01.遭遇
頭に隕石が落下した。
そう錯覚するほどの衝撃が、俺の頭を貫いた。
「いっっっっでぇ!!!!」
絶叫して飛び起きて、がんがんと響く痛みで涙目になった。
頭を抑えてうずくまる俺を、班長が見下して怒鳴る。
「貴様、見張り番の意味をわかっているのか!?もしここが戦場だったら、今の拳は銃弾だったんだぞ!さっさと仕事をしろ!」
唾と正論を散らし、忌々しいそいつは真っ暗な廊下を進んでいった。
背筋を伸ばした真っ直ぐな背中を、苦々しく見つめる。
馬鹿正直に正義感が強い奴は、嫌いだ。
適度にサボることを覚えなければ、とても軍の訓練などやっていられない。
「くらげ、また班長にやられたのかよ」
小馬鹿にした態度の同期をじろりと睨むと、ケラケラと笑われた。
「怒んなって!あいつが来る前に起きないお前が悪い」
「るっせぇ、おまえも寝てただろ!つーか起こせよ!」
「いや~勝手に起きると思ってたんだよ。爆睡なんて。おまえにしては珍しいな?」
ランプを掲げると、そいつの不思議そうな顔が見えた。
班長が消えていった闇を睨みながら、答える。
「昨日、消灯時間後になっても班長に怒鳴られてたせいで、あんまり寝てねーんだよ」
「ははっ。何したんだよ?」
「あいつの文句言ってたら後ろに立ってやがった」
けらけら笑う声が、建物内に響く。
俺の班以外の人間が寝静まった建物は、節約のため明かりがつけられない。そして完全な闇の中には見張り番がいるため、リスクを犯してまで部屋から出ようとする奴はいない。
必然的に寝るしか選択肢はないため、夜の訓練舎内は人が消えたように静まりかえっている。
「あんま大声で笑うなよ。あいつが来るだろ」
「わりぃ。つーか俺ら以外の班員は?」
「どーせ他のところで寝てんだろ。はー俺も眠いし、もうひと眠り…」
「くらげ、そろそろおまえ食堂見回りの時間だぞ」
「知らん。起こすな」
目を閉じ、もういちど夢の中に戻ろうとしたとき、側頭部に何かが衝突し、激痛で意識が飛びかけた。
揺れる意識のなか、ずるずると体が引きずられ、耳障りな怒声が聞こえる。
「見回りの場所も忘れたのか!?さっさと動けこの馬鹿者!!」
兵士になったら、まずお前を殺す。
決意しながらずるずるひきずられる俺を、同期が合掌しながら見送っていた。
訓練舎はボロい。コンクリートにはヒビが入り、金を落とせば部屋の隅まで転がる。築何年だか知りたくもない。
食堂も例外ではない。乳白色の壁はくすんで、ところどころシミが見え、無機質な蛍光灯の明かりは白く、陰気臭い。窓は天井に小さいのがあるぐらいで、当然陽は入らない。
そして今は夜だ。暗く、誰もいない食堂には、わずかに月明かりがさしているだけで、無駄にホラー要素たっぷりだ。
こんなところを喜んで見廻る奴はいない。皆サボるのが常識だ。
なのにどうして俺はここにいるのか。
「頭いてぇ………」
たんこぶを優しく慰めながら、すたすたと食堂を進む。
歩くたびに自分の靴音が大きく響く。キッチンの水滴が落ちる音すら聞こえる。帰りたい。
長いため息と共に、重い足取りで奥へ向かう。
そもそも、見廻りに意味はない。この場所自体が機密なので、敵が来たことなんて一度もないからだ。
建前だけの見廻り。教官もお偉いさん方も、「万が一のため」をこじつけて、俺たちの大切な睡眠時間を奪う。
考えれば考えるほど苛立ちが募る。
他の班の班長は、自信もめんどくさいので、適当に見廻りをするだけですむのに、なぜ俺のとこの班長はあんなに熱血漢なのか。
たかが3つしか歳が違わないのに、なんと偉そうな。
「つーか、敵が来てもナイフ一本じゃ対処できるわけねぇだろ」
腰に掛けていたナイフを掲げると、うっすらと月明かりを反射した。
軍から支給されたナイフは新品そのもので、包丁より一回り大きく、ずっしりと重い。古い施設とは対照的に、武器には金を惜しまないところが、いかにも軍的思考だ。
ナイフを持て余しながら、洗い場を横切り、奥の食糧庫へと足を進める。
整然と並ぶ大量の食器類や包丁を横目に鍵を開け、重い鉄製の取っ手に手をかける。
「ここを見れば、やっと寝れる・・・っと!」
両手で重い扉をずるずるとひいて、ようやく扉があいた。
大きな室内に、ずらりと高い棚が並んでおり、そこに缶詰や果物などがぎっしり詰まっている。
まるで図書室の様だと、見るたび思う。本の代わりに、乱雑に食糧が突っ込まれているだけで。
ランプを掲げ、一応室内を見廻る。棚の間を縫って奥へ進むと、冷凍庫の扉があるだけだった。
当然、異常なし。
奥に行けばいくほど月明かりはないので、これ以上進む気はない。俺の役目はこれで終わりだ。長居をする気はない。さらば食糧たち。
冷凍庫に背を向け、早足で扉へと向かう。
こんなホラー要素満載のところはうんざりだ。食糧たちの安眠のためにも俺はクールに去る。
こつんと、足先に何かが当たった。
反射的に向いた目が、赤色を捉える。そしてそれが林檎だと理解し、一気に疑問と混乱が頭の中を駆け巡る。
なぜ、林檎が落ちている?棚から落ちたのか?
わずか1秒ほどの時間が過ぎた瞬間、足元にゆらりと影がよぎった。
一瞬の思考停止の直後、全身から冷汗が噴き出す。
これダメだろ、ホラー映画だったら絶対に影のほう向いたら死ぬパターンのヤツだろいやでも幽霊なんているわけないだろそうだろ
じゃあ、何がいるんだ?
恐怖心に圧迫されても、確かめずに入らない。
月明かりの差し込む、大窓に、目を向けた。
同い年くらいの人間と、目が合う。
藍色の短い髪と、目。タンクトップに、軍に支給された分厚いズボン。
そして、両手いっぱいの林檎。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
呆けた顔で、林檎を凝視する。ハッとしたのか、そいつは林檎を見た後、俺を見て、つぶやいた。
「あ、やっべ」
「てめぇ何しう゛ッ!」
おでこに林檎が激突し、頭が後ろにのけ反る。ランプが手から落下し、部屋の隅に転がった。
「よっしゃヒット!!」
ガッツポーズを見てビキリと青筋が立った。
「大人しくしろ、この、泥棒!!」
ナイフを取り出し、そいつに向かって走り出す。
「うわ、ナイフとか卑怯だろ!」
足元に斬りかかると、ぎりぎり飛んで躱され、頭の上に林檎が落下してきた。
一瞬目の前に星が舞い、そのまま床に体が落ちる。
「あっ、ごめん!いやおまえがそんな物騒なもの使うから・・・」
「・・・・・・」
頭の上にさらにたんこぶができたことを認識しながら、ゆっくりと立ち上がり、ナイフを強く握りなおす。
今日一日で何故こんなにも苦痛を味わっているんだ。なぜ死ぬほど眠いのに見廻りなんざやらされているんだ。なぜあの班長のせいでこんなにいらだちを抱えなければならない。なぜ、泥棒に俺がケガさせられている。
分厚いゴムの感触を確かめながら、振り返る。完全にスイッチが入った俺を、そいつがひきつった笑みを浮かべながら見返す。
殺ろう。
静かな怒りを体内で沸騰させながら、そいつに再び突っ込んだ。
頭に向かってナイフを突き出すと、途端にしゃがまれ、藍色の髪が散る。すぐ下にナイフを向けると、素早く身をかわされ、床にナイフが僅かに刺さった。
慌てて体勢を立て直し、そいつが叫ぶ。
「あっぶね!話聞けよオイ!!」
「うるせぇ!!俺はめんどくせぇ班長にコキ使われて、死ぬほど眠いのにわざわざこんなめんどくせぇことしてんだよ!!ふつうなら絶対に泥棒なんざいねーのに、なんで俺の時に限っていんだよ!?」
「おなかがすいたからだよ!!」
「死ね!!」
ナイフをぶん投げると、棚のガラスが派手に散った。叫びながら大量の破片を避ける背中に、拳を叩き込む。
鈍い衝撃とともに、肉に拳がめり込む感触がする。相手の呼吸が一瞬止まったのを感じながら、間髪入れずに床にたたき伏せた。
「がっ・・・」
大量のガラス片が月明かりを反射し、きらきらと光を放つ上で、そいつが悶える。咳き込む姿を捉えつつ、落ちたナイフを拾い上げた。
意地でも林檎は離さないらしい。未だ林檎を抱えた腕を冷たく見下ろし、ナイフを掲げ、首元めがけてまっすぐに振り下ろした。
「こんのやろっ!!」
ナイフが、差し出された林檎に突き刺さる。驚いてナイフをひっこめた瞬間、胸ぐらと左手をひかれ、勢いよく体が宙に舞った。
ガラスと、林檎の中に、たたきつけられる。
一瞬息がつまり、激しく咳き込む。背中の痛みで動けない俺を、そいつがため息をつきながら見下ろしてきた。
「はーー・・・あーあ、林檎ひとつ無駄になったじゃんか」
林檎が刺さったナイフを拾い上げ、そいつはそのまま林檎をかじった。うん、酸っぱい!と微妙な表情に林檎を投げつけたが、余裕でキャッチされた。
忌々しくにらみつけ、なんとか体を起こそうとする。
「てめぇ・・・」
「あーもう動くなってば。ナイフで来られちゃ対戦するしかないだろ」
林檎を咀嚼しつづけながら、そいつはさらに他の林檎も齧りはじめた。余裕の姿に、怒りが増す。
「大人しく、つかまれよ!」
ガラス片を投げると、僅かにそいつの頬が切れた。たらりと血が頬を伝い、足元に落ちる。
一歩も動かない姿にさらに苛立つ。再びガラスをつかむと、手が切れて血がにじんだ。
「おまえさぁ・・・」
月明かりを背に、そいつは淡々と言った。
「ナイフ持ってるくせに、弱いな」
怒りが頂点に達した瞬間、扉が派手に開けられる音がした。
「いったい何事だ!?さっきの割れる音は何だ!?」
息を切らした班長と班員たちが、室内を見て目を丸くする。突然のことに、思わず呆ける。
「なんだこれ!?めっちゃ林檎が・・・しかもガラス棚割れてるじゃねーか!!」
「静かにしろ!貴様、これはどういった事態だ!?」
大音量の怒声と共に迫ってきた班長に、思わず顔をしかめる。少しはボリュームを下げられないのかこいつ。
「部屋に入ったら、こいつがいたんですよ!泥棒が!!」
負けじと叫んで、あいつに指を突き出す。そして、ぽかんと口があいた。
大窓が開けられているだけで、そこには誰もいなかった。
残ったのは、大量の林檎と、割れたガラスと、俺だけ。
「・・・・どこに、いるんだ?」
ゴゴゴゴゴと効果音が付きそうなオーラを、班長が威圧感満載で放ち始め、ぞっと鳥肌が立った。
「ち、違う!!本当にいたんだって!!」
「ならばそれは誰だ」
「知らねーよ!!ただ、訓練兵の男なのは確かだって!!青紫っぽい髪と目のやつ!そいつが林檎盗もうとしてたんですって!!」
「訓練兵の、男・・・・・?」
班長のオーラが、後ろの班員たちに向けられた。ひぇっと悲鳴を上げたそいつらが、身を寄せ合って震えだす。
「我々が見廻りをしていたこの建物こそが、男性用訓練舎だ・・・・消灯時間をとっくに過ぎているというのに、誰かが部屋を抜け出し、ここへ来たというなら・・・・貴様らはいったい何を見張っていたんだ・・・?」
「ひいいいい!!ちがう!!俺たちちゃんと見張っていました!!」
「そうです!!サボるわけないじゃないですか!!」
軽く涙目になりながら弁明するそいつらを、哀れに思う。
かわいそうに・・・・かなりの罰を課せられるだろうな・・・。
生きろよ・・・と合掌する俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
「だからくらげが!!うそをついてるんだと思います!」
「は?」
ぱっと顔を上げた俺の前で、次々と絶望する弁明が飛び出す。
「だって、そうとしか考えられないですよ!!俺達ちゃんと見張ってましたから!!」
「誰かいたようにみせかけて、本当はくらげが林檎を盗もうとしてたんじゃないですかね!?」
「おいおいおいおい!!おまえら待てよ!?班長、こいつら嘘つきですよ!!」
「班長も俺達と一緒に見廻りしてたんですから!!まさか、違反者を見逃すわけがないですもんね!?」
班長のオーラが、一瞬消えた。
そして次の瞬間、増幅した威圧感が、俺を捉えた。
さっと血の気が引いた俺を、般若がにらみつけた。
「そうだ・・・・ならば、貴様か・・・」
絶望とは、正にこの状況を言うのだろう。崖に立たされてるような気分で、必死に弁明をする。
「信じてくださいよ!!俺、本当に・・・」
「あ」
班員の声で、その場が静まる。
沈黙のなか、ゆっくりと、そいつは何かを指した。
齧られた林檎が刺さった、俺のナイフ。
「・・・・・・・・・・・・」
逃げ道はない。俺は今から崖から突き落とされるのではなく、般若の手によって八つ裂きにされるのだろう。
涙目の視界のなか、心からの合掌をする班員たちが見えた。
そんなかんじでゆるゆる続くよ。