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悪女になった婚約者

「ダメだ、マリエッタ!!」


 叫んだのは僕。けれどもやはり、声は誰にも届かない。

 マリエッタは再び紫焔獣を生み出しながら、驚愕の瞳で見遣るアベル様に語りかける。


「さあ、アベル様。このままでは、私の魔力が尽きるまで彼らが増えていくだけですわ」


「……っ! 聖女の浄化を受け魔力を封じれば、侯爵令嬢には戻れなくとも平民よりは良い暮らしがおくれる。俺が手を貸す。生きてさえいれば、別の者を愛することだって――」


「ありえませんわ」


「意地を張っている場合ではない! このまま俺に斬られては、"悪女"としてその名を遺すことになるのだぞ!」


「悪女。けっこうではありませんか」


「マリエッタ!」


 ガチリと鈍い音を響かせて、紫焔獣の牙とアベル様の剣が交差する。

 方々の戦闘でこだまする怒号と悲鳴。そして紫焔獣の亡骸である黒い液体と騎士たちの血が飛び交う中を、マリエッタはただひとりだけを見つめて歩を進めていく。


「聖女の……アベル様を奪った女の魔力を注がれるなど、御免ですもの。アベル様。私が愛するのは、貴方様ただひとり。それ以外を愛する心臓など、私には不要です」


 マリエッタはアベル様の頬に、そっと自身の掌を重ね、


「アベル様もわかっておいででしょう? 私の魔力が尽きるのを待っていては、この場の騎士様たちはきっと助かりませんわ。私、魔力量は多いですもの。……さあ、勇気をお出しになって。悪を滅するのは、正義でなくては」


 いけない、いけない、いけない……!


(このままではマリエッタが……!)


 守りたい存在が目の前にいるのに。

 どうして僕の身体は、動かないのだろう。


「……許せ、マリエッタ」


 出来事は、一瞬。

 紫焔獣を斬り捨てた切っ先が、マリエッタの胸を貫いた。


 ごふりと花のような鮮血を吐き出し弛緩した身体を、アベル様が抱き留める。

 怒りと悲しみが交じり合った険しい表情でみつめるアベル様を、血濡れのマリエッタはうっとりとした眼で見上げた。


「ふふ、これで貴方様は、悪女に堕ちた婚約者を斬り捨てた悲劇の英雄。人々が嬉々としてこの武勇伝を語るたびに、アベル様は私を思い出すのだわ」


「なぜ、なぜこんな愚かな選択を……っ! お前なら、他の選択も容易だったはずだ……!」


 唸るようにして叫ぶアベル様の胸元を、マリエッタの震える手が握りしめる。


「憎んでくださいませ、愛しいアベル様。……アベル様が死ぬまで。私はその、お心の、なかに」


 赤に染まった指先が、ぱたりと地に落ちた。


「――マリエッタ!!!!」


 叫び声と共に、視界には見慣れた景色が飛び込んできた。

 僕の部屋だ。間違いない。僕がいるのは良く知る柔らかなベッドで、どうやら上半身を起こしているらしい。

 粗い呼吸を繰り返しながら額に手をやると、ぐっしょりと冷たい汗が掌にうつる。


(――夢)


 夢。そう、夢なのだ。

 異様に生々しい、まるで未来を見せつけられているかのような、夢。


(なんてひどい、悪夢)


 とはいえ所詮、夢は夢でしかない。いわば空想。

 現実のマリエッタは近頃お茶会デビューを果たしたばっかりの、五歳の少女だ。


 友人が作れなかったと、落ち込んでいて。

 けれども侍女の運んできた好物のチーズケーキに目を輝かせ、「まあ、せっかくですからご機嫌取りにのってさしあげてもよくってよ」なんて照れ隠しを言いながら、幸せそうに頬を緩めている、純真な少女。


 あんな"悪女"になるなんて、ありえない。


(さっさと忘れてしまおう)


 そう自身に言い聞かせ、僕は日常に戻ろうとした。幸い、笑顔で取り繕うのは得意だった。

 けれどもそんな僕を戒めるかのように、数日おきに、あの悪夢が何度も繰り返されるようになった。


(もしかしたら本当に、あれはマリエッタの未来……?)


 馬鹿らしい、という理性を、じわりと恐怖が蝕んでいく。

 とはいえアレが夢なのか否かなんて、確かめる術もない。


(マリエッタの父上に、アベル様との婚約の話が来ているか確認だけも……。いや、僕の質問がきっかけで婚約の話が出ても嫌だしな)


 誰にも言えない。言ってはいけない。

 告げたが最後、医者を呼ばれるに違いない。それに、マリエッタをあの夢の通りの運命に導いてしまうような気がして、僕はひとりで悩み続けていた。


 そんな、ある日のことだった。

 招かれたお茶会で、噂好きのご令嬢が"路地裏の占い師"の話をしてきたのだ。


「王都のとある路地裏に、よく当たると評判の占い師がいらっしゃるそうですの。ルキウス様、ご存じありません? わたくし、是非ともルキウス様との未来を占っていただきたく、必死に探しておりますのよ」


「占い師……」


 普段なら、その場限りの話題として受け流してしまえるのに。

 途端に目の前が開けたような気がして、僕はこっそりと王都に通っては噂の占い師を探した。


 僕がまだ十にもならない少年だったからか、変装していたとはいえ、身なりが整っていたからか。

 話しかけた街の人々は、皆、優しかった。

 ある人に訊ね、またある人に訊ね。そうして辿り着いたのが、ミズキの店だった。

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