ゴリ夢中 -煉獄歯医者-
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ここはとある歯科医院の待合室。どこにでもある普通の歯科医院だ。待合室にいる人達は気づいていないが、今日の空にたこ焼きは浮かんでいない。そんなことは当たり前だと皆思うかもしれないが、これはとても重要な事である。たこ焼きが浮かんでいないということは、ここは内藤ワールドではないのだ。
待合室にはほっぺたを赤く腫らしたピンクの病衣の少女が椅子に座っていた。少女の名前は内藤マレという。僕は彼女のことを知っているのはカルテを持っているからではない。以前に会ったことがあるからだ。だけど彼女は僕を見ても気が付かない。眼鏡と白衣を着ているので僕をモブの看護師か何かだと勘違いしているだろう。事実、今の僕はこの病院の看護師である。今はそういう設定なのだ。
内藤マレはぼーっと明かりを眺めながら自分が呼ばれるのを待っていた。虫歯が痛むのか、時折自分の頬を優しくさすっていた。
「はー。まさか虫歯になるなんてなー。こんなことならちゃんと歯磨きしておけばよかったなあ……」
「内藤マレさん、先生がお待ちです。手術室へどうぞ」
「はーい」
僕の案内に従って、彼女は裸足のスリッパをパタパタと鳴らして手術室に向かう。僕の声を聞いても気づかないのはまだ夢にまどろんでいるせいなのだろう。気づかないのは好都合である。怪しまれないのは好都合である。
手術室では僕と同じく白衣を着ていたシンさんが待っていた。彼は歯医者という設定である。
「ふむふむ、虫歯だそうだね。虫歯の原因に思い当たるところはあるかね?」
「昨日、プリンとショコラとショートケーキとわたあめと和菓子を食べたあと、そのまま寝てしまったのが原因かなーって」
「そうかそうか、それは麻雀で言うと四暗刻というところだな。至急治療が必要だ。少年よ、さっそくこの子を手術台に固定したまえ」
「はいはい」
僕は内藤マレを連れて手術台に乗せて、ごく自然に拘束具を取り出して彼女の両手両足を順に固定していった。彼女もそれが普通だと思っていたようでとくに抵抗することもなく、ぼーっと拘束された自分の右手を眺めていた。
「はー、虫歯の治療なのになんか大げさだな。……あれ、看護師さん、どこかで会いませんでした?」
とうとう感づかれたか。でも、ここまで来ればもう種明かしをしても問題無いだろう。
「そりゃあ会っただろうね。夢でも、現実でもね」
「夢……?ハッ!」
彼女は何かに気づいたように眼を大きく見開いたがもう遅い。僕は最後の拘束具をパチリと締めて拘束を完了させた。
「固定しました。これはダイナマイトでも外れないでしょうね」
「うむ。よくやったぞ、少年」
シンさんが満足そうに頷く。彼女がシンさんの顔をじっと見つめる。
「お前は……知らないおっさん!」
「よう、ガキンチョ。この前は世話になったのう。ゴリラとの新婚旅行はかなり人間の尊厳を削られたぞ」
そう言ってシンさんはニヤリと笑う。内藤マレは手術台から降りようと両手足を必死にバタバタさせるが、もちろんそんなことで拘束具は外れたりしない。
「くっ、外れない……。おかしいぞ、ここは夢の中だろ!?私の内藤ワールドはどこに行った!?」
「内藤さん、君は大きな勘違いしている。夢が常に自分の思い通りになると思ったら大間違いだよ」
「そうそう。わしらの思い通りになる夢だってたまにはあるんじゃぞ」
僕は暴れる内藤マレに近づいて、ポケットからデンタルミラーを取り出した。デンタルミラー棒の先に鏡がついた器具だ。
「とりあえず虫歯の状態の確認から始めようか。ちょっと口を開けてよ、内藤さん」
「ベーだ。お医者さんごっこなんて私は結構だ」
そう言って内藤マレは口を開けずに僕に向かって舌を突き出す。僕は肩をすくめてシンさんのほうを振り返った。
「先生、この子の歯は相当ひどいことになってますね。これはもう全部抜くしかないでしょう」
「いやいや、この世界ではわしは名医じゃからな。どんなひどい虫歯でも治してみせるぞ。たとえ歯の全てを削ってしまってでもな」
シンさんが楽しそうにカートを手術台の近くに移動させる。カートの上には治療器具がずらりと並んで銀一色に光り輝いていた。内藤マレはこれから行われる治療を想像してぞっとし、さらに慌て出す。
「ス……ストップストップ!私が悪かった!平和裏に話しあおうじゃないか」
「知らんな。お前はわしに二回酷いことをした。なのにわしはまだ一回しか殴っとらん。話し合いなら今日の悪夢が終わった後に聞いてやろう」
シンさんは彼女の懇願を無視して治療器具を吟味する。シンさんに命乞いをしても無駄だと早々に悟った彼女がこちらを向いた。
「……!イド!いや、イドさん!憎しみの連鎖は断ち切るべきだって言ってましたよね!?なんとかしてあのおじさんを説得してくれませんか!?」
「そうだね、内藤さん。憎しみの連鎖はどこかで断ち切るべきだ。そうでなくても、僕は悪夢って奴が大嫌いでね、夢の中ぐらいは穏やかに過ごしたいよね」
「ですよね!私もそう思います」
内藤さんが手術台の上で必死に何度も頷く。その額には汗が滲んでいた。僕は言葉を続ける。
「しかし君は夢の中では暴虐の限りを尽くして現実のストレスを解消しようとする。一人でやるならどうぞご勝手にって感じだけど、どうやら君は夢の中では僕の隣あたりに住んでいるらしい……。君のわがままな遊びに付き合わされるたびに悪夢を見せられるのは、本当にうんざりだよ」
「反省してます!もう絶対にあんなことはしませんから、だから……」
「うんうん。心の底から反省してくれているようで僕も嬉しいよ」
「ほっ……」
僕がニコリと微笑むと、涙目で怖がっていた彼女の顔が少し緩んだ。シンさんは先が尖った道具を手に持って、訝しんだ眼で僕を見つめた。
「おい少年、まさかここにきて許すつもりか」
「まさか。殺す勢いで削りましょう、シンさん」
「えええええええええ」
「なあに、安心して一度死んでみるといいよ、内藤さん。幸い、夢の中では死んでも死なないからね。『殺したら殺される』。それを身をもって体験すれば真の平和が訪れると思うんだ」
「ちくしょおおおおお!覚えてろよ!貴様ら!次の夢では私が想像できる限りの苦しみをぶちこんでやる!」
「なんだ、全く反省してないじゃないか。とんだ悪ガキじゃのう」
「がんばって力づくで反省させないとね。口の中を削りきったら他の部分も削ってみようか……」
「そうじゃな。とりあえず最初はシンプルにドリルでいってみようか」
シンさんがドリルを手にとってスイッチを入れる。キュイイイインという歯医者でよく耳にする音が手術室に響き渡る。歯をむき出しにして僕らを睨んでいた彼女の顔が一気に青くなった。
「や、やめろおおおおおおおおお!」
彼女の悲鳴を無視して僕らは彼女の歯をごりごりと削っていった。もちろん麻酔は与えずに。彼女の痛みを想像するだけで思わず鳥肌が立ってしまうが、そうでなくとも彼女の顔を見ながら、悲鳴を聞きながら治療することは、彼女の歯だけでなく僕らの精神もゴリゴリと削っていった。
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次の日、阿闍世さんからメールが届いた。
『阿闍世です、こんにちわ。
内藤マレちゃんが二人と休戦交渉をしたいと言っていました。
よくわからないけど、夢の中で二人を虐めるのはもうやめるんですって。
よかったですね!
というわけで、皆で話し合いたいので、この前の喫茶店とかどうですか?』
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「お前たちの苦しみ……よくわかった。ストレス解消のために暴力を振るっていた私は最低な人間だった。だから仲直りしたい」
喫茶店に集まって早々、内藤マレが僕らに向かって頭を下げる。あまりにも素直な謝罪に僕とアヤさんは少しあっけにとられてしまった。シンさんは腕を組んで彼女の顔をじっとみつめる。
「うむ。悪いと思ってるならそれでいいんじゃ。わしらも昨日はちょっとやりすぎたな。すまんかった」
「うん……。目が覚めている今でも、あのドリルのキュルキュルという音が耳から離れなくてな……。あそこまで仕返しされるんじゃ、流石にもう報復する気にはなれない」
そう言って彼女は座って紅茶を黙って飲んだ。彼女を懲らしめることに成功した僕らだったが、特に喜んだりもせず、暗い顔で押し黙っていた。何も知らないアヤさんだけが目を輝かせる。
「昨日は三人で一緒の夢を見れたんですか?いいなあ」
「あんまりいい夢ではなかったですよね……」
「うむ……。仕返し側のわしらも凄い嫌な気分になったからな。わしは当分歯医者には通えんわ」
「そうか……。じゃ、終戦ということで、握手でもするか」
「そうじゃな。久々に面白い勝負だったぞ、少女よ」
シンさんと内藤マレがテーブル越しに真顔で握手をする。ちょっとシュールだ。
「さて、今回は少年たちと戯れ過ぎたな……。一匹狼の生き方がすっかり台無しになってしまった。しばらく顔を合わせるのは控えるぞ、少年」
「そうですね」
「あっ、解散する前に提案があるんですけど」
「何かな?」
立ち上がって帰ろうとするシンさんをアヤさんが引き止める。
「マレちゃんとも出会えたことだし、あらためて皆で友達になりませんか?」
「友達……ああ、夢友ね」
「はい」
聞いたことのない単語に内藤マレは首を傾げる。
「夢友ってなんだ?」
「夢で出会って、現実でも出会えた友達のこと」
僕は丁寧に答えてあげた。夢友の意味を理解すると彼女はアヤさんをにらみつける。
「あっそ……。それは私に対する同情か?アヤ先輩」
「だって、友達欲しいって言ってたじゃない」
「言ってない!」
内藤マレは声を張り上げて否定した。彼女の顔はみるみる赤くなっていた。アヤさんは少し考えたあとに手をポンと叩く。
「……あっ、ごめん。確かに言ってなかったわ」
「……っ!たとえ欲しかったとしても、こんな気持ち悪い大学生とかおっさんと仲良くなっても仕方がないだろ!」
そう言って彼女は僕らを指差す。僕らも同意して頷いた。
「そうだね」
「その通りじゃな」
「そこは否定しろよ、あんたら……」
彼女は若干引いた顔で僕らを見つめた。アヤさんは彼女の肩をぽんと叩く。
「マレちゃんが欲しいのはたぶん、クラスでの友達だと思うけど、私たちみたいな友達がいても損はないと思うわよ。友達がいるのといないのとでは全然違うからね。きっと自信がついて学校の中でも友達が作れるようになれるかも」
「おい、さっきから私に友達が一人もいないような言い方だけどな!中学の時にはいっぱい友達がいたんだぞ!知り合いの全くいない高校に入ってちょっとつまずいているだけだ!」
「なあんだ。じゃあ放っといても大丈夫じゃない」
「ほ、本当にそう思うか?」
彼女は自分で言っておきながら自信がなさそうにアヤさんに聞き返した。
「マレちゃんは気が強いからすぐ友達が出来るわよ。まあ、敵も多そうだけど」
「そ、そうなんだよなー。私何でもできるからクラスメイトの皆に嫉妬されるんだよなー」
「どうでもいい話だな。僕も帰るよ」
僕は立ち上がった。
「あっ、私の提案は受け入れてくれます?」
「わしは構わんよ」
シンさんが快く了承したことに、僕とアヤさんは軽く驚いた。
「意外な反応!一匹狼ですよね?」
「そうじゃ。わしのいう友達というのは本当に薄い薄い関係での。それでも良ければ友だちになろうじゃないか」
内藤マレがぶすっとした顔でシンさんを見つめる。
「……そういえば、おっさんの名前をまだ聞いてなかったな」
「わしか。朝日蹴シンじゃ。別に覚えなくてもいいぞ」
「いや……覚えとくよ。互いに殺しあった仲だからな」
「ガキの癖に面白いこと言うのう。じゃ、またどこかで会った時に世間話でもしようか。じゃあな」
シンさんは立ったままコーヒーをぐっと飲み干し、そのまま喫茶店から出て行った。アヤさんはシンさんの背中に手を振ったあと、僕に目を向ける。
「イドさんは私たちと夢友になってくれますか?」
「……あらためて言っておくけど、僕はシンさん側の人間だよ。深い付き合いは嫌いなんだ」
「うんうん。わかるぞ、その気持ち。孤立してこその人間だよな」
僕の発言を聞いて内藤マレが腕を組んで深く頷く。その姿を見て僕は苦虫を噛み潰したような気分になった。
「……うわあ」
「ん、どうかしたか?」
「別に……。他人から見たら僕も君も一緒なんだろうと思うと、とても痛々しい気持ちになっただけ」
「ああ!?私が高二病とでも言いたいのか!」
そう言って彼女は顔を真っ赤にしてテーブルをばんと叩いた。僕は彼女を無視して店を出る準備をする。
「高一でしょ。アヤさん、この子に僕のメールアドレス教えていいよ」
僕の発言を聞いてアヤさんが嬉しそうな顔をする。
「じゃあ、夢友になってくれるんですね!」
「僕からは特に話したいことはないけど、メールを送りたいならいつでもどうぞ。全く頼りにならない友達だけどね」
「頼りにする気もないけどな」
そして僕はシンさんの後を追うように店を出た。まだ近くにシンさんがいるかと思ったが道路を見渡しても見当たらなかった。
というわけで、これにて一件落着である。これでもう僕もシンさんも夢の中で内藤マレに虐げられることはないだろう。その代わり夢友などという奇妙な縁による友達がまた一人増えてしまったが。
自宅に帰ってしばらくすると携帯電話が震えだす。メールの送り主は内藤マレだった。
『私だ。アヤ先輩が送れ送れとうるさいから仕方なくメールを書いてやったぞ。
言っておくが、アヤ先輩が言うから仕方なくイド先輩と友達になってあげただけだからな。
そこのところくれぐれも勘違いしないよーに!』
これといった情報が詰まっていないどうでもいい内容のメールだ。僕は『はいはい』とだけ書いて送り返そうと思ったが、考えなおして『これからよろしくお願いします』と書いて送ってみた。しばらくすると『こちらこそ、よろしく』とメールが帰ってきた。あとで夕飯の弁当を買いに行かないといけないなと思いつつ、その日はアニメでも見ながらだらだらと時間を潰した。




