56.顛末
普段より明らかに豪奢な馬車に揺られて、私とライト兄様はその人と対峙している。
サラサとルド様はざわついたその場を治めるのと共に、ルーウェン家への連絡を請け負ってくれた。
「ーー……ルドガーは、思っていたよりも人に囲まれていたんですね。正直に言って、少しあしらえば諦める程度。それくらいの人間関係だと思っていたので、驚きました」
「悪かったですね、諦めが悪くて」
「ラ、ライト兄様……っ」
もう少し言い方があっても良さそうなその人の物言いに、今にも胸ぐらを掴みかからんとするのをなんとか堪えていると言った感じのライト兄様に、私はハラハラする。
そんな様子を眺めた後にふっと薄く笑うと、ヴァーレン様の格好をしたその人は自身の髪をおもむろに引っ張った。ずるりと不自然に動いたその黒髪の下からは、茶色の髪が溢れ落ちる。
次いで顔につけていた仮面を外すと、そこには人の良さそうな好青年が穏やかに笑みを浮かべていた。もちろん、そこにアザなどはない。
「あの、あなたは……? ……ルドガー様は、ご無事なんですか? なぜルドガー様のフリを……?」
聞きたいけれど、聞きたくない。でも、聞かなければ進めない。そんな気がして、緊張の汗が背筋を滑り落ちる。
「そうですね。話すことは多いのですが、まぁまずは自己紹介から。ルドガーのフリをして、邪険な扱いをして申し訳ありませんでした。何せ言葉を発すればさすがにバレると思っていましたので……」
茶髪の好青年は困ったように眉尻を下げる。
「僕は、クラウン。クラウン・ヴァーレンと言います。……第三夫人の長男と言えば、わかりやすいでしょうか?」
「え……っ!? ……っと……っ……」
思わず目を見張って言葉に迷う私と、不機嫌そうな横目で私の様子を見遣るライト兄様を眺め、クラウン様はニコりと人の良い笑みを浮かべる。
「僕のことをご存知でしたら、戸惑うのも無理はありません。世間的に、僕は一族争いへの恐怖から気狂いになった。ーーとされていますから」
「……演技だったと言うことですか……?」
こんな情報を聞くことに幾らかの恐怖を覚えながら、私は尋ねる。開けてはいけない箱を開けかけているような、不気味さだった。
「平たく言えばそうですね。一族間での同士討ちが顕在化した頃に、殺される恐怖から気が狂った演技を始めました。兄弟間でもそれなりに年齢差がありますし、母は頼りにならず、幼い僕では狙われれば対抗する術もありませんでしたから。長年に渡り手間ではありましたが、血の気が多い他の兄弟のターゲットからは逃れ、今こうして生きていられると言う訳です」
ニコリとまるで人事のように一族の重要事項めいたことを話すクラウン様に、私は底知れない何かを感じる。
一見すれば柔和な笑みを貼り付ける好青年であるのに、どこか蛇にまとわりつかれるような居心地の悪さがあった。
「ルーウェン令嬢を襲ったバレット。行方不明扱いになっていましたが、元々粗野な性格で揉め事も多かったんです。そもそも後継者の器とも言えませんでしたし、本人も望んでなかったんでしょう。バレットも恐らく僕と同じ目論みで、兄弟間の争いから身を隠しつつ、安全圏から実兄の手足として自由気ままに動くことに徹した。狙われる立場において、狙われにくくすることは最重要ですから、ね」
ゆるりと薄く笑うクラウンは、そう言うとすっとその目を細めてにっこりと笑った。
「ちなみに、僕は最近ルーウェン令嬢とお会いしたことがあるんですよ」
「え……っ…………」
「……おい……」
「いや、えっ……と…………」
ライト兄様にせっつかれながら必死に思い出そうとするも、全く覚えがない。そんな私を眺めながら、クラウン様はふふふと肩を震わす。
「……すみません、少しからかいました。思い出せないのは無理もありません、直接にはお会いしていませんから。バレットに襲われた最中、魔物との間に割り込んだマリオネット。あれは僕が操っていたものなんです」
「ーーえ……っ!?」
「……そうなのか?」
正誤を問うライト兄様の視線を受けて、私は戸惑いがちに口を開く。
「……うん。確かに魔物に襲われる瞬間に割り込んできたマリオネットに助けられた……。マリオネットがなかったら、多分今こうしていられなかったと思う……。助けて頂き、ありがとうございます。クラウン様だったとは知らず、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした」
慌ててぺこりと頭を下げた私を満足気に眺め下ろしたクラウン様は、ニコリと笑う。
「ーーいいや、礼の必要はないですよ。僕はルドガーから既に礼を貰っていますからね」
「ーーえ……?」
思わず目を見張った私に、クラウン様はその長い足を組み替える。
「ルドガーには味方がいない。自分だけなら守れても、守るものが増えたら守り切れない。それをルドガーはよくわかっていました。だから、僕が味方になってあげたんです」
「ーーどう言う……ことですか……?」
ドクンと心臓が大きく波打った気がした。声が震える。続きを聞くのが、怖い。
「ルーウェン令嬢を僕が助ける代わりに、ルドガーは僕に後継者の座を譲ると約束をしました。ーー……ありがとう、先ほどのルーウェン令嬢の言葉を持ってして、契約は履行されました」
そう言うや否やクラウン様との間に光る文字が走り、一際強く発光した後に何事もなかったようにそれは霧散する。
「何をした!?」
私を庇うように身を乗り出したライト兄様は噛み付く勢いでクラウン様を威嚇する。
様子を伺い見てくる外を並走する護衛に、馬車の中から合図を送ったクラウン様は笑みを浮かべて軽く両手を上げる。
「申し訳ない。警戒するのも仕方ないですが、こちらも身の危険を犯した分くらいは報酬を逃したくないんですよ。この契約は僕とルドガーとの事前契約なんです。ルドガーのことだから反故にしたりはないと思うけれど、念のためは必要でしょう? 本当はルドガーを信用してほっておいても良かったんですが、せっかくの機会でしたしね」
「……さっきのは何だ」
「言ったでしょう、契約です。ルドガーもしくはルーウェン令嬢の、僕に助けられたと言う意思表示が契約の履行条件になっていました。驚かせてすみません」
柔和だが決して笑っていない目の奥が、こちらの動きを伺っているようだった。
「ーー……さっきの話が本当であるなら、妹を助けて頂きありがとうございました。クラウン・ヴァーレン卿。でしたら、その悪趣味なコスプレも関係があるんですか?」
苦虫を噛み潰したような顔で、心情と言葉の乖離が凄まじいライト兄様の裾を私は必死で抑える。
「あぁ、これ。似合ってなかったですか? 結構似ていたと思うんですが。現に最初は気づかなかったでしょう?」
はははと場違いに笑うクラウン様に、私は息を呑む。
「現当主はロデオのことがあって表向きにはルドガーを後継者としました。これ以上のゴタゴタを見せたくない心情くらいわかるでしょう? おあつらえ向きに、ルドガーの素顔は仮面で隠れています。後継者2人がいなくなった上に突然に気狂いが後継者になるよりも、誰かが成り代わった方が早く収められると思いませんか? 今日僕がわざわざルドガーに扮して現れたのは、ルドガーが生きていると印象付けたかったという理由なだけです。まさかあんなに騒ぎになるとは予想外でしたけどね。まぁ、僕としては念押しも手に入れたので、文句はありませんが」
両手を組んで異様な圧を伴いながら笑うクラウン様に、私とライト兄様は二の句を継げずに押し黙る。
「……それで、ルドガー様はご無事なんですか……?」
「……それは、これからルドガーに会えばわかりますよ」
恐る恐る発した私の言葉に、クラウン様は感情の見えない顔で笑んだ。




