ep. ルドガーside2 ⭐︎
「良かったのかよ」
「何がだ」
「いや、何がって……」
ここは手が足りているからと仲間を馬車へ応援に向かわせて、私とライトは盗人共を更に縛り上げる。
徐に今にも言葉を発しようとする手前で、柄にもなく口をパクパクさせるライトに私は苦笑した。
「らしくないな、ライト。……私たちも大人になったか……?」
「……っ……うるせーな、アホ! 人がせっかく気を使ってやってんのにっ!」
顔を赤くして目を吊り上げるライトが、言わんとしていることはわかっていた。
「前にも言っただろう。ルーウェン家には返しきれないほどの恩しかない。アラン卿と言い、ライトと言い、気にし過ぎだ。充分過ぎるほど貰っているのは、私の方だ」
何とか身を守る術を得て、何を思ったのか侯爵命令で小等部へ転入した頃。突拍子もなくライトに話しかけられて、ライト同盟なるナゾの集いに誘われた。
人と関わるのは怖かったが、外界の人間ーー例えば教師やクラスメイトと多少話しても、屋敷の雇われ者のように不自然な不幸は起こらないことが、何となくわかるようになっていた。
息が詰まりそうな屋敷から少しでも離れたい気持ちと、いつも楽しそうに騒いでいるライトたちに興味を引かれたのはある。
外界の人間は、屋敷の人間とは違っていた。私をヴァーレン家の人間として扱い話しかけて来る者。興味本意に寄って来る者。ただ私自身へと話しかけてくる者。
色々いたが、結果としてライト同盟と仲良くなる。と言うことは私には難しかったけれど、ルーウェン家の近くで過ごす、あの普通らしい時間の経過が、ただ好きだった。
加えて、暇を持て余していたらしい小さな少女にも何故だか懐かれてしまい、戸惑う反面どこか嬉しかった。
そんな日々が過ぎて、事態は少しずつ変化する。ヴァーレン家の第一夫人の長男ーーつまり、最有力後継者が襲われて死亡した。
それからは坂を転げ落ちるようにめちゃくちゃだった。一族の子どもが立て続けに襲われて、凄惨な姿で死亡する。その繰り返し。
屋敷は疑心暗鬼に浸かり、子を失った夫人たちは気が狂い、子らは怯え恐怖し、ある者は気が触れて、ある者は暴力に訴える。
鬼が巣食っているのではないかと思えるほどにめちゃくちゃな事態を、ただただ傍観するだけのように見える侯爵。
疲弊した。元より狙われ続けている命が、激化した屋敷の空気に後押しされて、四六時中息を吐ける暇がなくなった。
落ち着いていたはずのアザが再び動き出すほどに、間髪入れずに狙われ続けていたのが何とか落ち着いた頃、気づけば子どもは半分近く減っていた。
様子がおかしい鉛のように重たい身体を引きずって、それでも屋敷から離れたくて、働かない頭で向かった湖の木の下の定位置に着くと意識を失いーー気づいた時には、柔らかくて温かい布団の中にいた。
明るくて、清潔で、柔らかく、いい匂いのする部屋と布団。こんな当たり前なはずのことに、ひどい懐かしさを覚えて涙が溢れ落ちた。
そして何故か謎に懐かれている少女が私の手を握ってベッドの脇で眠っており、気配を察知してそのエメラルドグリーンの瞳を開く。
「……お熱下がった? お兄さま」
思考が追いつかなくて、言葉が出なかった。
「まだツラい? どこかが痛い?」
心配そうに覗き込まれて、慌てて涙を拭った。
「待っててね。お兄さまとお母さまを呼んでくるから」
そう言って出て行った少女は、ライトやアラン卿、夫人や伯爵を連れて戻って来た。
伯爵には侯爵に許可を得たから、良ければ屋敷に滞在してはどうかと提案され、驚いて断ろうとしたら少女とライトに阻まれた。
ボロボロの私に、皆は優しかった。優しい言葉を掛けられて、頭を撫でられて、温かくていい匂いの美味しい食事を丁寧に与えられた。
その度に、何かを覚えているようで、思い出せそうで、何も思い出せず、胸だけが痛んで人目を盗んで1人で泣いた。
そして何故だか、そう言う時に限って少女はよく訪れた。時には夜、知らぬ間に布団に潜り込んでいたりして驚いた。
夫人とアラン卿にはひどく怒られていたが、それでも少女はその小さな温かい手で、私を繋ぎ止めようとでもするかのように執拗に側に居続けた。
体調は数日をかけて何とか取り戻し、私は深く頭を下げて、呼びつけた御者と共に屋敷を後にする。
特段距離が近づいた訳でもなかったが、私を見るなり駆け寄ってくるあの笑顔が、好きだった。
私の膝を枕か何かと間違えているらしいその体温が、ここに居てもいいと言って貰えている気がして、かけがえ無く嬉しく思った。
あの事件が、起こるまではーー。
「ルーウェン家に感謝をしている。それが全てで、気を揉むのは筋違いだ。人が良過ぎると悪党に目をつけられるぞ」
「お前に言われたかねぇよ」
チッと舌打ちして憤慨したように腕を組むライトに、私は笑う。
「ライトはもう少し人の話しを聞け。私の恋路の邪魔でもしたと思っているようだが、そんなことはない。ハンナ令嬢に再び引き合わせてくれたのは、ライト、お前だろう」
婚約の話しを持ちかけられて、迷った。恩を返したくはあったが、万一怖い感情を思い出させてしまったらと躊躇した。
顔を合わさないと言う条件だったはずなのに、何故か彼女が他校生であるはずの私の目の前に現れて、更には呪いに侵される事態に直面した時は肝が冷えた。
関わらないと決めていたのに、ライトの強引さを拒むこともできたのに、何だかんだと便乗したのは私だ。
先が短いことや、一族の争いが比較的落ち着いていることを言い訳に、ハンナ令嬢と関わりたいという欲に負けた。
会う度に、失った温かさを思い出せることがひどく心地良くて、甘えた。
「過去は過去だ。ハンナ令嬢への愛情はあるが、恋情とは言えないものに思う」
「…………そうかよ」
尚も晴れていないようなライトにため息をついて、近づく。
確かに、もしそう言う対象としてハンナ令嬢に見られ、それ以上を望まれたとするならば、私はきっと拒むことはないし、何を置いても大切にしようと受け入れるだろう。
素直に懐いてくる様は可愛く、守りたいと思う心も本心。けれどそれが、どちらかと言えば手に入らない家族への情愛に近いことを、どこかで何となくわかっていた。
失った母の温かさを、ハンナ令嬢を通してルーウェン家に感じていた。それだけを頼りに、生きてこられた過去があった。
「ヴァレンタインは優しく賢く、いい男だ。軽薄そうに見せて、そうでもない。大切な妹分を預けるのには、安心なんじゃないか」
「……泣かしたらぶん殴ってやるけどな」
急に半目になって薄ら笑いを浮かべるシスコンに、私は笑って手を伸ばす。
「……少し寂しくはあるが、ハンナ令嬢が笑えていればそれでいい」
ガシリと、ライトの肩に腕を回す。ライトが何ごとかと怪訝な顔で私を見る。
「それに、ライトがいてくれるんだろう、私には」
ルーウェン家から姿を消した後も、ライトはよく無理矢理絡んで来ては私を連れ回し続けた。
美味しいものや女遊び。いい遊びも悪い遊びもして、人には公言できないような場所にも潜り込み、閉じこもった私の世界を広げてくれた男。
「ライトに出会えたことが、私の人生で1番の幸運だ」
ふっと笑んでライトを見れば、その顔が何かを堪えるようにモゾモゾピクピクと動き出し、だーっ! と言う雄叫びと共に腕が振り払われる。
「小っ恥ずかしい! 気色悪いことをクソ真面目な顔して言ってんじゃねぇよ! 思春期か!? 全身むず痒くて仕方ねーわっ!!」
顔を真っ赤にして目を吊り上げるライトに、私は吹き出して声を上げて笑う。
「……っ……! お、俺だってなぁ! ルドが1番の親友だと思ってんだよ!!」
くそっ! 言わせんじゃねーよ! と悪態を吐きながら、ライトが乱雑に悪党共を追い立てる。
「ほらっ! 行くぞ、ルド! しょろしょろすんな! あいつは絶対手が早いっ!!」
照れたまま眉をしかめて吐き捨てるライトの姿が、出会った頃のザ・悪ガキの姿と重なって、私はその背中を苦笑しながら追いかけた。




