ロンデナの紋章
「私の工房を!? いいの!?」
「いいの、っていうかな。一応、お前は領主なんだぞ、ロンデナ」
「でも、お飾りでしょ? 誰だって、実権を持ってるのはアンリだって分かるよ」
「実績を作れば、お前に実権も移るさ。だいたい、お前はこの街の神なんだぞ」
「神様も、アンリに支配してほしいなって思ってるよ……?」
「いきなり激重感情をぶつけないでくれ」
「街の話だよ、街の話。あはは……街の話だからね」
そ、そうだな。
本人もそう言っていることだし。
「それで、工房って何があればいいんだろう?」
「分からん。メアリー、何か知ってるか?」
「そう言われてもね。錬金術師の工房なんて千差万別よ。好きに作ればいいわ」
「なら、俺からの注文だ。ポーションの量産が出来る設備を揃えて欲しい。そっちに安値で素材を売るから、とにかく量産して広めてくれ。供給が足りないんだ」
「神にやらせる仕事じゃないわよ?」
「いいよ。やる。アンリのためだし、街のみんなのためだもんね」
そういうわけで、工房を作ることになった。
ポーションの量産のために必要なのは、砕いた魔石と薬草だ。
薬草は冒険者たちに集めてもらうとして、問題は魔石を砕く工程にある。
手で砕いていたら、とてもじゃないが必要量を作れない。
「工房をスワンプヴィルに置かないか?」
「え? なんで?」
「あっちには川があるから、水車が作れる。それで魔石を砕けばいい」
「毎日通うにはちょっと遠いなあ」
「……なら、スワンプヴィルの村人に砕く工程を任せたらどうだ? 作物ができるまでのあいだ、村人たちの収入源にもなるし」
「さすがアンリだね。それでいこう」
具体的な工房の建設に関しては、ロンデナに任せることになった。
彼女とメアリーの工房だ。俺が口出しすることもない。
その日のうちに、ロンデナから冒険者ギルドに薬草採取の依頼が張り出された。
薬草を一つあたり銅貨三枚で買い取る、という形式の常設依頼だ。
街周辺に魔物がいなくなった今、初心者にとってはありがたい収入源になるだろう。
「出来たよ、工房!」
数日後の週末、領主館そばの芝生で寝っ転がっていた俺はそう報告を受けた。
「早すぎないか?」
「うん。空き家を改装して使ったから」
「なるほど。新造することもないか」
彼女の工房へと案内してもらう。
外見はただの木と漆喰で作られた家だ。
錬金術の設備や大釜が並んでいる以外は、中身も普通の家と変わらない。
「いいんじゃないか?」
「でしょ。今までの神殿とか領主館よりもずっと粗末だけど、なんか、自分でこういう環境を整えるのって楽しかったよ」
「その気持ちはよくわかる。自分の手で何かを作っていくのは楽しいよな」
「ね、せっかくだから、私が仕事するとこも見てかない?」
「ああ」
ロンデナは粉末魔石と薬草の分量を計り、大釜へと投入した。
火にかけながらぐるぐるかき混ぜ、中身をポーション瓶へと詰めていく。
最初は瓶を浸せばそれで済んだが、最後のほうは下に溜まった液体を手ですくい、ちまちまとポーション瓶に詰める作業が必要になっているようだった。
「それ、効率が悪くないか?」
「え?」
「釜の下側に水栓を付けてみるとか」
「……でも、メアリーにそんなことは習わなかったよ?」
「ロンデナ。自分でなにかを試行錯誤したことはあるか?」
「いや……ずっと、メアリーの言われた通りにやってて」
「優秀な巫女も考えものだな」
ロンデナの作業を見守っていたメアリーと目があった。
少し前の病弱だったころならともかく、もう彼女を過保護に守る必要はない。
「……そうね」
メアリーがわずかに目を伏せた。
「なあ、メアリー。新世界にいる魔物や素材は、全てが旧大陸と同じものなのか?」
「いえ。未知の素材もあるわね。魔法の珊瑚だとか」
「錬金術の根底は、その未知を切り拓くことじゃないのか?」
「ええ。その通りよ。……あなたには勝てないわね」
メアリーがロンデナの隣に立った。
「ロンデナ様。今から、あなたに教えていなかったことを教えますよ。いいですか」
「うん」
「魔法の素材がどういう性質を持ち、どう反応するか。そういう知識はですね。自分で実験して確かめる必要があるんです」
「実験?」
「ええ。様々な操作を加え、起きた事を確かめ、仮設を立てて検証するんです」
「何が起こるか、分からなくても?」
「ええ。その通りです」
「私が自分の頭で考えて、自分のやりたいようにやっていいの?」
「……ええ。あなたは神輿を降りて、自分の足で歩くことができます」
「そっか」
ロンデナは静かに頷いた。
神というものは、民を下僕として従えるものだ。
しかしそれは、民に担がれて象徴として暮らすことをも意味している。
人は神の下僕であり、神もまたある意味で人の下僕である……というのが一般的な常識であり、巫女が神に教えるべきだとされている教えだ。
メアリーは優秀な巫女だ。ロンデナにも、きっとそれを教え込んだのだろう。
「気になってたんだ。魔石を砕かずに煮たらどうなるのかな、とか。違う薬草を使ったらどうなるのか、とか。試しても、いいんだ……」
「安全な実験方法は身に着けておく必要があるだろうがな」
「うん。もちろん」
ロンデナが魔石を拾い上げ、窓にかざした。
乱反射する青い石を、彼女は感慨深く見つめている。
「もっと知りたい。色んなことを。だから、私は錬金術に惹かれたのかな」
ニューロンデナムはいま、冒険者を中心に回っている。
未知の危険が稼ぎに繋がる仕事だ。
街の神である彼女は、その影響を受けているのかもしれない。
あるいは単純に、彼女はそういうやつなのかもしれない。
人と神との間に立つ者として、俺はそうだと信じたい。
「神は操り人形じゃない。お前が興味を持ったなら、追求していい。万神殿の高官たちには怒られるかもしれないが、俺はそう思っている」
「……アンリ。ありがと。なんか、楽になったよ」
ロンデナが魔石を両手で握りしめた。
その時、俺の左手にあるロンデナの紋章が輝きはじめる。
砂浜と海、それと松明。そこへ新たな線が加わっていく。
「私は、もっと知りたい。未知を。世界を。はるかな海の彼方に隠れる秘宝から、足元に暮らす虫の食事に至るまで。謎を見出す瞳さえあれば、きっと日常だって冒険なんだ」
何も出来なかったロンデナは、ついに目指すべき目標を手に入れた。
行き先さえ決まったならば、あとは歩くだけだ。
「われは〈街神〉ニューロンデナム、冒険者に比して翼する連理の守護神! 鑑みて定めよ、わが神名の下に探求の祝福を授けん!」
神としての自己を定める宣言と共に、紋章が強く輝き、形を変えた。
斜めの松明と交差するフラスコ。
そして中央には大きな羅針盤が刻まれている。
完全な形の紋章だ。彼女の紋章は、〈ギフト〉の効果を持った。
「ありがとう、アンリ。あなたのおかげで、私、やりたいことが分かった!」
「気にするな。俺はやるべきことをやっているだけだ」




