな」と言って微かに口元を緩めた。

 美鶴は小さな声を聴き取った雁夜の聴覚と、雁夜の口の動きを読み取った自分の視覚に驚きながら、本当に五感が優れているのだと鳳斗が言っていたことを実感する。

 恐怖を覚える以前に、凄いと感動したほどだ。

「あ、ほら美鶴ちゃん! 雁夜が動いたよ!」

 嬉しそうに笑う葉月の声が弾む。

 葉月に倣って雁夜を目で追えば、先ほどとは違う動きに目を瞠った。

 サッカーボールを奪う。そこまでは良い。しかしその後が違ったのだ。

 すぐに仲間にパスしてたボールをそのままキープし、コート内を駆ける。今までやる気の欠片もなかったからか敵だけではなく仲間まで驚いていたが、美鶴のクラスメイトはすぐに妨害するために雁夜の前に立ち塞がった。だがそこで雁夜は足を止めない。ぐっと土を蹴る足に力を入れると、神業としか言えないドリブルで相手を抜き去ったのだ。よくよく見れば相手はサッカー部で、プロ顔負けのドリブルに唖然としていた。

「……す、凄い……!」

「でしょう? 雁夜がちょっと本気を出せば、サッカー部なんて敵じゃないって」

 ほとんど無意識に美鶴の口から零れた呟きを拾い、葉月が誇らしげに胸を張る。双子ということもあり、自分のことのようで嬉しいのだろう。

 双子の片割れがそんなことを言っているとは知らない雁夜は、次々と妨害してくる生徒を躱して進んでいく。

 そうしてあっという間にゴールの前に辿り着くと、雁夜はそのままサッカー漫画よろしく見本のようなシュートをかました。ボールは相手チームのゴールに吸い込まれるように入り、見事点を納めたのだ。

 サッカー部をはじめ男子生徒達が唖然とする中、雁夜がしれっとした顔で美鶴と葉月の方を向くと、「どうだ」と小さくピースする。

 美鶴が感動から満面の笑みで拍手を送り、葉月が満足気にサムズアップすれば、雁夜は微かに頬を緩めたのだった。

 その後、ややあって雁夜がサッカー部の面々に囲まれているのを見ると、どうやらサッカー部に勧誘されたらしい。しかし雁夜は一言二言聞いてすぐさま首を横に振っていた。

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