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恋した相手と愛した相手

 途端、ロザリーが迷うようにして視線を落とした。

 疑問に首を傾げた私に、彼女は「その、マリエッタ様」とためらうように切り出し、


「アベル様のところへは、後程ご挨拶に……?」


「っ」


(ロザリーは、アベル様への恋心のことを聞いているのだわ)


 周囲から見た、ここでの私は"ルキウスの婚約者"。だから誰に聞かれても困らないよう、遠回しな言葉を選んでくれたのだろう。

 伺うような表情に察した私はぐっと密かに片方の掌を握り締め、


「……いいえ。私には、必要のないものですわ」


「! それは、つまり」


「ええ。私は"ルキウス様の婚約者"。今は……心から、そうでありたいと思っていますの」


「……っ」


 驚愕に見開く瞳に、私は無理もないわと苦笑する。


「散々拒んでいたというのに、身勝手なものでしょう。ロザリーにも、力を貸してもらったというのに、申し訳ありませんわ」


「いえ! 私は……私は、いいのです。ほんの僅かでもマリエッタ様のお力になれたという事実だけで、充分ですから」


 ただ、と。ロザリーが固い声で発したその時だった。


「エストランテ様、失礼いたします」


 ロザリーに声をかけてきたのは、王城の使用人である男性。

 彼は恭しく下げた頭を上げると、


「不躾ながら、お歌を一曲お願いできませんでしょうか」


「あ……と」


 不安げに私を見遣るロザリーと、視線がぶつかる。

 衝撃的な話の途中だったこともあり、私を気遣ってくれているのだろう。

 私は心配ないと微笑んで、


「平気ですわ、ロザリー。また終わってからゆっくりお話しましょ。ロザリーのお歌が聞けるのなら、いくらだって待てますわ」


「……温かなお気遣いに感謝します、マリエッタ様。ご期待に添えるよう、最善を尽くしてまいります」


 恭しく低頭して、男性の案内について行くどこか緊張を帯びた背を、出来るだけにこやかに見送る。


(エストランテも大変なものね)


 確かにエストランテは社交界への参加権を得るのだけれど、こうして歌を求められたなら、よほどの理由がない限り引き受けなければならない。

 それが"歌姫"の、"役割"でもあるから。


 ロザリーに気が付いたご令嬢方がざわめき立つ。

 音楽隊の指揮者はロザリーと軽い言葉を交わすと、演奏者たちに向き直り、両手を振り上げた。

 ロザリーがアベル様に向け、一礼を。すうと吸い込んだ呼吸を全身にいきわたらせるようにして、淡い色の唇を開いた。


 会場を包んでいく、ゆったりとした美しい旋律。

 知っている。この曲はたしか、聖歌の中で愛の美しさを讃える歌。


("お相手探し"のこの場に、ぴったりの曲ね)


 愛。愛、かあ。

 幼い頃からずっと、物語に紡がれるような激しく運命的な恋に憧れていた。

 けれども私は貴族の娘。結婚とは心の充実ではなく、一族の繁栄を支える手段のひとつでしかない。


 だから、諦めていた。ううん、諦めようとした。

 幸い、ルキウスのことは恋ではなくとも好いていたし、私は"恵まれて"いるのだと。

 だからこそ、数多の賞賛を受けるルキウスの婚約者として、相応しい令嬢にならなければと、必死に自身を磨き続けていた。


 意地と義務と矜持と。

 諦めをもって、彼の背を追いかけ続けていたのに。


(愛というのは、よくわからないものね)


 アベル様に抱いた感情は、確かに恋だった。

 ずっと求め続けていた、激しく燃えるような、運命の。


 けれどきっと、愛ではなかった。


 私の知る、私が"そう"だと感じた愛は。

 求めるだけではない、相手を慈しみ互いに手を取り合っていける。

 深くも優しい、それでいて多分の甘さを含んだ。寛大ながらも狭量さを手放せない、複雑な感情の集合体。


(早く、ルキウスにこの気持ちを伝えなきゃ)


 あなたのことが好きだと。

 遅くなってしまったけれど、どうかこれからは私にも、同じだけの愛を返させてほしいと。

 歌が止む。会場中から湧き上がる拍手に合わせ、私も心からの賞賛をロザリーに贈る。


「ロザ……」


 大役を果たした彼女を労おうと、歩を踏み出した刹那。

 あっという間にロザリーは、数多のご令嬢方に囲まれてしまった。


「素晴らしい歌声でしたわ!」


「お見掛けした時からずっと、お話をしたかったのです!」


(あ……)


 そう、か。そうだった。

 エストランテはご令嬢方の憧れ。ロザリーと仲を深めたい方々がここには沢山いるわけで。

 なのにずっと私がロザリーの側にいたものだから、誰も話しかけられなかったのだろう。


(せっかくの交流を、邪魔しては駄目ね)


 ロザリーには、また後で話しかければいい。

 私はご令嬢方に囲まれるロザリーに背を向け、そっと会場から踏み出した。


(たしか、休憩室が用意されていたわよね)


 せっかく会場が盛り合ったのだもの。

 あのままひとりぼんやり立ち続けて、アベル様の不興をかっては、ロザリーに申し訳がない。


(確か、こっちだったと思うのだけれど……)


 不安な足取りで、慣れない回廊を進む。

 会場にいた関係者の誰かに、場所を聞いておけばよかった。


(そういえば、会場では一度もルキウスを見ていないわ)


 アベル様の護衛だと言っていたけれど……。

 ジュニーが会場には近づけたくなさそうにしていたから、お茶会の間は別の担当をしているのかもしれない。


(残念。仕事中のルキウスを見てみたかったのに)


 任務中の彼は、どんな顔をしているのだろう。

 私の知る、私と一緒にいる時の彼は、どうにも頬が和らいでいるから……。

 いえ、それはそれでもちろん嬉しいのだけれど、任務にあたる真剣な面持ちも見てみたいというか。


 途端、ぽんと脳裏にルキウスの姿が浮かぶ。

 緊張を帯びた瞳は鋭く、端正な頬は引き締まり、凛とした姿勢で剣をふるう姿。


「……か、かっこいい」


(って、私ったらこんなところで何を想像しているの……!)


 これではまるで初めて物語に憧れた少女じゃない!

 恥ずかしい空想を消し去ろうと、咄嗟に頭上をパタパタとはらった、その時だった。


「――マリエッタ嬢っ」


「え……?」


(この、声は)


 信じられない気持ちで振り返る。

 するとそこには、どこか焦燥の滲んだ顔で肩を上下させる――。


「アベル様……っ!?」

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