49.涙
「ハンナちゃん、良かった! やっと見つけた!」
普段の優美さとはかけ離れた、汗だくで必死な形相と上がった息。けれどこの上なく美しい顔で覗き込まれ、先程からの状況と乖離し過ぎた状況に思考が一瞬停止する。
「ーールドさーー……わっ!?」
束の間呆けているとふわりと何かで身体を覆われ、そのままルド様に正面から子どもの様に抱き上げられた。
「ごめんね、とりあえず魔物から離れないとだから、ひとまず我慢してくれるかな……っ!」
「あっ、あのっ! ルド様……っ!?」
「俺のバカ妹にーー」
あわあわとルド様の熱い肩越しに見やった先で、森の暗がりからバッと飛び出した影は、その勢いのままにローブ男に切り掛かる。
「何してくれてんだこの陰湿野郎が……っ!!」
夜の闇にボンヤリと浮かぶ剣で一直線に切り掛かったライト兄様は、その勢いのままにローブ男を一閃した。
「…………魔剣を得た、ルーウェン家の次男坊かーー」
チッと舌打ちをしたローブ男は、ザリッと後ろに飛び退くと、切られたローブから露わになりかけた顔を腕で隠して後退る。
「アラン兄! こっちだっ!!」
「皆さんこっちです! 魔物もいます! 気をつけて! 必ず捕縛して下さい!!」
ローブ男を睨みつけたままに叫ぶライト兄様の声に次いで、アラン兄様の声も夜の森に響く。
アラン兄様の声掛けにより、恐らく自警団や傭兵など、無数の人の気配が次々とこちらに近づいて来るのがわかった。
にわかに騒がしくなった周囲に、私は呆気に取られる。
「てめぇ魔物遣いか? 人の妹を巻き込んでふざけたことしやがって! その面是が非でも拝ませてもらうからな……っ!! ーーおい、ルド! 見つけた! 無事だから、手加減なしでやっちまえ!!」
少し離れた道の端で降ろされて、久方ぶりに見るブチギレのライト兄様が、今のところ姿の見えないヴァーレン様に声をかけている気配を感じて、私は思わずその姿を探した。
私を魔物から結果的に助けてくれた人形ーーマリオネットは、今や糸の切れた人形の様に地面に伏しているが、代わりに駆けつけてくれた自警団や傭兵の方々が魔物を取り囲んで足止めをしてくれている。
「ハンナ……!」
「アラン兄様……っ!」
隙間を縫って一目散に駆けて来た顔面蒼白なアラン兄様は、恐らく目も当てられない私の様相に見る見る険しい顔つきになっていく。
大きく破れた胸元に、切りっぱなしの酷い有様の髪。手足からドレスから引っかけて泥だらけのぼろぼろの有様で、恐ろしくて見られない傷だらけの足に、極めつけは手に握った血のついた剣。
貞操は何とか死守したと説明しても、信じてもらえないのではないかと我ながら心底心配になる有様だ。
「ーー遅くなってすまない。よく頑張った、さすがルーウェン家の長女だ」
「アラン兄様ーー……」
酷く優しい声音で、珍しく潤んだ瞳のアラン兄様にそっと抱きしめられると、どれほど肩で息をして、その心臓がドクドクと鳴っているかが伝わってくる。
「ーー……に……さま……」
グスっと自制できない鼻を啜り、必死に握り過ぎて上手く開かない右手をぎこちなく開く。離した剣がガランと音を出して地面に落ちた。
思っていたよりも夜の冷気に当てられて冷えていた身体に、アラン兄様の体温がひどく心地よくて、緊張の解けた安堵を我慢することなど到底無理だった。
「……っ……ぅっ…………ひっ……」
ぼろぼろと溢れ出した涙を止める術はなく、今まで我慢していた分だけ後から後から溢れ出してくる。
「……ヴァレンタイン卿のご子息。何人か護衛をつける。悪いが、妹を先に屋敷へ連れ帰って貰えないだろうか。ーー本当は僕が付いていてあげたいが……アイツを捨て置けない。山のふもとに馬車と、屋敷に医者は呼んでいるはずだ」
「……承知しました、命に変えても必ず送り届けますので、お任せ下さいルーウェン卿」
「えっ……!? お兄様たちは!?」
どんどんと進んでいく話に、私は思わず割って入る。
「父上たちが警備を強化してハンナの帰りを待っているから、早く顔を見せてあげて。それに僕たちの心配は要らないさ。皆もいるし、剣を持たせたら規格外のライトが、今はヴァーレン卿の御子息から拝借した魔剣まで持ってる。正に鬼に金棒だからね」
「魔剣……」
暗くて良くは見えないが、魔術の込められた武器は使用者の能力を桁違いに高める効力があると聞く。剣の才に優れて名高いライト兄様に、ヴァーレン様からお借りした魔剣ならば、確かにその通りなのであろう。
「安心して。アイツが何者かなんて関係ない。ルーウェン家の名にかけて、必ず首根っこを引っ掴んで白日の元に晒した上で、心の底から後悔させてやるつもりだから。あとはお兄ちゃんに任せなさい」
「…………あ、はい……」
酷く優しい笑顔のままに、とんでもないドス黒オーラを放つアラン兄様の圧にドン引く私と、背後のルド様の気配を感じる。
普段滅多に怒らない柔和で優しい人ほど怒らせると怖い。と言うよく聞く人物像を見事に地で行くのがアラン兄様と言う人だった。
爵位の割に何かと目立つ要素をチラホラと持つことがあるルーウェン家の守護神として、アラン兄様はいつも穏やかにそこに居る。
他貴族からの執拗な嫌がらせや、家族に降りかかる災難を、のんびりと人が良い両親に変わって裏で手を回しているのがアラン兄様だった。
そしてその逆鱗に触れた者は、何か恐ろしいモノでも見たかのように大人しくなる不思議付きである。
「頼んだよ」
「お、お任せ下さい……」
「……助けに来てくれてありがとうございます。……気をつけて下さいね、アラン兄様……」
立ち上がったアラン兄様を見上げて呟いた私の頭をポンポンと撫でる。いつもの優しい顔で柔らかく笑むと、アラン兄様は得体の知れないオーラをその身に纏いながら、踵を返してその場を離れて行ったーー。




