姉弟
「将太くん、落ち着いた?」
将太が泣き崩れてから数時間。すっかり日が暮れてしまったにも関わらず、部屋の電気すらつけようとしない弟に声をかける。
「………うん。俺は大丈夫」
震える声ではあるが、気丈な態度で将太が応える。……どうやら、もう心配はいらないらしい。
「待たせてごめん。……リナリア、さっきの続きを聞かせてくれ。母さんと、リナリアの関係を」
真っ赤に腫れた瞼をこすりながら、昂ぶりの残滓を振り切る冷静な問いかけを義姉に向ける。理知的な思考を巡らせることで、将太は平時の精神状態を取り戻そうとしていた。
「分かったわ。……まず、私とあなたのお母さんの出会いからね」
リナリアの表情には、最初の頃のようなおどけた表情は浮かんでいない。どうやら、やっと本当のことを教えてくれるようだ。
「私と玲子が会ったのは、地球時間にして……今から二十年前のことよ。暴走した同族を追いかけてこの星にやって来た私は、だけど地球人とのファーストコンタクトで大失敗を犯してしまった。……当時自衛官だった彼女を私は戦いに巻き込み、そしてこともあろうか、瀕死の重傷を負わせてしまったの」
瞳を閉じて当時の情景を思い浮かべるリナリア。将太も彼女にならってその光景を脳内で作り出そうとするが、母として玲子しか知らない彼にとっては完全に未知の世界であった。
「……それで?」
「私は玲子を助けるために手を尽くしたわ。あなたも見たとおり、私はあらゆる物質の《ヒュレー》を分解、再構築することができる。……けれど、私の手が加わってしまったことで、彼女の肉体は純正の地球人と言えなくなってしまった」
巨大な怪物との格闘戦を繰り広げていた紫紺の巨人を思い浮かべながら、将太もうんうんと頷く。完璧な理解にはもちろん程遠いが、彼にとってそこは問題ではないのだ。
「私たちの存在を知った玲子は、そのまま自衛官を退役。航空会社に勤めていたあなたのお父さんと結婚する一方で、彼女は独自の地下組織を密かに準備していた。……今回のような事件に対処するために、ね」
「それが、母さんたちの正体……? リナリアとの関係っていうのは、それからもずっと続いていたのか?」
「ええ。玲子は私が地球で活動しやすいように、自分のDNAを提供してくれた。今の私がこうして人間のカタチをとっているのも、そのおかげなのよ」
「……俺の姉さんっていうのも、デタラメばかりってわけじゃなかったのか……」
言われてみれば、リナリアの顔にはどことなく母の面影が見受けられる。将太は何とも言えない想いを抱いてため息をついた。
「どう? お姉ちゃんって呼ぶ気になった?」
「………考えておく」
「照れちゃって」
「ガラじゃないってだけ。ってか、そんな急に受け入れられるわけ無いだろ」
頬杖をついてニンマリと勝ち誇ったような笑みを浮かべるリナリアに、叛逆の心意気たっぷりな渋面を向ける。自分をタダの子どもと認めたことで、将太の心はどこか素直になりつつあった。
だが、幸せな姉弟の時間は続かない。
―――笑みを消して、リナリアが憂いを帯びた表情で告げる。
「……だけどね。二十年前から始まった私たち同族同士の殺し合いは、それでも終わる気配が無かった。倒しても、倒しても、私の同族は次々と新たにこの星を滅ぼそうと現れた」
一転して、将太の渋面が焦燥の念でかき消される。
リナリアの言葉や態度が、将太に彼女の絶望を悟らせたのだ。
「………え、ちょ、待ってくれ! それじゃまるで」
「まるで、というよりそのまま。……一族は、私の留守中にこの星を滅ぼすことを決定したのよ。裏切り者の私もろとも、ね」
故郷のみんなに棄てられて、遠い遠い異教の星で一人ぼっち。
淋しいなんてものではない。
悲しいなんてものではない。
―――リナリアの抱える想像すらできない孤独に、将太は戦慄した。
「待ってくれ」
「玲子は私たちのことを《デュナミス》と呼んだ。さしずめこれは、地球人と《デュナミス》との戦争ね」
「待ってくれ!」
リナリアが語る、事件の裏に待ち構える真実の数々。
―――だがそれを黙って聞き続けられるほど、将太は大人ではない。
「待ってくれリナリア! あんたそれでいいのかよ? なんでそんな平気そうな顔してるんだよ!」
思わず飛び出したのは、子供じみた精神論。だが構わない。この胸のわだかまりを解消しなければ、先には進めない。
「………平気だよ」
髪を耳にかけながら、気丈な笑みを見せるリナリア。だが将太には、それが偽りの仮面であることなどお見通しであった。
「嘘だろそんなの! 不公平じゃないか! 俺ばっか弱いところ見せてさ! 辛いなら、辛いって言えよ!」
こぶしを軋むほど強く握り締めて姉を問い詰める将太。その顔には、どうしようもない怒りと悲しみが綯交ぜになった感情がありありと浮かんでいた。
――――それが彼なりの優しさだと、リナリアは知っている。
悲しみと絶望の中にある誰かの為に、本気で怒り、悲しむことができる純粋な優しさ。
だからこそ。
だからこそ、リナリアは今度こそ満面の笑みを浮かべる。
「平気だよ」
地獄の底にありながら、しかしリナリアは笑う。
痛いだろうに。
苦しいだろうに。
―――なのにあなたは、どうして……!!
ふわっと光るように微笑むリナリアを、将太が己のうちにこみ上げる衝動に任せて思わず抱きしめる。その抱擁は不器用ではあったが、同時に優しさが溢れていた。
抱きとめるリナリアもまた、今にも壊れてしまいそうな美しい指で将太の背中を優しく撫でる。
互いを認め、愛し、そして肯定する。
―――そんな二人の抱擁は、薄暗い室内に暖かな光を灯すかのような、そんな尊い何かを宿していた。
「平気だよ。だって、一人ぼっちじゃないんだもの。たった一人血を分けた、大切な弟がここにいてくれるんだから。こんな幸せなことって、他にある?」
「分からない。だけど、もっともっと、俺たちは幸せになれると思う。これからもずっと一緒だよ。姉さん」
「………嬉しい。ありがとう、将太くん」
―――――他に誰もいない二人だけの優しい世界に、暖かな雨が静かに降り注ぐ。