第35話:不毛地帯
◾️青色の後光
「艦長! 方位226に高エネルギー反応! 識別信号(IFF)照合不能!」
ブリッジに、心拍数を強制的に同期させるような重低音の警報が吠えた。
戦闘配置を告げる紅い閃光がコンソールを焼き、オペレーターたちの指先がコンマ数秒の遅滞なくキーを叩く。
「……面舵。ピッチ角プラス038まで、艦首を上げろ。慣性制御出力最大」
轟艦長の声は、死地にあっても静謐を保っていた。 巡洋艦『天乃』。その数万トンの質量が、下方スラスターの咆哮とともに宇宙の静寂をねじ伏せる。
グレーの装甲板が太陽光を鈍く反射し、巨大な船体は重厚な慣性を伴って、ゆっくりと、だが確実に照準線を確保すべくせり上がった。
真空の虚空。 『天乃』は微小なデブリを電磁防壁で弾き飛ばしながら進む。
不意に、高出力のプラズマが小惑星帯に干渉し、紫色のチェレンコフ光を放った。
踊るような紫の閃光が船体を掠め、防護ガラス越しに見える船員たちの顔を、不吉な紫陽花の色に染め上げる。
「艦長……SSG(重力異常掃討)エリアを脱出。全システム、グリーン」
戦術オペレーターの野間原が、圧搾空気を吐き出すようにヘッドホンを外した。ブリッジに一瞬の、泥のような安堵が広がる。
「慢心するな。即座に広域索敵パッシブ・センサーを再展開しろ。飯田、第一機関室に連絡。プラズマ・ドライブの共振係数を確認させろ。異常値は一パーセントたりとも許さん」
轟の叱咤に、野間原は弾かれたように再びヘッドホンを装着し、座標計算のシーケンスを走らせる。飯田は鋭く敬礼を返し、気密扉の向こうへと走り去った。
視界の端、小惑星の残骸の向こうに、青き母星が冷たく浮かぶ。
「隕石がまだ降り注ぐというのか…もはや残された時間は僅かのようだ」
轟は、灰色と黒の混じった髭をなぞり、艦長席の冷たい感触に身を沈めた。
艦長席の後ろから、白色のボディに紫の目をしたロボットが不安そうにひょこっと顔を覗かせた。見た目は襟巻きトカゲかウーパールーパーを彷彿とさせる。
「ミニモよ、心配するでない…大丈夫だ。あとで共振ノイズの調整をしてやる」
「きゅーーー!!」
轟がミニモの頭を優しく撫でて微笑むと、ミニモは紫色の目を細くして喜んだ。
暫くしてオペレーターの方を向き直し、轟は命令を下した。
「第一艦隊、これより月面基地への最終進入を開始。2番艦、3番艦は本艦とのデータリンクを維持……編隊を崩すな」
その瞬間、ブリッジを物理的な衝撃が襲った。 古の弔鐘のような重厚な警報音が、再び空間を赤く塗り潰す。野間原の悲鳴が回線に混じった。
「敵襲! 高出力プラズマ熱源! ――っ、天頂方向! 完全に死角を取られました!」
「AUV魚雷、近接信管作動まであと5秒!!!」
「デコイ射出間に合いません!!!」
「衝撃に備えろ!!」
轟の横顔が、強化ガラスを透過した強烈な熱線に交互に照らされた。ミニモが驚いて、寝床代わりにしていた小型防壁核に飛びこんだ。
「2番艦、右舷エンジンに直撃! ――爆沈! 信号消失! 救命艇の射出、確認できません!」
「3番艦、大破! 戦術リンク切断! 緊急退避信号を発信中です!」
阿鼻叫喚の報告が飛ぶ中、轟は体勢を立て直しゆっくりと、岩のように立ち上がった。その指先が、死の光の源泉を真っ直ぐに指す。
「狼狽えるな。目標、方位224、122。迎撃計算、完了と同時に6番・7番ミサイル・ハッチ開放。……放てッ!」
『天乃』の側面に配されたハッチが瞬時にスライドし、二条の「M.A.U魚雷」が冷徹な加速度で宇宙を切り裂いた。
小惑星を回避プログラムで掻い潜り、それは姿なき敵へと、確実な死を運んでいく。
野間原は、瞬きすら許されない極限の緊張感の中、熱源探索ディスプレイの輝点を見つめ続けていた。
■ 灰色の世界
「やーっとつきましたねーって……よいしょっと!」
ミナリーンが、座りっぱなしで強張ったお尻を叩いて埃を払い、軋む音を立てるトロッコから軽やかに飛び降りた。
一方のレイトは、急勾配を耐え抜いたブレーキレバーにしがみついたまま、岩場に打ち上げられた乾燥ワカメのようにへたり込んでいる。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……。腕も腰も、もう感覚がないよ……」
「情けない声を出すな! ほんと……軟弱だなお前は。男だろうが、少しは鍛え直せ!」
バクロの響く声が、乾燥した空気に吸い込まれていく。
あたり一面には、天を突く石柱のような建物が不規則に乱立し、どこからか吹き付ける暴力的な砂埃が視界を数メートル先まで遮っていた。
「なんだ、ここ……。街……だったのか?」
「西側は価値のない、見捨てられた土地だからな。見ての通り、草一本生えやしない。あるのは正体不明の古代遺跡ばかりだ」
「昔の人はこんな高いところに住んでたんですかねー。私なら足がすくんじゃう。それに、この砂埃……やだ」
ミナリーンが激しく咳き込み、まつ毛に溜まった灰色の粉を忌々しげに指で払う。
「ここは年がら年中、肺を焼くような砂埃が舞う死地だ。だが、かつてのザフィアにとっては、この視界の悪さが天然の要塞だったらしいがな」
バクロが降りようとして、トロッコの手すりに手をかけたその時。背後から弱々しく袖を引かれ、彼は弾かれたように振り向いた。
「……兄貴……。俺を、置いていかないでくれ……」
「お、お前! 意識が戻ったか……ダンケス! 聞こえるか! 当たり前だ、置いていくわけないだろう!」
「……よかった……兄貴……」
ダンケスは、ひび割れた唇でかすかに微笑むと、糸が切れたように再び深い眠り――気絶へと落ちた。
バクロは安堵の吐息を漏らし、その巨体を、壊れ物を扱うような手つきで再び背負い直す。
「ダンケスさんを早くどこかで治療しないと。その傷、致命傷に近いんです。このまま砂埃に晒して動かし続けたら……本当に死んじゃいますよ」
「ああ、分かっている。砂嵐の本番が来る前に、風を凌げる丈夫な建物を探すぞ。……急ぐぞ、レイト!」
レイトは重い腰を上げ、トロッコを降りた。口元を袖で覆い、肺に突き刺さるような灰色の空気を避けながら、周囲を観察する。
(おかしい。この建物の構造……石造りじゃない。鉄骨の入り方や窓の配置……これは明らかに、かつての世界にあった『高層ビル』の成れの果てだ。この異世界には、かつて俺の知る世界と同等、あるいはそれ以上の高度な文明が栄えていたのか……?)
「おい! レイト! ぼさっとするな、置いていくぞ! お前が思ってるより、ここの砂嵐は慈悲がないんだ!」
「レイトさん、行きますよーって!」
一行は、降り積もった灰が雪のように音を吸い込む大地に、深く、重い足跡を刻みながら進んでいく。
不意に、バクロのブーツが何か硬いものを蹴飛ばした。 キン、と甲高い金属音が響き、歪にひしゃげた銀色のプレートが前方へ転がっていく。
それは、壁にぽっかりと開いた、洞窟の口のような大穴へと当たって止まった。
バクロがその壁に近寄り、厚く積もった埃を無造作に手で払う。すると、その下から鈍い輝きを放つ、テカテカとしたグレーの装甲が顔を出した。
「……チッ、石じゃねえな。鉄か? いや、もっと硬い……」
コンコン、と拳の指関節で叩くと、重厚で空洞のない、確かな質量を感じさせる音が返ってくる。
「……ここなら、どんな砂嵐でもびくともしねえだろう。入り口も狭い、中へ入るぞ」
「なんか変な遺跡ですねーって。まるで……超巨大な大木が、空から折れて刺さってるみたい」
ミナリーンが数歩下がり、首が痛くなるほど上を仰ぎ見た。
その巨大な「構造物」は、砂埃の合間から差し込む太陽の光を不規則に反射し、まるで龍鱗のように、ギラギラと妖しく明滅していた。
バクロとミナリーンが、未知の闇が広がる「内部」へと恐る恐る足を踏み入れる。 続いてレイトが入ろうとしたとき、ふと、足元に転がっていた先ほどの金属片が目に留まった。
(……待て、これ……文字か?)
泥と砂を拭う。そこには、掠れながらもはっきりと刻印された文字列があった。
『 ム…NO… 』
(『ム』……それに『NO』? 前後が欠けてて読めないけど、これは……『ナンバー』のことか? 英語? 異世界の古代文字にしては、あまりにも——俺の知っている文字に似すぎている……)
レイトの背中に、砂嵐の寒さとは違う、鋭い悪寒が走った。
つづく。




