受付嬢ハンナ
神殿がある丘の麓に、新築ピカピカの建物があった。
石レンガで作られた二階建ての建物だ。
中はまだ家具のひとつもなく、石レンガがむき出しになっている。
「よし、送った図面通りだな」
ここが冒険者ギルドの予定地だ。
最低限の家具を入れ、受付役を雇えば一応の準備は整う。
数日も要らないだろう。海を渡る前にあらかたの手配は終わらせてある。
何もないとは分かっているが、二階に上がってみる。
廊下の左右に部屋が並んでいるだけの、何の変哲もない間取りだ。
突き当りにはギルドマスター用の執務室がある。俺の仕事場だ。
一階と違い、この部屋の内装工事は既に終わっている。
ただ机と書類棚が置いてあるだけだが。あとはペンと紙を用意すれば十分だ。
近いうちに、ここが俺の職場になる。
「……気付けば、ずいぶんと遠くまで来てしまったな」
不意に望郷の念にかられて、窓から外を眺めた。
ちょうど丘から港へと下る通りに面し、ニューロンデナムが一望できる場所だ。
……どこも度重なる戦闘を経てボロボロだ。瓦礫からはまだ火が燻っている。
それでもまだ、この街には住民が残っている。
俺が領主代理とギルドマスターの仕事をこなせば、きっと何とかなるはずだ。
「さて。受付役候補に会いに行くか」
住所のメモを握り、俺は〈冒険者ギルド〉を離れた。
- - -
「……それは、大変失礼いたしました。お悔やみを申し上げます……」
「いいのいいの、改まらなくたって。死人が出るたびそんな調子じゃ、一日中ずっと頭を下げて暮らすことになっちまうよ」
……領主から紹介された受付役の候補は、一月ほど前に戦死していた。
彼の両親と軽く言葉を交わし、その場を離れる。
優秀な人物だと聞いていたのだが。残念だ。
一から面接をかけて募集するしかないだろう。
「あとは、家具屋か」
港の家具屋へ向かう。幸いなことに、こちらは無事だった。
ものすごく仕事が忙しい状況らしいのだが。
というのも、この家具屋はもともと船大工で、船の修理も請け負っているらしい。
魔物の襲撃が激しくなり、損傷する船も増えたせいで仕事が増えているのだ。
「港を襲撃から守れるようにしないかぎり、船の損傷は増える一方か」
家具屋に仕事を頼んだあと、俺は呟いた。
魔物が海から襲撃に来れば、どうしても船が最初に狙われる。
これを防ぐのは難しいが、立地上、船が損傷するのは致命的だ。
好意で譲り受けた〈エクトラ号〉を失うようなことも避けたい。何か手はないか。
「むう」
俺一人では策が思いつかない。
ひとまず冒険者を増やし、それで戦力を増やすしかないだろう。
「……ん?」
水平線の向こうに、船のマストが見えている。
そこに掲げられている旗には見覚えがあった。
あれは俺とエクトラが乗り込んで助けた船だ。
ハンナだったかアンナだったか……そんな名前の商人が乗っていた。
船の到着を待つ間で、俺は街の状況を見回り、民に話を聞いた。
「いやあ、もうずっとこんな調子だよ。いい加減、砦に逃げるのも慣れてきたね」
だとか。
「前の領主様が自腹で飯を仕入れて配ってくれなきゃ、皆とっくに飢えてた」
だとか。
苦しい話ばかりで気が滅入ってくる。
だが、悪い話ばかりではない。
「なあ、うちの自警団に訓練をつけてくれよ、領主様! 戦えるようにしてくれ!」
そういうことを言ってくる男もいた。
「……俺は領主じゃない。正式な領主が送られてくるまでの代理だ」
というか……慣習で”領主”と呼ばれてはいるが、本当は”代官”が正しい。
この付近の植民地はだいたいアゼルランド王国の領地で、領主とはいっても王の代理で統治を請け負っているだけ、というのが正しい見解だ。
まあ、細かい違いだ。どうだっていい。
「できれば、俺のことは”ギルドマスター”と呼んでくれないか?」
「あ、ああ! 分かったぜ! ギルドマスター!」
筋肉質な青年が、元気よく言った。
いかにも自警団のリーダーといった調子の、清く正しい田舎の若者だ。
「それで、訓練はつけてくれるのか!?」
「もちろん。明日の昼に、領主館の近くまで来てくれ」
「おっしゃ! 仲間に伝えてくるぜ!」
彼はどたどた道を走っていった。エクトラと気が合いそうな、元気なやつだ。
平時ならちょっと暑苦しいが、こういう苦しい時には頼りになるな。
そうこうしているうちに、桟橋へと小ぶりな商船がたどり着いていた。
刺繍の入った上等の服を潮風になびかせて、若い女が降りてくる。
「アンナ。よく来てくれた」
「ハンナです!」
「……失礼した」
「まったくもう。名前を間違えられたんじゃ、助けられた借りはチャラですよ!」
「いや……そうはならないだろう」
「冗談ですって! あはは! さて、領主様に商談があるのですが」
「代理だ」
俺はハンナを領主館へ連れて行くことにした。話すならそこがいい。
道中、崩れた道や建物を目にするたびに、彼女は何故かニコニコと微笑んでいる。
「何がおかしいんだ?」
「え? あ、いえ! 商売するチャンスがありそうだな、と!」
「そうか。ハンナ、お前はどういう商人なんだ?」
「……さすらいの商人見習い、ですかね!」
彼女は誇らしげに鼻を鳴らした。
「見習い? あの船はお前のものじゃないのか?」
「まさか! お金で交渉して乗らせてもらっているだけですよ!」
だいぶ商談をする気が失せた。
船も無ければ組織も持たない遍歴商人の見習いなんて、商売相手には不適切だ。
領主代理としてはそう言わざるを得ない。
冒険者ギルドのマスターとしてなら、また話が違ってくるが。
「さて」
領主館の応接間に彼女を招き、向かい合う。
「商談の内容は?」
「物資です。食料、それと爆薬を持ってきました」
どちらも間違いなく必要な物資だ。
「量と値段は」
「保存食が樽十つと、火薬樽が三つ。それぞれ五百と二千ゴルドでいかがです?」
「……話にならないな」
あからさまに高い値段だ。過去の取引の値段が分からない以上、推測だが。
そこは調べてもらうしかない。
応接間の外へ視線を送り、デーヴに調査をさせる。
「いやあしかし、港の倉庫が壊れていませんでしたか? 中の火薬は無事ですかね?」
「海沿いの倉庫に火薬を保管していると思っているのか?」
「え?」
ハンナの笑顔が曇った。
「湿気るだろう。海風で。弾薬庫はもっと内陸側だ」
「……あ」
「本当に、見習いの商人なんだな。経験を積んでから出直してこい」
俺は腰を上げた。
「ま、待ってください! せめて話だけでも!」
「何か話すべき内容があるのか?」
「……」
冷や汗を流したハンナが、しぶしぶ口を開いた。
「その……有り金はたいて仕入れたので……」
「よその港へ行く金も無い、というわけか」
「あ、あはは」
未熟にもほどがある。
……だが、面白い。
「その仕入れを決断した理由は何だ? 聞かせてみろ」
「ええと。まず、他の商人はニューロンデナムの奪還は不可能だと見ていたんですよ。いくらガレオン船が居ても、上陸して戦わないかぎり街は取り戻せないし、市街戦だと人間のほうが不利なので」
「お前は俺とエクトラの戦闘力を知っていたから、違う見立てをしたのか」
「はい。すぐに奪還できると思っていました。なので、急いで来たんです」
「物資不足を睨んで、一番乗りで売りに来たと。悪くないな。度胸もある」
ハンナが浮かべる愛想笑いの奥に、困惑が見える。
どうしてこんな話をさせられているのだろう、と言わんばかりだ。
「ハンナ。お前は交渉事に向いていないな。何を考えているか、顔で分かる」
「うっ」
「だが、頭は悪くない。冒険者ギルドで働いてみるか?」
「……え?」
「ちょうど人材不足でな。お前が働くなら、仕入れ値で物資を買い取ってもいい」
ハンナが冷や汗を拭い、息を吐いた。
露骨に安心している。
「仕入れ値で? 私の値段はタダってことですか? それはちょっと」
「いいや。どうせお前の仕入れ値は市場価格より割高だ。その割高分がお前の評価だ」
「まさか。市場調査ぐらいはしましたよ」
「その日のうちに大急ぎで買い付けたんだろう? 調査の時間はあったか?」
ハンナは何も言い返せなくなり、ぐっ、と太腿を握りしめた。
「おおかた、俺を戦闘力だけの脳筋かと勘違いして、交渉で上手に立てると踏んだんだろうが……残念だったな。まあ、いい経験になっただろう」
「はい」
彼女は素直に頷いた。
……また”余計な一言”を言ってしまった気がするが、特に怒っていない。
そういう素直さがハンナの良いところなんだろう。
「どうだ、ハンナ。冒険者ギルドで働いてみるか?」
「喜んで。あなたの下なら良い勉強になりそうです」
俺たちは握手した。契約成立。
「ちなみに役職は受付嬢だ」
「……ええっ!? 商売に絡むやつじゃないんですか!?」
「そのうちな。交渉が上手くなったら任せるが、今はまだ駄目だ」
よし。冒険者ギルドの受付嬢、確保。




