魔術師のルナ
勇者と剣士が立て続けに恋心を抱いているということなど、その時のライはまだ知らなかった。
ただ魔王城へ向かう過酷な旅の中、仲間たちと多くの言葉を重ね、楽しく笑い合い、互いを守り合う。
勇者一行の仲間意識と芽生えた絆が強くなるにつれ、それを静かに見つめる者の心もまたわずかに揺れていたのである。
高位魔術師であるルナも、そのうちの一人であった。
王国内でも有数の魔力を誇り、頭脳明晰で冷静沈着。その細長い身も相まって、穏やかな物腰は見るもの全ての心を落ち着かせていた。
仲間をも、そして襲いくる魔物たちをも。
「さすが、ルナさんですね」
「いいえ。全ては、皆のおかげですよ。ライもよく頑張りましたね」
「そうですか?……ありがとうございます」
そのようなルナがライのことを意識しはじめるのに、そう時間はかからなかった。
***
ある日、ルナが魔力の調整をしていた時のことであった。
近くに立っていたライから、微弱な光を感じていたのだ。
「……ライ。今、魔力を流しましたか?」
しかしその言葉に、ライは大袈裟に驚いてみせた。
「えっ?俺、魔力なんてほとんどないですよ?」
「いいえ、確かに……。優しい波が流れていたような……」
ルナはライの手首を、両の手でそっと包み込んだ。
その手の内側から、温かい脈動がほんのわずかに伝わっていたのだ。
「……これは、クリスほどではないけれど。確かに君にも、その力はあるようですね?癒やしに特化した魔力でもあります。……触れると、心が静まるような……」
ルナの涼やかな瞳が、うっとりと細められた。
そのあまりにも美しい姿に、ライは思わず照れたような笑みを浮かべてしまう。
「そ、そうですか?そんなこと……初めて言われました」
その笑みは、ルナの胸をわずかに揺らす。
「もっと、自信を持つべきです……。君の魔力は、とてもあたたかいのだから」
この瞬間から、ルナの視線は自然とライを追ってしまうようになるのであった。
***
誰にも明かされていない秘密であったが、実はルナは獣の類が苦手であった。
人ならざる魔物や魔獣が襲いかかる手前、そのようなことは構わず魔法でそれらを攻撃するものの森で獣が横切る瞬間はいつも身構えていた。
ある、夜のことであった。
その日はルナが見張り役として、一晩中目を開けていた。
がさりと、遠くの茂みで物音がした。
何事かと思いそこを見遣ると、そこには黒い毛並みを持った一匹の猫がこちらに向けて近づいてくるではないか。
思わず身構え、魔法を用いてその姿を分析するもののそれは魔獣ではなくただの猫であった。
しかし猫は、そのような気も知らずルナに目掛けて近寄ってくる。
ついにその身が軽やかに膝の上に乗った時、ルナは思わず悲鳴を上げそうになっていた。
「ルナさん、……大丈夫ですか?」
天の助けと思われたその声は、ライによるものであった。
ルナは思わず、縋るようにその身を見上げていた。
「……っ!い、いえ……なにも……」
思わず声が上ずってしまい、ルナは内心穏やかではいられなかった。
しかしその身は正直に、猫がルナの身に頬ずりをするたびにその肩は大きく揺れていた。
「なっ……何をして……!」
ついにその声が出てしまった時、ライは何かを把握したかのように黒猫の身を掴んで抱き上げていた。
くすりと笑みを浮かべて、森に向けて放してやる。
「ここは、危ないかもしれないよ?君は、安全なところに行こう」
ルナは猫が消えていく様を見て、深いため息をついていた。
戻ってきたライは、静かな笑みを浮かべていた。
「その……、苦手だったんですよね?もっと、早く言ってくだされば……」
「……実は、獣の類が。少しだけ……」
そのようなルナの言葉に、ライは静かに隣に腰を下ろした。
「そうだったんですね。でも、誰だって苦手なものはありますよ」
その言葉の柔らかさに、ルナの頬はわずかに熱くなる。
「俺も、虫とか苦手ですし……」
そのようなライの救いの言葉に、ルナは少しずつその心を許しはじめる。
その日以来、ルナは少しでも克服しようと魔獣を相手に果敢に立ち向かうようになる。
その姿を、ライは陰ながら見守っていた。
***
ある晩、その日の戦闘で魔法陣の調整に失敗をしたルナは、珍しく肩を落としていた。
その姿を見つけたライは、迷わず駆け寄っていた。
「ルナさんは、いつも助けてくれますよね?俺は、何度も魔法で守ってもらいました。俺だけじゃなくて、……皆もそう思っていると思いますよ?でなきゃ、とっくの昔に倒れてますから」
そのような励ましの言葉に、なおもルナは首を振っていた。
「……本当に、そう思っているのですか?」
「本当ですよ」
ルナは静かに、ライの顔を見上げた。
まっすぐで、曇りのない眼差し。
それを受け止めた瞬間に、その胸の奥はわずかに痛む。
「それに、失敗の数なら俺のほうが多いですよ?それに比べたら、ルナさんはとても凄いです!」
そのような言葉に、ルナの顔には穏やかな笑みが戻っていく。
そして、溢れんばかりのその想いも。
「ありがとうございます、ライ」
自覚してしまった恋は、もう止めることなどできなかった。
***
魔王城が目前に迫る中、ルナはある決意をしていた。
その日、夜の見張りを終えたライの姿を呼び止め、こう伝えていたのだ。
「ライのことを、好きになってしまいました」
月明かりの下、ルナはいつものように穏やかに微笑んでみせた。
ライは瞬きをし、言葉を失っていた。
ルナは淡々と、しかし震える声で言葉を続ける。
「最初は、興味だったのかもしれません。しかし、ライのことを知るうちに……その魔力、危ういほど無防備な優しさに……。その強い心に、気付けば……惹かれていたのです」
「ルナさん……」
「返事を急がせるつもりは、ありません。ただ……この想いだけは、どうしても伝えたかったのです」
それは誠実で、静かな告白でもあったのだ。
ライは、長く沈黙した。
そして手を胸に当て、小さく息を吸ってからこう告げた。
「……その、ありがとうございます。とても嬉しかったです。でも、ごめんなさい」
その言葉に、ルナの瞳はわずかに揺れた。
「今の俺には、誰かに向き合えるほどの余裕が……ないんです。それに、ルナさんのことは……すごく尊敬をしています。尊敬しているからこそ、それ以上に見ることはできないんです」
ライは深く、頭を下げていた。
その誠実な返答に対し、ルナは静かに笑っていた。
優しく、そしてわずかな寂しさを宿して。
「私は、君が誠実な人間であるということを知っている。どうか、謝らないで。……ありがとう。はっきりと、答えてくれて」
夜風が、ふたりの間を静かに通り抜けていった。
それは、ひっそりと終わった恋の気配のようでもあった。
「これからも、仲間として……。そばにいることを、許してくれますか?」
「もちろんですよ。ルナさんは、俺が尊敬する……大切な仲間ですから」
その言葉に、ルナはにこやかな笑みを浮かべて頷いた。




