本音
「リナリア、確認しよう」
家に帰って自室の鍵をかけると、将太は癖毛をかき乱しながら義姉に声をかけた。
「将太くん、まずは一度ゆっくり休んで……」
「休んでなんか、いられるかよ」
吐き捨て、険しい目つきでリナリアをジロリと睨む。もともと神経質な性格の持ち主ではあったが、ここに来てさらなる苛立ちを覚えているようにリナリアは感じた。
「時系列順で追って、まず第一の確認事項はあんたのことだ。あんたの出自が宇宙人ってのは聞いてるが、それがどうして母さんたちの監視なんて受けてたんだ」
「それは……」
「答えてくれ」
有無を言わさぬ張り詰めた口調で、厳しくリナリアを問いただす。やつれた顔に張り詰めた表情を浮かべる……そんな今の将太に、リナリアは思わず唇を噛み締めた。だがそれは、苛立ちや呆れといった感情ではない。彼女が胸に抱いたのは―――
「……ごめんね、将太くん」
―――深い哀れみだった。
「な、なにを」
突然抱きすくめられ、困惑の表情を浮かべる将太。だがそんな将太の戸惑いをも溶かすように、リナリアは優しい抱擁で彼を包み込んだ。
「お母さんのこと、辛かったよね。……私、あなたが傷つけられるのを見ていることしか出来なかった」
「なっ……俺は、別に」
傷ついてなんかない。そう言いかけて、将太はふと、こみあげる何かが目尻を伝ってこぼれ落ちるのを知覚した。
「あ、れ………。なんで、だろ」
「今はまだ、気持ちの整理がついてないってことだよ。動き出すのは、それからでいい。今はまだ、立ち止まっていていいんだよ」
「でも俺は……俺は、このモヤモヤした状況を早くクリアにしたいんだ」
「あなたの心のモヤモヤの方が先よ。私にとって、あなた以上の優先事項なんてないわ」
諭されるまま、将太は流れ落ちる涙を拭うことも忘れてへなへなと座り込んだ。窓からさす夕日が、部屋を紅く染めてゆく。
「……母さんは、昔は自衛官だったんだ。最終的な階級は、士官クラスだったらしい。そして父さんは一流航空会社の社員。二人の結婚は、まるで絵に書いたようなエリート夫婦の誕生だった」
へたりこんでから数分。ずっと沈黙を守り続けていた将太は、うわ言のようにとつとつと語りだした。
「そしてそんなエリート夫婦の長男として生まれたのが俺だ。俺は、裕福な家庭で何不自由なく育てられた。『お前は凡俗の人々を導く、特別な人間になりなさい』って聞かされながらな」
「それが、あなたのこだわっていた“特別”?」
「かもな………。でも、確かに金も名誉もあったけれど、あの二人はそれを振りかざして見せつけること以上の使い方を知らなかった。毎月ホームパーティーを開いてはご近所さんを招待して、その都度家財や調度品を見せつけた。飽きもせず、相手の言い分なんか気にもとめず」
それを当時は異常なことだと思えなかった―――胸に秘めたそんな悔恨を雄弁に物語る表情で俯き、将太はため息をついて顔を覆った。
「幼い頃は、それが誇らしく思えていた。屈辱を受けて歯ぎしりをする他の大人を、子ども心に見下してすらいた。……だけど、ある日俺は気がついた」
震える声が、くぐもった響きを持ち始める。ふるふると小刻みに揺れる丸まった背中にリナリアがそっと手を置くと、将太は堰を切ったように呻き声を上げた。
「俺だったんだ……! 二人が本当に自慢していたのは、俺の存在そのものだ……! 俺は確かに愛されていた。けどそれは血の繋がった子としてじゃない。高級家具や調度品といった、自分たちのステータスに向ける自己愛だったんだ! とどのつまり、俺は振村夫婦の財力と権力の象徴としてしか扱われていなかったんだよ!!」
吠えると同時に溢れ出す大粒の涙。やがて将太は姿勢を崩し、仰向けに転がって声をはばかることなく泣き喚いた。
「俺の人間性は認められなかった! 俺に自由は無かった! あの人たちにとって思い通りで、都合のいい人形であることを強制された!! ……自分なんて、どこにもありはしなかった!!」
「将太、くん」
「二人が離婚したのだって、俺にはこれ以上望みが無いと判断されたからだ! あの二人は子どもである俺に天才であることを望んでいたけれど、俺はそうじゃなかった。だから母さんは俺を捨てたんだ! これ以上金をかけて育てても、俺にはもう価値はないと判断されたんだ!! 家族で過ごした最後の日、母さんは父さんに言った! 『私とあなたとでは相性が悪かった。再婚したら、もっと優れた遺伝子を持った子どもを作ってみせる』――――ってな!」
だんだんと床を叩きながら、喉を震わせ号泣する将太。リナリアはもはや、かける言葉も見当たらずに絶句していた。
「生まれながらの不良品というレッテルを、実の母親につけられた俺の気持ちが分かるか!? 俺は一番愛して欲しかった人に、まるで粗悪品を取り除かれるようにして捨てられたんだ! 俺は……、俺はァ……! どうして……!」
剥がれ落ちる、“特別”の殻。
その中には、寂しさに震える小さな心だけがあった。
「俺は、母さんと父さんに愛してもらいたいだけの、普通の子どもなのにッ………!!」