51.馬車の中で ⭐︎
「……ハンナちゃんは、強いねぇ……」
「なけなしの虚勢でも、こんな時くらいは張らないとですよね」
しみじみと言ったルド様の言葉に、私は首を振る。言葉で負ければ、そのまま負けてしまいそうだった。
噂が出回れば、どうなるかはわからない。それこそ婚約破棄は元より、風評被害や、言われのない嘲笑や侮蔑があってもおかしくない。
ガタガタと馬車の揺れに揺られながら、しばしの沈黙が降りる。
「僕は次男だし、兄は前言ったように僕とは正反対でしっかりしてて、当主に相応しいんだ。だから、ヴァレンタイン家を継ぐのは必然的に兄だし、僕もそれを望んでる。……とは言え、僕としては家の事業をより広く展開できるように、将来はあちこちを飛び回って兄の手伝いをしたいと思っているんだけどーー……」
「……はい」
「ーー……恥ずかしながら、僕は剣とか武術とかがからっきしでさ。正直、さっきだってあんなに周囲で守ってくれる人たちがいる状態でも、内心ビビりまくってたんだよ。世界を飛び回るなんて笑っちゃうよね」
「いえ、私もです」
はははと頬をかくルド様につられて、私も頬を緩める。
「だからさ、純粋に、女の子で、……いや、女の子なのに、ただでさえ怖い中で、立ち向かったハンナちゃんがすごいと思ったよ」
「……ただただ必死だっただけではあるんですが、そう言って貰えると、嬉しいです」
私は少し困ったように笑う。元気づけるためでも、ウソでも、そう言ってもらえると嬉しい。
「だからさ、ハンナちゃんさえ良ければ、僕のお嫁さんになってよ」
キュッと両手を握られて、ルド様はにっこりと微笑む。
「ーー………………はぃ?」
何か不思議なことを言われたような気がして、私は思わずルド様の顔を見返す。
ルド様はニコニコと穏やかな表情で、私の顔を見つめ返していた。上がっていた息は平静を取り戻し、少し乱れた姿ではあるものの、相変わらず美しい顔がこちらを見返している。
「もちろん、ヴァーレン卿の出方によるのは大前提なんだけどさ。何せ爵位が違い過ぎて異次元の相手だから、喧嘩は売れないんだよ」
こればっかりはねぇ……と困ったようにルド様は苦笑し、私ははぁと生返事を返す。そんな中、ルド様は気を取り直したように穏やかな表情で続けた。
「一緒に色々な所に行こうよ。色んな場所や、色んな街を訪れて、色んな物を見て、色んな体験をするんだ。もちろん魔物とか盗賊とか危険もあるかも知れないけど、そんな時にハンナちゃんが僕の側に居てくれたら、きっと楽しそうだし、こんなに心強いことはないからさ。あ、もちろん護衛を別に雇うのは大前提だから安心して」
ニコッと年相応な笑顔を見せるルド様に、私は一瞬言葉を失った後にハッとして口を開く。
「いえ、あの……私はライト兄様ほど強くないので……用心棒としてはお役に立てないと思いますが……」
「でも僕より絶対強いでしょ?」
「ーー…………だ……えぇ……?」
ルド様の言葉に困惑する私は、しばし言葉に詰まる。隣のマリーが、何とも言えぬ顔をして馬車内の空気を伺っているのが視界の端でわかった。
「いえ、あの、でも、ルド様の…………お嫁さん? ……と言う名目にして頂くにしても、噂の立った娘ではきっとお家にご迷惑もかかりますしーー……」
「そんなの僕は気にしないよ」
「いえ、ルド様だけの問題ではなくーー……」
話しの内容がいつからか明後日に向かっていて、私はだんだん訳がわからなくなって来ていた。
「迷惑なんてかからないさ。言う奴は何だって理由にして言うんだし。それに、そんなこと僕が言わせないよ」
「ーーえ……っと……?」
と、言いますと? と私は首を傾げる。混乱し過ぎて処理能力が追いつかない。
「ヴァレンタイン家に睨まれたら事業が滞ったり、不利益だと思わせるくらい事業を拡大するつもりさ。それに、誰もが惚れるようないい男に僕がなれば、僕を振り向かせられない者が何て言おうが、それはただの嫉妬でしょ」
「えっと……」
パチッとウインクするルド様を眺め、私は何と返したらいいか困惑する。視界の端で、マリーがいくらか興奮したような顔でこちらを見比べている気がした。
「……もちろん、そうなれるように努力する……としか、現時点での僕にはまだ言えないんだけどね」
「ーー…………」
ルド様が、私を元気つける為に言ってくれているのだとわかる。
婚約に関わるような話しまで出して、事実はどうあれ貴族令嬢としての価値が損なわれた私に、手っ取り早く価値があると示してくれているのだろう。
「まだ短い付き合いだし、出会い方もちょっと特殊だったけど、僕はハンナちゃんのこと、女性としてとても好意的に思ってるよ」
「ーー……ありがとうございます」
ルド様の優しさが、もたれ掛かりたくなる程甘くて優しく嬉しくて、同時にひどく不安だった。
多少の縁があったとは言え、この状況下でこんな言葉を掛けてくれるルド様のような人の優しさに甘えてしまえれば、とても幸せだろうと想像できる気がする。
けれど、その一方で私を引き止めようと誰かが叫んでいる気もした。
「……さては信じてない?」
「いえ、そんなことはないです。とてももったいないお言葉で、嬉しくて、涙が出てしまいそうで……。やっぱりルド様はお優しいなと、あれほどオモテになる理由が心底わかってしまいました」
「信じてないでしょ」
ふふふと笑う私に、ルド様がぷっと頬を子どものように膨らませるのを見て、私は思わず笑み溢れる。
そんな私を見て、ルド様も安心したように微笑む。
「ごめんね、全然休ませてあげられなかったけど、多分そろそろ着くよ。家族の元でゆっくり休んで」
「はい、本日は色々と、本当にありがとうございました。また家族と共にお礼に伺いますね」
馬車が停まり、外から声がかけられる。バタバタと慌ただしい雰囲気や、私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ルド・ヴァレンタインです。御息女をお連れ致しました。宜しければ御屋敷まで僕がお連れ致します」
一足先に降りたマリーとルド様が馬車の外で会話をした後に、話がまとまったのかルド様がこちらを振り返って手を伸ばしてくる。
「お手を」
「ありがとうございます」
再びお姫様抱っこと言われる形で抱えられる直前ーー……。
「さっき僕が言ったことは本気だから、忘れないでねーー」
耳元で囁かれた言葉を確認する術は、押し寄せた家族と屋敷の者の声で失われてしまったーー……。




