勇者のマクシム
魔王城が近づくにつれ、空気は不吉に重いものへと変わっていく。
道中何度か魔物との戦闘もあり、そのたびに勇者マクシムは自らの身を奮い立たせていた。
「封印が完全に解かれる前に、間に合わなくてはならない」
そのような信念が、心に宿っていたのだ。
しかしその緊張を上回るほど、その胸をかき乱す存在があった。
「マクシム、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。ライ」
「でも、少し傷が……」
「これくらい、慣れているさ」
それは、回復補佐の青年、ライであった。
「でも、あなたに何かあったら……皆が悲しみます」
ライは静かにマクシムの手を取り、清潔な布をそっとあてた。
その手の温もりに、マクシムの胸は大きな音をたてていた。
「ライ、ありがとう!」
***
ある朝、マクシムは目覚めた際、隣で丸まって眠るライの姿に気づき驚いていた。
普段は各自離れて眠っているはずであるというのに、どうやら夜中の冷え込みでその距離が近づいていたらしい。
しばらくその姿を見守っていると、ライは寝言で何かを呟いた
「……クリス、まだ寝てるんだ……静かにしてよ……」
その顔は、まるで子犬であるかのように無防備なものでもあった。
「なんて、可愛いんだ……」
そして、息を呑む。
マクシムはそこで、ようやく自らの心が危険な方向に向いていることを自覚したのであった。
***
ある日、魔物の群れとの戦闘が立て続けに続き、マクシムは息を切らしていた。
それでもなお急ごうとするマクシムに向けて、ライは大きな声をあげていた。
「マクシム!……少し……、休みましょう」
「しかし、先を急がなければ!」
「皆を、見てください!十分な休息をとらないと、いざという時に戦えませんよ?」
そうライは、マクシムの腕を強く握っていた。
そのあまりの気迫に、マクシムはやっと後方を振り返る。
満身創痍の剣士に、魔力を失った魔術師、そして回復魔法を施したせいでクリスもが額から汗を流していたのであった。
「……すまない。少し、休むことにしよう」
その言葉に、ライは安堵の息をついた。
人気のない洞窟を見つけ、勇者一行はそこで束の間の休息をとることにした。
皆が横たわり眠る中、マクシムだけは監視のために入り口付近で座っていた。
人の気配に横を見れば、ライが静かに水を差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
それを受け取り飲み終えた後、マクシムはぽつりと呟いた。
「先を急ぐあまり、仲間のことが見えていなかった。私は、勇者失格だな」
ライはそのようなことはないと、強く首を振っていた。
「勇者様が倒れたりでもしたら、それこそ……困るのは俺たちのほうです。急ぐ気持ちはわかりますけど、休む時も必要だと思うんです」
そう微笑んだライの手から放たれたわずかな回復魔法は、不思議なほど温かくマクシムの身を包み込む。
「クリスみたいな力はないですけど、せめて……少しだけでも」
その言葉に、マクシムの心は癒されていく。
その優しさに、思わず胸が震えてしまう。
しかし今はその時ではないと、強く拳を握って耐え忍ぶ。
「ありがとう、ライ。君は、どうしてそんなに優しい顔をするんだ?」
その言葉に、ライは目を丸くしてマクシムの顔を見上げた。
「そう、ですか……?」
その黒い瞳は、陽の光を受けてかすかな煌めきを放っていた。
「ああ……。私には、眩しいくらいだ」
その夜マクシムは、なぜだか眠りにつくことができなかった。
瞳を閉じてもなお、昼間見たライの目の輝きが浮かび上がってしまうのだ。
深いため息をつきながら、マクシムはライのことを想う。
***
次第に、マクシムのライへの想いは強くなる一方であった。
何をするにも、戦闘の最中においても、頭の中を占めるのはライのことだけであった。
しまいには幼馴染である剣士にもその様子を指摘されてしまい、マクシムは悩んでいた。
「悩むくらいなら、さっさと当たって砕ければいいじゃないか!」
そのように励まされ、マクシムは決意を固めていた。
魔王城のその姿が遥か遠くに見えはじめた、その日の夜のことであった。
一行が焚き火を囲む中、マクシムは密かにライのことを呼び出していた。
「少し、話があるんだ」
ふたりきりになると、風の音がやけに大きく聞こえるような気がしていた。
マクシムは深呼吸をしてから、静かにその胸の内をさらけ出す。
「ライ。旅のなか……ずっと、君に惹かれていた」
「えっ……」
そのような言葉に、ライは驚いたような顔をしてみせた。
「回復してくれる時のあたたかな手も、寝ているときのその素顔も、危険を顧みずに人を助けるところも……。君の全てが、胸が苦しくなるほどに好きなんだ」
マクシムは正面から、その想いを伝えていた。
「魔王城に着いてしまえば、何が起きるかはわからない。だからこそ……。今、言うしかないと思ったんだ」
ライは、戸惑っていた。
まさか勇者であるマクシムからそのように好意を寄せられているなど、思ってもみなかったのだ。
焚き火の明かりの中、マクシムは本気でライの目を見つめていた。
しばらく沈黙が続いたあと、ライは小さく息を吸う。
「……マクシム。勇者としてではなく、一人の人としてそう言ってくれたことは……とても嬉しく思います」
「じゃあ……!」
「でも、ごめんなさい」
ライはうつむき、静かに首を振っていた。
「今の俺には、誰かと恋愛をする余裕が……ないんです。俺は、俺自身のことで精一杯で……」
マクシムの表情は、わずかに歪む。
「それに……。クリスが、俺のことをずっと守ってくれてるいるから。まずは、その気持ちにちゃんと向き合わないといけないんです。逃げたまま……誰かに想いを返すのは、違うと思うんです」
マクシムはしばらく黙りこんだ後に、ゆっくりと頷いていた。
「……そうか。なら、これ以上のことは何も言わない」
そして、笑っていた。
わずかな寂しさを含んだその笑みは、勇者などではなくただ一人の青年としての笑みであった。
「断られても、君のことは守り続けるよ。私は、勇者なのだから」
「……すみません、ありがとうございます」
ふたりの距離は、これを機に少しだけ遠のいてしまう。
しかしマクシムはどこか、温かさのようなものを感じていた。




