ニューロンデナム上陸戦
サハギンの大規模な襲撃を受けて、いくらか船団に被害が出た。
丸ごと略奪しつくされ、全滅してしまった船も一隻。
遺体は海に葬られ、それぞれが信じる神ごとに簡素な祈りが捧げられた。
俺の出る幕はない。船団には専門の神官がいる。
俺とエクトラは水兵たちと並んで甲板に立ち、ボロボロの船へ黙祷を捧げた。
厳かに鐘が鳴り、乗り手のいない船がゆっくりと海流に流されていく。
「行くのだ、アンリ」
「ああ」
俺は魔力を練って念じ、魔法で〈エクトラ号〉の帆を張った。
冒険者ギルドが軌道に乗り、魔物と切り会える経験豊富な冒険者が増えれば。
きっと、こういう被害も少なくなるはずだ。
- - -
サハギンによる大規模な襲撃は、それが最後の一回だった。
散発的な襲撃を撃退しつつ船団は進む。
数日後、まっすぐ真後ろからの追い風だった風が、やや斜めの追い風に変わった。
それは完璧な角度だ。真後ろからでは、三本あるマストのうち最後方の帆にしか風が入らないが、斜めならば全ての帆が風を受け止めることができる。
気象に恵まれた船団が速度を増し、南海の波を割って進んだ。
ある日、とつぜん青空にもくもくと雲が立ち込めた。
バケツをひっくり返したような豪雨が降る。南国の通り雨だ。
船底に溜まっていく水を、エクトラと俺が必死に抜いた。
それから濡れた甲板をこすりあげて掃除する。すっかり力仕事担当だ。
万神殿に居たときとやっていることが変わらない。
おかげで、というべきか。
水兵たちは、親しみを込めた調子で、俺を”ギルマスさん”と呼ぶようになった。
ギルドマスターとかけているつもりらしい。つまらないジョークだ。
さらに数日が経ち。
「船長! 見えてきましたぞー!」
メインマスト上の見張り台から、デーヴが言った。
「なになに!? 何が見えるのだ!?」
エクトラが船の揺れを苦にもせずマストを登っていく。
その後ろについて、俺も見張り台へと向かった。
「あれが〈ニューロンデナム〉、新世界の玄関口です!」
「おおーっ! 街だー! 街……なのだ?」
街からは黒煙が上がっていた。
周囲を取り囲んでいる木の城壁は崩され、火の手が回っている。
大小の魔物らしき影が街中をうろついているのが見えた。
「まさか……遅かったか」
ニューロンデナムは既に滅びてしまったのか。なら、ロンデナは。
いや。まだだ。街が滅びようと、すぐに街の神が死んでしまうわけではない。
短いうちに街を取り戻せば、まだ目はある。
状況を確かめるべく、街の周囲を観察する。
どこまで続いているかも分からない長い砂浜がある。
ここが巨大な島なのか、それとも大陸の半島なのかもまだ分かっていない。
砂浜にはいくつか残骸が打ち上がっている。
砂浜の奥に何があるのかは、まったく見えない。
密林が視界を遮っているせいだ。
だが……遠くにうっすらと、幾筋もの白い煙が見える。
「炊事の煙だ」
「生き残りがいるのだ!?」
「けっこうな数ですな。ニューロンデナムの住民に行き渡るほどの量、ということは」
「一時的に街を捨てたのか。住民は無事らしい」
船団が速度を落とし、警戒しながらニューロンデナムに近づいていく。
……そして、反転した。
この船団を率いている大商人が乗った商船には、二つの旗が掲げられている。
”撤退”の信号を意味する旗と、”我に続け”の旗。
この港を見捨てて、安全な場所へ寄港するつもりだろう。
だが従うわけにはいかない。
ロンデナと、メアリーとの約束がある。彼女を助けなければ。
「デーヴ。もし俺たちが船団から離れると、何か問題はあるか?」
「大ありですぞ。他船から借り受けた士官や水兵を連れて離脱するなど。何より、私などは軍籍の将校ですから。まあ、犯罪者として追われる身になってしまいますな」
ホッホ、とデーヴは腹を揺らして笑った。
「それでも人を助けろと言うなら、文句はありませんがな。どうされますか、副船長」
「皆を甲板に集めてくれ」
「そうしましょう」
この船に乗った士官と水兵、それに元密航者の彼も含めた全員が、甲板に並ぶ。
全員合わせて数十名。船の規模からすれば少ない。
「聞いてくれるか。この航海に出る前、俺はある神と約束を交わした」
彼らの前を歩きながら、俺は言った。
「彼女は生まれたばかりの街神だった。生まれながらに体が弱く、助けを求める住民の声にも答えることができずに、ただ病床で苦しんでいた」
水兵たちは真摯な顔で話に耳を傾けてくれている。
この航海の間に生まれた信頼のおかげだ。
「彼女の名はニューロンデナム。呼び名はロンデナ。そこで滅びかけている街の神だ」
ハッ、と彼らが街を見た。
「彼女を救うと約束した。冒険者ギルドを作り、街を襲う魔物を撃退し、街を栄えさせると。いずれは彼女が自ら、あの街の土を踏めるように。だから、俺は」
例え、エクトラと二人だけになったとしても。
「船団を離脱して、あの街を救いに行く。君たちは他の船に移り、安全な港へ行け」
「しゃらくせえぞ、ギルマスさんよ!」
「そうだそうだ! あんたが行くっていうんなら、海の果てでも行ってやらあ!」
「離脱しても、俺は責めないぞ? 勝手に離脱すれば罪になる者もいるだろう」
「知らねえ、そんなこと!」
「……本当に、いいんだな?」
俺は一人ひとりに確認した。
全員が、首を縦に振った。
「いいんだな、デーヴ。犯罪だぞ」
「構いませんよ。仮にそうなったとして、打つ手はありますからね」
彼は腹黒い笑みを浮かべた。そういえば、こいつはそういう奴だったな。
「信号旗を掲げろ! ”交戦する”、”幸運を”だ! 接岸準備!」
水兵たちが仕事にかかった。
……掲げられた旗を見て、アゼルランド王国の巨大ガレオン船がそばに寄ってくる。
側面に並ぶ無数の大砲が、半端ではない威圧感を放っていた。
「デーヴ。お前の船が来たぞ。迎えに来るんじゃないか?」
「まさか」
デーヴは甲板に立ち、ガレオン船へと敬礼した。
向こうの艦に立つ船長らしき男が、デーヴへと敬礼を返す。
ガレオン船に、”交戦する”と”幸運を”の旗が掲げられた。
「そこまで小さい男ではありませんからな」
「そうか」
更に数隻、小型の戦闘艦がニューロンデナムへと近づいた。
同じように”交戦する”の旗を掲げているそれは、ルバートの海賊団だ。
やはり、悪い人間ではないのか……?
矢文が飛んできた。”酔狂なヤロウだ。嫌いじゃねえ。援護に感謝しろよ”。
誰が感謝なんかしてやるか。
「行くぞ! ニューロンデナムを奪還する!」
急揃えの艦隊が、港へと距離を詰める。
沖合でガレオン船が旋回し、側面の大砲を斉射した。
雷のような大音響が無数に重なり、すさまじい数の砲弾が着弾した。
港の倉庫や木製クレーンごと、魔物をまとめてなぎ倒す。
逃げ惑う魔物へと、ぱらぱらと魔法の追撃が飛んだ。
「さすが、アゼルランド王国海軍の旗艦だけはある……」
「すごいパワーなのだ! わがはいもアレ欲しいのだ!」
「さすがに無茶だ」
土地柄を考えれば、冒険者ギルドにも海軍力が欲しいのは確かだが。
「副船長! 桟橋はルバートに譲り、我々はあの川から接岸しましょう!」
デーヴが言った通り上陸できそうな川がある。
正面は頭数が多いルバートに任せ、俺達は側面を突くとしよう。
水流に抗って河口に寄せ、そこで錨を降ろす。
久々の陸地だ。足が馴染む。やはり俺は陸の人間だな。
デーヴに船の周囲を守らせて、俺とエクトラは市街を進む。
街を荒らしている魔物はサハギンだけではない。
狼らしき魔物や、ゴブリンの姿もある。明らかに陸の魔物だ。
「わっはは! 弱い、弱いのだ!」
多少なり魔物と戦う経験を積んでいれば、この程度の魔物には負けないだろう。
対人用の戦い方しか知らない兵士では厳しいだろうが。
とはいえ、無理もない話だ。対魔物剣術はほとんど失伝している。
かろうじて神殿騎士や一部の騎士が細々と伝えているぐらいだ。
「隠れてないで出てくるのだー! わがはいが相手なのだー!」
調子に乗って突っ込んでいくエクトラの背中を守る。
あれでも冒険者の神だ。低級の魔物に遅れは取らないだろう。
「ふっ」
神殿騎士の長剣を振り回し、目に入った魔物を一刀で斬り伏せていく。
家屋のドアはどこもしっかり施錠されていて、家の中まで入った魔物は少ない。
十分に余裕をもった避難だったようだ。これなら住民の被害も少ないだろう。
「……ん?」
小高い丘の上に、大理石の神殿が見えた。
あれはニューロンデナムの街神へ祈るための神殿。ロンデナの神殿だ。
「エクトラ! 行くぞ!」
「おうなのだ!」
神殿へと続く階段に魔物が集まり、目につくもの全てを打ち壊している。
……魔物は神に属するものを嫌う。
ここにいる魔物どもは、この神殿を破壊するため集まっているのか。
「この神殿はロンデナのものなのだ! お前らが壊していいものじゃないのだっ!」
エクトラと並び、階段上の魔物を蹴散らす。
この程度は物の数にも入らない。
神殿の扉は既に破られていた。
祈りを捧げるための空間は滅茶苦茶に打ち壊されている。
……いくつか、魔物の死体が転がっている。ここで戦いがあった。
「エクトラっ! まだ中に人がいる!」
「任せるのだ! 助けて下僕ゲットなのだ!」
「……いや、どう考えてもロンデナの信者だろうが……!」
走る勢いを止めず、神殿の裏へと進む。
奥の扉に群がる魔物の群れ。無数の爪痕が刻まれた扉はまだ持ちこたえている。
良かった、間に合った!
「そこからどけっ!」
大振りな一撃で、ドアの前から魔物を引き剥がす。
背中を扉につけて、俺は剣を構えた。
「エクトラ!」
「任せるのだ!」
俺が中の人を守っている間、エクトラが自由に動いて魔物を殲滅する。
数の差があるとはいえ、それをひっくり返して余りある力の差だ。
魔物の数は減り続けた。それでも魔物たちは逃げず立ち向かう。
最後の一匹が倒れた時、エクトラの全身は血に塗れていた。
「わがはいがっ! 最強なのだっ!」
瞳をぎらぎらと輝かせ、彼女は爪を天に掲げた。
「ふーっ! ふーっ!」
落ち着かない様子で肩から息をしている。危険な香りがする。
「あ、あの。終わりましたか?」
俺が背負った扉の奥から、震える声が聞こえた。
「まだだ。もう少し隠れていろ」
見せないほうがいい。
エクトラが狼の魔物の死体に目を留めた。
……そして、頭から死体の腹にかぶりつこうとする。
「エクトラ。落ち着け」
その寸前で、体を抱えて引き剥がす。
「あれっ!? わがはいは何をっ!?」
「さあな。魔物の血を浴びすぎたのか……?」
見た目からしても、彼女は明らかに魔物じみた性質を持っている。
こういう状況ともなれば、血に酔ってしまうのだろうか。
だとするなら、あまり戦わせすぎないほうがいいかもしれない。
「終わったぞ。出ても大丈夫だ」
扉の奥から、棒を握りしめた神官たちが現れる。
怪我をしている者が多い。避難せず、神殿を守るために戦ったのか。
「エクトラ様と、アンリ様ですね」
神官長が言った。
「ロンデナ様より信託を受けております。必ず、あなたがたが助けに来ると」
「ああ。約束したからな」
「わがはいたちがロンデナを助けるのだ! ついでに下僕もゲットするのだ!」
「……ありがとうございます……! 私には感謝することしかできませんが……!」
「教えてくれ。助けに向かうべき場所は他にあるか?」
「いいえ。街に残っているのは我々だけです。皆の避難した砦は、この街より防御が硬いですから……心配は要らないでしょう」
「そうか。分かった。なら、俺は魔物を掃討してくる。エクトラはここに残れ」
「えー!? わがはいも戦いたいのだ!」
「護衛が必要だ。分かるだろう」
「むうー」
神官が怪訝な顔で俺たちのやり取りを見つめている。
神と付き人が対等に会話していれば、戸惑って当然だ。
「では、行ってくる」




