半魚人の海
中間点の〈ミッド・アイランド〉を越え、船団は南西へ進路を取る。
目指す先は新世界の玄関口、港町ニューロンデナム。
……ロンデナの体調は大丈夫だろうか。
たどり着くまで、あと数週間はかかってしまうのだが……。
「ギルドマスター。ここから先が、〈半魚人の海〉と呼ばれる海域ですぞ」
海の色に境界線があった。
深い青色から、明るい水色へ。
まるで見えない壁で区切られているかのようだ。海流の関係だろうか。
「名前の通り、サハギンが多く住む領域です。今までとは襲撃も変わってきますな」
「白兵戦が増えると聞いた」
「その通り。あなたとエクトラ様の出番ですぞ」
「わがはいに任せるのだー!」
その日の午後に、さっそく襲撃があった。
船の後方からよじ登ってきたサハギンが船上で三股槍を振り回す。
だが、俺とエクトラが数匹を切って捨てるとすぐに逃げていった。
「わっはっはー! わがはいが最強なのだー!」
海賊を怖がっていたエクトラも、不気味な半魚人なら怖くないらしい。
魔物は平気なのか。さすがに冒険者の神だけはある。
「ねー、見たかわがはいの活躍ー? 水兵のみんなー? 見たかー?」
「見たぜ見たぜ! 格好良くてかわいかったぜ! 流石エクトラ様だ!」
「ふふーん! 分かってるなー! ちょっと祝福をおまけしてやるのだ!」
この一件で、エクトラの人気は更に高まった。
俺も水兵から一目置かれたような気がする。
「なあ、もし冒険者ギルドが出来たら教えてくれよ。入りにいくからさ!」
「エクトラ様って、冒険者の神なんだろ? 俺も冒険者になりてえんだけど!」
みたいな調子で、冒険者になりたいという相談を受けたりもした。
あいにく、冒険者ギルドの活動開始はもう少し先だ。
ギルドが設立された時に改めて来てくれ、と言うしかなかった。
その翌日にも、サハギンの襲撃があった。
二日後も、三日後にも。
不思議なことに、他の船には襲撃がない。この船だけが狙われている。
魔物は神を嫌うので、エクトラが狙われているだけの可能性もなくはないが。
「海賊公ルバートは魔物を操る、か」
噂は正しいのだろうか。だとしても、数匹だけをけしかけてくる意味はなんだ?
俺が頭を悩ませていると、ルバートの船から矢文が飛んできた。
「いい腕だな! 賭けのネタをありがとよ! 海賊どもの良い暇つぶしになったぜ!」
……襲撃をネタにして賭けていたらしい。あの野郎……。
「……誰か、弓を持ってないか?」
水兵に弓を借りて、”次にやったらお前に大砲を撃ち込む”と書いた矢文を送り返す。
すると、”次と言わず今撃ってこいよ”という矢文が返ってきた。
「砲撃用意!」
「ギルドマスター!? それは流石にまずいですぞ!?」
「アンリ、そういうとこなのだ!」
- - -
それから一週間ほど、平穏な航海が続いた。
海の色は目に見えて明るくなり、甲板を通り抜けていく風は爽やかさを増した。
服を干せば数時間ですぐ乾くぐらいに日差しは強く、だが暑すぎることはない。
魔物の襲撃さえ考えなければ、とても快適な南国の気候だ。
ニューロンデナムなど新世界の街には、地上の楽園、という売り文句がある。
ただの入植者に向けた宣伝文句だと思っていたが、あながち嘘でもないようだ。
夕日を受けて黄金色に輝く南海の景色は、どれだけ見ても見飽きることがない。
だが、平和だったのはそこまでだ。
ちらほらと海に小島が見えるようになり、襲撃の頻度が増す。
〈半魚人の海〉には魔物が巣食う島が無数にあるのだという。
襲いかかると海中に逃げてしまうので、島が小さいほど占拠するのは難しいとか。
戦闘中にルバートの船を確かめたかぎりでは、あいつの船も襲撃を受けていた。
魔物を操るとは言っても、大群を制御することはできないらしい。
あるいはブラフか。分からない。
「襲撃だーっ! 起きろーっ!」
鐘が激しく打ち鳴らされる。
俺は飛び起きて、船長室から甲板へ出た。
早朝の海を、無数の影が泳いでいる。
「砲術長! 砲撃戦を行いつつ、両舷から接近阻止パターンで爆弾投下、ですぞ!」
既に甲板へ立っていたデーヴが指示を出した。水兵たちがテキパキ動く。
俺とエクトラはひとまず爆弾の運搬に従事する。
〈エクトラ号〉に乗っている水兵は極めて少ない。
両方合わせて四つある爆弾投下用スロープを稼働させれば、もう手が足りなくなる。
側面に五門づつ並んでいる大砲なんか片方だってフル稼働できない。
船団の安全な場所にいるとはいえ、この船は明確に火力で劣る。
サハギンたちにとって見れば格好の的だ。
「前もって船をくれると言ってくれれば、水兵の手配ぐらいはしたんだが……」
今更だ。乗り込まれた後で、俺とエクトラが何とかするしかない。
「頼りにしてますぜ、エクトラ船長!」
「うむ! わがはいが全部やっつけてやるのだ!」
水兵たちは俺たちを信頼してくれている。
一人でも犠牲者は出したくない。
降り注ぐ砲撃と爆弾の中、サハギンの群れが船団の外周に到達した。
爆弾投下の切れ目をついて、外側にいる船の側面にサハギンたちが張り付く。
そこで他所の船を見ている余裕がなくなった。
〈エクトラ号〉の足元にも影が殺到している。
「左前投下! 次は右後ろ、まだ待て! よし、今だ!」
砲列甲板を駆け回って窓から下を確かめながら、砲術長が投下の指示を出している。
水中で爆発が起こるたび水柱が上がり、船が揺られた。
その衝撃波がサハギンたちを一時的に遠ざける。
だが、常に爆発を起こし続けるには爆弾の在庫もスロープの数も足りない。
「張り付かれた! あとは頼む!」
「任せろ」
俺とエクトラは甲板へ上がる。
ちょうど、船の手すりを飛び越えてサハギンが現れた。
ダンッ、と甲板を踏み抜きかねない勢いでエクトラが跳ぶ。
脚の爪を顔面めがけて蹴り上げ、サハギンを海へ叩き落とした。
返り血を受けて、彼女は笑う。凶暴で野性的。確かにこいつは冒険者の神だ。
負けてはいられない。
俺は剣を抜き、上がってくるサハギンを片っ端から切り落とす。
右手の甲に刻まれたエクトラの紋章が、俺の四肢に力をくれている。
無名の神とは思えないほどに、彼女の祝福は強大だ。
水色だった海が血に染まっていく。だが、襲撃の勢いは衰えない。
どこからか大砲の流れ弾が飛んできて、船の柵ごとサハギンを弾き飛ばした。
海の至るところから銃砲と爆弾の音が聞こえてくる。
硝煙の香りに覆われた大混戦は、まだ終わりそうにない。
次から次へと甲板にサハギンたちが上がってくる。
ばらばらと放たれるマスケット銃では手数が足りない。
水兵が腕力任せに振るうサーベルでも互角に切り合うのがせいぜいだ。
攻撃魔法を扱えるものはいない。この広い甲板を守りきるのは無理だ。
「デーヴ! 甲板を捨てて、階段まで戦線を下げるぞ!」
「分かりました!」
全員を撤退させて、エクトラと二人で階段を固める。
これなら横や後ろを取られる心配はない。
前だけに集中し、殺到するサハギンたちを押し返す。
階段が魔物の死体で埋め尽くされる。
俺たちの後ろで、緊張した面持ちの水兵たちがサーベルを構えている。
だが、未熟だ。彼らを戦わせるわけにはいかない。
「ぐるるるるぁーっ!」
エクトラが獣のように叫ぶ。サハギンたちが威圧され、勢いが弱まった。
そこを見逃さず、一気に斬り込む。
「次に殺されたいやつはどいつだ! かかってこい!」
サハギンを斬り捨てながら階段を駆け上がり、甲板に立つ。
背中合わせに構えた俺とエクトラを、サハギンたちは遠巻きに囲んでいる。
俺たちが一気に踏み込むと、サハギンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「撃退したぞ! デーヴ、戻ってこい!」
俺たちの船は勝利を収めたが、周囲ではいまだ激しい戦闘が続いている。
近くにいる小型の商船などは、完全に甲板を占拠されているようだった。
「あの船の横に着けてくれ! 俺とエクトラで乗り込む!」
「ふ、二人だけで乗り込むと!? 無謀ではありませんか!?」
「俺たちの戦いぶりを見ただろう! やれ!」
デーヴは何も言わず、帆と舵を操り始めた。
風と潮流を巧みに乗りこなし、船が海を滑っていく。
「旋回砲で甲板上を狙って射撃! 下には当てちゃいかんですぞ!」
横につけた瞬間、甲板の手すりに乗った旋回砲から散弾が放たれた。
元は対人用の、銃と砲の中間のような小型砲だ。
船そのものにダメージは入らず、商船上のサハギンだけが薙ぎ払われる。
そのタイミングで水兵たちが錨のついたロープを引っ掛けた。
「エクトラ! 引っ張るぞ!」
エクトラが馬鹿力でロープを引くと、ぐいっと距離が縮まる。
勢い余って両船が衝突した。やりすぎたか。
木の破片が飛び散る中を、俺達は跳ぶ。
先に着地したエクトラが、両の爪を振り回して船内へ向かっていく。
体ごとぶつかってサハギンを薙ぎ倒している。すさまじい馬力だ。
「わはははーっ! わがはいに挑むなど、百年早いのだーっ!」
血に塗れたエクトラが、心底楽しげに笑っている。
ふいに、医神の言っていたことが頭をよぎった。
どこからどう見ても凶暴な、邪神になりやすいタイプ。
確かにその通りだ。
……俺だって、人のことは言えない。
少し変わっているやつだと言われれば、まあ否定はできない。
そういうふうに生まれついてしまったのだ。変えようがない。
だが、正しい方向に力を振るうことはできる。
「行くぞ、エクトラ! 中に生存者が立てこもってるはずだ!」
「任せるのだ! 助け出して下僕をゲットなのだー!」
階段を駆け降りて、船内に血の雨を降らせる。
食料や道具を抱えたサハギンが多い。略奪に移っている。
「く、来るなーっ! ああああっ!」
船尾側から叫び声が聞こえてくる。
おそらく船外に突き出したトイレに追い詰められたのだろう。
「もう少し! よし撃てるぞどけっ!」
同時に、最下層の船倉からも銃声が聞こえてくる。
「エクトラ、下に行け! 俺はトイレに行く!」
「えっ!? そんなこと先にすませておくのだ!?」
「……そういう意味で言ったんじゃない!」
エクトラと分かれ、狭い船内の通路を駆ける。
途中の部屋から物資を抱えて出てきたサハギンを、出会い頭に倒す。
その先にある扉へ、サハギンたちが繰り返し体当たりしていた。
まとめて剣で薙ぎ払うには場所が足りない。
突きを繰り出し一匹づつ仕留め、それから尋ねる。
「大丈夫かっ!?」
「だ、大丈夫だ! 誰だ!?」
「俺はアンリ・ギルマス! 冒険者ギルドのマスターだ!」
「冒険者ギルド……?」
恐る恐る、といった様子で扉が開かれた。
サハギンがいないことを確かめて、隠れていた人々が出てくる。
「……! どけっ!」
生存者を押しのけて船外へ剣を振るう。
飛び上がってきたサハギンが海へと落ちた。
トイレは……当然だが、ただの開放的なスペースだ。
船尾に張り付いたサハギンにとっての侵入路になる。
「運が良かったな。あと少し遅ければ、今の一匹に襲われていた」
「た、助かりました! 本当に、もうだめかと」
上等な服を身に着けた女が、代表して俺に礼を言った。
「あのっ! 私はハンナ、商人です! 名前だけでも!」
「商人のハンナか。覚えておこう」
冒険者ギルドを運営する上で商人とのツテは必要だ。
個人レベルの小規模商人であっても、名前を覚えておいて損はない。
まして、今この状況でも自分の名前を主張してくるような相手なら。
だが、長々と話している余裕はない。
俺はその場を離れて残るサハギンたちを掃討した。
少しづつ、爆弾や銃の音が聞こえなくなっていく。襲撃は終わった。
エクトラが逃げ惑うサハギンを追い回し、最後の一匹を叩き落とす。
「なんか、力が湧いてくるのだ! まだまだ戦えるのだー!」
彼女は無駄にぴょんぴょん飛び跳ねている。
元気が余って仕方がないらしい。
「信仰の力だろうな。下の船倉には何人いた?」
「すごいたくさん籠もってたのだ! 下僕がたくさん!」
「……下僕ではないと思うが。彼らの感謝が、力に変わってるんだろうな」
エクトラを信仰する者はきわめて少ない。
信者が何十人も一気に増えれば、本人もすぐ体感で分かるだろう。
「その調子で、これからも人を助けていこう。そうすれば、存在を維持するために十分な信仰ぐらいは集まるはずだ」
今のエクトラは、過去に集めた信仰の貯金を使っている状態だ。
冒険者を増やさないかぎり、いずれロンデナのように体調を崩す。
そうはさせない。