聖女に婚約者を奪われて処刑された公爵令嬢など、いなかったのです
「公爵令嬢ノヴァリア様、シオル王子殿下からあなたに婚約破棄を言い渡すためのお話があるそうですわよ!」
ざわめく卒業パーティーを壇上から一喝したのは、聖地からの留学生である聖女マウラ様だった。
可愛らしいお方ではあるのだが……、だが性格が変わりすぎていて、生徒達は彼女のことは遠巻きに見ているだけだった。もっとはっきりいえば、彼女は嫌われていた。
それで、私がそのノヴァリアで、シオル殿下は確かに私の婚約者だけど……。
「シオル殿下、私に婚約破棄のお話があるのですか?」
私は、私の目の前でタラコスパゲッティを小皿に取り分けている金髪碧眼の青年――シオル殿下の顔を見上げた。
殿下は学園の制服を着て、腰には剣を差していた。この剣は王家に伝わる聖剣で、そんな大事な剣を差していること自体が、このパーティーが格式あるものだということを示している。
「ノヴァ、僕のことはシオるんと呼んで欲しいと、そう何度もお願いしたはずだ」
「でっ、殿下っ!」
私は真っ赤になって、周囲に視線を配って様子を探った。
今、卒業パーティー会場は、聖女様の突然の言葉に水を打ったように静まり返ってしまっている。
こんなところでそんなこと言ったら、みんなに聞こえてしまう。
もう……恥ずかしいったらない。
「そういうのは二人だけのときにしてくださいっ」
「ああ、可愛いなぁ。恥ずかしがるノヴァはほんとに可愛い。なんかもうこれだけでパスタが何皿でもお代わりできるよ」
「そっ、そんなの意味が分かりませんっ」
「今日のドレスに気合いが入ってるのも可愛いな。その紫のドレス、エメラルドの瞳と合わせて君の故郷の特産品であるブドウをイメージしてるんだよね? 君の銀髪によく似合ってるし、いいセンスだよ」
センスがいいかどうかは分からないけど、確かにその通りではあった。その、特産品のブドウをイメージしている、というのは。
ドレスは確かに綺麗だけど十八歳という年齢、しかも卒業パーティーという格式あるパーティーにしてはちょっと……、色が地味じゃない? なんて、級友たちには言われてしまったけど。
なのにドレスに込めた私の意図をすんなり悟ってしまうなんて、流石に第一王子様だと思う。
「お褒めいただきありがとうございます、殿下。でも、うう……なんだかそうハッキリいわれると気恥ずかしいものがありますぅ……」
恥ずかしさのあまり、語尾が小さくなってしまった。
「ああ、もう……僕を悶え死させる気かい、君は。もう一刻も速く結婚したい。もうさ、この場を借りて結婚式挙げちゃおうか。ちょうどみんな集まってくれてるし」
整った顔をにやけさせ、殿下は小皿に取り分けたタラコスパゲッティをフォークで巻いている。
殿下ったら。ほんとに、ほんとに、ほんとに、もう……!
「殿下! はやくこの地味ドレス女に婚約破棄を突きつけちゃってくださいな!」
「きゃっ」
すぐ近くから聖女様の甲高い声が聞こえて、私は軽く悲鳴を上げてしまった。
いつの間にか、私たちとシオル殿下の間に聖女マウラ様が立っていたのだ。
波打つ緑の髪。そして金の目をらんらんと輝かせて、殿下にしなだれかかってさえいる。
彼女の目の輝きに、私は思わずドキッとした。背筋が凍る、というか。
どこか……光だけがぐるぐると聖女様の目の中で回っているような、ぐるぐる回るたびに光を増していくような、そんな輝きがあったからだ。
たいそうお可愛らしいお顔をしていらっしゃるのが、余計に……。
辺りを見回してみると、静まり返って私たちを見守る卒業生の人混みには、壇上からここまでの道ができていた。ちなみに女子は全員がドレスを着ていて、聖女様だけが学園の制服を着ている。別にそれが不作法というわけではなく、女子はどちらを着てもいいとされていた。
ただ、全ての女子がドレスなのにお一人だけ制服姿の聖女様は、それだけでも何か異様な感じはした。
「さぁ殿下、このわたくしにそっと耳打ちしてくれてもよくてよ。卒業パーティーに綺麗だけど紫なんて地味な色のドレス、なんてセンスがない女なんだ、と。こんな女、婚約破棄だけでは気が済まないから国外追放……、ふむふむ、いっそのこと処刑する、ですって? 賛成ですわ。何せ聖女であるわたくしから王子様を奪おうとした悪い女ですものね!」
「あー、申し訳ない、マウラ殿。貴殿は何をおっしゃっておられるのかな?」
タラコスパゲッティを持ったまま、シオル殿下は聖女マウラから一歩離れた。自分に体重を預けている彼女がよろけないように、ゆったりと。
「僕の婚約者はこちらのノヴァリア嬢ですよ。愛らしいこの姫君に僕は首ったけなんです。見て分からないですか?」
「いいえ、あなたはわたくしにこそ首ったけなのです。だってあなたは入学直後、初めての俗世間に戸惑うわたくしを教室までエスコートしてくださいましたわ」
……うん?
「いやそれは。誰かが困っていたら、誰だって僕は普通に助けますよ」
「それだけではありませんわよ? 教科書を忘れたら見せてくれましたわ」
「お困りのようでしたので。マウラ殿と僕は席が隣でしたしね」
なんだかエピソードが、普通じゃない……?
「あとあと、休み時間によくお話しましてよ!」
「お一人で暇そうでしたので、僕でよければ話し相手になろうかと」
ああ……。
私は思わずため息をついた。
マウラ様は持てるオーラが強烈すぎて、入学早々、生徒たちには遠巻きにされていた。
とはいえこの学園に在籍しているのは王侯貴族や豪商の子息だから、聖域からの留学生である聖女様を表立って避けたりする無作法者なんていない。
あくまでも皆、気配りの範囲内で、エレガントに、やんわりと、避けていた。
そんななかでシオル殿下だけは彼女に対しての礼儀を欠かさなかった。
やはりそこは一国の王子だ。
国の中枢にいるものとして、聖なるものへの謙虚さは欠かさない。
それがたとえ聖女マウラ様であったとしても。神と世界と国の関係を考えて、殿下は礼儀をもって扱うのだ。
「ダンスパーティーのこともありましてよ! その女ではなく! あなたはわたくしを選び! ずっと二人で踊りましたわ! この世の終わりまでをも!」
ダン! ダン! ダン! ダン! と足を踏みならしながら怒る聖女様。
「あなたは! わたくしを! 選んだのです! この世の終わりまでをも!」
「マっ、マウラ殿。どうか落ち着かれますように。すみません、誤解させてしまっていたようです。それは謝ります。あのとき、僕は本当はノヴァリアと踊りたかったのです。ですが、あなたが離してくれず……。あの時はあとでノヴァに随分謝りました」
私はその時のことを思い出して、ぎこちないながらも笑顔を作った。
「あの時の殿下は可愛らしかったですわ、そんなの気にしてないって私が言いましたら、それはそれで悲しいって拗ねてしまわれて。仕方がないからパーティーが終わった誰もいない会場で、二人だけで踊りましたわね」
「そうそう。静かで、音楽もなくて、明かりも月明かりだけっていうね。あれはなかなか良かったなぁ……そういう意味ではマウラ殿に感謝しています。さすが、神に通ずるめでたき聖女様。あなたこそ神の依り代となりて人の世に奇跡を起こされるお方です」
「あなたは! わたくしを! 好きなのです! その女ではなく、ただの公爵令嬢ではなく! 聖女であるこのわたくしを!」
聖女の瞳の金の輝きが、強くなる。
「その女を今すぐ殺しなさい! 我が血をあなたの王家に入れなさい! それがこの国のためです! 邪魔者は殺しなさい!」
聖女の瞳の輝きが、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる回り、金の輝きがいや増す。
まるで出口を探すように渦巻き、そのたびにまばゆく光を強くしていく。
「あなたにはわたくしたちが与えた権能がありますわね、シオル殿下。それを行使し、ノヴァリアを処刑なさい。わたくしの意に従いなさい!」
ああ……。
彼女にむき出しの殺意を向けられた私は、怖さよりも畏れを感じた。
とにかく彼女のエネルギーがすごい。ただの我儘や癇癪ともまた違う。ただの我儘はあんな光を秘めていない。
考えてみれば神の力――神の精気を行使する聖女様が、普通の人間と同じ精気を持っておられるはずがないのだ。
聖女様が行使する神の力、すなわち神性とは……人間が理性でコントロールできるようなものではないのだから……。
「……あんまりノヴァのことを愚弄すると、僕も怒りますよ?」
さすがに危機感を覚えたのだろう。
シオル殿下はさりげなく私の前に立ち、庇いながらそんなことを言った。
「王子よ、あなたが相対すべきはその女。わたくしではありませんよ」
「マウラ殿、僕のご先祖様の話を知っていますか?」
殿下はタラコスパゲッティをテーブルに置くと、腰の聖剣に手をかけた。
「僕のご先祖様は勇者なんです。かつて、悪い神様や異界の王達からこの世界を守った、人間の切り札です。僕はその血を引いています。あなたは……そっち側ですよね?」
「わたくしと戦うというのですか? 愚かですね」
「人間ごときでは自分を傷つけられないと思っておられるのでしょうが、僕なら……あなたを殺せるんですよ。かつての『神殺しの勇者』みたいにね」
すでに、シオル殿下は人間としての聖女マウラは見ていないようだった。
シオル殿下も気づいているんだ。マウラ様の瞳の、あのぐるぐる発光し続ける金の光に。
あれはおそらく、マウラ様の神性。マウラ様の聖女としての力。――人間が神と通じることのできる、狂気。
今、彼女の激昂によってそれが外に溢れ出さんとしている。
「王子よ、よくお聞きなさい。わたくしはいつでも正しいのです。わたくしの邪魔をするというのなら、あなたがたは等しく死になさい」
一歩足を踏み出す聖女様。
一歩だけなのに、間に殿下が立ってくれているのに……。
なんでこんなに、私は震えているの……?
そしてついにシオル殿下は聖剣の柄を強く握り――。
「まっ、待って!」
私は震えた声を上げた。
殿下が剣を抜こうとしているその手の上に、私は手を重ねる。
「ノヴァ……?」
「あのあのっ、剣を抜いてはいけません、殿下」
ここで殿下に聖剣を抜かせてはいけない。
だって、殿下もいうように、『勇者は人間の切り札』なんだから。
切り札というのはとても大切なもの。簡単にさらしてはいけない。
でも、どうしたら。
どうしたら、どうしたら……。
焦る私の目に、テーブルの上のタラコスパゲッティが目に入った。
さきほど殿下が置いたものだ。
「おッ……、お腹が減るとイライラしますものね。ここはいい匂いが充満していますし、食への誘惑が多いところですから」
マウラ様の気を削ぐことができれば。
それだけで、何かが変わるかも知れない……。
「ノヴァ、下がって」
「ま、マウラ様、こちらをお召し上がりになりませんか? タラコスパゲッティってシオル殿下の大好物なんですよ。すごく美味しいですよ」
「……あら」
優しく私を制するシオル殿下と、その向こうで私が差し出したタラコスパゲッティに目を留めるマウラ様。
途端に――。
聖女マウラ様のまとう空気がころっと変わった。
「まぁ殿下ったら! わたくしにあーんして食べさせたいなんて……。しかも間接キッスではありませんか。見せつけちゃうのね? この女だけでなく、お集まりいただいた卒業生の皆様にも? こんなの、マウラ恥ずかしいですわ!」
ほっぺに手を当て身体をくねくねさせる聖女様。
「でも殿下の気持ちも分かりますのよ。その女に真実の愛を見せつけたいって気持ち。ああ、さぞかしスッキリするでしょうね! 殿下のためですわ、さぁ存分にタラコスパゲッティを巻き巻きしてわたくしのお口にインさせてくださいな。けどわたくしお口が小さいからちょっとずつしか食べられませんわよ? はい、あーん」
目をつむって口を開けるマウラ様。
気を削ぐことはできたけど、これは……どうしたらいいの?
目を見合わせる私とシオル殿下。
あーん、したらいいの? それでシオル殿下は戦わなくてすむの?
そこに、私でもシオル殿下でもない第三者がすっと近づいてきた。
大きく開けた聖女の口に、その第三者は半切りレモンを突っ込んで、そのまま片手で握りつぶした。
「! !?!?!? ブッ!!! ぎゃああああああっ!!!! 酸っぱ、す、酸っぱ!!!!」
半切りレモンを勢いよく吹き出した聖女は、むせながら目を白黒させて暴れ、テーブルの上の皿やご馳走を手当たり次第に叩き落としている。
ちょっとこれは近づけない。
しかし第三者は、なんの躊躇もなく、暴れる聖女の延髄に手刀をストっと決めた。
聖女様は水を飲む格好のまま気絶し、倒れた。
「お騒がせしたわ。マウラは回収するわね」
第三者――白銀の髪の少女が冷静に私たちを振り返った。見た感じ、私たちより少し歳下のようだ。
レモン汁に濡れた手を、少女はテーブルの上からとった布巾で拭いている。
ああ、なんて爽やかな香り……。
レモンの香気が辺りを清めていくようだ。
「まったくもう、騒動起こしてくれちゃってさ。だからアタシは反対したのよ。神降ろしするような子を人に交わらせたらダメだって。でも、本格的な修行が始まる前に女の子らしい青春を楽しませてあげようってうちのボスが情け掛けちゃってね……。帰ったらボスのこときっちりシめとくから、そこは安心して。もうこんなことにはならないからね」
「あ、あの。ええと、マウラ様は大丈夫なのですか? その、かなり酸っぱい思いをされたようですが」
「こんな子の心配をするなんて、君は優しいのね」
少女は微笑むと、唖然とする私たち――私やシオル殿下、そして卒業パーティーに集った卒業生達など気にもとめず、両手を前に突き出した。
手のひらに光が生まれ、それがマウラ様の身体を包み込む。
マウラ様は白い光に包まれ、仰向けに宙に浮いた。苦悶の表情が穏やかなものになっていく。あの光には癒しの効果があるのだろう。
「さぁてと、聖域に戻ったらみっちり修行のやり直ししなきゃ。聖女の精魂を叩き治さないと。こんなんじゃこの子は神に負ける。くくくっ、腕がなるわ」
少女の金色の目が、笑っていない……。
「あっ、そうそう。あとでうちのボスに文句言うの忘れないようにね。相応の補填をする用意があるって言ってたわよ」
呆然としている私たちを前に、彼女は腕を振り上げた。中空に円を描くと、それは光の線となり、魔法陣を形作る。
転移陣だ。転移陣なんて複雑なもの、あんな簡単に作れるものじゃないのに。あの少女は誰なの?
「待て! 逃げる気か?」
「びっくり。口の悪い王子様なんてほんとにいるのね。聖域に帰って修行をつけ直す。キツーいやつをぶち込む。そう言ったよねアタシ」
「マウラは僕の婚約者を愚弄した、殺そうとさえした。僕にはその聖女に制裁を下す権利がある。勝手に連れて行かれては困る。身柄を渡してもらおうか」
「マウラのことはアタシがきっちり締め上げとくから、それで納得してよ。それとも……力尽くでくるかい? その場合、君の大事なその婚約者ちゃんが傷つくことになるかもしれないけどさ」
と、ちらりとその黄金の瞳を私にくれる白銀の少女。
「……卑怯なことをいうものだな。あなたは、聖域の方……でいいのかな? ここは聖域ではないのだから、あなたにはこの国の法に従ってもらいたいな」
「アタシがどこの誰かなんて君が知るべきことじゃないね。君は大人しく人の世を統治してればいいのよ、アタシたちが与えた権能をもってね。聖域のことに首を突っ込むのは君の権限を越えているってことよ」
「あなたがたの共通した悪癖だな、その、人間を見くびる癖は。じゃあここでサプライズだ、実は僕は勇者の子孫であなたがたに対抗できるタイプの人間なんだよ。そしてこの剣はかつて勇者が神を殺したときに使った聖なる剣だ。つまりあなたがたを殺せる剣ってことだ」
「愚かで短気な王子様。人間が君をいつまでも見放しませんように」
「僕は、ノヴァリアがそばにいればそれでいい」
ああ、殿下が本気で怒ってる。口調は軽いものだし、表情も無表情だし、さらっとした言い回しで怒りを隠しているつもりなのだろうけど……。
でも無表情でこれだけ言っちゃうのは本気で怒ってる証拠だ。
「正直、あなたがたのくれた揺り籠はもう窮屈だったんだよな。良い機会だし、僕が歴史を変える大役をになおう」
殿下は剣に手をかけ……。
「今までありがとう、聖域さん。さようなら」
「待って! 殿下! もういいです。私は怒ってません。ですからもう、おやめください!」
「ノヴァ……」
「おや、婚約者ちゃんのほうが状況が見えているじゃないか。君は好ましいね。ほんとにこの血の気が頭から大噴火してる若輩王子の婚約者なのかい?」
「え、ええ、そうです」
「名は?」
「ノっ、ノヴァリアです」
答えてしまってからハッとする。ドレスのスカートの端を摘み、カーテシーをして言い直した。
「私はノヴァリア・エ・ブルメイアでございます、聖域のお方」
「おお、正式な名乗りをありがとう。アタシも君には名乗っとこう。アタシはジルヴィスティル。列坐三十一、終わりの白竜といったほうが君たちへの通りはいいんだったっけかな。何かあったら助けてあげるからアタシの名を遠慮なく呼ぶといいよ」
この少女、すごい人だったみたい。
聖域には三十一匹の竜がいると聞いたことがある。
それぞれに神にも匹敵するほどの力を持つ竜たちだけど、なかでも殿である三十一番目の竜はすべてを終わらせるほどの力を持つとか。
それが、この少女。
こんな人とここで戦ったら……、私は、別に傷ついてもいいけど……、シオル殿下は負けないかもしれないけど、それでもタダで勝てるような相手じゃないことは確かだ。
それに、私は気づいていた。
少女は、聖女マウラが大丈夫かという私の質問に答えていない。
「さぁて退散退散っと。勇者の子孫からはやく逃げなきゃー。おお、こわいこわい」
煽るような軽口を叩きつつ、少女は腕を回して魔方陣を完成させた。
「まっ、お待ちください! あの、マウラ様は!?」
少女はにっこり笑った。
「バイバイ、ノヴァリア。君には祝福を」
今回もまた少女は質問には答えず。
少女は――終わりの白竜ジルヴィスティルは呆然とする私たちを残し、魔法陣の光に包まれ、消えた。
もちろん聖女マウラ様も……。
「ずいぶんな大物に気に入られたな、ノヴァ。妬けるなぁ」
早くもタラコスパゲッティを食べるのを再開したシオル殿下が呑気にそんなことを言う。
「もうっ殿下! 誰のせいでこんなことになったと……。けんかっ早いのはやめてくださいませ! あと食べ始めるの早すぎです!」
「すまない。これ食べてさすがに落ち着きたい。君のこと持ち出されて頭に血が上ってしまった」
「もうっ……」
「ノヴァが止めなかったら僕はあいつと戦ってたのか。確かに倒すのに骨が折れそうな相手だな……文字通りにね。でもさ、勇者の子孫対終わりの白竜だなんて、こんなにも人が呼べるカードはなかなかないよな。一度は全力で戦ってみたいものだ」
「馬鹿言わないでください! 殿下がどうにかなってしまったら、私、私……」
「ノヴァリア、泣かないで」
「泣いてなんか……」
いうそばから、私の目から涙がこぼれ落ちた。
悲しい涙でも、悔しい涙でもない。
これは……、ほっとした涙、というのが一番言葉として適切だろう。
人間ではない人たちの嵐のようなエネルギーがようやく去ったのだ。
怖くなかった、といえば、嘘になる。
殿下はタラコスパゲッティを手にしたまま、私を抱き締めた。
「ごめん。怖い思いをさせた」
「殿下……」
「大丈夫だよ。ノヴァのことは、僕が必ず守るからね」
私は……そのまま、しばらく殿下の胸で泣いていた。
そんな私を抱き締めたまま、器用にもぐもぐとタラコスパゲッティを食べているシオル殿下。
この方は、マウラ様やあの竜たちに対抗できる、人間側の切り札。
私を守るために聖剣を抜こうとした、私の婚約者。
愛する未来の旦那様。
殿下が本当に剣を抜き、本気であの人達と戦う時は来るのだろうか。
そんな日が来ることが未来永劫、どうかありませんように……。
* * * * *
唐突に聖女マウラが連れ去られるというハプニングがあったものの、とにかく私は学園を無事に卒業した。
それで、私はしばらく実家の治める領に帰っていた。
故郷でゆっくりと休んでから、一週間ほど前、こうしてまた王都に戻ってきたのだった。
私が王都に戻ってから毎日欠かさず、シオル殿下は私の屋敷に遊びにきてくれていた。
もちろん、今日もやはり遊びに来てくれた。
「すみません殿下、ちょうどタラコを切らしておりまして、タラコスパゲッティをすぐには作れないとシェフが申しております。急いでタラコを買いに行っているそうですので、どうかしばしお待ちを……」
「そんないうほど僕はタラコスパゲッティばかり食べないよ? でもノヴァのとこのシェフの作るタラコスパゲッティは絶品だからね。作ってくれるんなら待とうかな」
というわけで私たちはサロンでクッキーをつまみながらお茶をすることになった。
「ノヴァ、ご実家はどうだった? お父様やお母様はどんな感じだった? 僕は毎日君に会いたくて会いたくてたまらなくて毎夜君に夢にご出演してもらって寂しい思いを満たそうとした日々だったよ。君の肖像画は年齢別に何十も部屋に飾ってあるから僕くらいになるとどの絵の君にご出演してもらうか選べるんだけど、やっぱり本物のノヴァが一番だなってここ毎日思うんだ。ノヴァ、好き。毎日手紙書いてたんだけど、ご実家には届いたかい?」
「え、ええ」
それはもうどっさりと……。
「そうか、実はあれから君に手紙を書くのが毎日の習慣になってね。たださすがに量が増えてしまって、君も読むのが大変かな、と思い始めたんだ。君の負担になることなど僕の本意ではないからね。だからあとでまとめて本にして、詩集として君に渡そうと思っている。それまで内容は秘密にしておくという方針にした。楽しみにしていてくれ」
「ええ、まぁ……お心遣い感謝いたします、殿下。でも、あの、昨日もこちらにいらっしゃいましたよね? 昨日も、その昨日も、そのまた昨日も。私がこちらに戻ってから毎日。ですのに殿下ったら毎日が再会初日といいますか、なんていいますか。夢に出たとか詩集のお話だとかは今日はじめてうかがいましたわ」
「そうだったかな。でもまだまだたくさんノヴァには話したいことが山のようにあるよ」
「あの、随分……失礼かとは存じますが、喋ることって尽きないもの、ですのね。私なんて口下手で――」
「大好きなノヴァがいない日々が辛くて辛くて夜も眠れなかったってことをどれだけ言葉を尽くしてでも君に伝えたくてたまらないんだ」
「は、はあ……」
「で、ノヴァは最近どう?」
「ええ……、まぁ……」
王都での最近の日々……それは殿下との結婚を控え、毎日の王妃教育にいよいよ熱が入っていく日々だった。
シオル殿下はまだ立太子してはいないが将来的にすることが決まっている。
未来の国王になるお方なのだ。
そうなれば、私も王妃になる、というわけで……。
もちろん今までだって王妃教育は受けていたが、あくまでも優先は学業だった。それが、そのすべての時間を王妃教育にまわしているので、とても疲れる毎日だ。
「正直、大変なときもあります。でも殿下の妻となるためだと思えば、これもいい思い出になるのだと思いますわ」
「ノヴァは真面目だなぁ。優しいし。君が僕の奥さんでよかった。僕、本当に幸せ者だなぁ」
「もっ、もうっ、殿下ったら」
「ってまだ結婚してないか。あはは。気が早いな、僕……」
殿下は微笑み、紅茶を一口飲む。
「……ああ、幸せ。ほんとに。この時間が永遠に続くといいのにな。……ね、ノヴァもそう思うだろ?」
「え?」
「こういう日々、よくない? 君がいて、結婚を控えて、紅茶を飲んで楽しく話して、君が笑って、そうやって僕たちは絶品タラコスパゲッティを待ちわびてるんだ。なんかもう、これ以上の幸せなんて僕は望んでないよ。だから今が永遠に続けば……永遠に今が繰り返されればいいのに……って。そう思わないかい?」
「え、ええ……」
やっぱり、殿下の様子は変な気がする。いや学園にいた頃も変は変だったけど、なんとなく、あの頃とは質が違う気がした。
「あの、殿下。何かあったのですか?」
「え? 僕、変かな。きっと、やっとノヴァと会えて嬉しくてはしゃいでるだけさ」
はしゃいでいるようには確かに見えるけど。
変かと問われれば、変だとしか答えようがない。
なんだか、生き急いでいるような、それでいてしがみついているような、熱意が空回りしているような。そんな熱がここ一週間のシオル殿下だった。
――この幸せは今だけだ、と泣きながら叫んでいるように見える、ような、気が、します。
その言葉を、私は飲み込んだ。
「………………」
なにか気の利いたことを言って殿下を笑わせてあげたかった、安心させてあげたかった。
大丈夫だって。
怖がらなくても、未来は幸せだって。
だけど、どんなに考えても、機転の利いた素敵な言葉は浮かんでこない……。
殿下が小さく呟く。
「あとはまあ……あれかな。僕は……愚か、なのかなって……。最近よく考えるんだ。それかな……」
「っ……」
私はハッとする。
終わりの白竜ジルヴィスティルの、言葉――。
『愚かで短気な王子様。人間が君をいつまでも見放しませんように』
あの言葉が、シオル殿下の心に影を落としているんだ。
「でっ、殿下!」
私は、思わず椅子を蹴立てて立ち上がっていた。
「どうしたのノヴァ?」
「私! 私、シオル殿下は愚かじゃないと思います! 変ではあるかもしれないけど!」
「あ、ありがとう、ノヴァ。そうだね。君がそこまでいうのなら、僕はちょっと変なんだろうね」
ああ、もう。違うのに。
どうしたら私の気持ちが伝わるの?
考えた結果、私は……。
「私、シオル殿下のこと、好きですっ!」
突然の私の告白に、シオル殿下は水色の瞳をきょとんとさせた。
「ご、ごめんなさい。ちゃんと言ったことなかったって、思って。でもあのっ、好きです。殿下と結婚できて、私も本当に幸せです。私はいつまでも殿下と一緒です!」
うまいことなんか言えない私だけど。
でも、シオル殿下が好きなこと、それは私にとって確かなことだから。それならシオル殿下にも伝わるかな、って……。
ああっ、でも、なんかもう……顔が熱いっ。
シオル殿下は――。
次の瞬間、本当に、輝くような笑顔になった。
「ありがとう。僕も君のことが大好きだよ」
嬉しそうに細めた水色の瞳で私に笑いかける。
「ああ、はやく結婚したいな。準備がやたらとかかる結婚式なんてくそっ食らえだ」
「まあ殿下ったら、王子様がそんな言葉遣いなさるなんて。それに未来の王様との結婚式ともなれば、いろいろと準備に時間が掛かるのは仕方ありませんわ」
「そうだね……。ねえ、ノヴァ。これからもこうしてちょくちょく会おうね。それで、タラコスパゲッティを待ちながら楽しく話をしよう。結婚式までの間にお互いがそれぞれの重責に潰れたりしないように、ここでこうしてエネルギーを補填しよう。ね、ノヴァ」
「はい、シオル殿下」
私は座って、心を落ち着けるために紅茶を口に含んだ。
……はっ、恥ずかしい……。令嬢があんな、熱烈な告白を殿方にするなんて。でも、婚約者なのだし。いいわよね。
きっと愛のある結婚のほうがいいし。いえ、それは絶対にそうよ。
それに殿下はいつも私のこと好きって言ってくださっているのだし……。私だってお返ししないと、バランスってものがあるし……。
それに。
シオル殿下が笑顔になってくれたのって、私の告白のおかげ、って、自負しちゃっていいと思う。それが、とても、嬉しい。
「ノヴァ、シオるんね」
「えっ?」
「シオるん」
「え……」
「二人っきりだよ? シオるんって、呼んで」
甘い甘い、殿下の声。
そういえば、二人っきりならそう呼ぶって、私言ったような……。
「そ、そうですわね。約束は守りますわ。じゃあ……。シ、シオ……シオ……」
「うん」
「シオ……」
恥ずかしくて殿下の顔を見ることができず、さりとて飲みかけの紅茶に映る自分の顔を見ることも恥ずかしくて。
目を瞑って、小さく消え入るような声で、私は言った。
「シオるん……」
「うん、ノヴァ」
すごく嬉しそうなシオル殿下の声。だけど目をつむっている私には、殿下の顔が見えなくて。
「シオ……るん……」
「ノヴァ、ノヴァ。大好きだよ。ノヴァ。ありがとう……」
目を瞑っていても。闇の中でも。
私の名を呼ぶ殿下の顔が、輝く笑顔だということだけは、私には分かっていた。
面白かった!
と思っていただけましたら、下にある☆☆☆☆☆で作品の応援をお願いいたします。
つまらないから星1つ、でもかまいません。大変参考になります。
作者として読者様の評価が貰えることは、本当に勉強になります。
ブックマークもしていただけると本当に嬉しいです。
どうか、よろしくお願いいたします。
評価、ブックマーク、感想、本当にありがとうございます!誤字報告も感謝してます。
嬉しくてたまりません。




