2.佐城ミコトは『憶えていない』
学部棟の一室で、ボンヤリと天井を見上げていた。
人文学という穀潰しの烙印を押されることもある、そんな学問の徒である俺。その研究室の中には、当然のように自分以外の学生はいない。
とりわけ水曜日である今日は、午後の講義がなかった。
そうなれば多くの生徒が赴くのは飲み会、あるいはバイトといったところ。
「暇だなぁ……」
決してその例に漏れているわけではないが、今日の俺は偶然にも暇だった。
バイトのシフトも入っていないし、かといって飲み会に突発的に呼ばれるような人柄でもない。そんなわけだから、アパートで一人いるよりも、と思ったのだ。
だがしかし、その結果としてあるのは現状。
普段から利用者が少ない、そんな研究室にやってくる人がいるはずもなかった。
「これだったら、別にアパートでも変わらなかったな」
独りごちて、しかし少し前向きに考えよう。
そう思って今朝のことを思い出した。
「それにしても、どういうことなんだろう……?」
それというのも、あの子のこと。
佐城ミコトという名の彼女は、どういうわけか俺のことを憶えていなかった。いいや、正確に言えば興味を持っていない、といえば良いのだろうか。
俺は居住まいを正しつつ、記憶を手繰り寄せた。
◆
「憶えてない、だって……?」
「あぁ、そうだよ。お前の顔になんて興味持てないからな」
俺が唖然と口にすると、佐城さんはつっけんどんな口調でそう言う。
少し長めの前髪を弄りながら、視線をどこか遠くへ投げていた。そんな彼女の様子を見て、もしかしたら人違いなのか、とも思う。
事実、出で立ちはあの時から大きく変わっていた。
黒い髪は肩口で切り揃えられており、身に着けている衣服も白無垢などではない。もちろん白無垢でいる方がおかしいのだが、今の服装もなかなかだ。
黒のタンクトップに赤色の革ジャンを羽織っており、太ももを大きく露出したホットパンツを履いている。耳にはピアスを開けているし、良く観察すれば別人だと、そう思ってしまうほどだった。
「でも、佐城さん……なんだよな?」
「あぁ、それは間違いないけどな。それがどうした?」
「い、いや。別に……」
それでも名前を確認すると、やはり間違いない。
眼つきが少しばかり悪くなったものの、顔立ちは変わらないし、何よりもオッドアイなんて滅多にお目にかかれない。
つまりはあの時、雪降る冬の夜に出会った彼女に間違いない。
そのはずなのにどうして、こんな違和感があるのか。
「ったく、『アイツ』も面倒なことしやがって……」
「え……?」
それに首を傾げていると、不意にそう佐城さんが口にした。
思わず反応してしまうのだが、どうやら俺に向けた言葉ではないらしい。彼女は大きくうな垂れて、また前髪を弄りながらこう言った。
「いいか? オレのことは忘れた方が良い。というか忘れろ」
鋭い眼差しで、こちらを睨み上げながら。
ついつい気圧されてしまった。それでも俺は――。
「どう、して……?」
なんとか、食い下がった。
すると佐城さんは、また小さくため息をついて言うのだ。
「ハッキリ言っておく。お前が会ったオレは、きっとオレじゃない。だから――」
鼻を一つ鳴らしてから。
「あの冬の出来事は、忘れるんだ」――と。
◆
――冬の出来事は忘れろ。
佐城ミコトという名の少女は、そう言った。
自分であり自分でない、そんな彼女と俺は出会ったのだから、と。
「意味が分からねぇよ……」
うな垂れてしまう。
しかし、考えても答えは出そうになかった。
「仕方ない。サークルに顔、出すか」
俺はそう思い直して、おもむろに立ち上がり研究室を出る。
そして歩くこと数分で、サークル棟に到着。文芸サークル『ペンクラブ』の看板が下げられたドアをノックする。
そうすると、中から聞き慣れた女生徒の声が聞こえた。
「どうぞ~」
その招きに従って、俺はドアを開いた。
すると、そこにいたとある人物に目を疑うのだ。
「あ、ミキヤくん! 新入生がきてくれたんだよ!」
暢気な声で話しかけてくるのは、同期の赤城奈津子だ。しかし、そんな彼女に意識などいかない。俺の目には、奈津子が言った新入生の姿しか映っていなかったのだから。
そうなのだ。
そこにあったのは――。
「佐城、さん……?」
「え……?」
服装に変化はない。
それでも、どこか雰囲気が柔らかくなった佐城ミコトの姿だった……。
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