52.夜が明けて
「……婚約破棄ですか?」
「……まぁ、結論から言うとそうなるな。ヴァーレン家当主からの通達だ」
「……そうですか……」
自室のベッドの上で、私はシーツの端を無意識にギュッと握りしめた。こちらの様子を伺うライト兄様の視線から逃れるように、私は窓の外を眺める。
わかっていたことだったし、やっぱりなと感じながらも、どこか虚しい胸の内は、何を期待していたのだろうかと自問する。明るい正午の日差しが一層眩しく感じて、私は目を細めた。
窓から入り込んだ風に遊ばれた髪先を押さえようとした指先は、髪が長かった頃の感覚に惑わされる。
長い1日が明けて、早くも数日が経過していた。私は痛む足を理由に、家族に見守られてほぼ自室にこもっている。
私の精神状態への懸念と、本当に整理がついていないであろう事態により、今まで事件の顛末が私の耳に入ってくることはなかった。
「……あのバカが何も言わねぇから言っとくが、ルドはお前のことーー」
「犯人は、結局ヴァーレン家の方だったんですか?」
ライト兄様の言葉を遮り、私は窓の外を眺めたままに静かに尋ねる。
「……気づいてたのか?」
「……ヴァーレン様にもお家がごたついていると言うようなことはお伺いしてましたし、何となく……。……ローブの男も嘘か本当かそう言ってましたし」
私の言葉にカリカリと頭をかいたライト兄様は、一息吐いて口を開いた。
「……まぁ、簡単に言えば後継者争いでルドが邪魔だった第二夫人の次男ーー次期ヴァーレン家後継者候補のロデオ・ヴァーレンが仕組んでた。ルドが相対したし、間違いない」
「……あのローブの男ですか?」
「いや、俺たちが対峙したのは第二夫人の三男で、行方不明だったバレット・ヴァーレンだって結論だ。行方不明扱いになってたが、ロデオと組んで裏で暗躍していたらしい」
「……ヴァーレン家は……どうなったんです……?」
「細かいことはわからん。だが目撃者も多数だし、証言もあった。取り逃したのは腹立つが、バレットには深手は負わせたし、ロデオはルドが出来うる限りの呪いを最後に叩き込んだらしい。ついでに本心は不明だがヴァーレン家当主が率先してあいつらをお尋ね者として捜索してる。……まぁ、よほど動けねぇとは思う現状だな……」
「そうですか……」
そうして話している最中、私はふとライト兄様の右手に見掛けぬ皮手袋があることに気づく。
「……ライト兄様、その右手は……」
イヤな予感に尋ねると、ライト兄様は少し視線を泳がせた後に皮手袋を抜き取る。
その手はビキビキと異常なほどに隆起した赤い血管に覆われ、その先は袖の下に続いているように見えた。
「まぁ黙ってた所でバレるからな。魔剣の後遺症だ。見かけやべぇが存外普通なのが逆に気持ちわりぃよな」
「……それは……っ」
なんでもないことのように、あっけらかんと人ごとのように話すライト兄様に私は言葉を失う。
所有者に多くの力を与えるだけで終わらないのが魔剣と言われる産物の所以であり、その効果と副作用はその物に依る所が大きい。
ライト兄様はヴァーレン様に借りた魔剣を使っているとアラン兄様が言っていた。ヴァーレン様が所持していたであろう魔剣ならば、そんじょそこらの類ではないのではないだろうか。
「……ごめんなさい……」
小さく呟いた私の声に反応したライト兄様に、ピンと額を小突かれる。
「あほ。お前はいちいち気にし過ぎなんだよ。第一、お前らを巻き込んだのはどっちかって言うと俺だ! …お前とどっかのイケスカねぇバカの婚約話しが断り切れなくて、家がゴタついてるからって躊躇するルドを無理矢理説得して、俺が父さんに取り次がせたんだよ」
「……躊躇……」
思わず小さく繰り返した私の言葉に、ライト兄様はハッとして口を開く。
「あーもーめんどくせぇな……っ! ルドはあの家で立場が悪ぃんだよ。悪いくせにクソ真面目にゴリゴリ実力なんかつけて当主候補になんかなっちまうから、自分を面白く思ってないやつがいるのはわかってた。だから、ルドはお前に危害が及ぶ万が一がないかをずっと心配してたんだ。ちっこいことに一々反応すんじゃねぇ、バカっ!」
「…………は、はい……」
ライト兄様の圧に負けて、私は口を閉じる。微妙な空気が流れ、しばし無言の時が流れる中、その静寂を破ったのはライト兄様だった。
「ーー結果的に、怖い思いをさせて、悪かった……」
口と態度は荒いが、そもそも性根が優しいライト兄様はバツが悪そうに視線を逸らす。
悪戯がバレた子どものように、あまり見かけない様子のライト兄様が普段より幼く見えて、結果がどうあれ、私はここにいることができて心底良かったとじんわり思う。
「ライト兄様。魔剣まで使って、助けに来てくれて、ありがとうございました。ライト兄様はやっぱり、強くて格好良い私の自慢の兄です」
えへへと笑うついでにちょと涙ぐんでしまい、私は急ぎ誤魔化す。
そんな私を横目に眺めつつ、ライト兄様は皮手袋を再び右手に嵌めながら眉間にシワを寄せた。
「ーーロデオは、お前を人質にルドを殺そうとしてた」
「ーーえ……?」
一瞬時が止まったかのように錯覚するほど、私は自身の耳を疑った。
「まぁ、何とかギリギリ間に合ったは間に合ったがーー」
「ヴァーレン様はご無事なんですかっ!?」
「ーー……」
思わず声をあげた私を、ライト兄様は無言で見つめる。
「……ルドはロデオ相手に時間稼ぎをしながら、お前の捜索を必死でしてた。お前に渡してたイヤリングはルドが作ったもんだから、気配を追跡して大体の居場所は掴めたが、結界を張られたせいで直ぐに見つけられなかった。お前が逃げ出してくれたおかげで、見つけられたようなもんだ」
「結界……」
そう言えばあのローブ男ーーバレットもそんなような言葉を話していた気がする。
そしてあのイヤリングにそんな効果があるとは初耳だったが、そうでなかったらとゾッともする。
しかしそんな事は今はどうでも良かった。
「それで、ヴァーレン様はご無事なんですか?」
もう一度同じ問いを繰り返す私に、ライト兄様はしばし言葉を切る。
「お前を助ける前……人質に取られてる間、ルドは自衛で身につけてた魔術具の装備を剥がされて、呪いを浴びせられたらしい。あいつは歩く黒魔術道具みたいなもんだからな。俺たちがルドの元に戻った時には、意識はあったが既に呪いの渦中だった」
「……どう言うことですか……?」
歩く黒魔術道具とは? と引っかかりはしたものの、私はざわつく胸の内を押し殺してライト兄様を見遣る。その視線を受けて、ライト兄様はバツが悪そうに視線を逸らした。
「ルドは無事……いや、駆けつけた時点では無事だったが、ロデオに貰った呪いか、家のせいか、今は連絡が取れない」
「……それは……つまり……?」
声が震える。手先が冷たい。冷水を浴びせられたかのように、外界から切り離されたような感覚に私は身震いした。
「ルドの安否は、現状わからないーー」
ーー私が死ねば、婚約破棄と両家にも伝えてある。
そう言ったヴァーレン様の声を思い出しながら、私は足元が崩れて奈落の底に落とされるかのような錯覚を覚えたーー……。




