表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/66

婚約破棄をしてほしいはずなのに

 ルキウスが息を呑む。

 私は顔を上げられないまま、


「オペラの鑑賞に、同席してほしいと。顔は分からぬよう、仮面の着用を許可くださいました。ですから、その……」


 喉が重い。

 吐き出す言葉のひとつひとつが、意志を持って拒んでいるかのよう。


「ルキウス様に、ご迷惑をおかけすることはありませんわ」


「……ひとつだけ、確認なのだけれど。それはアベル様が強要しているのではなく、マリエッタが自分で決めたことなんだよね?」


「…………ええ」


 沈黙。手の内の温度が、知らないほどに冷え切っている。

 けれど私が。他の誰でもない、私が悪いのだもの。

 白薔薇を受け取ったのは、紛れもない、この手。


「ルキウス様。お約束をしておりましたのに、ご相談もなく勝手なことを……。本当に、申し訳――」


「よかったね、マリエッタ」


「…………え?」


 顔を上げる。

 ルキウスは怒るでも悲しむでもなく、にこりと良く知った笑みを浮かべて、


「大好きなアベル様に、オペラに誘われたんでしょ? それも、聖女祭の。アベル様の心内は僕にもわからないけれど、今一番アベル様に近しい令嬢は、間違いなくマリエッタだよ。もっと喜んでもいいんじゃない?」


「……そう、ですわね」


(あ、あれ?)


 ルキウスは悲しんでもいないし、怒ってもいない。どころか良かったねと、祝福さえしてくれている。

 喜んでくださるのなら婚約破棄してくださいと、お願いすべき場面なのに。

 どうしてこんなにもモヤモヤとして、いうべき一言が出てこないのだろう。


(アベル様のことだって、そうだわ。私、もっと浮かれてもいいはずなのに)


 ルキウスのことばかり考えていて、お誘いを受けてからたったの一度も、晴れやかな気持ちになっていないような……。


「そうだ。教会の座席って、今年も二席お願いしていたんだよね? それってまだそのまま?」


「あ……はい。ロザリーにその話をする前に、こちらに来てしまったので」


「なら、そのまま二席でお願いしておいてくれる?」


「え……と、ルキウス様が、二席分ご入用ということでしょうか」


「うん。僕も今年のエストランテを知っておかないとだし、せっかくだから、僕が他の同伴者を連れて行くよ。そうすれば、席の調整を頼む手間も省けるだろうしね」


 他の、同伴者。


(私ではない別のご令嬢と、ルキウスが)


 聖女祭はもう間近だけれど、ルキウスに誘われたなら、きっとどんなご令嬢も快諾してくれるだろう。

 ううん、むしろ。ルキウスから声をかけるまでもないのかも。

 彼がフリーだと知ったなら、この好機を逃すまいとご令嬢方が押しかけてくるだろうから。


(ルキウスはどんな子が好みなのかしら。可愛らしい系? それとも、しっとりと落ち着いた大人な方?)


 脳裏にルキウスと腕を組む、数々のご令嬢が浮かんでは消えていく。

 胸がチクチクするのは、気のせいに違いない。


(私と婚約を破棄したなら、ルキウスだって、別の方と婚約をしなければならないのだもの)


 遅かれ早かれ、訪れていた未来。

 私はぐっと片手を握りしめ、なんとか笑顔を作る。


「そうしていただけますと、助かりますわ。ロザリーにこれ以上迷惑をかけずにすみますから」


「わかった。今年こそ、エストランテになってくれるといいね」


「ええ、本当に」


 私は数秒の沈黙の後、「あ、あの」とルキウスを見上げる。


「お詫びに、お好きなだけクッキーを作りますわ。いいえ、他のものでも。ルキウス様がお好きなものを、お渡しさせてくださいませ。聖女祭までまだ日もありますし、何日でも、何度でもっ」


「ありがとう、マリエッタ。気持ちはとても嬉しいのだけれど、ちょっと、難しいかな」


「え……?」


 苦笑を浮かべたルキウスは、視線を窓の外に投げる。


「近頃どうにも少し、淀みの発生が多くてね。聖女祭が近いこともあって、浄化石が戻り次第、また遠征に向かわなければいけないんだ」


「そんな……。お戻りは、いつに」


「たぶん、聖女祭の前日かな。一時的に戻ることはあったとしても、きっと、会いにける時間はないだろうから」


 ルキウスは軽く肩を竦めると、


「今日が最後のチャンスだったんだ。だからどうしても会いに行きたかったのに、拘束されちゃって。とはいえ、たしかに大人気なかったよね。……会いに来てくれて、ありがとう」


 聖女祭、楽しんでね。

 そう告げるルキウスは、やっぱり穏やかで。彼の本心がうまく見えない。

 懐かしいあの湖畔で、本当は寛容なんかではないと言っていた彼の姿を思い出す。


(今も胸の内は、嫉妬心が渦巻いているのかしら)


 それとも、この穏やかさは。

 とうとう私への想いが失せて、手放す決心をしたがゆえの"ありがとう"なのでは――。


(……わからない)


 訊ねれば、答えてくれるのだろうけれど。

 どうしてか訊きたくはなくて、私はただ小さく頷き、


「ルキウス様も。遠征、お気をつけていってらっしゃいませ」


 可愛げのない、無難な言葉を絞りだすだけで、精一杯だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ