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降臨の儀


 この世に生まれる神は、みな女だ。

 世界も人も神々が孕んだものであるのだから、もちろん神は女の形をしている。

 ゆえに、神々の身の世話をする者は女でなければならない。


「それは承知しているのですね、アンリ?」

「はい」


 俺は頷いた。だから、神の巫女は女が務める。常識だ。

 万神殿(パンテオン)の高官を務める女性が、ため息をつく。


「いいですか? 既に、神殿巫女の名簿は儀式を通じて承認された後なのです。いかなる事情があろうと、そこに手を加えることは許されないのですよ?」

「その通りです」

「では、なぜ性転換できる魔法薬を使わないのですか?」

「巫女であろうと騎士であろうと、なすべき努めは変わらない。人と神の間に立ち、両者のために尽くすことが俺の使命なのでしょう? そのためには男の体であるほうがいい」

「ですから……」


 高官の女性が、笑顔の中に血管を浮かび上がらせた。


「俺が積んできた訓練は、魔法より筋力に依存している。ですから、性別を切り替えれば戦闘スタイルの根幹が崩れてしまう。全力を尽くせないのでは納得がいきません」

「……アンリ。あなたが信心深く、使命に真摯なのはよく分かりましたが」

「いいえ。俺は信心深いわけでも使命に真摯なわけでもない。半端が嫌なだけです」


 露骨な舌打ちが聞こえた。


「……とにかく、魔法薬を飲み干しなさい。万神殿の内郭は男人禁制。あなたを立ち入らせるわけにはいかないのです」

「それはできません。それに、俺は名簿に乗っている。もう主神からの許可も得られているということ。問題はないはずですが」

「……もういい! 勝手にしなさい!」


 彼女が一歩、脇に退いた。

 長槍で門を塞いでいた衛兵たちが道を開ける。


「分かっているのでしょうね! 万神殿の内郭に入った者は、神の付き人に選ばれるまで二度と外には出られないのですよ! 誰も助け舟は出せないのですからね!」

「分かっています」


 俺は内郭へと通じる門をくぐり、振り返らずに進んだ。



- - -



 そしてニ年が経った。

 俺の味方は一人もいない。

 それでも構わない。半端な妥協をするぐらいなら、突き通して孤独になるほうがいい。


 雑用をこなし、空き時間で訓練を積み、大部屋の隅で寝る。

 このニ年、俺の生活には変化がない。

 同期の神殿巫女たちはみな、後輩に雑用させる側に回ったり神に選ばれたりしたが、俺は相変わらず下っ端だ。

 一度たりとも神をこの目で見たことすらない。


 今日の仕事は、小高い崖の上に架かる通路の掃除だ。

 シミひとつない大理石の柵越しに、雲で隠された外界がある。


「あら? 掃除係のアンリくんじゃない」


 嫌味な笑顔を浮かべた女が、水の入ったバケツを蹴り飛ばした。

 意外と重かったのか、彼女は痛そうに足を押さえている。


「……失礼! なんでこんなところにバケツがあるのかしら? まったく場違いよね。まるであなたみたいだわ、アンリ」


 気を取り直すのが早い……。


「今日はなかなか罵倒の切れ味がいいな、メアリー」


 俺をバカにしている者は多い。

 特に同期の出世頭メアリーは、どうも俺を馬鹿にするのが生きがいらしい。

 最初はバカアホマヌケぐらいしか語彙のなかった彼女も、今はこれぐらいクリエイティブな罵倒を繰り出してくるようになった。

 向上心があるのはいいことだ。


「……何よ、余裕ぶって。あんた、死ぬまで一生雑巾かけて服を洗って飯を作ってるだけの身分なのよ? 自覚できる頭もないの?」

「神に選ばれた巫女だって、大半はそういう仕事をするだけの身分だろう」

「なっ……! 違うわ! あんたなんかと一緒にするんじゃないわよ!」


 彼女は地団駄を踏んだ。

 いつも俺に言い込められているくせに、何回やっても彼女は諦めない。

 何なんだろうな。もしかして罵倒されるのが好きなのか?


「ふんっだ! 一生一人で廊下掃除でもしてなさいよバーカっ!」


 メアリーが思い切りバケツを蹴り上げ、勝手にすっころんで勝手に濡れた。

 心配はない。神殿巫女の服は魔法の服だからすぐに元通りになる。

 俺にとってありがたいことに、デザインも中性的だ。


「お、覚えてなさいよー!?」

「何をだ。……掃除するか」



- - -



 それからしばらく時が過ぎ。

 今月の〈降臨の儀〉が行われる、という知らせがあった。

 この世へ来たがっている神に手を貸して、万神殿の中央へ降臨させる儀式だ。

 新たな神格が現れることもあれば、一度帰ったり死んだりした神が戻ることもある。


 そうして神が降臨したあとには、その神に仕える神殿巫女も選ばれる。

 ゆえに、仕える神を持たない巫女たちはピリピリしていた。

 他人を蹴落としてでも儀式に参加したがる者は多い。例えばメアリーがそうだ。


 ……神の側についていないかぎり、巫女は外の世界へ出られない。

 それを考えれば、空気が悪くなるのも当然だろう。


 廊下の掃除をしていると、そのメアリーが突っかかってきた。


「邪魔よ!」


 ストレートだ。凝った罵倒を考える余裕もないらしい。


「どうしたんだ?」

「なんであんたが私の心配をするのよ! 大人しくいじめられてなさい!」

「泣けばいいのか?」

「あーっ! 癪に障る男ねほんと!」


 メアリーが地団駄を踏む。


「今日は〈降臨の儀〉なのよ!」

「今日だったのか」

「のんきな……! あんたも一応は神殿巫女でしょ!? 〈降臨の儀〉で神のお付きに選ばれなきゃ、どこにも行けないし何にも出来ないのに……!」

「心配するな。やるべき事をしていれば、いずれ機会が訪れるはずだ」

「それ下っ端が言うセリフ!? もう黙ってなさいよバカっ!」


 メアリーはバケツを蹴り上げる。

 するとバケツが柵で跳ね返り、彼女自身に水が掛かった。


「……きーっ! 覚えてなさいよ!」


 なぜか俺を睨みつけて、彼女は廊下を渡っていった。

 それから、堰を切ったように神殿巫女たちが儀式の場へ向かっていく。

 けっこうな数の巫女が、隅で掃除している俺を見下していた。

 ……俺が神なら、ああいう目をする人間に仕えられたくはない。


 地道に、細かいところまで、雑巾をかける。

 ふと思った。なぜ雑巾なのだろう。

 どうせなら魔法の掃除道具を導入すれば、もっと神殿も綺麗になる。

 空いた時間で巫女たちに勉強でもさせれば神々も喜ぶはずだ。


 たぶん、組織のしがらみがあるのだろう。

 物事を変化させるのは簡単なことじゃない。

 それでも、俺が組織の長だったなら、改善の努力は欠かさないのに……。


「イヤアアアアッ!」


 ……!?

 叫び声が聞こえてきた。

 〈降臨の儀〉の方向だ。

 掃除道具を投げ捨てて、すぐに全力で向かう。


 儀場の入り口を、警備の巫女が固めていた。


「何をしてる!? 助けに行かないのか!?」

「……仕方ないのよ。儀式が終わるまでは入れないしきたりなのだから」

「もういい! どけ!」


 扉を開け放ち、静止してきた巫女二人を振り払って進む。

 魔法陣の輝く一室で、人外の怪物が暴れていた。

 四肢は鱗に覆われ、鋭い爪と牙を持ち、大きな角と翼と尻尾を生やしている。


「嘘だッ! 嘘なのだッ! お前たちはわがはいを騙しているのだッ!」


 振り回された爪が、大理石の床をひっかいている。

 石すら切り裂けないのか? かなり弱体化しているようだ。


「〈冒険者ギルド〉の長と、約束したのだッ! 必ず迎えに来てくれると言っていたのだ!」


 暴れる神を宥めようとするものは、いない。

 みな腰が引け、俺の横を抜けて出口へ向かう者もいる。


「ぼ……冒険者ギルドがあったのは、昔の話よ」


 いや。一人いた。

 足を震わせながら、メアリーが会話を試みている。


「嘘だ! すぐに降臨の儀があったはずなのだ! 無くなってるわけがないのだ! わがはいを騙して利用しようとしているのだな……ぐるるるるぅ!」

「ち、違……本当に、千年以上も昔の話よ! 魔物が少なくなって、冒険者ギルドは存在意義を失って消え……」

「わがはいの交わした契りが嘘だったとでも言うのかッ!」


 その神の目は怒りで真っ赤に燃えていた。

 あと少しで我を失って暴れまわってもおかしくない。


「言え! 言えッ! 答えろ無礼者ッ! 頭から食い殺されたいかッ!」

「ひっ!」

「腑抜けが! そんな根性でわがはいを騙そうとするなど百年早いッ!」


 メアリーめがけ、鋭い爪が振りかざされる。

 俺は間に入り込み、左腕でその一撃を受けた。


「……なっ!? に、人間の腕に止められたのだっ!?」


 神殿巫女の衣にかかった魔法があるとはいえ、普通なら神の一撃が止まるはずがない。

 この神は弱体化している。


「アンリ!? な、なんで……何を……」

「まずは落ち着いてくれ、神様。彼女が言っていることは本当だ。冒険者ギルドは、遠い昔に解体された」

「だ、騙そうとしても無駄なのだ……!」


 もう一度爪を振りかぶろうとしている神を、腕を掴んで止める。


「な、なんでわがはいが人間に腕力で負けてるのだ!?」

「信仰を失ったせいだ。弱体化しているのが自分で分からないか?」

「う、うそ……」


 異形の神はへなへなと地面に膝をついた。


「自分の名前は覚えているか?」

「お、覚えてるのだ。わがはいは……えっと……エクトラなのだ」

「エクトラ。お前は冒険者たちの神だったのか?」

「う、うん」

「そのせいだな。冒険者が居なくなり、冒険者の神も忘れられた」

「あ……ううっ、どうじて……がんばっだのにぃ……」


 神の瞳に涙が浮かんだ。

 この世に冒険者ギルドは存在しない。

 エクトラはとうに存在意義を失った、誰の役にも立てない神だ。

 それが分かってしまったのだろう。


 他人事ではないな、と思った。

 俺もそうだ。騎士としての能力があるのに、何故か巫女になってしまった。

 存在の意義を失いかけている。


「分かってくれたか? 手を離すから、暴れないでくれよ」


 彼女は膝立ちのまま、呆然と虚空を見つめている。

 ……信仰されていないエクトラが、この世で肉体を維持するのは難しいだろう。

 それでも、しばらくの間は巫女が世話につくことになる。


「メアリー。後は任せる」


 エクトラを置いていきたくはないが、乱入した身で留まるわけにはいかない。


「ま、待ちなさいよ! なんで……なんで私を守るようなこと……」

「やるべき事をしたまでだ」

「っ!」


 そして、俺は〈降臨の儀〉の場を後にした。

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