二人の盗賊 -高校見学-
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たった数日が経っただけで彼女を見つけることをすっかり諦めきっていた僕であったが、事態は思わぬ展開を迎える。三ヶ月ほど経って彼女の顔もほとんど思い出せなくなってきた頃、僕は相変わらず駅の中で突っ立って道行く人の顔を観察していた。目的を見失った今となってはただの人間観察に過ぎないのだが、それでも続けているのは単に習慣になってしまっているだけだろう。
彼女に繋がるヒントを見つけたきっかけは道行く人ではなかった。僕がふと駅の壁に展示されている絵をぼんやりと眺めていると、気になる絵が見つかったのである。その絵には顔の隠れた黒装束の男と女がレンガ作りの部屋の中にぽつんと立っており、男は小箱を、女は鍵を持っていた。その絵を見て僕は三ヶ月に見た夢を思い出す。あの日の夢の絵だ!あのシーンを描いた人間がどこかにいる!
僕はガラスに顔を押し付けて、その絵の詳細を調べた。この絵以外にもいくつかの絵が並んでいるが、どうやらこれは第121回油絵コンクールの受賞作らしい。そして件の絵の下にはご丁寧にタイトルと受賞者の名前が書かれていた。タイトルは「二人の盗賊」、受賞者は「泡沫高校 三年生 阿闍世アヤさん(18)」。棚から牡丹餅が落ちてきたような気分だった。
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ここからの僕の行動ははやかった。泡沫高校は僕の母校だったので、僕は着慣れないスーツを着て一年ぶりに母校を訪れる。卒業生が気軽に見学できるのかどうかは知らなかったが、高校の事務室にお伺いを立てたら気軽に許可を貰えることが出来た。おそらくこれは僕が卒業生だったからだろう。ついている。これは明らかについている。誰かが僕ら二人を現実世界で会わせようとしているのかと思ってしまうぐらいに。
僕が訪れた時間はちょうど放課後であり、グラウンドでは野球部やサッカー部が飛び跳ねていた。阿闍世アヤが何部に所属しているのかは知らないが、コンクールに入賞するぐらいならおそらく美術部だろう。そんなあてずっぽうな予測で美術室に向かった。思えば僕は高校時代に美術室に足を踏み入れたことはなかったような気がする。なんとまあ、奇妙な巡り合わせだろうか。もちろんそこに彼女がいるとは限らないのだけれど。
ドアの前で美術室の中の気配をうかがう。どうやら人がいるようだった。卒業生といえども僕は部外者、そして不審者。僕は少しドキドキしながら、軽くドアをノックして美術部へと足を踏み入れた。
「あっ、先生!遅いですよ」
声の主はキャンバスの後ろに隠れていた。聞き覚えのある声だった。声の主は僕が先生でないことにすぐ気がついた。
「……!?だっ、誰ですか……?」
声の主は筆を止めて椅子から立ち上がって僕の顔を見ようとした。そして僕と目が合った。彼女は黒装束ではなくブレザーを着ていた。彼女の年齢ならそれは当たり前の服装なのだが、僕にはそれがとてもおかしく感じられた。
「……いったい誰なんだろうね、僕は」
「……イドさん?」
「おかしいな、僕たちは初対面のはずなのに。本当に不思議なことだと思いませんか?阿闍世アヤさん」
「え……マジで……?夢の?」
「そう。夢の」
彼女は夢の中と同じように、まじまじと僕の顔を見つめていた。好きなだけ見つめればいいと思いながら見つめ返した。
「……ふー、びっくりした。心臓が止まるかと思った」
そう言って阿闍世アヤはドサリと椅子に座り込んだ。
「こんなことって、本当に……あるんですね」
「うん」
僕はその場で軽く拍手をした。
「入賞おめでとう。見事な油絵だったよ。君の実力がなければ絶対に会えなかった」
「どうも……」
アヤさんは恥ずかしいのか、自分の前髪を手で触っていた。
「本当は、コンクールに出すつもりじゃなかったんですけど……」
「どうして?」
「イドさんに見つかってしまうんじゃないかと思って」
「……迷惑だったかな」
「あ!そういう意味じゃないんです」
アヤさんはあわてて両手を前に伸ばして否定した。
「そうじゃなくて、ほら、夢の中で一期一会を楽しみたいって、私言ったじゃないですか。住所教えなかったじゃないですか。もしイドさんと出会えるんだったら、何かの偶然で出会えるほうがいいなって」
「ああ、そんなこと言ってたね。でも、どうかな。身近なところにいたけど、たぶんあの絵がなかったら絶対に会えなかったんじゃないかなあ……」
うん、絶対に無理だったろうな。僕は腕組みをしながらしみじみと思った。
「はい。私もそう思ってて……。偶然どこかで出会えたらそれはとても嬉しいことだけど、でももし出会えなかったらそれはとても寂しいなって思って……。だから、イドさんに見つけてほしくて……あの絵をコンクールに出してしまいました」
「そう……」
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「あの箱の中身は……何が入っていたんでしょうね」
「うん?」
「今でも気になっているんです。あの絵を描いている時もずっと気になっていました。開ける直前に目を覚ましていなかったら、中身を確認できたんですけど……」
「何も入っていないんじゃないかな……。僕も君と同じタイミングで目が覚めたから、中身はわからないけど、手に持ったとき軽かったし、振っても何の音も出なかったような気がする」
手持ち無沙汰に僕は窓の外を眺めていた。美術室は三階にあるので、野球児達の練習光景を存分に眺めることが出来た。
「城の宝物庫にまで泥棒して、収穫が空の宝箱って、なんかとても残念ですね」
「ハハ……。じゃあ逆に聞くけど、何が入ってたら満足だった?」
僕は振り返って彼女に尋ねる。彼女にとっては予想外の質問だったのかキョトンとしていた。
「え?」
「どうせ現実には持ち越せないんだよ。何が入っても一緒でしょ」
「それは……そうですけど。でも──」
彼女は髪をかき上げながらキャンバスに視線を向ける。
「中に何かが入っていたら、絵に残せましたよ」
「……確かに。でもあの絵は開ける前の絵だからこそ輝いている気がするな」
「うーん。そうかもしれませんね」
彼女は口では肯定したものの、どうやら僕の回答はあまり満足するものでなかったらしく、首を少しだけ傾かせていた。そういえば夢の中で彼女が小箱を開けたがっていたことを思い出した。たとえ開いていない方の絵が輝いていたとしても、彼女は小箱に宝物が入っている絵を描きたかったのかもしれない。
「さて……と。出会えて満足したから僕はもうお暇するよ」
僕がドアに向かって歩き出すと、阿闍世アヤが突然立ち上がった。
「あっ、待ってください!連絡先の交換をしませんか?せっかく出会えたんですから……」
そう言うと、アヤは近くに置いてあったカバンからスマホを取り出して僕に見せてきた。僕は少しだけ考えたあと、首を振って彼女の提案をやんわりと否定した。
「……いや、やめときましょう。そんなことしたら僕らの関係が陳腐なものになりますよ」
「えっ?でも……」
「次は僕も偶然に期待します。次の出会いは夢か現実か。夢だと嬉しいですよね」
そう言って僕はドアを開けて最後に別れの挨拶をした。
「さようなら。部活応援してますよ」
実のところ、彼女が連絡先の交換を口にしたとき、僕も賛成しようかと内心は結構迷っていた。だが、断って良かったと思う。同時にもったいないことをしたなと悔しい思いも少し感じているが、それでもこの選択は間違ってなかったと思う。連絡先を交換したところで、これといって彼女と話すことなんて無いのだ。もしあるとしたら、それはきっと夢の中だろう。今度は彼女と剣と魔法の旅に出たいなと思いながら、僕は家へと帰っていった。