ep. ルドside2
「ルド様……っ!」
今や聞き慣れた声と同時に、横や背後でも蛙を潰したような声と鈍い音が立て続く。
ひと通りの騒がしさが落ち着いてから、先ほど聞こえた涼やかな声の方向へと身体を向けた。
「いやぁ、思ってたより早くて助かったよ」
ハァっと大きく息を吐いて、男1人に剣を突きつけたまま踏み倒しているハンナちゃんの姿が、そこにあった。
兄貴と下っ端1人を踏み潰しているライト、剣を首元に突きつけているルドガーに、腕を捻り上げて押し倒してくれている新顔さんと、順にお礼を述べる。
「いやはや本当に襲われるとは……」
「結構有名になってきてんだから、もう少し危機感持てって前から言っといただろ、色男」
「……いい加減その呼び名何とかならない?」
「じゃぁヴァレンタインで」
「いやいや、距離感が切ないんだけど」
「わがままかよ」
顔を合わせる度に繰り返されるライトとの軽口で、ゆっくりと現実味が戻って来ている気がした。
「面目ない。ルドガーに貰った通信機で密かに皆んなと連絡が取れてたから結構安心ではあったんだけど、それでもやっぱり肝は冷えたかも」
えへと苦笑する僕を他所に、目を見張る程鮮やかな手付きで各々無法者を縛り上げる様に目を丸くする。
「鮮やかだね」
「慣れてるからな」
「君たちホントに貴族かい」
皆が旅に出てから、幾度も伝えた本心からの軽口を重ねる。
「お怪我はないですか?」
無法者を縛り終えたハンナちゃんが、剣を腰の鞘に納め、乱れた髪を整えながら近寄ってくる。
大粒の汗に蒸気した頬、上がった息が、必至に駆けつけてくれたことを物語っていた。
「うん、僕は大丈夫だよ。馬車の皆んなの方が心配かな……」
「馬車の方は仲間が対応してます。ルド様が無事で……本当に良かったです……っ……! ……私も、馬車に向かいますね」
そう言って、ハンナちゃんは長い髪を揺らして林道へと駆けていく。
「危険に晒して申し訳なかった」
そんな後ろ姿を見守っていた僕に、ニョキニョキと背後から生えたルドガーが話しかけてくる。
「それだけの利益は充分過ぎるほど貰っているから、ルドガーが気にすることではないさ。これはこっちの問題だ。大丈夫、警備に追加経費を割くのは決定事項になったから」
尚も申し訳なさそうなルドガーを押し留める僕に、ルドガーがその頬を緩める。
「ーーハンナ令嬢が、ひどく心配していた。安心させてやれ」
「ーーえ? あ、あぁ、もちろんだよ。2人も、改めてありがとう」
穏やかな笑みを浮かべて、何となく普段のルドガーらしからぬその言葉にわずかに違和感を覚える僕に、ライトが口を挟む。
「先行ってろ。コイツらと荷物は俺たちが持ってってやる」
「ーーありがたいけど、いいのかい?」
「顔に見合わず律儀なやつだな、さっさと行け」
ライトにシッシと追い払われるように背中を押される。ルドガーの顔をチラリと見れば、感情の読めないいつもの冷静な微笑みを浮かべていた。
林を抜けて林道に出る。ハンナちゃんともう1人の仲間が手分けして皆の手当てをしてくれていた。
「皆さん何とか大丈夫だと思います。乗って来た馬にも手分けして運びますから安心して下さい。ーー疲れましたよね、馬車の中で少し休んでいて下さいね」
テキパキと仲間の1人と連携しながら状況を伝えてくる、エメラルドグリーンの瞳に視線が吸い寄せられる。
「ーー皆んなの手当てもありがとう。お言葉に甘えて、少し休もうかな」
そう言って馬車に乗り込んで、ようやく一息がつけた気がした。
「ルド様、宜しければお水はいかがですか?」
「ーーありがとう……」
顔を出したハンナちゃんに差し出しされたコップに伸ばした手が、震えていることに気づいて、ハッとして手を戻す。
僕としたことが動揺していたようで、見上げてくるハンナちゃんに咄嗟に笑顔を作って誤魔化すしか出来ない。
「ーー大丈夫ですよ」
コップを傍に置いて、そっと手を握られる。いつか触れた柔らかい手の記憶が嘘のような、貴族の令嬢らしからぬその感触と温かさ。
「大丈夫です」
「ーー…………」
僕らしくない。言葉に詰まる。何だかんだと、襲われたことがショックだったのだと、自覚した。
「……ルドガーと付き合ってるの?」
「え?」
思わず声に出てしまった問いに、ハンナちゃんが目を丸くする。
ハッとして顔が熱くなるのを感じて、急ぎ腕で顔を隠すがもう遅い。
「……付き合っては……いないです……」
戸惑い気味に返ってきた返答に、僕はその顔を見る。
「じゃぁ……ルドガーが好き?」
続けたいつかと同じ問いかけに、ハンナちゃんは照れたように顔を赤くして、視線を彷徨わせた。
その様を見て、あぁ、やっぱりだ。何を今更決まりきったことを聞いてるんだ。と、少し冷静になった頭で、どう誤魔化そうかと考え出した時、エメラルドグリーンの瞳が僕を見た。
「ーールドガー様を、兄のように、大切に想っています。でも、それはルド様の仰られている好きとは……違います」
「あぁー……まぁ、そうだよねぇ。うんうん、わかるよ、2人はお似合いだしーー……って……え?」
事前に考えていた内容を口が勝手に喋りながらも、我が耳を疑い途中で聞き返す。
まさかこんなに分かり易いノリツッコミを自分がするとは。
顔を赤らめたハンナちゃんは乱れた髪を申し訳程度に耳に掛けて、口を引き結ぶと俯いた視線を再び上げて僕を見た。
いつかの、戸惑いだらけで迷いだらけの瞳とは違う。真っ直ぐで吸い込まれそうなその瞳。
前よりも成長して、貴族の娘には到底及ばない身なりで、緊張した面持ちのその姿は、僕の何かを刺激する。
ざわざわとした言いようのない感覚に、ゴクリと喉を鳴らす。
「いつだってどんな時だって、王子様みたいにキラキラしていて、とてもじゃないけど釣り合わないなって。……でも、ルド様の優しさに触れて、少しだけですけど、素顔みたいなものにも触れられた気がして、ルド様は、やっぱり優しくて、気遣いができて、真面目で、素敵で……」
喉がキュウと息苦しくて、今自分がどんな顔をしているかわからなかった。
「ルド様に会えると嬉しくて、会えないと気になって、風の噂で一喜一憂して、いつもと変わらない笑顔に安心してーー」
いやいや、僕も全く同意見ですけど。と煩い鼓動でクラクラしそうだった。
「……いつもいつも、助けて頂き、ありがとうございます。優しくて素敵なルド様に何度救われたかわかりません。……私は…………ルド様を……男性として、お慕いしてーー……っ」
思わず腕を伸ばして、その身体を抱きしめてしまった。ぎゅうと抱え込むと、すっぽりと嘘みたいにしっくりと来て、触れた場所から安堵が広がる。
「ル、ルドさま……っ! 私……あまり綺麗では……っ」
「うん、大丈夫。問題ない」
「えぇ……っ」
腕の中で戸惑いを見せるハンナちゃんには気づいたけれど、解放するつもりは毛頭なかった。
ドクドクと鳴る心音が、どちらのものかわからないままに、ふと目の前にあるその赤い耳に唇を近づける。
「ひぁっ!? ル……ルドさ……っ!?」
びくんと飛び跳ねるハンナちゃんを見て、いくらか冷静さを取り戻した僕はようやっと自分を取り戻してきた。
いつも僕の視線を攫って、予想の斜め上で、目が離せなくて、不器用で、一生懸命で、弱くて強い、ちょっと変わった女の子ーー。
「ーー僕にも言わせて」
「あの……っ……ルドさ……っ! ……っ!」
「好きだよ、ハンナちゃん」
そのままガシリと頬を両手で固定して、耳や頬、首元にキスを落としていく。その度にピクリと震えたり、無意識に逃げようとするその身体を逃がさない。
「ルドさ……っ」
ボンっと茹で蛸のようになって涙目で溶けているハンナちゃんに気づき、僕としたことが勢い余ってやり過ぎたことにようやく気づく。
「あ、ごめん、やり過ぎたね……」
「いえ……あの……っ…………う、嬉しかった? ……です……っ」
僕を見られないのか、耳まで真っ赤にして顔を両手で隠して俯くハンナちゃん。うん、誘ってるのかな? 誘ってるよね。と僕は笑顔で眺める。
「ま、まだまだですけど……やりたい事や、少しの自信は、見えて来た気がするんです。ルド様の横で、恥ずかしくないように、私ーー……」
顔を隠す両手首を掴んでどかし、その顔を見る。半泣きの赤い顔に、僕は思わず笑う。
「ルドさ……っ!?」
「……僕だって、まだまだだよ。1人で立つことも大事だけど、1人で立たないといけない訳じゃない。その気持ちを、忘れないようにすればいいんじゃないかな」
「ーーはい」
ヘラっと泣き笑いみたいな顔で笑うハンナちゃんの、手首は掴んだままに身を寄せた。
「ーー……っ」
軽くその唇の端に触れて様子を見れば、顔を赤くして視線を落とされた。その瞳に、少しの後に扇情的に見上げられて背筋がざわざわとする。
「ーーこっちおいで」
その瞳に煽られて、ようやく腕の中に収まったハンナちゃんを見る。捕食されるのを大人しく待つ小動物みたいだった。
人より強い方だと思っていた理性は、自分で思っていたほど強くなかったことを人事のように自覚する。
「ぅ……ん……っ……」
ゆっくりと合わせた唇から漏れる声と吐息に感覚を刺激されながら思う。
いやいや、余裕なさ過ぎってかがっつき過ぎでしょ。童貞かいっ! と自分自身に突っ込みつつ、しばしの後に再びその身体を抱きしめる。
「……ルド様……?」
「ん、もうちょっと」
どうせもう直ぐ邪魔が入って賑やかになるんだ。
未だ実感があるんだかないんだかの感覚を確かめるように、僕は腕に力を入れる。
僕の様子を赤い顔で伺っているであろうハンナちゃんが、少しの間を置いておずおずと僕の背中に手を回し、顔を胸に擦り付けてくる。
いつの間に、こんなに求めていたんだっけと不思議に思いながら、僕はその唇にキスを落としたーー……。




