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満月の礼拝堂

 私は感謝の笑みを唇に乗せて、手の内のハンカチを優しく撫でる。


「聖女祭、かならずこのハンカチを持って見に行くわね」


「お待ちしています。今年もルキウス様とお二人分の席を、ご用意しておきますね」


「あ……と」


 言い淀んだ私に気づき、ロザリーが「どうかしましたか?」と眉尻を下げる。

 私は周囲を確認してから上半身をぐっと彼女に近づけ、声を潜めて囁いた。


「その、実を言うと、ルキウス様との婚約を破棄しようと考えていますの」


「……えっ」


 即座にロザリーが自身の口を両手で覆う。

 必死に思考を巡らせているのか、数秒瞬いてから、私と同じように囁き声で、


「ルキウス様と喧嘩でもなされたんですか?」


「いえ、違うの……その、好きな人が出来てしまって」


「……え」


「そうよね、言葉を失って当然ですわ。だって私はルキウス様の婚約者なのに、他に想う相手が出来てしまっただなんて……貴族の娘としてあるまじき愚行ですもの」


「そんな、マリエッタ様は誰よりも優しく素晴らしい方です……っ! ただ、私はてっきり、マリエッタ様もルキウス様を慕っているものだとばかり」


「違うの、ルキウス様のことを嫌っているわけではないのよ? けれどね、初めて"恋心"というものを知ってしまったの。あの方こそ、私の"運命の人"」


「……その、お相手の方を、お尋ねしてもよろしいですか?」


 しどろもどろに訪ねてくるロザリーに、私は深呼吸をひとつ。

 それから周囲に聞こえないよう慎重に声を潜め、アベル様との出会いからルキウスと交わした約束までを簡単に話した。


 ロザリーは、クリームの柔らかくなってきたシフォンケーキを一度も口に運ばずに、真剣な眼差しで耳を傾けてくれていた。

 あらかた話し終えた私は、紅茶で喉を潤しながら、


「そういう事情で、もしかしたら聖女祭には私ひとりで伺うかもしれないわ。ルキウス様がそれまでに婚約を破棄してくださらなければ、今年も二人でお邪魔するでしょうけども」


「……わかりました。どちらでも平気なよう、お席は二つで考えておきますね」


「迷惑をかけてしまってごめんなさい、ロザリー」


 ロザリーは「迷惑だなんて」と首を振ってくれたけれど、私の我儘で振り回してしまっていることに違いはない。


(優しいロザリー)


「ロザリーにはね、どうしても伝えておきたかったの。大切なお友達だから。話せてよかったわ」


 私はロザリーにケーキと紅茶を口にするよう勧めて、自身もケーキをひとくち。

 と、彼女は真剣な面持ちでケーキを見つめたかと思うと、


「……明日は、満月」


「ん? ロザリー、なにか言いました?」


「マリエッタ様。明日の晩、ご予定ありますか?」


「い、いいえ。ルキウス様のお戻りは明後日のはずだから、用事はないと思うけれど……」


「でしたら、礼拝堂の閉まる少し前に、お祈りに来てはもらえませんか? 誰の目にもつかないよう、お忍びで」


「……へ?」





(まあ、来てしまったわけだけれど)


 ロザリーに指定された、次の日の晩。私はひとり、ルザミナ教会の礼拝堂にいた。

 誰もいない、静かな空間。薄暗い中で、蝋燭の火がゆらゆらと揺らめいている。

 私は一番前の長椅子に腰かけ、聖壇上部に祀られたルザミナ様の像を見上げた。

 昼間の慈愛に滲む微笑みとはまた違う、まるで眠っているかのようなお顔。


(ロザリーったら、こんな時間にどうしたのかしら)


 ロザリーの指示で、馬車は教会からひとつ離れた路地に止めてある。

 ここまで一緒に来てくれたミラーナには馬車に戻っていいと伝えたけれども、きっと、裏門辺りで待機してくれているのだろう。


 ロザリーから私を誘ってくれたのは初めて。

 それも、わざわざ日と時間を指定してきたのだから、きっと余程な理由があるに違いない。

 なのだけれど、なかなか人の現れる気配もしない。


(練習が長引いているのかしら)


 聖歌隊の訓練は、しばしば夕食後も続くらしいという噂を聞いたことがある。

 ロザリーもまだ、頑張っているに違いない。


(閉まる前に間に合うといいのだけれど)


 もし、間に合わなかったなら、明日また来てみよう。

 ロザリーは私との約束を破ってしまったと落ち込んでいるだろうから、気にしてはいないと、クッキーをプレゼントに持ってきてもいいかもしれない。


(それにしても、夜の教会って、こんなにも美しいのね)


 清浄な空気と、魂を撫でられているかのような明かり。

 上部のステンドグラスの奥には白い光がうっすらと輝いていて、そういえば、ロザリーが満月だとか呟いていたわね、なんて。


(なんだか、凄く歌いたい気分)


 礼拝堂はじきに閉まる。今ならきっと、誰も来ない。

 私は静かに立ち上がり、どきどきと鳴る心臓の前で手を組んで、すうと息を吸い込んだ。

 小さく音を吐き出す。


「……"くらきを照らし かなしきを癒す光は――"」


 私が歌うのは、この国で一番歌われている聖歌のひとつ。聖女様の誕生を感謝する歌。

 緩やかなメロディラインが特徴的で、子守歌としても親しまれている。

 私がロザリーの歌声に耳を奪われた時に歌われていたのも、この曲だった。


 小さい頃からお母様がよく歌ってくれていて、私はどうしてもこの歌を完璧に歌えるようになりたかったのだけれども。

 何度練習しても思っているように音程が紡げなくて、とても悔しい思いをしていたのだ。


 結局、ロザリーと一緒に練習しても、"完璧"にはなれなかったけれど。

 それでも今は、私の喉から溢れるこの音が、好きになれた。


(天井が高いからかしら。声がいつもより、よく伸びる)


 礼拝堂に響く自分の歌声に耳を傾けながら、空間に溶け込むようにして歌い続けて。

 もう間もなく最後の一節というその時、ガタリと椅子にぶつかったような、鈍い音がした。

 はっと歌を切って、視線を遣る。と、


「すまない、邪魔をするつもりはなかった」


「――アベル様!?」

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