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プリムラ・ストーリー  作者: 榊原啓悠
異界から来た“お姉ちゃん”
2/16

違和

「目が覚めた? 将太くん」


 穏やかな声が、井戸の底に沈んでいた意識を引き上げる。朦朧とした意識を瞬きと共に覚醒させながら、振村将太はぼんやりとした瞳で天井を見上げた。

 続いて、眼球を駆動させてぐるりと周囲を観察する。壁に貼られたテレビゲームのポスターや机の上のパソコンなど、それらは慣れ親しんだ自室のレイアウトに間違いはない。どうやら不良たちに殴り倒された後、自宅に運び込まれたようだ。現状を靄がかった頭でなんとか飲み込みつつ、億劫ながらも体を起こす。


「将太くんったら、泥んこでひっくり返ってたんだよ。大丈夫?」

 視界の中に、こちらを覗き込む女性の顔が入り込んできた。さらりと流れる長めの黒髪と茶色の瞳が印象的な美人だ。いつの間に部屋に入ってきたのだろうか。………それとも、最初からこの部屋にいて、自分を看病してくれていたのだろうか。

 女性のまばゆいばかりの美貌に心を乱されながらも、なんとか思考を巡らせる。取り敢えず、大丈夫かと尋ねられたのだから、返答しなくては。

「…………あ、大丈夫、です」

 歯切れが悪いなりに、なんとか言葉を返す。すると女性は、ただでさえ可愛らしいその顔に満面の笑顔を浮かべ、惜しみない安堵の感情を顕にした。自然、将太も釣られて表情が崩れる。

「――――ッ」

 だが、口角を釣り上げたその瞬間。ちくり、と鋭い痛みが走った。不良たちに絡まれて袋叩きに遭い、その時殴られたせいで切れた口内の傷だ。ああいった理不尽には心の耐性がついているものの、しかし肉体面ではそうはいかない。殴られれば患部は腫れ上がり、肌は擦り切れ、雑菌が入れば膿んでしまう。いかに“普通”ではないと己を自負していても、生物的な限界を超えることはできないのである。

「………くそっ」

 殴られた傷跡をさすりながら、どこまでも凡庸な己に毒を吐く。あんなクズどもと自分は違う。あいつらのように“普通”であってはならない。自分は、いや自分だけは、特別でいなければならないのに―――。


「目が覚めたか、将太」

 厳格な気質が表情によく表れた初老の男が、ドアを開けて現れる。神経質そうなその性質は、既に表情からもにじみ出ている。そして将太はこの男のそんな人柄を、酷く嫌っていた。

「まぁね。………心配ないよ。この程度、どうということはないさ。父さん」

「それならいいが。―――今夜はもう遅い。風呂はいいから、今夜はこのまま寝てしまいなさい」

 言われるまでもなく、将太の身体は既に清潔になっている。この女性が、泥だらけだった自分の体を拭いてくれたのだろう。…………自覚して、将太は少しだけ気恥ずかしくなった。

「ともあれ、今後は夜道に気を付けなさい。勉強に支障をきたすわけにはいかんからな」

 言うだけ言って、「お休み」の一言もなく退室する。そんな父の態度に嫌味ったらしく鼻を鳴らして、将太は起こしていた上体を再び仰向けに寝かせた。

「…………淋しい?」

「別に」

 ベッドの傍らに腰掛けた女が、少しだけトーンを落とした声で問いかけてくるも、将太はそれをすっぱりと一蹴した。父がああいった人間であるのは、子どもの頃からよく知っている。母が出て行った時も、結局あの男はそれを止めることすらしなかったのだから。

「………大丈夫だよ。将太くんには、お姉ちゃんがついてるから」

 ひやりとした冷たい手で、慈しむように女が将太を撫でる。熱を帯びた患部に優しい冷たさが心地よく染み渡り、横たわる全身に安らぎが満ちていく。こそばゆさから思わず将太は顔をしかめたが、しかし女は優しげな笑みを浮かべるばかりであった。

 美しい女性に優しく看病されることは、青少年にとって等しく胸に抱く願望だ。それはもちろん、自称“特別”の将太といえども例外では無ない。姉に撫でられる充足感と安心感に、思わずまどろみを覚えて意識が薄れる。


 ―――ああ、だけど。


「………一つ、聞いていいかい? “姉さん”」


 ―――――ひとつ、はっきりさせなくちゃならないことがある。


「ん?」


「…………あんた、誰だ?」


 薄れかけた意識を無理矢理に覚醒させ、傍らに腰掛ける自称“お姉ちゃん”を睨む。すると、自身を撫でていた手が止まり、“お姉ちゃん”の表情に微妙な変化が生まれた。………どうやら、この違和感は単なる寝ぼけではなかったらしい。


 再び上体を起こして、もじゃもじゃの髪をわしわしと掻いて乱す。髪型に無頓着な将太らしい、思考の切り替え動作である。


 ―――違和感そのものは、目覚めたその時から抱いていた。後は、その違和感の正体を探るだけ。どんな手品を使ったのかは分からないが、この女は振村家の中に第三の家族として何の不都合も起こさずに溶け込んでいた。現に父はその違和感に気付けなかったし、自分もついさっきまでこの女を姉と認識してしまっていた。

 催眠術などというものを信じる将太ではないが、この不可思議な現象から導き出せる答えはそれしかない。そして、そんなものを使って人の家に潜り込むような輩がまともな人種であるはずはない。

 振村将太は、やっと手に入れた明確な敵意を以て、傍らの女を睨みつけた。


「…………合格よ、将太くん」


 だが、女は涼しげに微笑むばかりで敵意に応えようとはしない。

 そればかりか、さらなる親愛の情をこちらに差し向けてくる。


 女の態度の違和感に、将太はどこか薄ら寒いものを感じていた。


「………意味分かんねえよ。質問に答えろ」

「質問?」

「誰だ、って聞いてんだ」


 感情を殺した声で、再度問いかける将太。心中に抱く不安と恐れを気取られまいと、必死に顔を強ばらせる。

 だがそんな将太の努力も関係なく、女はぽんと手を叩いてにこやかに笑った。


「私の名前はリナリア。出身は宇宙。今日からあなたのお姉ちゃんになりますので、どーぞよろしくっ!」


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