遠隔睾丸破壊装置 -夢の問答-
───────(4)───────
「びっくりだな。最近の夢は他人と共有するのが流行っているのかな」
「なんだ、奴隷。お前もここが夢と気づいていたのか」
「まあね」
ヤカンがピーピーと鳴り出したので僕はコンロの火を止める。
「おい奴隷、お茶はまだか?せんべいの食べ過ぎで私の口の中がパサパサになったらどうするんだ」
「はいはい。アヤさん、茶葉がどこにあるか知ってる?」
「あっ、それなら上の戸棚に……」
アヤさんが指で戸棚を指し示す。そこは僕が一度確かめた戸棚だった。どうやら僕は見落としていたようだ。
「やれやれ、ご主人様に教えてもらわないとお茶を淹れることもできないのか。駄目な奴隷だな。そうら、お仕置きだ」
内藤マレが僕にリモコンを向けてツマミを回す。すると、僕の腰下に取り付けられた歯車がギュルギュルと回り出す。その時、僕の脳内で断末魔を叫んだ男の姿がフラッシュバックした。徐々に締め付けられる股間の圧迫感に、僕は思わず恐怖でうずくまってしまった。
「ぐわああああ!」
「へえ、そんな風に動くんだ……」
アヤさんはうずくまる僕をまじまじと眺めていたが、すぐにハッとして内藤マレを睨みつける。
「じゃなかった、可哀想だからやめてあげて」
「なんだ、アヤ。急に口の聞き方が悪くなったな」
「夢の中だと気づいているならいいでしょ。あなた私より年下っぽいし」
内藤マレが冷たい視線をアヤさんに向ける。
「それがどうした。ここでは私は女王様、お前は平民だ。夢の中では夢の設定に従ったほうがいいぞ。私がこの指をパチンと鳴らせばだな、お前を牢屋に送ることだってできるんだぞ」
「む……」
「まあいいだろう。今は特別に生意気なその口の聞き方も見逃してやろう。今日の私は気分がいい。夢だと気づいた人間に二人も会えたからな」
二人が話している間も、僕は床でうずくまっていた。大事な部分が潰されていないのは感覚的にわかっていたが、ものすごく気分が悪くなっていた。
「うぐぐ……」
「大丈夫?イド……さん?」
アヤさんが僕に近寄って背中を撫でる。内藤マレはカンカンと床を靴で鳴らした。
「痛がりすぎだな。もうリモコンのツマミは戻してあるぞ。さっさと立ち上がって私に茶をくれよ」
「……」
僕は無言で立ち上がって戸棚から茶缶を取り出しお茶を作る。そして湯のみにお茶を注いでテーブルに出した。
「やれやれ、遅すぎだぞ……。まあいい。奴隷、名前は?」
「……招木イド」
「イドか。まあこの世界では『奴隷』で十分だけどな」
僕は内藤マレを睨みつける。しかし彼女は僕の顔を見てくれなかった。
「……僕の生意気な口の聞き方も特別に見逃してくれたりする?」
「ああ、私は寛大だからな」
「よかった。おい……この糞ガキ」
「あ?」
ドスのきいた声で脅そうとしたら逆に脅されてしまった。彼女はすぐにリモコンのツマミに手をかけて僕を睨みつける。どうやっても分の悪い戦いだ。
「あっ、いや何でもないです。……アヤさん、僕の代弁お願い」
僕はそそくさと、ダイニングキッチンに立っていたアヤさんの影に隠れる。アヤさんは呆れた顔を僕に向けた。
「代弁って……何を言えばいいの?」
「たぶん考えてることは一緒だと思うから……好きなように言ってくれれば、それで」
「そう、わかったわ。おい……この糞ガキ」
アヤさんは内藤マレに近づいて似つかわしくないドスのきいた声をだす。内藤マレは特に動じることもなく湯のみに口をつけていた。
「やれやれ、本当に口の悪い国民だな。でも私は寛大だからそれも許してやろう」
「夢の中でも痛いものは痛いんだから、夢の中だからといってひどいことはしてはいけないのよ。まあ、私は男性じゃないからあれの痛みはわからないんだけど」
「そうだな。本当はこういうことしちゃいけないんだろうな」
「わかってるならさ、もう少し仲良くいきましょうよ。奴隷とか平民とか女王とか、そういう設定は捨てて、ねえ?」
アヤさんはまるで子供に諭すかのように顔を近づけて、そして表情を緩めて言っていた。
「そうだな。本当はそうするべきなんだろうな」
内藤マレはそう言うと、特に理由もなくいきなりリモコンのツマミを回し始めた。機械の駆動音とともに僕の股間がキュッと締まる。これは仕方のない事だが、またもやうずくまってしまう自分がちょっと情けない。アヤさんと内藤マレは無言でうずくまる僕を眺めていた。
「……仲良くする気は全く無い?」
「ああ。全く無い」
「どうして?」
「『どうして?』。だってこれは私の夢だぞ?しかも私は女王様、この世で一番偉いんだ。だったら夢の中でくらい、好きなように振る舞ったっていいじゃないか」
「好き勝手したいなら、せめて私たちとは関係ないところでやってよ。こっちは迷惑なんだから」
アヤさんは本当に迷惑そうな顔をしていた。だが、内藤マレは意に介さない。それどころか楽しそうにしていた。
「いやだね。なんでかって?そりゃあお前たちがここを夢だと気づいているからだ。夢だと気づけるってことはお前たちは現実に生きている人間ってことだろ?実在するかどうかもわからないモブの人間より、お前たちを虐めたほうが百倍楽しいに決まってる」
「迷惑……本当に迷惑」
「恨むなら私の夢の中に入り込んでしまったその不運を恨むんだな。ワハハ!」
股間の締め付けによる痛みが回復したので、僕は何事もなかったかのように立ち上がる。
「アヤさん、いい感じに僕の気持ちを代弁できてるよ。その調子で次はあいつをめちゃくちゃに罵ってほしい」
「いや、罵れって言われてもねえ……」
アヤさんは振り向いて困った顔をした。
「なあアヤ、別に奴隷の味方をしなくてもいいんだぞ。お前は平民なんだからな。それに、お前とは気が合いそうだ。一緒に奴隷を虐めて楽しまないか?」
悪魔のささやきが始まる。
「悪いけど、私にそんな趣味はないから」
アヤさんは悪魔の提案を一蹴した。
「そう言うなって。現実は楽しいか?嫌なことがあってストレスが溜まったりしていないか?夢ってのはストレスを解消するためにあるんだ。もっとはっちゃけていこうぜ」
「別にストレス溜まってないませんー」
「そう言うなって。私のためだと思って一緒に遊んでくれないか。こういうのは友だちがいるといっそう楽しいからな」
「……」
急に場は沈黙した。そしてアヤさんは申し訳無さそうに僕の方を振り返る。その表情を見たとき、僕は今とても危ない流れに傾いていることを悟った。
「えっ、なんでなびきそうな流れになってるの……?」
僕の発言を無視して、アヤさんは内藤マレに話しかける。
「遊ぶって言ったら、そのリモコン貸してくれるの?」
「おお、好きなだけ貸してやるぞ!ほれほれ」
内藤マレは喜んでリモコンをアヤさんに手渡した。僕はその光景を見て裏切られたような気持ちになってしまった。
「えー……。アヤさんってそういう趣味があったの……」
「趣味じゃないけど、イドに一つだけ聞きたいことがあってね。これがあれば、嘘もつけなさそうだしねえ」
「聞きたいこと?そんなリモコンが無くても何でも答えてあげるよ。でもリモコンは捨ててほしいな」
僕は出来る限りの笑顔を取り繕ってみた。アヤさんもニコリと笑う。だがリモコンは両手で握られたままだった。
「良かった。リモコンは捨てないけど」
「捨てないんだ……」
「ねえ、なんであの時連絡先を交換してくれなかったの?」
「え?」
意外な質問だった。アヤさんは真顔になっていた。
「学校に来てくれたとき、すぐ帰ったでしょ」
「別に……深い理由なんてないよ」
「深い理由がないなら、普通は交換するよね?」
「……僕は普通じゃないからね」
普通ではない。普通ならあのとき連絡先を交換してるはずなのだ。僕の答えにアヤさんは満足していなさそうだったが、僕はそれ以上の理由を述べる気にはなれなかった。
「私のことが嫌いだったら、はっきりとそう言ってほしい」
「嫌いなわけないよ。むしろ……」
「むしろ?」
「……」
気まずい沈黙が流れる。何かを期待してそうな視線を向けられる。やはり良くない流れだと僕は思った。
内藤マレが興味津々な顔で椅子から立ち上がり、僕らの会話に割り込んできた。
「夢の中で痴話喧嘩か?いいぞいいぞ、もっとやれ」
「むっ。痴話喧嘩とかじゃないですー。友達としてプラトニックな話し合いをしているの」
「まー、何でもいいけど、ちょっと脅しが足りないんじゃないか?聞きたいのは本音だろう」
「……そうねえ。答えを濁されるのは互いのためにならないと思う、絶対」
そう言ってアヤさんはリモコンのツマミに手をかける。僕の中でさっと血の気が引いた。
「待った。それは僕を脅してまで聞くことなのか」
「……本当はしてはいけないことだけど、いいじゃん、夢の中なんだし。一つや二つ潰れたところで問題ないでしょ」
「布団の上でショック死しかねないから僕は問題にしているの!」
そのまましばらく僕らは睨み合った。僕からすれば、連絡先を交換しない理由をそこまで深く聞きたがるアヤさんの気持ちがよくわからかった。交換したくないから交換しない。何故それで満足してくれないのだろう?
「この期に及んで回りくどいやつだな!ぐいっといけ、ぐいっと!」
しびれを切らした内藤マレがアヤさんが持っていたリモコンのツマミをぐいっと回した。
「あっ」
「あっ」
「え?」
「これ赤い線超えてるよね?死ぬんじゃ」
アヤさんが焦った顔をする。僕は青い顔をした。内藤マレは自分の頭をぺちんと軽く叩いた。
「いやー、手が滑った滑った。ワハハ!」
「大変!はやく戻さないと!」
「たぶん手遅れだぞー。潰れた後に締め付ける力が弱くなるだけだ」
アヤさんがあわててツマミを元の位置に戻したようだが、どうやらもう手遅れらしい。また腰下の機械が大きな音を立てて歯車を回し始めた。股間の締め付けがさっきよりも強くなっていくのを肌で感じとった。
「うわあああああああああああ!」
───────(5)───────
気がついたとき、僕は布団の上にいた。どうやら大事なものが潰れきる前に目が覚めたようだ。機械の駆動音はもう聞こえず、外では小鳥が鳴いていた。とても心地よい音だなとその時思った。
「夢か……」
その後、布団の中で自分の股間をまさぐって安心したことは言うまでもない。本当に恐ろしい夢だった。