はじめての海戦
北からの横風を受けて、〈エクトラ号〉が海を行く。
クリストフが盗んだ旧式の軍船は、まだ見えてこない。
「方向は合ってるのか?」
「心配なさるな。速力ではこちらが上ですぞ」
デーヴが帆を見上げている。
三本あるマストのごく一部だけに四角い帆があり、他は三角形の帆だ。
あの三角形の帆は、鳥の翼のように”揚力”を生むことで推進力を生み出すという。
純粋に風を受けた抵抗で進む四角の帆と比べれば、横風に強い。
「真西へ進路を取れば、風下側に船が見えてくるはずです」
「……見えたぞー! 船だー!」
見張りの報告を聞いて、デーヴがにやりと笑った。
「向こうは風上への切り上がり能力に欠ける旧式船。取れる進路は限られていますぞ」
頼もしい。流石だ。
「……ふむ。なるほど。せっかくですし指揮を取られますかな、ギルドマスター殿?」
「なんだって?」
「海戦の経験を積んでおくのも悪くないでしょう」
そ、それもそうだな。土地柄を考えれば、海の上で戦う機会も多くなるだろう。
にしても、いきなり? 実戦で?
「なに、焦らずともよろしい。あなたなら大丈夫です。基本は覚えていますね?」
「あ、ああ」
「では、どうぞ。私は舵に集中しますので」
やるしかないか。覚悟を決めよう。
一人だって被害を出さずに、クリストフたちを倒してみせる。
「進路を南西に、風上側から距離を詰めろ! 手の空いている物は大砲へ!」
「あの、私はどうすればいいかな?」
「ロンデナはメアリーを連れて船長室へ。怪我人が出たら、そこで手当てしてくれ」
二人とも非戦闘員だ。港へ置いてくるべきだったかもしれない。
……いや、町も魔物に襲撃される可能性がある。俺のそばが一番安全だ。
「わかったよ。気をつけてね、アンリ」
「ああ」
甲板上から人の姿が消えた。
帆の操作に人手が必要ない以上、ここに人はいらない。
「撃ってきましたな」
まだ遠い段階で、敵船が大砲を放った。
ばらばらと遠雷が鳴り響き、見当違いな場所へ水柱が立つ。
「……遠いのに、思ったより届いてるな」
「敵が風下側にいるせいですぞ。横から風を受ければ、船は押されて傾くでしょう?」
「それで大砲が上に向いて、射程も伸びたのか……」
逆に言えば、接近すれば敵の大砲は直撃しなくなる。
帆に弾が当たるかもしれないが、人員には被害が出ないというわけだ。
「このまま接近する」
「了解ですぞ」
足元の砲列甲板で、人の走り回る物音がする。
左舷にある五門の大砲をおよそ二十人で動かすということは、一門あたり四人。
ギリギリだ。まっとうに撃ち合えば不利になる。
「皆! 俺からの射撃指示を出すまで、発砲は待て!」
射撃戦は避け、直接乗り込んで切り合いに持ち込むのがいい。
指示を出し、風上からの接近を続ける。
敵船が二発目を放った。
「むっ、これは」
デーヴが右手を突き出し、帆に向ける。
その掌に刻まれたアゼルランドの紋章が輝き、追い風が吹いた。
加速した船が、敵の砲撃を置き去りにする。
「それはアゼル様の〈ギフト〉か?」
「ええ。知らなかったのですか? てっきり、ギルドマスターも扱えるものかと」
「分からん。試してないからな」
試してみるか。右腕を突き出し、念じてみる。
ごおおっ、と強烈な風が吹き荒れた。
「ぬわっ!?」
「なるほど」
「なるほど、じゃありませんぞ!? 何なのですか、その威力は!?」
「まあ、適正が違うんだろう。俺は神殿の人間だからな」
これなら一瞬で距離を詰められる。俺はもう一度〈ギフト〉を発動しようとした。
が、発動しなかった。
「そう乱発できるものではありませんぞ」
「それなら先にそうと言ってくれ」
無駄打ちしてしまった。まあ、普通に戦えばいい。
徐々に敵船との距離が縮まっていく。
こちらを向いた大砲の群れはいつ火を吹いてもおかしくない。
一方で、こちらも既に砲撃できる距離だ。
「流石。肝が据わっておりますな」
「……急にどうした?」
「いえ。普通なら、もう射撃命令を出しているところですが」
「こっちは二発目の装填が遅いからな。撃てば不利になる」
「分かっていても、撃ちたくなるのが人間ですぞ」
敵船の大砲が火を吹いた。撃ち方がおかしい。
ばらばらに、好き勝手に撃っているような砲撃だ。こらえきれなかったらしい。
俺たちの頭上を飛び越えていく砲弾が、帆に点々と穴を開けた。
敵船が舵を切った。南側へ。
接近を嫌っての行動だが、それは俺にも分かるぐらいの悪手だ。
魔法で帆を引き上げて速度を落とし、大砲の狙いを安定させる。
「じっくり狙えよ……」
敵船の向きが変わって、こちらに尻を見せる形になった。
今撃てば、大砲の弾は敵船を縦に貫通する。
「撃てッ!」
五門の大砲が一斉に火を吹く。その全てが、敵船の船底近くに着弾した。
間違いなく穴が空いたはず。浸水の対処に人手を取られるだろう。
「後ろ二門に散弾装填! 残りの人員は甲板に上がって接舷準備!」
下へ叫び、魔法で帆を全開にする。
デーヴが素早く舵を切り、敵船の右舷から近づいていった。
銃声が鳴り響く。敵船の甲板から、マスケット銃を撃たれている。
大量の銃を抱えたエクトラが武器庫から上がってきて、水兵たちに銃を投げ渡す。
接舷用のフックロープが両船を固定する中、銃の撃ち合いが始まった。
「アンリ! 大丈夫!?」
船長室から飛び出してきたロンデナは、その手に弓を握っていた。
例の〈アンリ式矢じり〉を番えて、敵船へと放つ。
矢を受けた敵兵が海へと落ちた。見事だ。
背後に控えるメアリーが、彼女に次の矢を手渡した。
「いいのか、ここは危険だぞ!」
「だって! 皆が戦ってるのに、私だけ安全なとこに隠れてるなんて!」
「分かった!」
言い争う時間はない。なにせ、敵船の大砲は今も装填作業の真っ最中だ。
横につけた状態で砲撃を受ければ大きな被害が出る。
それまでの間に決着をつけなければ。
「行くぞ、エクトラ! 敵に大砲を撃たせるな!」
助走を付けて、船から船へ飛び移る。
「降伏しろ!」
「冗談じゃねえやっ!」
俺に斬りかかってくる海賊を、返す刃で切り伏せる。
魔物よりも弱いぐらいだ。旧大陸の辺境にいた盗賊と変わらない。
「畜生っ! 何だよ、助けられたと思ったら! 邪魔するのもお前なのかよ!」
海賊らしい服装に身を包んでいるクリストフが、一段高い場所から吐き捨てる。
「俺の強さは知っているはずだ。降伏しろ」
「こ、断るっ! ようやく宝の在処を見つけたんだっ、こんなところでっ!」
宝? 言っていることは気になるが、付き合っている暇はない。
周囲の海賊を斬り捨てながら、敵船の砲列甲板へ降りる。
大砲を盾に陣取った海賊たちが一斉に銃で俺を狙った。
装填作業をしていない……待ち伏せっ!?
「っ!」
「アンリッ!」
咄嗟に伏せた俺の目前に、エクトラが立ちふさがった。
自らの身体を翼で包み、仁王立ちで銃弾を防いでいる。
滑らかな膜のような翼の各所が破れ、血が流れ出した。
「よくもわがはいのアンリを狙ってくれたなッ!」
エクトラが、甲板を叩き割りながら踏み込む。
怒りの籠もった爪の一撃が、海賊たちをまとめて斬り裂いた。
「わがはいのっ! アンリを! ふーっ! ふーっ!」
「落ち着け、エクトラ!」
怒りに任せて爪を振るうエクトラを、背後から止める。
彼女の力を目の当たりにした海賊たちは、みな一様に震えて戦意を喪失していた。
「止めるなアンリ! わがはいが全員バラバラにしてやるのだ!」
「そいつらは戦意を失ってる!」
「先に手を出しておいて降伏なんて許さないのだ! 引き裂いてやるのだ!」
「やめろッ!」
俺は怒鳴った。
「無抵抗の人間を殺すような神に仕えたつもりはない!」
「あ……」
彼女は大人しくなり、しょんぼりと尻尾を垂らした。
「……おい! 他の連中に、降伏するよう言ってこい! 殺されても知らんぞ!」
完全にビビッた海賊たちが、船の四方に散っていった。
ほどなくして、戦闘の音は止まる。全員が降伏を決意したようだ。
エクトラのおかげ、ではある。
「……アンリ、その……わがはいのこと、嫌いになっちゃったのだ?」
「心配するな。お前が危ない方向に行きがちなのは、初対面の時から知っている。一度や二度ぐらい我を失う程度なら、最初から織り込み済みだ」
これぐらいじゃ嫌いにはならないさ、と彼女の頭を撫でてやる。
そんな俺達の様子を、海賊たちが引きつった顔で眺めていた。
神の治癒力で既に傷は塞がっているとはいえ、彼女は血だらけだ。
そういう反応にもなるか。
「さて……クリストフの野郎に、事情を聞きにいくとしようか」




