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月華の花嫁  作者: 藤井 蓮華
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十三話

「梅影と松浪の……約束?」

 美鶴が繰り返せば、恵子は一つ頷く。

「そう。梅影と松浪の、主従の契りに近い約束よ」

「まさかそれが、随身の……」

「そうね。その約束があるから、梅影の人間は松浪の傍にいると言っても過言じゃあないわ」

 恵子の言葉に、美鶴の脳裏に鶯の顔が過る。

 約束があるから傍にいる――。それはどこか、人を縛りつける呪いのようで、美鶴を俯かせた。

 それを見た恵子は、母親のように優しく微笑む。

「大丈夫よ美鶴さん。これは貴方のせいでも、松浪のせいでもないの。全ては過ちを犯した梅影が悪いんだから」

「……その、過ちとはなんなんですか?」

「人殺し」

「え」

「ずっと昔、梅影の人間が松浪の娘を殺してしまったのよ」

 淡々と感情もなく語る恵子に、美鶴は目を瞠る。

 どういうことかと口が動かなかった。

 昔のことにせよ、衝撃であることには変わりないその事実に固まるしかない。

「その梅影の男は、松浪の娘に恋焦がれていたの。けれど、娘には既に心に決めた人がいて、叶わぬ恋だと分かっていた。でもよっぽど好いていたのね。ある日の晩、娘が心に決めた人と会っていた時、嫉妬に呑まれて娘共々殺めてしまったのよ」

 嫉妬に狂い、愛した娘を自らの手で殺めてしまった男。

 その哀れな過ちを犯したために、梅影家は稀に「魔に取り憑かれた一族」と呼ばれることがある。

 梅影家は凶家とされ、周囲から畏怖の目で見られていたが、それでも今こうして十二月華の一角でいられるのは、松浪と交わした約束のお陰だと言えるだろう。

「殺めた娘には幼い子供がいてね、償いのために、その子供をはじめとした松浪家の子供を未来永劫梅影が命に代えても守ると当時の松浪家当主と契りを交わしたの」

 松浪家当主はよくその契りを交わしたものだと周りは言う。

 愛娘を殺した男を忘形見の傍に置くなど、普通ならしないはずだ。

 それでも男との契りを交わしたのだから、当主には相応の考えがあったのか、はたまた懐が広い人間だったのか、真相は分からないが。

 しかし今こうして鶯と美鶴が良好な関係を築けているのを見る限り、周囲が心配した罪の再来はないのではないか――美鶴は心の中で呟いた。

「……美鶴さん、間違っても約束を取り消すような真似をしてはダメよ」

 ふと、見透かしたように恵子の落ち着いた声を掛けられる。

 美鶴はおもむろに顔を上げ、何故? と問い掛けた。

「約束を取り消すということは、鎖に繋がれた獣を無防備のまま解き放つということ。こう言ってはなんだけど、松浪の姫である貴方が、随身というボディーガードなしに生きていけるとは到底思えないのだけれど」

「それは……」

「美鶴さん。貴方はいずれ他家に嫁ぎ、母親となるの。大黒柱を支えるべき存在が、情に流されるようではダメ。そのためにも、松浪の姫として恥のないよう、しっかり現実と向き合いなさい」

 女の先輩として、恵子が静かに言い聞かせる。

 ――しっかり現実と向き合いなさい――

 その言葉が、今の美鶴には一番深く突き刺さった。

 記憶喪失が、自分が現実と向き合っていない証拠ではないかと考えているからだ。

 事故にせよ事件にせよ、全てを忘れ、その事実に甘えてのうのうと生きているのだから、と。

 心拍数が意思を無視して上がっていく。息苦しさに胸元を掴み、視線を伏せた。

(鶯……)

 無意識にその名前を呼ぶ。心の中で呼んだのだから、当然どんなに近くにいても届きはしない。

 けれど、

「美鶴様!!」

 代わりに同じ字を持つ少年が、目の前に颯爽と現れた。

 肩を掴む鶯二郎の勢いに、美鶴は顔を上げてきょとんとする。

「鶯二郎……」

「オレ、あの、美鶴様が泣いたって聞いて、居ても立っても居られなくて……!」

 短く息継ぎをしながら言う鶯二郎の手には、濡れたタオルが握られている。

 しかしそれは鶯も持ってくると言っていた。

 鶯二郎の方が早かったのだろうか、と思いながらタオルを見つめていると、その視線に気づいた鶯二郎が「ああ、これですか」と美鶴に差し出す。

「それ、兄上が美鶴様に持って行けって言ったんです。その時に美鶴様が泣いたっていうのを聞いて、急いで来ました」

「え? じゃあ、鶯は?」

「急用を思い出したとかで、後から来るそうです」

「……そっか。ありがとう、鶯二郎」

 美鶴が濡れタオルを受け取りながらお礼を言えば、鶯二郎はじわりと頬を染めて小さく頷いた。

「遅かったわね鶯二郎。女の子を待たせちゃダメって言ったじゃない」

 まったく……と恵子がそんな鶯二郎に声を掛ける。

 恵子の存在を忘れていた鶯二郎がギクリと顔を向けると、案の定堪えきれていない笑みが浮かんでいた。

 瞬時に鶯二郎は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 それを見て、恵子は更に楽しげな笑みを見せた。

「鶯がまだ来ていないけれど、鶯二郎と美鶴さんが揃っているのならさっさと話してしまいましょう。今回の話は鶯二郎がメインだし、鶯には後で言えば良いでしょうし」

 そうしてようやく美鶴が梅影宅に来た目的を果たせる。

 恵子が美鶴の前に腰を下せば、美鶴も鶯二郎も居住まいを正す。

「それで、今日美鶴さんに来てもらったのは他でもありません。梅影家当主との話し合いにより、鶯二郎を随身として、傍に置かせるという方針に決まりました」

 恵子が梅影家当主補佐の顔になるなり発せられた言葉に、美鶴も鶯二郎も目を瞠った。

 鶯二郎は今の今まで随身ではなく単なる年下の幼馴染という立場で、尚且つそういった話をまったく聞いていなかったのだから、余計驚いたのだろう。

 すっかり硬直していた美鶴だったが、すぐに我に返ると恵子に問い掛ける。

「あの、そうなると鶯はどうなるんですか?」

「鶯は変わらず、美鶴さんの随身のままでいてもらいます。そこに鶯二郎が加わるだけですよ」

 安心させるように微笑みかける恵子に美鶴は胸を撫で下ろす。

 しかし鶯二郎が中等部三年生であるためにいつも一緒に居られるわけではないから、当然といえば当然だろう。

 そうしていると隣がやけに静かなのに気づき、目を向けたと同時に鶯二郎がぐっと手を握りしめた。

「よしっ!!」

 それがガッツポーズだと気づくのにそう時間は掛からなかった。

 ぽかんと鶯二郎を見つめていると、鶯二郎はガバッと顔を向けて美鶴の手を両の手で包んだ。

「やった! オレやったよ、美鶴様!!」

「う、うん。頑張ったね」

「はい! オレ、美鶴様のために今まで頑張ってきました。……ようやく、兄上と同じ土俵に立てたんだ……!」

 両手の中に収まる小さな手に額を乗せて、心底嬉しそうに笑う。

 最後の言葉は美鶴にはよく聞こえなかったが、鶯二郎は構わず嬉し涙の浮かぶ目を閉じる。

 そうして一つ深呼吸をして心を落ち着かせると、ゆっくりと顔を上げて美鶴の前に傅いた。

「美鶴様。この私、梅影鶯二郎は、この命に代えても貴方を守ると約束します。松浪と梅影に、輝かしい未来があることを」

 鶯二郎は年相応の幼さが残るものの、凛々しい表情でそう言うと、静かに美鶴の手の甲に唇を落とす。

 梅影と松浪の約束の儀式だ。

 しかしそんなことを知らない美鶴は突然のことについていけず、鶯二郎の唇が触れた瞬間に思わず肩を跳ね上げて顔を真っ赤に染め上げる。

 それを見た鶯二郎は少し目を瞠ると、すぐに嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「あんまり赤くならないでください。期待しちゃいます」

 独り言のように呟いた鶯二郎の声は、内心パニックに陥っていた美鶴には聞こえなかった。

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