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後編

【8】


 例え彼女がいなくなったとしても、約束はいなくならない。

 

 朝ご飯とデートの約束は一度ポケットにしまい込むとしても、月たちを壊す約束は、果たさないわけにはいかなかった。ストーカーみたいな発想だよね。


 でもそれはレイコさんのことをどうこうしたいとか、レイコさんの人生に干渉したいとか、そういうことをしたいわけじゃないんだ。レイコさんがこの世界のどこかで月の光に震えている姿を想像すると、そうしないわけにはいかなかった。


 でも、どうやったら月たちを壊すことができるのだろう?


 ぼくにはまったく検討もつかなかった。でも、多月症は自分が作った病気なのだから、治療法も自分で作ることができるはずだ。


 復学したぼくは、キャンパスの中庭のベンチにすわり、6月の暖かな日差しを浴びながら考えていた。中庭には野良犬が紛れ込んだようで、広大な芝生の上を楽しそうにかけずりまわっていた。


 月を直視しないように空を見上げる。視界のはしっこで、月の数を確認する。今日は8個くらいでているようだった。あの日大量に分裂した月たちは、しばらくは我が物顔で空を占拠していた。しかしそれから数日後に大雨があって、洗い流されるようにいなくなった。それからはいつも通り。ぼくが何をしようと、何をすまいと、マイペースに適当な数で空に浮かび続けた。


「あなたって他人に興味がないのね」


 ふと、レイコさんの言葉を思い出した。

 ぼくはもっと、他人に興味をもつべきかもしれなかった。それは明らかにぼくに足りていないことだったし、それを克服すれば月も壊すことができるかもしれないと思った。


 根拠なんてなかった。けれども多月症にかかったぼくとレイコさんの共通点は『孤立』だった。そこに何か鍵があるかもしれない。ごく細い糸のような手がかりだけれども、今のところ最も可能性のある方針だったと思う。


 心地よい孤立に甘んじるのはやめよう。

 誰かに興味をもとう。好きになろう。レイコさんのことを好きになったように、他にも好きになれる人がいるかもしれない。そういう人たちを自分から探し、この孤立から脱してみよう。

 

 ぼくにそんなことができるのか不安だったが、意外とすぐに好きな人はできた。すべて女の子だった。ぼくは孤立している女の子をすぐに見分けることができたし、そういう子とは不思議とすぐに仲良くなれた。


 そうやってぼくは何人かの女の子と出会い、そして別れを繰り返した。好きになった人と別れるたびに、ついこの間までキラキラと光っていた大切な何かを、片っ端からお墓の中に放り込んだ。ぼくのできないことは増えていった。でも、多月症は相変わらず治りはしなかった。


 ぼくはまだあの月たちを壊してはいない。

 何か方向性が間違っているのだろうか。分からない。

 

 月を真正面から見据えることなんてできないけれども、身体に月の光が当たると、レイコさんの声やタバコの香りを思い出す。胸がちくちくと痛むし「ねえ、約束はどうなったの?」と彼女に怒られている気持ちになる。イヤになっちゃうよね。でも、グチってばかりもいられないんだ。


 ぼくは約束を守らなければならないし、そのためにできることは、まだまだきっと無限にある。人類がほろんだ後に動き続けるロボットにいくら似ていたとしても、ぼくはそれを探し続ける。他の選択肢だってもちろんあるんだろうけど、ぼくがそういうふうにできていない限りは、仕方がないことだ。


 というわけで、この話は一旦はここまでになる。

 何一つ終わってはないけれども、終わっていないものは、終わらせるわけにはいかないんだ。



【終わりに】


 レイコさんの本名は、本当にレイコさんだ。

 だからもし、これを読んでいるあなたの周りにレイコという名前の女の子がいるのなら、どうかこの文章のことを伝えてほしい。



【私信】


 ※ここから先はレイコさんへの私信になる。あなたがレイコさんでないのならば、ここから先の文章は読まなくても大丈夫です。



 レイコさんへ。


 ごめんなさい。そういうわけです。ぼくはまだ、約束を果たせていません。レイコさんが日々、月の光におびえながら暮らしていないか、とても心配しています。とはいっても、レイコさんはぼくとした約束なんて、とっくに忘れているかもしれません。だとしても、月たちは必ずぼくが壊して見せるので、ぼくが約束を忘れていないことを、忘れないでいてくれたら嬉しいです。


 月が一つになったあとの世界は、きっと素敵なものである気がします。もしぼくが月を壊すことができたら、約束通り、一緒に朝ごはんをたべて、夜空の下、吉祥寺でデートしましょう。約束は尊いものです。ぼくが約束をまもったら、レイコさんも約束を守ってくださいね。


 ……なんていうのは冗談です。あなたがこの世界のどこかで生きてくれていれば、ぼくは十分に幸せです。


 レイコさんとのことを思い出すと、後悔することが多いです。あのときぼくがしたことや話したことは、どこまでが正しくて、どこからが間違っていたのだろう? いまだによくわかりません。とはいえ、自分になにかできたかもしれないという発想自体がなにかの思い上がりな気もして、考えに出口がありません。ぐるぐるぐるぐる考えています。


 でも、きちんとレイコさんに告白できたのはよかったと思っています。その一点だけは、自分を褒めてあげたいとおもっています。


 話が長くなりました。いつまでもお手紙を書いていたい気がしてだめです。もし空から月が消えたら、投げキッスの一つくらいして労ってくれると嬉しいです。


 それでは。お身体を大切に。

 レイコさんの幸せを祈るなんて無神経なことはできません。一日も早く月を壊せるようにがんばります。


 なのでレイコさん。あなたの側にはどうか、暗闇の中で光る蛍のように、しずかな呼吸のような生活がありますように。あらゆる悪意から、あなたが自由でありますように。




『ぼくはまだあの月たちを壊してはいない』

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