表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

兄なる話

作者: 幸京
掲載日:2026/03/01

「それは私には何の関係もありません」

「・・・はい」

「貴方にどんな事情があったにせよ、このレポートでは単位は認められません」

「で、でも、私、バイトで生活費だけじゃなくて、じ、授業料も自分で働くしかなくて・・・、うっ、くっ、うっ・・・。し、就職先も決まっているんです!」

「・・・ここで泣いても何にもなりません。レポートの期限は今日15時で、私は貴方に単位はあげられません。今後どうするかは学生課と相談して下さい」


徒歩で帰宅路につきながら先ほどの学生のことを考える。

凄いな・・・、私は大学時代の授業料、生活費、娯楽費等、全てを賄ってもらっていて、アルバイトをやることもなかったのに。それに引き換え、あの学生は生活費だけではなくて授業料も自分で稼いでいたなんて。あまり成績が良いほうではなかったけど、そんな事情があったのか。・・・本当だろうか?たまに出席する講義ではいつだって一目で分かるブランド品を身に着けていた。もしかしたらバイト先でそのような外見が必要だったのかもしれないが。

スマホを取り出し約1年振りのラインをして、調べてほしいことを伝える。返信がすぐに来て一週間後に連絡するとのことだった。私が連絡するといつもすぐに返信がきて、近日中に何でもしてくれる。この年になってからはもう頼むこともないが、金銭の援助願いでも何の躊躇いもなく充分すぎる送金をしてくれるだろう。そんな兄にこんな事を頼むなんて、いくら昔に頼まれたからといってももう少し何かなかったのかと、我が事ながら思わず苦笑してしまう。


「あの学生はかなり遊んでいたよ。確かに授業料も生活費も自分で工面していた。ただ、バイトではなく男に貢がせていた。中には消費者金融ではもう借りられないから闇金に手を出した奴らもいる。必要な生活費以外は、ホストやらブランド品やらにだな」

「うん、いつもありがとう」

「どうした、困り事か?その女に何かされているのだったらー」

「いや、何でもないよ。大丈夫、ただの興味半分で。ほら、僕は兄さんのお陰でお金に何の心配もしなくて良かったから」慌てて兄の言葉を遮る。

「そうか、何でも言えよ。お前にはでっかい借りがあるんだからな」

「そんなことないよ。大したことじゃないから」

「いや、俺にとっては、とんでもなくでかい借りだよ」

母による幼い頃からの教育によるものか、兄は昔から成績優秀で名門私立の中学校に合格しただけではなく成績さえもトップだった。母はそれに舞い上がり、兄のために家庭教師を雇い、塾に行かせ、ひたすら勉強漬けにした。母はある妻子ある男と関係を持ち兄を妊娠したのだが、あなたには迷惑をかけないから生みたいと言うと、その男は弁護士を通じて莫大な慰謝料だけを振込み兄の認知はしなかった。その4年後、私は母と行きずりの男との間に生まれた。

4歳上の兄が姿を消したのは、私が10歳の時だった。

原因は分かっていた。母からの異常とも言える期待だったのだろう。兄が行方不明になると母は発狂した。警察署に何度も何度も早く見つけてと詰め寄った。

誘拐ではないか、事件に巻き込まれたのではないか、優秀であるが故に妬まれ監禁されていないかと、時には登下校中の同級生に詰め寄り、その自宅に押し掛け兄の名を叫んだ。

だが兄は見つからないまま6年の月日が流れた。母は私に生まれた時から無関心であったから、兄の捜索以外は酒に溺れるようになり、私は10歳の時から自分のことだけではなく、家のこともやるしかなかった。それは明らかに世間のいう普通の家庭とは乖離された環境ではあったが、不思議と悲壮感はなかった。兄と母の関係をずっと一番近くで見てきた立場からすれば、こうなることは何となく予想出来たからだ。そして私が16歳の時に母が浴槽で溺れ死ぬと、すぐに遠い親戚と名乗る女性が自宅へ来た。その人はスマホを取り出すとどこかに電話し、一言二言会話をすると私にスマホを渡して言った。

「お兄様からです」と。

「大丈夫。全部、兄ちゃんに任せとけ」

6年振りに聞く兄の声だった。

酩酊状態の母を浴槽に溺れさせ殺したのは私だ。おそらく兄は気づいている。だから繰り返し言ってくれたのだろう。「ごめんな。全部、大丈夫だからな」と、涙声で。

母がアルコール依存症であることは通院先から診断書が出ていたし、精神科にも通院していた。外出時は常に挙動不審で酒臭かったという近所の人達からの証言、詰め寄られた同級生やその父兄による警察への通報。そして兄のことで警察署に行く時は半狂乱だった。その日も独り言をブツブツ言いながら、フラフラで帰宅した母を両隣人は見ている。外傷もなく、不穏な物音や悲鳴も聞こえなかったから、誰も他殺、ましてや私が殺したなんて疑ってもいなかった。

私はその後すぐに外国へ留学して興味のあることを学び、帰国して日本の大学に進学した。それらのお金は全て兄が出してくれが、仕事の話は何も言わないし私もわざわざ聞かなかった。今、私は研究を続けながら教授として母校の大学で勤めている。一度、兄のボディーガードの一人に言われたことがある。

「社長はあなたに頼られると本当に嬉しそうにします。1年に一度だけでも良いので、何か頼ってあげてくれませんか?機嫌が良いと私達も助かります」

戸籍を買い別人となり、常に数名のボディーガードに守られ、大概の事をどうにでもしてくれる。

私の兄の話である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ