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月華の花嫁  作者: 藤井 蓮華
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十一話

 松浪宅から徒歩で十五分、車で五分の距離に、梅影宅がある。というか、隣だ。

 隣にあるにも関わらず、なぜそれほどの時間が掛かるのかと言うと、理由は両家の敷地面積にあった。

 松浪家と梅影家は共に十二月華の一角であり、特に松浪家は、自分達が頂点だと言い張る桐生家と同等の地位と権力を持つ。現に世に影響を与えている有名会社等は松浪か桐生であることがままある。

 つまり何が言いたいのかというと、有り余る金を持つ旧家というわけだ。

 本邸は広く美しい日本庭園を持つ日本家屋で、家を囲う塀があるかと思えば、更にまたそれを囲う塀があるのだから、正直金の無駄使いだろう。しかしその二重塀にはちゃんとした理由がある。

 松浪家直系の娘、松浪の姫だ。

 松浪の姫は嫁ぎ先に福をもたらすというジンクスがあり、おまけに天下の十二月華の直系なのだから、そりゃあもう婚約を申し込む家は多い。だがそれを蹴られて自棄ヤケになった家が、稀に誘拐を試みるケースがある。そういった時の備えが二重塀だ。

 外界を遮断する塀と家を囲う塀との間には車が二台通れる程度の幅があり、そこに監視カメラが設置してある。不審な人間を確認すると、自動的に腕に自信のある使用人に連絡が行き、めでたくお縄という仕組みだ。

 余談だが、そのカメラは工業系の天才へんじんが多く生まれ集う家、松浪家分家筋の一つである松園まつぞの家が腕によりを掛けて作った最高傑作らしい。

 閑話休題。道を踏み外した者には一歩たりとも入らせない。それが松浪家のスタンスだ。犯罪者相手なのだから、間違ってはいない対応だろう。

 そういった理由から松浪家の敷地面積は嫌に広いのだが、梅影家はまったく逆だ。

 家自体は同じく大きな日本家屋だが、庭は狭く塀も一つだけで監視カメラも腕に自信のある使用人もいない。松浪家や桐生家には及ばないが十二月華の一角である以上、金持ちとして盗っ人に狙われるのは必然的だろう。では何故それほどまでに手薄なのか。理由は簡単だ。

 ――自分達で対処できるから。

(話には聞いていたけど、本当に武道の名門なんだ)

 梅影家の使用人に案内され、武道場の中を覗いた美鶴はしみじみ思う。

 美鶴の視線の先には、重力なんて関係ないとでも言うように軽々と投げ飛ばされる男と、投げ飛ばす男がいた。

 片方は鶯。もう片方は、鶯とどことなく似ている少年。ちなみに鶯が後者の立場だ。

鶯二郎おうしろう、まだ踏み込みが甘いぞ。躊躇わず踏み出せ」

「っ、はい、兄上!」

 鶯二郎、と呼ばれた少年の声が響く。

 崩れた道着を少し着直して、二人は再び対峙した。

 少しの沈黙が訪れる。先ほどの組合で乱れた鶯二郎の息が、微かに聞こえた。

「ふっ!」

 先に動いたのは鶯二郎だ。

 大きく畳を蹴って鶯の前に出ると、固く握り締められた拳を顔面めがけて突き出す。しかしその手は、体をずらしながら放たれた手刀により簡単に起動を逸らされる。

 それなりに力と勢いが込められていたのだろう。鶯二郎はいなされた勢いでぐんっと前のめりになり、腕が無防備になっていた。

 鶯はもちろん、その瞬間を見逃さない。

「甘い」

 鍛えられた鶯二郎の腕を極めるて一歩足を踏み出すなり、掴んだ腕を捻って鶯二郎を投げ飛ばした。

「っ!」

 受け身はしっかりと取れてはいたが、痛いものは痛いだろう。僅かに歪められた顔がそれを物語っていた。

「いなされて腕が無防備になっている。相手がその隙を狙わないとは限らないから気をつけろ」

「お、オス!」

 慌てて立ち上がりながら鶯二郎が返事をすれば、鶯は一つ頷いて「一度休憩しよう」と出入り口の傍で見学していた美鶴に顔を向ける。

 その鶯の視線を追って鶯二郎も美鶴の方へ顔を向けるなり、ぎょっとした。

「み、みみみみみ美鶴様っ?!」

「なんだ、さっきから居ただろう」

「オレ気づいてなかったよ! なんで教えてくれないんだ兄上!!」

「いや、普通に気づいてるものだと思っていたから……」

「あああああ恥ずかしい……! 美鶴様に投げ飛ばされたとこ見られた……! 兄上の馬鹿野郎!」

「……馬鹿野郎……」

 頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ鶯二郎の馬鹿野郎発言に、鶯は僅かに声色を低くして鶯二郎を見下ろす。

 賑やか、というよりやかましいという言葉がしっくりくる騒がしさだ。

 美鶴は苦笑気味に歩み寄り、使用人から預けられたフェイスタオルを手渡した。

「お疲れ様、鶯」

「ああ。ありがとう」

「鶯二郎君も、お疲れ様」

「ありがとうございます。……って、美鶴様っ! オレのことは君づけで呼ばないでくださいと言ったでしょう!」

「え、ああ、ごめん。つい……」

「確かにオレは歳下ですけど、中等部三年ですけど! オレだってれっきとした大人なんですっ! だからお願いですから君づけはやめてください!」

「う、うん。ごめんね、鶯二郎」

 顔を真っ赤にして声を張り上げる鶯二郎に気押され、ぎこちなく頷く。

 そんな美鶴を見た鶯が間に割って入り、美鶴を庇うようにして立った。

「落ち着け鶯二郎。美鶴が引いてるぞ」

「あっ。す、すみません美鶴様!!」

 鶯の冷静な声に我に返った鶯二郎は即座に頭を下げる。

 美鶴はそれに苦笑しながら首を横に振った。鶯二郎にとって本当に嫌だったのならば、あんな風に怒るのも仕方がないと思ったからだ。

 それに記憶を失って初めて対面した時も、鶯二郎はちゃんと「君づけはやめてほしいです」と言っていたのだから、直さなければならないなと美鶴は小さく息を吐き出した。

「それで、どうしたんだ美鶴。何か用か?」

「さっき電話で呼び出されたんだけど……もしかして鶯、何も聞いていないの?」

「なんの話だ?」

「……鶯二郎も?」

「心当たりは何も……」

 兄弟揃って首を振る。

 美鶴が梅影家に来た時は使用人が全て分かっているように動いたものだから、てっきり兄弟も呼び出しの理由を知っていると思っていた。そう思っていただけに、予想外の言葉に思わずきょとんとする。

 どうして……、という言葉を発しようと口を開いた時、微かな足音と共に落ち着き払った声が響く。

「美鶴さんは私が呼んだのですよ」

 高過ぎず低すぎない。大人の女性の声だ。

 三人揃って声の主へと顔を向ける。

「母さん」

 そう言ったのは鶯か、鶯二郎か。

 淡い色合いの着物に身を包み、淑やかな微笑みを浮かべる女性は鶯と鶯二郎の母、恵子けいこだった。

 日本の理想の母親然としているが、武道の名門一族である梅影家直系の鶯と鶯二郎の父親の下に嫁いだ彼女もまた、薙刀の使い手として有名だ。

「急に呼び出してごめんなさいね。久しぶりの学校で疲れているでしょうけど、少しだけ時間をちょうだい」

「わかりました」

「ありがとう。そこの鶯と鶯二郎にも関係があるから、揃っているうちに話そうと思って」

 不意に話題に名前が挙がると、鶯も鶯二郎も揃って顔を見合わせる。

 恵子から本当に何も聞いていなかったようだ。

「道場の前で話すことではないし、少し移動しましょう」

「母さん、その前に汗を流してきて良いかな?」

「それは構わないけれど……鶯二郎、貴方もう稽古を終えるの?」

「違う、けど……美鶴様が不快に思うかもしれないし……」

 ちらり、鶯二郎が美鶴に目を向けながら言えば、恵子はすぐにパッと微笑ましげな笑みを浮かべた。

「そうね、鶯二郎もそういう年頃だもの。気にしちゃうわよね」

「ちょっ、母さん?!」

「どうせなら鶯も行ってらっしゃい。美鶴さん、悪いんだけど二人が戻ってくるまで私とお話しして待っていましょう」

「はい、わかりました」

「ほらほら二人とも。女の子を待たせるんじゃありません。すぐに行きなさい」

 母が鶯二郎の態度を見て何を思ったのかは知らないが、美鶴のためならばと鶯は黙ってその場を後にする。

 あっさりと動いた鶯に弾かれたように続いた鶯二郎は、鶯の後ろで不満げな声音で独り言を呟く。

 曰く反応が大袈裟だとか、曰く変に捉えられたらどうするんだとか、主に恵子に対する不満ばかりだ。

 それをしっかり聞いていた鶯は肩越しに顔を向け、疑問に思ったことを素直に問うた。

「母さんが気を遣った結果だろう。何をそんなに怒るんだ」

「怒ってない。ただ……」

「ただ?」

 続きを促せば、不意に鶯二郎が目を逸らす。

「……ただ、美鶴様に気づかれたら困る、から……」

 その声はあまりにもか細く、弱々しい。けれど頬を染める朱色が羞恥を示していた。

 傍目から見れば初々しいと思う鶯二郎の反応に、鶯は「ああ」と一つ頷く。

 はっきり言ってしまえば、鶯は以前から鶯二郎のソレを知っていた。

 兄としては弟の恋路を応援したいところだが、生憎と対象者が美鶴であるため、いまいち応援しづらいというのが本音だ。

 何故なら美鶴は守るべき存在、主人であるから。主人と従者はそれ以上でもそれ以下でもないのだ。肩を並べて歩くことを、軽い気持ちで望んではいけない。

 それを理解しているから、どうしたものかと鶯は溜め息にも似た息を吐き出した。

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