アヴリル
雪が黙々と降る。白い粒子が宙を舞い、その反射光が網膜をさす。
それに加え、吹雪である。余計に視界が失われる。三メートル先も見えない程だ。黙って脚を動かすマルクの後ろをただついていく。暫く歩くと次第に吹雪の奥にぼんやりと小屋の屋根瓦が見えてくる。
それは近付く度にだんだんとハッキリしたものになってくる。ズシリと重々しく吹雪の中に佇む小屋は妙なしんみりとした感じを漂わせている。
「ほら、姉ちゃんが依頼者なんだから先にいかないと」
「はいはい、外で待っててよ」
「置いていったりしないよ。余計な心配するから背が伸びないんだよ」
「……うるさい」
胸の下りは問題ではないのだが背の問題は以外に重要問題である。高すぎても不便となるので過剰にほしいというわけではないが、
マルクと2cm差というのが気に食わない。端から見れば兄弟ではなく友人と片付けられるにちがいあるまい。
ズッシリとしたドアノブの取っ手を掴み、ゆっくりと手前に引く。キィという木の軋む音がし、小屋の内部が露になる。外見からは想像できないくらいのひどく眩しい空間の中に、寝椅子にもたれる一人の老人の姿が目に入った。
「グラン爺、来たよ」
「……まだ爺と呼ぶのかお前さんは」
私がグランと呼んだこの老人はこの村で唯一の火事職人である。腕はお墨付きなのだがわざわざこの端の村に来る旅人は多くない。
人外から逃れて村を作った本人つまり村長に値する。だがグランは顔色を変えない。
そのため私は話を戻すことにした。
「何か悪いかな。『じじい』じゃなくて『じい』だからいいんじゃないの?」
「まぁよい、天軌の鍛え直しが終わったぞ」
「切れ味は」
「十分」
「試し切りさせてもらいたいんだけど」
「よかろう、お前さんの剣じゃ文句などない」
そう言うとグランは寝椅子から身体を起こして立ち上がる。身長190cmの大柄である。歳は80辺りだというのに体力精神力共に衰える様子がない。
グランは巨体を引きずるように動かしながら炉の前まで行くとそこに立て掛けてあった鞘付きの太刀を丸太のような腕で掴み取り、それを私に持たせてきた。柄に凹凸のある特殊な持ち手で、細くしなやかで緩いカーブを描く太刀は長い分重く、また持ち運びには苦労しそうだ。鞘から刀を引き抜くと、光沢を帯びた刀身に外で降る粒子が反射して映り込む。
刹那、その瞬間に左肘を捨て、右手のみで重心を前に重みを持たせて目の前にあった古木を一閃した。
効果は申し分ない威力で、古木は急にビクンと跳ねるように浮いたあと、瞬時の後に地面へと横たわった。
「磨きはかかってるね切れ味も十分」
「紅魔砥石使ったからの」
「ちょ……あれ使ったのか……」
紅魔砥石――それは人外の出現によって突如採掘されるようになった正体不明の魔石の一種である。
通常の砥石と用途は同じであるが外見、性質が通常の物とは大きくかけ離れている。
紅魔砥石は素材自体が異常に硬質な鉱石のため形状はバラバラであり整えることができない。
採掘時に研磨材を犠牲にして採掘するのだが、その時の魔石の形状がそのまま出てくる。
そうした特殊な状態の紅魔砥石は鋭利なものが多いが、半永久的に使える魔砥石である。
それを今回のの鍛え直しに使用したのである。
効果は歴然だった。切れ味は抜群、前より幾分か鋭くなった気がした。
「どうせ使ってもなくならん。使うならいまじゃと思うてな」
「いや、そういう問題なのか……」
半分呆れながらも同時に感謝する。まぁ、ちっぽけな村のこのグラン爺がなぜ魔鉱石を持ってるのかは結局のところ私にもわからない。
「姉ちゃん、僕は先に帰ってお風呂沸かしとくよ」
「んーお願いね」
「あい」
マルクはそういい残すと玄関前でグランにペコリと深くお辞儀をして、相変わらず吹き続ける吹雪の中に消えていった。
そんな弟の姿を見てため息をついた私に気付いたのか、グランが先程とは違う雰囲気を開いた。
「……お前さんはもっと大きなことを考えているのだろう。人外を滅ぼすことか。何かは分からぬが」
「あぁ、私は人外を殺す。必ず後悔させてやる。我らが人類を軽々しく滅ぼそうとしたことを、私の大切な物を奪ったことを」
「せいぜい、身を滅ぼすことはするなよ。マ……」
「止めて。彼女はもう死んだんだよ。あのとき、彼と一緒に」
一言一言が、妙に重くこの場の空気にのし掛かる。もう還らない。未来図は過去の絵は、既に喪われた物となった。思い出だけが私をずっと縛り続けている。
「……じゃがお前さんはまだ生きておる。何をすべきかは自分で見極めることができる。お前さんにはその資格が十分にある」
「……そうだね。でも私にできるのはこれしかないんだ。……それじゃ、今日はありがとう。今度もまた来る」
「あぁ、気を付けるんじゃぞ、アヴリル」
「……そうそれでいい。じゃぁねグラン爺」
そういい残すと私は刀を背中に回し、半ば強引に扉を押し閉めるようにして家を後にした。確かに、グランの言うことは正しいかもしれない。私はいずれ死ぬかもしれない。それでも私は絶対に見失わない。あれから無駄な一日なんて一時もなかったことを思い知らせてやる。
そんな狂気じみた感情を抱きながら私は足跡の残る雪原を本の少し歩くのだ。
「全く、あやつもあやつで目を離せぬな。お前さんなら出来る。やり遂げられるじゃろう。
死ぬなよ、アヴリル……いや、鷹槇茉那……
あやつと同じ道を通るでないぞ。それだけを祈っておる」