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雲外鏡シリーズ  作者: 乱蛮
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付喪神1

由佳は校門前の花壇に腰を下ろし、6限目を終えて駅に向かう学生たちをぼんやりと見るともなく眺めていた。花壇のレンガが尻に食い込んでくる。その冷たく硬い感触のせいか、由佳の背骨は前かがみに倒れ、首も前に出てがっくりとして、およそ20代の若々しい覇気は姿を消していた。大学の名前が入った門を後ろに背負い、老い疲れた老婆のような姿勢でいることが自分でもひどくおかしく感じたが、今の自分の心境を思えば自然と現れた姿勢に妙な納得感も感じていた。ぼんやりと学生を眺めていると、一件の連絡が入った。


”ごめん、少し遅れる!ちょっと待ってて”


 土壇場になって気持ちが揺らいでいる自分に気が付いた。困っていたとはいえ、こんな奇妙な相談をなぜしてしまったのだろうか。自分の、家族の汚点のようにも感じていることを、他人に相談したことが正しくない判断のように思えてならなかった。やはり断って、家族でもう一度話し合おうか。そもそも先輩もよくこんな突拍子もない話を信じたものだ。真摯な連絡だったが、本心では笑って本気にはしていないかもしれない。私も私だ、揶揄っていると受け取られるかもしれない話を、よく恥ずかしげもなくできものだ。

 悠木聡はバイト先の先輩で、同じ大学に通っていることもありバイト先では親しい先輩だった。悠木は由佳の1つ上、学部も違うので学校で出会うことはまずなく、プライベートな関りはほぼなかったが、由佳は悠木を快く思っていた。悠木は明るくはつらつとし、良く通る声をしていた。由佳の働く居酒屋は比較的低価格で、客はサラリーマンや大学生など良くも悪くも元気なお客が多かった。酔った客が店員を捕まえて話しかけたり、からかったりは日常茶飯事だったが、悠木はそれを苦も無くこなしていた。ある時悠木が、何と答えていいのやら困るような卑猥な質問を客から浴びせられているのに遭遇したことがったが、由佳の心配をよそに悠木は一枚も二枚も上手な返事をし、客から拍手をもらっていた。由佳は自分があまり接客が得意でないなと思うなか、がやがやとした居酒屋の店員という仕事を器用にこなす悠木を見て、天職とはこういう人のことを言うのだろうと思っていた。

 悠木は本格的に就職活動に専念するため、近頃シフトを減らしており、最後に会ったのは一か月も前だった。久々に会った悠木はトレードマークの脱色を重ねた明るい髪色から艶のある真っ黒な髪に変わり、きりりと引き締まった顔をしていた。これが就活生かと思ったと同時に、悠木のどことなく疲れた姿が印象的だった。悠木が由佳に話しかけたのは、店の片付けの時だった。大きなシンクで皿を洗う悠木が、食器を片付ける由佳に大きな声で話し出した。水が流れ落ち、食洗器で風が起き、食器がカチャカチャと音を立てる騒がしい空間だったが、すでに店の明りは落ちていた。

「俺さ、全然面接通らないんだよね」

「…え?」

何と言ったのか聞き取れず由佳は慌てて聞き返した。

「面接!就職面接!ぜーんぜん受かんないんだわ、これが!大学進学まではさ、1発合格!とは言わなくてもスムーズに進んできたのになぁ。書類まではいくのよ?でもさ、面接・・・・・なんだろ1次も通らないんだよね。・・・・・・・まだまだこれからだよ、始まったばっかりって言ってくれるやつもいるけどさ、インターン決まったとか、次最終なんてやつもごろごろいるのに、俺は出遅れてるなぁと思ってさぁ。あーあ、俺の進路大丈夫かな・・・」

 声は快活な声で、手元の皿から目を離さずに悠木はしゃべりだした。誰よりも明るく元気な悠木の口から、ネガティブな言葉が出てきたことに由佳は驚いて続ける言葉に迷った。

「・・・・就活って大変なんですね。インターンってどんなことするんですか?」

「んー会社でお手伝いって感じらしい。入社後のギャップを無くすために体験してみるってことらしいんだけど、実際はアルバイトみたいな感じで雑用をこなしてるって友達が言ってたな。・・・・俺もやってみたいな、インターン。・・・・インターン決まるってのはさ、ほぼ君は合格!ってことだと思うのよ、俺。実際会社がどう思ってるかは知らないけどさ・・・・・。」

 悠木は独りごちるように、言葉を確認するように吐き出していた。由佳は悠木の気落ちを心配するとともに、就職するとは、社会と向き合うとは、人に影を差すほどに大変なものなのかと来年の自分を思い不安になった。胸が重くなるように思っていると、続けて悠木が話し出した。

「面接落ちるとさ、お祈りメールってのがくるのよ。今回はご希望に沿うことができませんでしたけど、君の今後の活躍を心からお祈りしますってメール。でもさそれって、つまりは君は要らないよ?必要ないから、他のことを頑張ってね!ってことじゃん?

入りたい!って気持ちで会社のこと知らべて面接準備までしていくのにさ、君は要らないよって言われるのよ。そんでお祈りされるの。次こそは受かるぞ!って思ってまた違うとこの会社受けるんだけどさ、だんだんわかんなくなってくるのよね。俺って何したいんだっけ?本当にやりたいことってなんだっけ?そうするとさ、やっぱりあの会社に入りたかったなって、気づくと落ちた会社のこと知らべ出しちゃってるんだよね。でもさ、もう一回は受けられないのよ。受けたかったら一浪して来年再チャレンジ。でもさ、来年受けたからって受かる確証はないのよ。ほんとに入りたかったら1年かけてほんとに会社のこと調べて勉強して熱意で入社するやつもいんのかもしんないけどさ、そんな熱意俺にはないのよね。入社してやりたい仕事をするキラキラした希望的な未来よりさ、入りたい会社があるから一浪させてくれって親に頭下げて入社できなかったときの惨めな自分の未来の方が容易に想像できるのよね。」

 ふと、悠木に「大丈夫だ」と声をかけるのは簡単なことなんだと、由佳は思った。それは相手の気持ちに寄り添わず、ただ返事をすることと同じだ。「大丈夫、なんとかなる」は自分で自分を元気づけるときに言う言葉だ。言葉に責任を負わない、未来に確証を持てない赤の他人が容易に口にして良い言葉ではない。それは辛辣な返事をするのも同じだ。「努力が足りない」なんて言葉もここではひどくいい加減だ。悠木の努力や行動を知らずに、そんな言葉をかけて何になるだろうか、悠木のやる気を割くだけだ。悠木は悠木なりに努力しているはずだ。それが成果に繋がらない理由がわかるのは、少なくとも由佳ではない。由佳にわかったのは、安直な励ましも叱責も、悠木にかけていい言葉ではないということだけだった。

「私・・・・先輩って明るくて元気で悩みなんて吹っ飛ばす人だと思ってたんですけど、なんていうか・・・・・落ち込んでる先輩みてちょっと安心しました。悠木さんも私たちと同じ悩める人間なんだなと思って。」

 少し揶揄うように言うと、悠木は少し驚いた顔を向け小さく笑って見せた。

「なんだよ、それ・・・・」

 店のシャッターを閉め終えると悠木が一言言った。

「おまえも悩ましいことがあれば何でも言えよ、俺が吹き飛ばしてやるから」


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