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前編

【序文】


 ぼくがまだ子供だったとき、とても大きな思い違いをしていた。

 それは一言で言うとこうだ。


『人は生きれば生きるだけ、できることが増える』


 人間は生きていれば経験を積みかさねていく。もちろん、人によって早い遅いの差はある。でも基本的には経験をつめばそれは知見に変わるし、知見はやがて知恵に変わるだろう?


 だから人は、長生きすればするだけ成長する。ぼくは人間の成長について、そんな風にとらえていたんだ。


 でも生まれてから24年たった今、それは大きな間違いだということに気がついた。なぜならば、まったく逆のことも同時にいえるからだ。


『人間は、生きれば生きるだけ、できなくなることが増える』


 そういう真実が存在することを、ぼくは大人になってから、身を持って思い知らされることになった。



 例えば、ぼくはもう月を真正面から見ることができない。マンションのベランダに出ることもできない。理由はとても単純で、大好きだった人とそういうことをして、大好きだった人とお別れしたからだ。


 そういうことは、もう、ぜったいにできない。

 たとえ誰かにおどされて、ナイフをつきつけられたとしても。ぼくの身体は、そういうことが死ぬまでできないようになってしまった。イヤになっちゃうよね。


 大好きだった人とお別れするっていうことは、それくらい大きな出来事なんだってことだと思う。大好きな人からそれまでにもらったものを、ぜんぶ海に返しておしまい……そんな単純な話じゃあない。大好きな人からこれまで得ていた素敵な何かは、お別れとともに概念ごとそっくりこの世界から失われてしまう。少なくともぼくはお別れというものを、そういう風にとらえている。


 そう考えると『死』っていう一見理不尽なシステムも、実は合理的に思えてくるんだよね。人は生きていれば必ず別れをくり返すし、その度にできないことが増えていく。いずれ身動きが取れなくなって、生き物として行き詰まる。人間はいつかは死ぬべきなんだと思う。


 話が脱線した。


 序文だというのに、前置きが長くなってしまった。


 ぼくがこれからするのは、ぼくが月を見られなくなった理由についてのお話だ。ぼくはこの文章を、月の光から隠れながらこっそり書いている。想像してみてほしい。月の光から隠れながら、文章をかく24歳の男の姿を。


『この文章が、居なくなってしまった君に届きますように』


 この文章はそういう趣旨のもと書かれている。

 ぼくの世界から居なくなってしまった君に、どうか読んでもらいたいのだ。伝えたいことがあるのだ。


 これは決して小説なんかではない。事実しか書くつもりはないし、真実しか述べるつりはない。心にもないことは、たったの一文字だって書くつもりはない。


 つまりはどういうことか?


 ほくはこのへたくそな文章を、命がけで書いているということだ。なんてったって、居なくなってしまった君は、もしかしたらこれを読んでいる君かもしれないんだから。



 そういうわけで、もうあんまり残っていない力をふりしぼって、ここで叫ばせてもらいたい。

 ぼくにマイクをよこせ!!

 レッツ、ロックン・ロール!



『ぼくはまだあの月を壊してはいない』



【1】


 ぼくが大学一年生のころ、ぼくはすでに学内で孤立していた。


「大学ほどたくさんの人間がいる中で、どうやったら孤立できるんだ?」


 そんな風に不思議がる人がいるかもしれない。

 でもぼくはごく自然に、これといった工夫もせずに、孤立することができる。


 お医者さんがいうには、ぼくは頭と心の病気らしくってさ。異常があるってことになっている。異常であるということは、社会の平均値から著しく外れているわけだ。


 そういった多数決によって、ぼくは病気であると判定されてしまった。でも、これにはぼくは納得はしていない。心や頭がどうあることが正常化なんて、社会が多数決で決めるもんじゃないって思うんだよね。まあ、両親もそれを信じちゃってるみたいだけど。ぼくはあんまり、信じていないんだ。


 でもまあ、平均値から外れているのは事実なのだろう。おまけにぼくはたまにキレてしまうことがあるんだ。突然記憶がすっとんで、とんでもないことをやらかしちゃうこともある。


 そういうことを含め手考えると、孤立するのは自然なのだと思う。だからぼくは、ぼくが孤立することについては、特に文句もないし不満もないんだ。


【2】


 いやいや。ぼくは別に自分がいかにマイノリティかを語りたいわけじゃあないんだ。大好きだった女の子の話をする上で、孤立の話がどうしても必要だっただけなんだ。


 というわけで、大好きだった女の子の話をしよう。

 名前はレイコさん。彼女もまた、孤立している側の人間だった。


 でも、ぼくの孤立とは種類がまったくちがっていた。


 ぼくは特に望んで、孤立していたわけじゃあない。

 波打ち際に打ち上げられたゴミのように、結果的にそこに流れ着いただけだ。特に不満も文句もないけれども、そこに行きたいという明確な意志をもとに、そこにいるわけじゃあない。


 でもレイコさんの孤立は、ぼくのそれとは種類が明らかにちがった。レイコさんはあえて孤立しようとしていた。たぶん、他の誰もが気づいていなかったと思う。でもぼくには一瞬で見抜けた。


 レイコさんはかくれんぼのようなメイクをしていた。まるで世界中のメイクの平均値をかき集めたような、特徴のないメイクだった。『私のことを誰も見つけないでください』そんな祈りが聞こえてくるようなメイクだった。


 かくへんぼをしていたのは、メイクだけではなかった。ファッションだってそうだ。尖ってもない、やぼったくも無い。誰もがなんとも思わないジャスト平均値な服装を、彼女はいつも慎重に選んでいた。


 レイコさんは大学の中で、積極的に誰かと関わろうとしなかった。特定のグループに所属することはなかった。かといって目に見えて孤立しているわけでもなく、どのグループとも均等な距離感で接していた。ものさしで測ったみたいに、均等な距離感をたもっていた。


 学校が終わった後の時間を、学校の誰かと共有しているふうはなかった。彼女が均等な距離感でいろんな人と接するのは、彼女なりのかくれんぼのノウハウなのかもしれなかった。


ーーー平均値を駆使して、かくれんぼをしている女の子


 それがぼくが彼女にもった印象だった。


 しかし、彼女が平均値をいかに駆使しようとしたところで、どうにも社会に突出してしまうものがあった。おそらく本人にとっては残念なことなのだろうけれども、彼女はとても美人だった。


 白い地肌には、黒くてつややかな長髪がよくはえていた。おまけに大きな瞳の中には、小さな星をたくさん宿らせていた。どれだけ飾り気のない化粧でごまかそうとしても、どれだけ地味な眼鏡で瞳を隠しても、彼女自身が生まれつき持った美しさだけは、隠しようがなかった。


 レイコさんの平均的であろうとする努力がどの程度周囲に伝わっていたのかどうかはあやしいが、彼女の持つ本来の美しさは、周囲の誰もが気づいていた。彼女の願いもむなしく、周囲は彼女を放っておいてはくれなかった。


 少し暑くなり始めた5月のゴールデンウイーク明けのときのこと、レイコさんは学部の目立つグループの男の子たちに誘われていた。


「ねえ、レイコってさ。今週末、ヒマー?」

「え、あ、いや。今週末はお友達と遊びに行くの」

「へー。そのお友達って、女の子?」

「えーと……はい、そうですね」

「今週末の土曜日さ、学科の仲いいグループで、バーベキューやるんだよね。よかったらその友達と一緒に来ない?」

「え、あ、いや!そういうの、友達も苦手なんで、せっかくですけどご、ごめんなさい!」


 彼女はとっさに正しい表情が見つからなかったんだろう。


 笑顔がぐんにゃりと崩れたような、なんともいえない表情を浮かべてしまった。そしてそれを悟られないように、小走りに顔をふせて去っていった。その表情は人間らしくてとてもチャーミングだと思った。



「ふられてやんの。ぎゃはははは!」

「うっせー。レイコはさ、磨けば光ると思うんだよな。くっそ。俺がやつを蝶に変えてみせる」


 そんな会話を大声でしていたものだから、ぼくの耳に自然に入ってきた。心の底から、いらいらとした感情が湧き上がるのが自分でもよく分かった。


 磨けば光る? 彼女が自分を磨くことを怠った結果、今の地味な姿があるとでも思っているんだろうか?


 蝶に変えてみせる? 彼女が何を望んで、どれだけ努力と精神を削り、今の姿を保っているのかわかっているのだろうか。彼女の努力にも気づかずに、のんきな会話をしている二人に、心底腹がたった。


 腹がたったところまでは覚えていて、それから一瞬だけ記憶が飛んでいる。気がついたときには、ぼくは彼らのどちらかの一人に馬乗りになっていた(どちらかは忘れた。どちらでも良かった)。


 自分は何をやっているのだろうと不審に思ったけれど、どうやらぼくは彼の顔をボコボコに殴っている最中だった。彼は鼻から血を流し、すでに顔の形は変わっちゃっていた。


「ああ、ごめん」


 謝ってみたところで何の意味もなかった。


 ほどなくぼくはこの行いが学校にバレて、3ヶ月の停学処分になった。事務室でそれを言い渡されると、ぼくは自宅のマンションに戻る足で、ゲームと小説を買って帰った。ゾンビを銃でやっつけるゲームと、『パールバック』の大地という中国を舞台にした小説だった。



【3】


 停学処分から3日ほどたった日の夜、ぼくがゾンビゲームに興じていると、マンションのチャイムの音が鳴った。こんな夜中に誰だろうと思い、玄関ののぞき穴からのぞいてみると、見覚えのある姿がそこにあった。レイコさんだった。ぼくは鍵をあけ、玄関のドアを開いた。


「こんばんは、レイコさん」

「話したいことがあるの。ここで少しだけお話してもいい?」


 レイコさんの目はいつものキラキラした瞳と違って、濁った目をしていた。死んでから三時間たった魚みたいだった。


「もちろん。いまね。ゾンビを倒すゲームをやってたんだ」

「へえ。流行ってるもんね」

「その前には小説を読んいた。パールバックの小説」

「パールバック。大地?」

「そう。知ってる? あれってどんな気持ちで読めばいい小説なんだろう。よく分からない。でも、面白いんだよ。守銭奴のドチュエンが好きだな」

「悪いけど私は読んだことないから分からないの。そんな話はまあいいわ。あなた、停学になってるんですって?」

「うん。暴力沙汰を起こしたんだ。結果的には停学になっちゃったけどさ。でもぼくは悪くないと思ってるんだ」

「どうして?」

「レイコさんの努力をふみにじったから」

「わたしの努力?」

「そう。孤立しようとする努力。レイコさんって、ものすごく全力で孤立しようとしてるよね? あんな努力って、なかなかできるもんじゃない。立派だと思うよ」


 レイコさんは無表情で、棒のように長くて固くて長いため息をついた。


「そっか。あなたにはバレてるのね」

「分かるよ、あんなの」

「気づいているの、たぶん、あなただけよ」

「そうかなあ」

「まあいいの。わたしのために怒ってくれてありがとうね。今日はそれが言いたかったの」

「別にレイコさんのためじゃないよ? 気がついたら殴ってただけだし」

「いいの。別にそれでも」

「ふうん。ねえ。そんなこというために、わざわざぼくのマンションまできたの?」

「そうよ。っていうか、わたしの部屋、あなたの部屋の隣よ。移動距離2メートル」

「うそ」

「あなたって本当に、他人に興味がないのね。まあいいわ。これからもよろしくね」


 そう言い残し、彼女は無表情で帰っていった。


 レイコさんの態度や雰囲気は、学校にいるときとまるで違っていた。学校では人当たりよくにこやかな雰囲気なのに。今のレイコさんは、殺伐としていて、淡々としていて、そして何かに絶望しているように見えた。


 たぶん、これが本来の彼女の姿なのだろうと直感した。


 本来の姿をぼくに見せてくれた理由は、よく分からない。ぼくに何らかの親近感を得てくれたのかもしれないし、孤立しているぼくならば、何がばれても平気だと思ったのかもしれない。


 もちろん、両方の可能性もあるけれども。

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