海戦の終わり
穏やかな海を逃げるカルロの船。追うエクトラ号。
カルロは進路を風上に取っている。基本的に、風上側が有利な位置取りだ。
「いいぜ。そっちがその気なら、乗ってやるよ」
ルバートがあえて風下側に進路を取った。遠めの砲戦距離で二隻が並行に並ぶ。
「これでヤツは逃げれねえ。あとはじっくり料理してやりゃあいい」
並ぶ二隻が互いに大砲を放つ。互いに致命傷はない。
精度の低い大砲を、揺れる船の上から撃っているのだ。そうそう当たりはしない。
「じれってえな! この〈大熊〉のガリシッド様が決着をつけてやるぜ!」
ガリシッドが船上で弓をギリギリと引いた。
「〈エンチャント・ファイア〉!」
番えた矢に炎が灯り、高い角度で飛んでいく。
風に煽られながら飛んでいった火矢が甲板に直撃した。
向こうの船上で慌てたような動きがある。
〈エンチャント・ファイア〉は普通の炎ではないから、燃え広がりはしない。
それでも心理的な効果はある。
「そ、そうか! 弓を使えるやつは沢山いるよな! ブームだったし!」
船酔いで顔色の悪いジャンが、弓を取り出しながら言った。
「俺たちも、撃とう! 足しになる! 弓を持ってる者は集まってくれ!」
ジャンが冒険者たちをまとめ、即席の弓兵隊を作った。
ガリシッドと弓矢の角度を揃え、一斉に放つ。
その半数以上が〈エンチャント・ファイア〉で燃えていた。
その連射速度は、大砲よりも圧倒的に速い。
大砲は一発を放つために九十秒だが、弓矢の装填は一瞬だ。
みるみるうちに敵船の帆が破れていった。
向こうもマスケット銃で撃ち返してくるのだが、魔物相手に実戦経験を積んでいる冒険者とでは遠距離射撃の精度がまるで違う。まして元から不正確な銃だ。
「デーヴ、単眼鏡を貸してくれ」
俺は単眼鏡で敵船上の様子を見た。
俺たちの船を指差してカルロが怒鳴り散らしている。
だが、彼には求心力が無い。見るからに水兵たちの士気は低い。
〈エンチャント・ファイア〉で船が燃えることはないが、火矢をうちかけられて混乱している様子が見て取れた。
「ふむ。本物の火矢を紛れ込ませてはいかがですかな? 船倉に油と紙が……」
デーヴが腹黒い作戦を考えついて、冒険者たちに火矢を作らせる。
〈エンチャント・ファイア〉と火矢の混ざった一斉射撃が行われた。
敵船の帆が一気に燃え上がり、みるみるうちに速力が落ちていく。
俺が何をするまでもなく、既に戦いは終わったも同然だ。
いいことだ。俺の作った冒険者ギルドは順調に力を増している。
これでこそ、育てた甲斐があるというものだ。
「降伏勧告を出してみますぞ。欠片ほどでも理性があれば、ここで降伏するでしょうな」
- カルロ視点 -
カルロは頭をかきむしった。
理解ができない。何故だ?
アンリ・ギルマス本人に負けたのならば、まだ理解ができる。
あの男は、偉大なる〈黄金帝〉フェロスにすら。父上にすら土を付けたのだ。
だが。カルロが負けている相手はアンリではない。
冒険者ギルドだ。アンリの集めた有象無象の集団が、一対五でこのエキノクシア商会の船団を撃破したのだ。こちらよりも小さな船で。
理解ができない。海戦は金が物を言う世界なのに。
このエキノクシア商会が、”冒険者ギルド”なるぽっと出の集まりに、負ける?
「何故……!」
商会長は、冒険者ギルドなど吹けば飛ぶ木っ端だと言っていたのに。
アンリ・ギルマス個人の力が及ばない海の上へとおびき出してしまえば、いくらあの男でも簡単に撃破できると、そう伝えられたはずなのに。
五隻もあれば十分だと。
「いや……まだ……まだ負けてない……」
燃え上がる帆を、魔法の水とバケツで必死に水兵たちが消し止めようとしている。
まだ、全ての帆が焼けたわけではない。
きっと勝てる。ワタシは帝国皇帝の五男であり、商会の重要なポストに就いていて、あのアンリ・ギルマスの冒険者ギルドとは比べ物にならないぐらい偉いから。
やつが仕えているのは、ろくに知名度のない木っ端の神。
一方でワタシは名のある帝国の守護神からも名前を呼んでもらったことがある。
「だから……勝てなくては、おかしい……」
「さっきから何をブツブツ言ってやがる!」
下賤の水兵が、カルロを取り囲んだ。
「さっさと降伏しろ! 勝ち目はねえ! 人が死ぬだけだぞ!」
「だ、黙れ! 貴様、ワタシに口を利ける立場だと思っているのか!?」
「立場がどうした」
水兵がカルロに食って掛かる。
「そんなことを言ってるから、冒険者ギルドに勝てないんだろうが! てめえ、冒険者ギルドが立場やら偉さやらで差別したって話を、一度でも聞いたことがあるか!? アンリ・ギルマスは、嫌われてる海賊が相手でも自ら足を運んで登用したそうじゃねえか! あの船の動きを見りゃあ分かるだろう! ありゃ海賊殺し、〈海賊公〉ルバートだ!」
ルバートが倒した海賊は、クリストフだけではない。
他国領で活動している海賊とも戦い、何度も勝利を収めている。
海賊の中でも一段”格上”だからこそ、彼には〈海賊公〉という通称があるのだ。
倒した相手が人気のある義賊だったせいで、ルバートの人気は落ちたのだが。
「黙れ! それは、冒険者ギルドとかいうやつらが、海賊にすら頭を下げる必要があるぐらい……」
「てめえこそ黙れよ!」
マストに炎が移り、根本からへし折れて海に落ちた。
一刻の猶予もない状況だ。
「やつらは正しい振る舞いを知らぬ野蛮人だ! このワタシをもコケにした!」
「てめえがコケにされるようなやつだからだよ!」
「なんだとうっ!?」
カルロが懐からフリントロックのピストルを抜いて、水兵に突きつけた。
「つけあがるな! ワタシは皇帝の五男だ!」
そして、引き金を引いた。
他の水兵たちはマスケット銃を持っているというのに、だ。
彼は愚かな男だった。
「てめえっ!」
「やりやがったな!」
水兵たちが一気に反乱を起こし、カルロに銃を向け、放つ。
エキノクシア商会に雇われている士官たちも、それを止めなかった。
むしろ「冒険者ギルドに亡命しましょうか」などと話している。
「ぐがっ……な、何故……このワタシが……!」
いくつもの怒りが籠もった銃弾を身に受けて、カルロが甲板に倒れる。
「ああ……熱い……」
熱い。……かき氷が食べたい。
ああ、あの夏に戻りたい。
彼は瞳を閉じる。
だが、脳裏に浮かんだのは皇帝に振る舞われたかき氷ではなかった。
アンリ・ギルマスに振る舞われたかき氷だ。それが彼の意識を支配した。
「そんな……」
思い出に浸ることすらできず、彼は命を落とした。
アンリ・ギルマスに心までをも支配された、完膚無きまでの敗北であった。




