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押忍!茶道部!

作者: 東雲 寛則

 なんでこうなってしまったんだろうか。


 目の前の現実から逃避するように、僕は静かに目を伏せた。

 茶室に響く、無意味なまでに快活な大声が恨めしい。

 畳に染み付いた汗の臭いと、沸騰した湯気が混ざり合う異様な空気。

 もしも時間を戻せたならば――次はきっと、この建物には来ないだろう。


 僕が茶道を始めたのは小学5年生の時だった。

 周りの友達が次々と習い事を辞めていく中、僕だけは続けていた。


 別に誰かに強制されたわけじゃない。ただ、お点前の一つ一つの所作に込められた意味を知るたび、もっと深く知りたいと思った。

 そんな気持ちが、僕を茶道へと向かわせ続けてきた。


 だから茶道部のある高校に入学できて、本当に嬉しかった。

 通っていた中学には茶道部がなかったから、3年間のブランクを早く取り戻したくて仕方なかった。


 きっと先輩方は優雅にお点前をされているんだろう。

 そんな期待を胸に、僕は入学式の日からずっと、今日の体験入部を心待ちにしていた。


 今では別棟と呼ばれる木造の旧校舎。

 噂に聞いていた通りのこぢんまりとした建物だった。

 隣に佇む満開の桜は色鮮やかで、眩しいほど。


 すぅ、と胸いっぱいに大きく息を吸い込み、両指を扉にかける。

 精一杯の力を込めて引き分け戸を開けようとした、その瞬間。


「では本日の修練を開始するッッッ!!」

「「「押忍ッッッ!!」」」


 バカでかい声が、爆風のように轟いた。

 あまりの大音量に、耳がキーンと鳴る。

 え?ここって茶道部がある場所だよね?なぜか体育会系みたいな声が聞こえてきたんだけど?


 手作りの木製の看板にはミミズがのたうち回った、もとい達筆な字でデカデカと「茶道部」と書かれている。

 間違いない、ここが茶道部の部室なんだけど……。


「ようし、お前ら!準備はいいなッッ!?

 それでは腕立て伏せ100回10セット開始ィィィ!!」

「「「押忍ッッッ!!」」」


 中から響く咆哮が気になって仕方なく、背伸びをして入口の窓から中の様子を覗いた。


 ……剣道着を身にまとった、肩幅の広い男子生徒が三人。火照った顔で畳の上に伏せっている。

 その中でも際立って体格のいい男性が、竹刀を杖のように突きながら号令をかけていた。

 巌のように険しい顔つきからは、他の三人よりも老成した雰囲気が漂う。


「いいか、お前らァ!茶道において重要なのは筋肉だ!茶碗を運ぶために!茶碗に湯を注ぐために!なにより茶を点てるために、筋肉が必要なんだーーー!!」


 吠える声に合わせ、三人は黙々と腕を曲げ伸ばしを繰り返す。

 全員真剣な表情で、これが茶道の稽古だと本気で信じているように見えた。

 目の前の光景に、思わず二度見する。


 訳が分からなくなってもう一度、看板を確認。

 やっぱり「茶道部」としか書かれていない。

 宇宙が見えた気がした。


「うっ……わぁっ!」

 後ずさりようとした瞬間、足を滑らせてしまった。

 派手な音を立てて転んだ僕の背中に、鈍い痛みが走る。


 ガラッと戸が開く音。


「何者だぁーーー!」


 窓から見えていた男性が、仁王立ちで僕を見下ろしていた。

 地獄の底から響くような轟音に、思わず身が縮む。


「こ、こんにちは...茶道部の見学に...来ました」


 やっとの思いで絞り出した言葉に、男は眉を吊り上げた。


「ほう、茶道に興味があるというのか?」

「は、はい!中学では部活がなくて……でも小学校から習っていて……」


 震える声で説明を始めると、男性の表情が途端に和らいだ。


「そうか!道を求めし者か!」


 男――実は部長だと判明した「力臥 正義」は、突如げんこつを握り締めて目を輝かせた。


「俺たちはな、剣道部と掛け持ちで茶道を学んでいる。なぜなら、茶道こそが最強に通じるだからだ!」


 力臥部長の熱のこもった説明によると、この茶道部は昨年で廃部になったという。

 剣道を極めるため、彼が後輩とともに復活させたのだそうだ。


 そう語る部長の横で、三人の先輩たちがまだ腕立て伏せを続けている。

 城腕先輩は汗を垂らしながら「百っ!」と声を張り上げ、広背先輩は「筋肉は裏切らない!」と叫び、腹筋先輩に至っては「茶道の神髄は力なり!」と熱弁を振るう。


 ......まさか、この人たち本気で茶道をこんな風に解釈してるの?


「よし!次は茶を点てるぞ!」


 部長の号令で、先輩たちは一斉に蹲踞の形を取った。

 お茶を飲むのに蹲踞というのも奇妙なのに、その雰囲気たるや剣道の試合のように殺気立っている。

 城腕先輩に至っては、茶筅を竹刀のように構えている。


 さらに驚いたことに、準備された茶釜の大きさは尋常ではない。

 まるで大釜のような巨大さで、沸騰した湯気が部屋中に充満していた。

 畳はすでに湿気でジメジメとしていて、壁には黒カビの兆候すらある。


「茶道において大切なのは、熱々の茶を涼しい顔で飲み干すことだ!それこそが真の精神修行ぞ!」


 もう、我慢の限界だった。


「違います!」


 思わず声が出た。部長も先輩たちも驚いて僕を見る。


「これは......これは茶道じゃありません!茶道は......!」


 言っちゃった、言ってしまった。

 でもしょうがなくない?これを茶道って言うには無理がある。

 利休居士でも激怒して茶碗で殴り掛かるレベルだ。


 思わず瞑ってしまった目を、おそるおそると開く。

 そこには悪鬼のような形相でこちらを見据える先輩たちがいた。


「...こんなのは茶道ではない...だと?」

 凄みの利いた険しい表情を浮かべるその様は、まるで炎を背負った明王像のよう。

 けれども僕は間違っていない。

 だから恐れる必要はないんだ。

 僕はスゥと大きく深呼吸をした。


「はい。ハッキリと言わせていただきます。 先輩たちが実践している茶道は、なにもかもが間違っております」


 意を決してそう述べた。

 途端、3つの視線に射抜かれ、たちまちすくみ上ってしまった。

 反射的に目線が膝の上に落ちる。

 情けなさがこみあげて来て、僕はギュッと両手を握りしめた。


「んだと?新入生の分際で」

「何も知らないガキが、生意気なこと言ってやがる」


 声が、全身が細かく震えて止まらない。

 蛇に睨まれた蛙状態だ。

 ポタリ、ポタリと冷や汗が握りこぶしの上に落ちる。

 でもここで負けたくない。

 負けじと再び顔を上げる。


「...話を聞こう」

 憤怒の形相で力臥部長が、言葉を静かに吐き出した。


「は、はい。まず、第一に先輩たちの茶道には『心にゆとりを持つこと』

 そして『柔らかい心を持つこと』この2点が欠けております」


「心にゆとりだぁ?そんなもん……」

 僕に突っかかろうとした城腕先輩を、力臥部長が制止する。

 城腕先輩に向かって無言で首を振ると、再度僕へと視線を向けた。

「続けろ」と吐き捨てるように言う。


「……これらは茶道において大切な精神とされている『四規七則』の言葉です。和敬清寂……お互いに仲良くし、お互いに敬い合い、心を清らかに保ち、どんな時にも動じない心を育てる。これこそが、重要な心構えとされています」

「……先程の先輩たちの茶道には、この精神が欠けていると感じました。あれでは、とても茶道と呼べません」


「くっくっ...なるほどなるほど、言うじゃないか?どうやら、随分とお詳しいらしいな」

 あれ?部長、何か笑ってるぞ。

 意外な反応に、身体の震えが止まった。

 僕の不信感に気が付いたのか、部長はわざとらしく大きな咳をした。


「それは女子供のする茶道だろう。」

 僕には力臥部長の言っている意味が全くわからない。


「俺たちの茶道は...そう、戦う為の茶道。武茶道と呼ぶべきものよ!強さを追い求める武将が考案したとされる、剣を高みに導くための茶道だ!」


 なんだその茶道は!

 だけどなんだか聞き覚えがあるぞ?

 部長はさらに演説を続ける。


「茶道から派生し、茶道を越た真の茶道!かの宮本武蔵すら嗜んだと聞く。多くの者が天下人にならんとする戦乱の世に生まれた茶道よ!」

「そうだ、そうだ!さすが力臥さんだぜ!」


「えーと...それ『お茶光る』の設定ですよね?」

 お茶光る―数年前に爆発的に流行った映画だ。

 たしか少女コミック原作のファンタジー歴史漫画だったと記憶する。

 まさかと思うけど、この人たちはフィクションと現実が区別出来ていないのか?


「黙れッ!!」


 部長が竹刀を畳に叩きつける。ゴンッという音が茶室に響き渡った。


「武茶道は、れっきとした歴史の中に存在した茶道だ!『お茶光る』にもそう書いてあった!」

「あの...それは創作物ですよ。エンターテイメントとして作られた...」


「違う!」

 興奮したのか、城腕先輩が蹲踞の姿勢のままにじり寄ってきた。

 かなり不気味だ。


「マンガの冒頭にもハッキリと書いてある!『これは真実の物語である』ってな!」

 そう言って広背先輩が鞄から慌てて単行本を取り出す。

 表紙には華やかな着物を着た侍たちが、茶筅を剣のように構えているイラストが描かれていた。


「はぁ...」

 思わずため息が漏れる。

「すみません、その本の一番後ろのページを見ていただけますか?」


 広背先輩が恐る恐る最後のページをめくる。そこには小さな文字でこう書かれていた。

『本作は全てフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません』


「うそ...だろ...」

 広背先輩が呟く。

 城腕先輩は血の気が引いた顔で単行本を覗き込む。

 腹筋先輩に至っては、その場に崩れ落ちた。


「じゃあ...俺たちがやってた武茶道は...」

「ただのフィクション...」

「創作物を真に受けて...」

 茶室に重い沈黙が降りる。

 先輩たちは魂が抜け落ちたような表情で、お互いの顔を見合わせている。


「茶道の静、そして剣道の動。この2つを取り入れた全く新しい修練を積むことで、俺たちは更なる高みへ至るはずが...」

 力臥部長の涙が畳に水たまりを作る。


「力臥部長」


 僕は静かに声をかけた。

 カバンから桐箱を取り出す。

 この中に入っているのは、僕の愛用の抹茶碗だ。


「本当の茶道を、お見せしましょう」

 陽の光が差し込む茶室で、僕はゆっくりと茶道具を並べ始めた。

 建水を手前に置き、柄杓の合を自分の方へ向ける。

 鏡柄杓の所作で、まずは自分の心を見つめ直す。


「茶道において大切なのは、相手を思いやる心です」

 茶筅を清め、茶碗を拭う。

 一つ一つの動作に意味があり、それは全て、目の前の人への敬意を表すため。


「力を入れすぎず、緩めすぎず。ただ相手のことを想いながら...」

 湯を汲み、茶碗を回す。

 茶筅を優しく動かし、細かな泡を立てていく。

 力任せに振るのではなく、柔らかな手首の動きで。


 まるで心が静まっていくような、そんな感覚。

 苦しい修行のためでも、耐える訓練でもない。

 お互いの心が通じ合う、そんな一期一会の時間のために。


「どうぞ」

 差し出された抹茶に、部長たちは恐る恐る手を伸ばす。

 まるで爆弾でも扱うような慎重さだ。


「...!」

 力臥部長の目が見開かれる。

「こ、これが...茶道...」

「旨い...」

「なんだこの味は...」

「心が...落ち着く...」

 先輩たちの表情が、みるみる和らいでいく。


 突如、力臥部長が立ち上がった。そして...

「お願いします!」

 土下座をした。

「本当の茶道を、俺達に教えてください!」


「押忍!俺らにも!」

 三人の先輩がスクワットをしながら懇願する。

 どうやらこの部は何かをお願いする時、スクワットをする決まりがあるらしい。


「はぁ...わかりました」

 その瞬間。

「ウォォォォ!」

 突然、身体が宙に浮く。

 先輩たちが僕を胴上げし始めたのだ。


「新入部員!」

「もう逃がさねぇぞ!」

「押忍!」


 宙を舞いながら、僕は思う。

 もしも時間を戻せたならば――次はきっと、この建物には来ないだろう、と。

お読みいただきまして、ありがとうございました!


始めて短編を投稿してみました。

楽しんで頂けたら幸いです。

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