ストーカー -ぼやき-
───────(4)───────
アヤさんたちと別れたその日から、僕は久しぶりに引きこもりを満喫した。最近は暇さえあれば舞姫市駅で佇んで人間観察をしていたり、夢友との集まりで喫茶店や飲食店に赴いたりしていたが、もともと僕は外に出るのがあまり好きではなかったのだ。だから引きこもること自体は特に苦でなかった。
そして運の良いことに外に出る理由も減った。最近は夢を見るたびに夢友とのミーティングが発生していたが、サイコ女が出てきてからは平凡な夢が続いた。夢友と一緒に見ることもなく、まだ見ぬ誰かと一緒に夢を見ることもなく、悪夢でもなく、そもそも夢が夢だと気づかない、普通の夢ばかりが続いた。バクは僕達に悪夢を見せると脅していたが、あれ以来何の音沙汰も無いところから察すると、サイコ女の出現にびっくりしてどこかに逃げ去ってしまったのではないだろうか?何にせよ、平凡な夢なら夢友とミーティングをする必要が無い。平凡な夢が続いたのは僕だけでなく、アヤさんや内藤さんも同様だった。それは珍しいことだが、ちゃんと考えてみると別に珍しいことではない。誰かと一緒の夢を見ることなんて、まずありえないことなのだから……。
そして、サイコ女を避けるために引きこもったものはいいものの、困ったことが一つあった。引きこもりのやめどきがわからないのだ。一週間が二週間ぐらい引きこもっていればいいかなと最初は思っていたが、それで十分だと考える理由は、サイコ女がその間に僕を探すことに飽きてしまうだろうという、ただの希望的観測にすぎない。普通は夢で出会った人に会おうとはしないし、たとえ会おうとして探そうとしたとしても、手がかりが見つからずにすぐに飽きてしまうのが普通である。しかし、普通でない例として僕がいる。僕はたとえ手がかりが何もなくても、いつかは見つかると信じて駅前で毎日佇むような男である。サイコ女はすぐに諦めるような女だろうか?それはイエスともノーとも言いづらい。サイコの考えることは常人にはわからないからである。しかし、僕よりも諦めの悪い人間だと考えたほうがいいのではないだろうか?そう考えると、二週間程度引きこもっただけでは心細い。だが、いつまで引きこもれば安心できるのだろうか?終わりの見えない引きこもりというのは、よくない。精神がじわじわ削られてしまう。
というわけで、終わりの見えない引きこもりを楽しもうと、僕は出来るだけ家の中で楽しもうとしていた。木の人形を掘ったり、テレビを見たり、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたり……。意識して楽しもうとするまでもなく、僕のいつもどおりの一日であった。サイコ女のせいで、この引きこもり生活をいつまで続けなければいけないんだと憤ってしまうが、一方で、この引きこもり生活をいつまで続けることが出来るんだろうと、意味もなく将来に不安を感じてしまう。いかにも駄目大学生の象徴といった感じだなと自分で思った。
形だけでも駄目大学生から少し離れようと思い、少し真面目に木彫りをしてみる。僕の趣味が夢で出会った人間の人形を作ることという話は以前したと思う。今彫っているのは名倉メイだ。あまり思い出したくない存在ではあるけれども、それはそれ、これはこれである。どんなに嫌いな人間であっても夢で出会ったからには彫るというポリシーが僕にはある。夢の思い出というのはとにもかくにも忘れやすいものだから、忘れないうちにさっさと形として残しておきたいというのが僕の考えだ。たとえ嫌な思い出であっても、かけがえのないことには変わりはない。
彫刻刀とナイフで入念に木を彫る。身長が低くて、巨乳で、そして髪の毛の色はピンクでロングだった、名倉メイ。僕の腕では正確に彼女の姿を彫りだすことは出来ないが、そんなことは承知の上での作業だ。出来上がった素体はやっぱり歪で、とても彼女には見えなかったけれども、これはこれで味がある出来だなと、僕は別の方向でとにかく満足をする。どうせ自己満足で作っているのでとにかく僕が満足を出来ればそれでいい。そして店で買ってきた手触りの良い白い布をギコギコと切って簡単なドレスを作る。もちろん僕はその手の職人じゃないので出来上がるのはドレスっぽいような、そうでもない、よくわからない変な服だが、これを人形に着せるだけで誰が見てもドレスだと一目瞭然になるから細かいことはいいのだ。あとは赤い絵の具をピッピッとドレスにつけることで夢で登場したサイコ女の完成である。後でピンク色のフェルトで髪の毛も再現してやろう。
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床の上で寝転がっていると、女子高校生からのメールがよく届く。言うまでもなくアヤさんと内藤さんからである。二人とも僕を心配してメールを送ってきてくれるのだ。引きこもりを始めたころは、内藤さんが僕の安否を茶化すようなメールを頻繁に送ってきたが、最近は僕のことをどうでもよくなってきたのか、それとも存在すら忘れてしまったのか、すっかりメールを送らなくなった。そう書くと内藤さんは冷たい人間だなと思う人がいるかもしれないが、僕はこれが普通の人間だと思っている。会わなくなった友達とはだんだんと疎遠になってしまうのが普通なのだ。これがもし毎日途切れずにメールを送ってくるようだったら、そっちの方がちょっと頭がおかしいと僕は思う。何が言いたいのかというと、律儀に毎日メールを送ってくるアヤさんは頭がおかしい。
毎日毎日、『今日も無事でしたか?』とメールを送ってくる。家から出れなくて暇だと思われている僕に話題を提供しようと、『今日もマレちゃんはかわいかったですよ!一緒に弁当を食べていたら……』といった感じの他愛のないメールを送ってくれる。そして、最近一緒の夢を見れないのが残念だと思っているらしく、『今日も夢では出会えませんでしたね!』というメールを毎朝送ってくる。メールを無視するのは友人としてどうかと思うので、僕も律儀に返事を書いていたが、だいぶうんざりしてきたので、すぐには返事を返さずに、返信までの間隔を徐々に広げている。しかし、安否確認メールはすぐに返事を返さないと電話がかかってくるので、これだけはすぐに返事を返すようにしている。
アヤさんの気持ちはなんとなく想像できる。『友達は大切ですから!』みたいな意識で僕にメールを送り続けているのだろう。それはもちろん嬉しいが、物事には限度があるだろう。そう思ってしまう僕は、結局嬉しいとは思っていないのだろう。
薄々と思っていたことだが、僕とアヤさんの友達に対する接し方はだいぶ温度差があるような気がする。思い返してみれば、僕の友達付き合いというのはとても淡白なものだった。今は全く友達がいない僕でも、昔はそれなりに友だちがいた。それは昔の僕が明るかったとかそういう話ではなく、単に学校という場所が勝手に友達が出来やすい環境だったからだろう。毎日教室ですし詰めにされていたら、勝手に仲良くなって当然の話である。そんなわけで僕にも何人か仲の良い友達がいたけれども、今は全く交流をとってない。何故か、と言われればそれはとても簡単な話で、彼らと同じ学校に通わなくなったからだ。環境によって出来た友達は、環境が変わったら付き合わなくなるのが当然だ。そういえば、クラスで仲が良かった子とも、進級でクラスが違ったら全く話さなくなったな。僕にとって友達なんてのはその程度のものなんだろう。
それに比べてみるとアヤさんの友達付き合いってのは大分積極的だなと思う。僕がそれなりの距離を置こうと思っても、アヤさんのほうから電話やメールをかけてきてぐいぐいと距離を詰めてくる。内藤さんに対するアヤさんの行動なんかはとくにそれが顕著で、下級生とはいえよくもあんなにベタベタと出来るものだなと僕は感心する。僕にも中高のころは後輩がいたけれども、彼女ほど馴れ馴れしく接したことは一度もなかった。メールや電話だってそうだ。僕は友達に返信することはあっても、自分から先にメールを送って友達と文通したことなど一度もない。単にそういうのが苦手というのもあるけど、返ってくるメールの内容を想像してみると、その手のメールを送るのがどうしても怖かった。
アヤさんは僕に遊びの誘いを断られるのは怖くないのだろうか。自分の何気ないメールで相手が傷ついたらどうしようとか考えないのだろうか。僕は結構とげとげしいメールを送っているのだけれど。




