62.呪いの終わり ⭐︎
「が……は……っ……ッ」
ローブに加えて口元までもを隠した姿であっても、その鈍い水音が少なくない吐血を伴っているものとわかる。
剣に貫かれたままに、ロデオ・ヴァーレンはその体躯を宙に揺らしたその背後。入り口を塞ぐように剣を持ち得ていたのは、無機質なマリオネットだった。
カタカタと音を立てるマリオネットに、私とルドガー様は思わず後退る。
「……ぁ…………レット……を……許し……っ……」
全てを言い終わる前に、その身体は乱雑にふり捨てられて室内の壁に打ちつけられて動かなくなる。
「ーー令嬢、大丈夫でしたか? 遅くなって申し訳ありません。それなりに対策はしていたんですが、さすが元次期当主候補ですね。あんな手負いでこんな短時間で潜り込めるとは思いませんでした」
言葉を失う私たちに対して、場違いなほどのテンションでマリオネットの横から顔を出したのは、クラウン・ヴァーレン様だった。
「ーーあれ、ルドガー。遂に、最期ですか?」
「え……?」
今や倒れたままに動かないロデオ・ヴァーレンと、入り口から覗くクラウン・ヴァーレン様の両者から守るように立ちはだかる背中を、私は見上げる。
溢れる光は勢いを増し、まとわりつく黒い靄もその密度を増して私をも包み込む勢いだった。
背中越しに、ルドガー様が自身の身体を見下ろして、ゆっくり振り返るのがわかる。
「ルドガー様……」
「すまない……怪我は……なかったか……」
そう言って、ルドガー様に右頬を指先で優しく触れられる。
「だい……じょうぶ……ですが、ルドガー様は……?」
私は今や真っ黒になてしまった、ルドガー様の裸足の指先を見下ろす。その余りの痛々しさに、視界が滲んだ。
結局何一つ、力になれなかったことが悔しい。
「ハンナ令嬢」
俯いたままに上げることの出来なかった顔を、ルドガー様に両頬を支えられて上向かされる。
「ーー今も……昔も、側にいてくれて……感謝している……。…………どうか、幸せに……」
「ルドガー様……?」
まるで別れの挨拶みたいなことを言わないで欲しい。
「こんなことなら……もっと早く……勇気を出して、会いに行けばよかったなんて……今更……思っている……」
ハハっと仮面越しで少年のように、困ったように笑うルドガー様を見て、唇が震えた。
「…………っ……」
言いたいことはいっぱいあるのに、どれもこれも口に出していいのかわからなくて、声に出せなかった。
こんなのはイヤだ。もっと一緒にいたい。そばにいたい。笑って欲しい。いかないで。諦めないで。なんでもするから、死なないで。
ポロリと溢れた涙が頬を伝ってルドガー様の手を濡らした所に、ふわりと浮いていた白い光が吸い寄せられる。
『ーーないで……』
「ーーえ……?」
吸い寄せられた白い光から聞こえた声に、私とルドガー様は視線を吸い寄せられる。
『……死なないで、お願い、生きて。頑張って。神様、この子だけでいいんです。何でもします。どうか、助けて……っ』
「ーー母……さん……?」
白い光から聞こえてくる声に、ルドガー様がポツリと呟く。
『ーー生きてる。……良かった、生きてる。……ルドガー……愛してる。愛してる。……生きて……幸せに……っ。幸せに……なってね。大好き……大好きよ。……一緒に、いられなくて……ごめんね。……1人にして、ごめんね……っ』
涙交じりの、切れ切れの声が聞こえてくる。
ルドガー様の身代わりに、無自覚の呪いをかけて亡くなったと、かつてルドガー様に聞いた話しを思い出す。
『ごめんね、ごめんね……っ……もし、もし……どうしても、辛かったら……迎えに行くから……っ』
まとわりついてくる黒い靄からも、同じ声が聞こえてくる。
どちらも正しく本心であろう真逆の言葉。けれどその悲痛さに胸が締め付けられた。
幼い我が子がただ1人でも生き残ったことへの安堵と、天涯孤独に残されることへの恐怖。
きっかけとなった呪いからルドガー様を守るのと同時に、全身に副作用が広がるほどの呪いをかけられ続ける我が子の未来を案じた先の誘い。
そんな母親の記憶さえも失った幼い子どもを、1人でも生かせたことへの安堵と未練。それがこの白い光とまとわりつく黒い靄の正体……?
ポロリと、仮面の奥の瞳に光が差して、涙が溢れ落ちた。
「ルドガー様……っ」
何ができる訳でもないけれど、引き留めるように伸ばした手を掴まれる。
「ーー記憶は……なかった……けど……、何となく…………覚えていた……。何も出来なかった頃……コレが守ってくれているんだと…………でなければ……生きられなかった、だろうから……」
掴まれた手が、痛い。声も手も、震えていた。
「…………っ」
引かれるままに、ルドガー様の腕に包まれる。少し痛いくらいだったけれど、気にはならなかった。
「……限界まで……使い切って……心配ばかり……かけたけど……」
小さな子どものように震える、私と比べると広い背中に静かに手を回す。
「ずっと…………ありがとうーー……」
ぎゅうっと一層縋るように抱きしめられて、その震える背中をそっと撫でる。
「もう……1人じゃないから……最近は……もう少し……生きてみたい……と、思ってる………………から……だから、もう……大丈夫だよ、母さん……っ」
ぶわりとルドガー様を中心に膨らんだ白い光が、黒い靄を霧散させて膨れあがった。
目を開けていられず、私はルドガー様の胸に顔を埋めてその温もりを必死に繋ぎ止める。
『ーー…………よかった……』
降ってくる優し気な声と同時に、温かさに包まれた気がしたが、その後一瞬で遠ざかった気配に確証は持てなかった。
薄く瞳を開けると、霧散した光が室内に溢れて漂う幻想的な風景に目を奪われる。
ごしごしと、乱雑に顔を拭う気配がして、私はその腕に包まれたままじっと身を寄せていた。
しばらくしてから緩んだ腕に、恐る恐るその顔を伺い見る。見慣れない、色白の首筋が瞳に映り、私はまじまじとその白い肌を見つめた。
白い光で目が眩んだのではないかと一瞬混乱したが、直ぐに違うと理解する。
「ーールドガー様……肌が……っ」
私の声で、見える範囲の自身の手足を確認したルドガー様が、ゆっくりとこちらを見やる。
見慣れた仮面越しの、色白な肌が美しい。こんなに綺麗な肌だったのに、なんて勿体なかったのだろうかと、場違いなことを考えた。
「……呪いごと……全てまとめて……引き受けてくれた……ようだ……」
まだ少し濡れた黒い瞳が、少しぼんやりとしてこちらを見ている。
「…………外しても……いいですか……?」
恐る恐る伸ばした手を攫われて、そのまま仮面に誘導された。
ゆっくりと、その仮面を外す。白く綺麗な肌に彩られたその顔は、どこかまだ幼ささえも感じられる、端正な黒髪と黒い瞳の青年のものだった。
少し吊り目気味で切れ長なライト兄様と、少し垂れ気味で色気のあるルド様の中間とでも言うべきか、涼しげで優し気な綺麗な瞳。
黒い瞳が白い肌との対比で以前よりも大きく目立ち、まだ濡れたその瞳は少し不安気で、庇護欲を掻き立てるようにじっとこちらを見つめてくる。
「ーー…………ど…………どう……だろうか…………?」
「……え……っ!? ……あ、不躾に申し訳ありません……っ……肌……すごく綺麗ですよ……っ……」
少し緊張したような問いかけに、あまりに近距離でじっと見つめ合っていることに気づいた私は、あわあわと平静を装うのに必死になる。
「……………………そ……うか……」
「………………え……?」
「いや……何でもない……っ」
変な間を置いてパッと顔を逸らすルドガー様をポカンと眺める。何か変なことを言っただろうか。
白くて綺麗な肌のせいで、黒髪から覗く耳から首元まで赤くなっているのがよくわかる。
そんな姿をぼんやり眺めて、私はようやく詰めていた息を吐き出せた気がした。
目元をごしっと乱雑に拭って、ルドガー様の袖先をツンと少し控えめに引っ張る。
少し戸惑うようにこちらを見下ろすルドガー様の、まだ慣れない素顔を見上げて、ひとまずの安堵から少しばかり気が抜けて、私はへらりと顔が緩むのを自覚した。
気の抜けないライト兄様や、何かと心臓に悪いルド様に対して、ルドガー様はアラン兄様のように穏やかで、私にとって頼りになる兄のような、そんな安心感がある存在になっていた。
「…………んん……っ……」
そんな兄的存在であるはずのルドガー様は、なぜだか少しばかり動揺した様子で眉間にシワを寄せると、ゴホンと謎の咳払いをする。
そして私の手を取ると、薄く笑みを浮かべながらこちらを静かに静観しているクラウン・ヴァーレン様に向き直ったーー。




