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第1章 夏の日の約束

 


 「行かないでください!」



 道沿いにつながる生垣を抜けて、白い砂浜を駆け抜けているとき、

穏やかな波の音にも、かき消されそうな、ためらいがちのその声に、僕は足を

止めて、今、全力で駆けてきた道を振り返った。


 夏休みも始まったばかりの、高一の夏。

 この時、僕は、初めての恋を知った。



第1章 夏の日の約束


1.プライベートな抜け道


 「正俊、本当に大丈夫なんだろうな?」

 僕は、”私有地につき 立ち入り禁止”の看板を今まさに乗り越えながら、

前を行くクラスメイトの正俊に声をかけた。


 「心配ないって、大体プライベートビーチってなんだよ。海はみんなのもの

だろ。」

 確かに、それまで普通に使っていた海にフェンスが張られ、立ち入り禁止と

されても、地元に住む僕たちにとってすんなり受けいられるものでは無かっ

た。


 でも、今の僕の心に後ろめたさがあるのは、ここに立ち入ったのが、そんな

若者の抱く大儀とはまったく関係なく、ただ単に、隣にある大型リゾートビー

チの入場料200円を惜しんで、そこへの抜け道として利用するためだけに不法

侵入したせいだろう。


 海沿いを走るアスファルトの道に、僕の背丈ほどの金網のフェンスと、腰の

辺りできれいに刈りこまれたハイビスカスの生垣で、出来たばかりのその白い

家は仕切られていた。


 敷地の南側には、海まで突き出した自然の岩場があり、そこを泳いで回り込

めば、地元の娘が試着すらすることのない大胆な水着の生身の展示会場となっ

ていた。


 前を走る正俊には何の迷いも無かった。ただ、目的のために、ひたすら足跡

ひとつない砂浜を駆け抜けて、押し寄せる波にすでに足を踏み入れては水しぶ

きを上げていた。

 もう、彼の魂は、誰にも止める事の出来ない高みにあった。




 「行かないで!」

 耳元でささやかれたようなその声は、波の音にもかき消されそうなほどか細

く、岩向こうのビーチから流れてくる誰にも理解されることのない音の塊より

も切なく感じた。


 「だれ?」

 僕は足を止めて振り向いたがそこには誰もいなかった。

 強烈な日差しに白い砂浜は眩しく一瞬視界を失ったが、やがてなじんできた

目に映ったハイビスカスの鮮やかな赤い色が、昔美術館で見た有名な絵を思い

出させた。


 「ここよ!」

 叫んでるでもなく、その声は秘密を打ち明けるかのように耳元に極限まで口

を寄せてささやいたような感覚があった。というより、ありえない話だが直接

頭の中に届けられた言葉のようにはっきりと理解できた。


 今度は、探すまでもなく、新しい屋敷の、2階の窓から僕を見る彼女に気づ

いた。


 僕は屋敷に近づき、開け放たれた窓を見上げ、窓辺に立つ彼女に声をかけ

た。


 「なにしてるの?」


 「あなたをみてたの」

 まじかで聞く彼女の声には、先ほどまでの不安げな儚さはなく、返って快活

ささえ感じさせた。


 「さっき、僕を呼び止めたのって君?」


 「んー?分からない。確かにこっちにきてくれないかなって思ったけど・・

・声に出たのかな?」


 「ならいいや。僕は、富永洋輔。君は?」


 「七海、榛名七海。今、そっちに行くから、待ってて。」

 そう言うと、大きく開けはなれた窓辺から、彼女の姿が消えた。

 そして、ほどなく目の前の白い扉から、一人の少女が現れた。


 その時、たぶん僕は、息をするのを忘れていたと思う。

 視覚以外のすべての感覚が止まっていた。

 僕は、彼女の笑顔に、透き通った白い肌に、背中まで伸びた真っ直ぐな黒髪

に、大きなヒマワリ柄の白いワンピースに、彼女のすべてに心を奪われた

 

 「富永さん・・・どうかしたの?」


 彼女が僕に話しかけているのは、分かっていた。でも・・、僕は言葉を発せ

られなかった。


 「あのー、本当に大丈夫ですか?」

 彼女が気遣い、僕に近寄り、顔を寄せた。


 そのことで、やっと再開した呼吸が完全に止まり、その代わりとばかりに心

臓の鼓動が限界に挑戦し、高回転で回り始めた。

 たぶん、顔色が、息づかいが、普通じゃなかったのだろう。


 「わたし、井森さんを呼んできますから、待っててください。」

 そう言うと、彼女は小走りに白い扉の向こうに消えていった。


 彼女が、消えると、僕は二度大きく深呼吸をして、両手で強く顔を叩いた。

 しばらくすると息をするのも楽になり、脈動も静まってきた・・・なのに、

胸の奥を締め付ける感覚は収まらなかった

 僕には、その原因も、一般的なその名前も知っていた。

 そして、それが、決して自分一人では解決できないことも・・・。


 ただ、このことを七海さんに気づかれるのが、その時の僕はとても恥ずかし

くて必死に平静を装っていた。



2.白浜の秘密基地


 「脈は少し速いようだけど、後は問題なさそうね。」

 白衣を着た30歳前後の、あるべきところに上手く肉を付けたスタイルのよ

い女性の前で、僕は上半身をはだしていた。


 「でもさっきは、私の顔を見た瞬間に動きが止まったと思ったら、顔を真っ

赤にして、息も苦しそうで、本当に死にそうだったんだから・・・井森さん、

やっぱり彼を大きな病院に連れて行こう。」

 彼女は、涙声になっていた。もしかしたら本当に泣いていたのかもしれな

い。


 「ほう、お嬢さんの顔を見たら、脈拍が上がり、顔を真っ赤にして固まった

と・・・。」

 井森さんの口元が少し動いたのを僕は見逃さなかった。それは、2つ上の姉

がよからぬ事を思いついたときと同じ動きをしていた。


 井森さんは、急に険しい顔をしたと思ったら、七海さんの肩をつかんで静か

に話し始めた。

 「お嬢さんの話からして、思い当たる病気はひとつしかありません。しか

も、彼はかなりの重症です。」


 「そっそんな・・・」

 七海さんの発した声だったが、僕は心の中で別の悲鳴を上げていた。


 「それで、治療はお薬とかで治るんですよね?」

 ”そうだ!現代医学であれば、きっと何とかなる。”僕はそう自分に言い聞

かせた。


 「それが・・・最新の医学をもってしても、医者にはどうしようもありませ

ん。」

 井森さんは、悔しさを滲ませた沈痛な表情をした。

 ”それって、さりげなく余命宣言?”全身から力が抜けた。


 「ただ・・・まったく方法が無いわけではありません。」

 ”チャラチャ、チャッチャ、チャーン”昔遊んだテレビゲームの復活の呪文

が頭に浮かんだ。


 「よかったー。それなら心配ないわ。いくらかかってもかまわない。パパに

頼んで用意させるわ。だから・・・。」

 ”そういえば、まだ、病名を聞いていないんだけど、何の病気だオレ?”


 「いいえ。お金でどうにかなるものではありません。それはお嬢さん。あな

たにしか出来ないことです。お嬢さんにその覚悟はありますか?」

 ”まさか、龍の髭とか妖精の涙が必要と言うんじゃないよね。”


 「大丈夫、何でもするわ。彼が・・洋輔さんが助かるのなら何だってす

る。」

 ”えっ、それって!!”僕の頭は混乱して、思考停止状態になった。彼女か

らの告白だと考えるポジティブな思考の中に、勘違いを主張する臆病な部分も

存在した。


 「お嬢さんの決意は分かったわ。それなら簡単ね、お嬢さんの彼への思いを

素直にぶつけて見て、これで結果が出ると思うわ。」

 ”これって、病気の治療じゃないよね。・・・あっ、そうだ!”僕は、この

時、井森さんが、いたずらを仕掛けるときの姉のような表情を一瞬見せていた

ことを思い出した。

 ”きっと、これは冗談だ!”僕は急いで七海さんにそれを伝えようとした。

 しかし、この時の彼女の表情に、言葉が押し戻された。


 「具体的に、何をすればいいの。」

 口ぶりで、彼女の覚悟が分かった。

 何故そこまで彼女が必死なのか、その時の僕には分からなかった。


 「お嬢さんは、彼にどうして欲しいの?・・・言葉にして。」


 僕のすぐ目の前に立ち、まっすぐに見つめる眼差しから、目を背けられるほ

ど、僕は強く無かった。


 「お願いそばにいて。もう少しだけ一緒に生きさせて。」

 正直、うれしかった。女性に、そこまで思われたことなんて、今まで無かっ

た。

 彼女の真っ直ぐな気持ちに、自分も素直になれる気がした。

 ただ、”一緒に生きたい”その言葉に少しだけ違和感を覚えた。


 そして彼女は、少し背伸びをすると、僕の唇に自分の唇をくっつけた。

 ”唇と唇を合わせるのって、なんて言うんだっけ?”僕の意識は、ここまで

持つのが精一杯だった。




 どの位気を失っていたのだろう。エアコンの効いた大きな部屋の中だった。

 部屋の大きさについての興味は僕にはなく、ただ大きな部屋としか表現でき

ないが、その大きな部屋の西側は、これまた一面大きなガラス面でできてお

り、そこから海が一望できた。


 僕はその大きな部屋の中に、どの席からでも海が見えるようにL字型に配置

された白いソファーの上で目を覚ました。


 ”ああ、あの後、僕は気を失ったんだ。”ただでさえ自分を保つのにいっぱ

いいっぱいの時に、あんなことされたらオーバーヒートして当たり前だな。き

っと、寿命が5分は縮まったに違いない。


 僕は、上半身を起こして、周りを見回した。

 どこからか、人の気配を感じたが、目に映る範囲に人影は見られなかった。

 ただ、観葉植物を目隠しとした、部屋の向こうから、笑い声が確かに聞こえ

た。


 僕は、ソファーから起き上がると、太陽に焼かれる白砂と、眩しく光る波の

動きを、快適な部屋の中からガラス越しに眺めて、そして声のするほうへと歩

き出した。


 進むにつれて、話をしている人数と、声の主がハッキリとしてきた。

 声の数は3人で、二人は当然、七海さんと井森さんだった。それともう一

人、男の声、その声には十分な心当たりがあった。

 そう、すっかり存在を忘れていたが、最新の水着をチェックするためと称

し、朝っぱらから僕を強引にビーチに誘い出した、悪友の島袋正俊だった。


 「あっ洋輔さん、もう大丈夫?ごめんなさい、一人にしちゃって。」

 部屋に並べられた観葉植物の隙間から、七海さんが僕に気づいた。


 「あの、僕、どうしてここで寝てたんですか?」


 「えっ、覚えてないの?・・・あのことも?」

 走り寄ってきた七海さんの笑顔が、ショックと悲しみで今にも泣き出しそう

な表情に変わった。


 「いや、玄関口にいたはずなのに、何で部屋の中で寝てたのかなって思って

・・・。」

 僕はあえて”あのこと”には触れなかった。


 「なーんだ、そんなこと。女ふたりで担いでくの大変だったんだから、ねっ

井森さん。」


 「まっ、あのまま転がしてても良かったんですけどね。お嬢さんがどうして

もって聞かないから。」


 「はぁーありがとうございます。」

 まあ理由はどうであれ、とりあえず礼を言った。


 「ところで、何でこいつが、正俊がここでくつろいでるのか教えてもらえま

せんか。」

 僕は、いかにもリゾートっぽいラタンソファーに座り、優雅にお茶を飲む正

俊を指差した。


 「え?洋輔さんのお友だちだと言うから・・・なんなら追い出しましょう

か?」


 「是非、そうして下さい。」


 「おーい、何言ってるんだ親友。水着チェックの同志よ!だから今日は、観

光客の水着トレンドの実地調査にここへ来たんじゃないか。」

 そうだった、こいつとは、新生児室からの付き合いで、僕の黒歴史も全部知

られていた。


 「あっ、すみません、思い出しました。こいつ知り合いです。」

 とりあえず、こいつの口止めが優先だった。


 「ほらね言ったでしょ、こいつのことなら何だって知ってるんですよ。親友

ですから。さっきの話も正真正銘ほんとのことですから。」


 「ん?正俊君、さっきの話って何の話をしたのかな?」


 「えーと、なんだっけかな?いや、たいした話じゃなかったかも。」

 正俊には、僕の語調で怒り具合がわかったようだ。


 「そうですね、小学校2年の身体検査で、パンツを履いてくるのを忘れて、

一人だけ裸で受けたとか。

 小学校6年の時には、マドンナ的な若い先生のスカートめくりをして泣かせ

てしまい、独身の体育教師に、報復と思われるしごきにあったとか。

 中学校の時には、国語の実力テストに出た、ちょっとエロチックな表現に興

奮して鼻血を出して、そのうわさが広がり、それ以降の実力テストに、色恋も

のの出題が減ったとか。うーんと、そんなところだったかな?」

 僕の視線に気づいてるはずなのに、正俊は、決してこちらを見なかった。


 「でも、一番の収穫はアレじゃないの、ねえ、七海さん。」

 井森さんは、何故か愉しそうだ。


 「えっ、なに?」


 「今、洋輔君に彼女がいないって分かった事だよね、よかったね、七海お嬢

さん。てかっ生まれてこのかた一度もデートさえしたこと無いんだって、洋輔

君、まさか男が好きとかってオチないよね?」


 「ハハハ、君とは後でゆっくり話しがしたいな。なっ正俊君。」

 僕は、ショートケーキを口にし始めた正俊を見た。


 「いや、男とゆっくり話すことなんてっ”無い”。」

 堂々と言い切ったが、相変わらず目は合わさなかった。


 それから、僕も紅茶とケーキをご馳走になり、短い時間だけど彼女と話が出

来た。・・・ほんとに全然時間が足りなかった。

 その間気を使ったのだろう、井森さんは、正俊を連れて買い物へと出て行っ

た。


 二人きりになり、僕は話し始めた。なるべく簡潔に、そして客観的に、出来

るだけありのまま自分自身について伝えたかった。

 家族構成や友達関係。好きな音楽に、好物の食べ物。学校での過ごし方や趣

味の釣の話。

 家の経済状態に、僕の今の成績や、それにより考えられる将来性。

 何故あんなに、話したのか、何故あんなことまで話したのか、今日はじめて

あったばかりだと言うのに。

 ただ、彼女の知らない僕の15年を、僕の人となりを、予想される未来の僕を

すべてを知って欲しかったのかもしれない。

 その上で、もう一度、あの状況を試したかったのかもしれなかった。あれ

が、ただの成り行きだったのかどうか、彼女にとってあのことがどう言う意味

を持つのか知りたかった。


 その日の僕は、かなり雄弁になっていて、たぶん、僕の半年分の言葉数を一

方的に話していることに気づいた。

 「ごめん、僕一人で話していたね。」

すこし自己嫌悪に陥った。


 「洋輔君、”眠れる森の美女”って知ってる?」


 「ああ、確かグリム童話の一つで、魔女の呪いで100年間眠らされた王女

が、100年後にやってきた王子のキスによって目覚めて、そして二人は幸せに

なる。と言うたしかそんな話だよね。」


 「ええ、とってもロマンチックな話だよね、だけど、わたしひねくれてるか

ら状況が違ったら、結末も違ってたかな?ってよく考えるの。」


 「例えば、王女様がぜんぜん可愛くなかったら、それでも王子様はキスして

くれた?逆に王子様が、残念な人だったら、二人は一緒になったかな?ねえ、

洋輔君はどう思う?」


  おとぎ話だし、そのシチュエーションに疑問を持ったことなんかこれまで

は無かったけど、現実に置き換えれば確かに都合よすぎる感じはした。

 「七海さんのいうとおりいろんなシチュエーションが考えられうるけど、色

々な組み合わせの中で、作者は物語りをハッピーエンドにするために最も良し

とした組み合わせをこの物語に選んだんだと思うな。・・・七海さんはどう思

ってるの?」


 「わたしは、それが運命だったらいいなって。・・・子供っぽい考えだけど

・・ね。」


 「ねぇ、目覚めた王女様って、王子様にキスしてあげたのかな?一緒になっ

たってことは彼女の好みでもあったのよね?・・・王子様は正直な気持ちをキ

スで表した訳だし、きっと王女様さまからのキスを待ってたんだろうな。」

 そう話す彼女の視線は答えを求めてるように感じた。


 「七海さん、僕は・・・」

 僕は立ち上がるとテーブルを回った。

 彼女も立ち上がると両手を胸に当てて見つめ返してきた。

 震える手で肩をつかむと彼女の肩も震えていた。

 高鳴る自分の鼓動が聞こえた。彼女が嫌がらないか不安でゆっくりと顔を近

づけた。

 唇が彼女の唇に触れたとき、僕の迷いは消えた。


 「どうだった?」

 彼女は、いったい何を聞きたかったのか、どんな答えを待って、そんな質問

をしたのか分からなかった。


 「うん。運命だった。確率なんかじゃない。」

 僕は、頭の中にたくさん浮かんだ言葉の中から、その答えを選んだ。それ

は、僕の願いでもあった。


 「よかった。」

 七海さんは、少し照れながらうれしそうに笑った。






3.祝いの魔女


 僕は生まれて初めて、こんな田舎に生まれたことを感謝した。

 運命なのか、確立なのかなんて正直わからない。ただ、七海に出会えたその

事実、それ以外に必要なことは無かった。


 僕は、その日から毎日、ビーチの白い家に通った。

 

 彼女は、静養のために、東京から来ていてあの白い家に住んでいた。

 彼女の病気については、気になって何度か聞いて見たが、詳しいことは教え

てくれなかった。そして、彼女の振る舞いが、普通だったので、特に大事に至

るものではなく、治療と療養によってよくなるものだと思っていた。

 そしてあの家には、身の回りの世話と体調管理を兼ねた女医の井森さんと、

あと一人、庭の手入れや、車の運転、雑務全般をこなす遠野さんという元気な

おじいちゃんの3人で住んでいた。

 家族は父と妹がいるが、父親は仕事の関係で、妹は来年の中学受験の準備で

東京を離れることが出来ず、また、母親は早くに亡くなったとのことだった。


 それで僕は家族のことを気にせずに彼女に毎日会いに行くことが出来た。

 静養中のため、さすがに外出には制限があったが、家の中で会うことには、

井森さんも遠野さんも笑顔で迎え入れてくれた。

 僕も、七海とふたり、一緒いにいられればそれでよかった。


 「洋輔、ここって、本当に俺たちの秘密基地みたいだな。」

 ”そうだな、邪魔さえいなければな・・・”、正俊が、ほぼいつも一緒だっ

た。

 どんなに誤魔化しても、行く場所が分かっていては、効果はなかった。


 僕の中で二人きりになりたい欲求は、日に日に強くなっていた。ただ、三人

でゲームする時の、たわいのない雑談の時の、とても楽しそうな彼女を見てる

と、正俊を邪魔に感じる自分の小ささを知られたくなかった。


 あれから1週間以上過ぎたが、ほとんど部屋の中で過ごしてた。家の外へ出

たのは、日の光が弱まる夕暮れ時に波打ち際を歩いたことと、雨の日に少し離

れたコンビニに散歩がてら、お菓子を買いに出たぐらいだった。


おかげで、会話の時間は十分にあり、彼女のことを色々知ることができた。

そして、知れば知るほど、生まれとか、身分の違いが世の中に存在することを

現実に知ることが出来た。

 それだけに、身分違いの恋など、おとぎ話の中でさえ望まれていないこと

を、15の僕でも知っていた。

 でも、”運命の出会い”については、それ以上に信じていた。

 ”七海の気持ちをいつも感じていたい。”欲求はいつしか焦りになっていた

のかも知れない。


 そんな日の午後、正俊は、井森さんに連れられて買い物に出かけた。

 久々の二人の時間に、話したいこと、確かめたいこと、そして抱きしめたい

思いが強すぎて、余計に口数が減ってしまっていた。


 「あのテレビで知ったんだけど・・・、あさって、花火大会があるっていっ

てたんだけど、ここから遠いのかな?」


 「んーそうだな。会場までは少しあるけど。普段なら車で10分程度。でも、

当日はすごい渋滞で、何時間もかかるって親父が行くの嫌がってた。」


 「そっかー・・・残念だな。」

 彼女の表情が少し曇った。


 「でも、ここから歩いて20分ぐらい行ったとこに花火がよく見れる秘密の

場所があるんだ。」

 その場所は、去年、姉ちゃんに教えてもらった、姉ちゃんが僕以外の誰かと

行くはずだった姉ちゃんと僕の秘密の場所だった。


 「見てみたいな。」

 彼女が、積極的に外出を望んだのは、初めてだった。


 「よし行こう。じゃあ、正俊に言って・・・。」

 これまで3人での行動が当たり前になっていて、反射的に正俊の名前が出

た。


 「あのー、できたら二人きり・・・でいいかな。」

 

 「そうだね。そうしよう!」

  彼女から、そんなこと言い出すなんて、少し以外だったが、もちろん、喜

んで提案を受け入れた。




 神のみわざか、仏の慈悲か、それとも精霊のほどこしか、僕の知る限りの救

世主への祈りが通じた。

 昨晩から降り続いたスコールのような大雨が、昼前に突然ピタリとやみ、今

はもう雲の存在を忘れたかの様な青空が、見渡す限りに広がっていた。

 中止が危ぶまれていた花火大会の決行が決まり、関係者による作業が急ピッ

チで進められていると、さっきローカルテレビのニュースでやっていた。


 僕等は、”みんなで花火に行こう。”と言う正俊の提案を無慈悲に断り、夜

に備えた準備をしてその時を待っていた。


 花火大会の決行が決まった直後から、心なしか北へ行く車の量が増え始め、

僕が家を出るころには、渋滞と言うより、ほとんど停滞といった感じだった。


 最近、毎日のように通るあの砂浜への道のりも、今日は、少しだけ遠くに感

じ、そして、何故か緊張していることが、チャイムを押すときの、手が震えで

解った。



 「さあ、行きましょう!」

 鐘の音が鳴り終わる前に、白い扉から飛び出してきた彼女は、ヒマワリ模様

のあの日の白いワンピース姿だった。

 僕の心臓は、出会った時のように鼓動を早め、やはりあの日と同じように、

体の動きが止まった。


 「どうかしたの?」

 ただ、今度は、つないだ七海の手の温もりが特効薬となって、生命活動を再

開した。呼吸、思考と、落ち着きを取り戻したが、鼓動だけは”特効薬”の副

作用として残った。


 「とにかく無理はしないで下さい。洋輔君、お願いしますよ。」

 井森さんは、七海の体の事を最後まで心配していた。


 「残念だなー。祭り、行けるとは思わなかったから、東京に浴衣置いてきち

ゃった。」

 通りに出ると、歩いて会場まで行くつもりなのか、数組のグループと出くわ

したが、若い娘の何人かが、浴衣を着ていた。


 「これと同じヒマワリ柄で緑色の浴衣、とっても素敵なんだよ。洋輔君に見

せたかったな。」

 七海は、今着ている白いノースリーブに1つだけ描かれた、淡い黄色のヒマ

ワリの柄を確かめるように見つめていた。


 「次は、それ着て見せてよ。」

 来年の花火大会も一緒だと、僕は当たり前のことのように思っていた。


 「そうだね・・・そうする!」

 一瞬、七海の驚いた表情が、意外だったが、すぐにいつもの調子に戻った。



 しばらく歩いて、人の波から外れて、目的の場所に着いたときには、太陽

も、今日の役目を終え、水平線の向こうへと沈みかけていた。


 「わー、見て、ステキ。」

 彼女の言うとおり、それは奇跡的な光景だった。

 水平線を蜃気楼のようにゆらす夕日、そこから空に向かってだんだんと青へ

と変わるグラディエーション、その他に海も、草木も、そして岩をもすべてを

赤く染めていた。


 誰もいない、岩を叩く波の音の聞こえる絶壁の上の小さな空き地でふたり、

しばらくのあいだ、ゆっくりと変化する色の移ろいを、声なく眺めていた。


 

 二人同時に、声を上げた。

 僕らの見つめる先で、たくさんの白い光の粒が、西の空に大輪の輪を描いて

いた。

 それはまだ、暮れ切っていない紫の空に浮かぶ、観覧車のように見えた。

 そして、後を追うように”ドン”という打ち上げの音が肌に響いた(肌を震

わせた)。

 それから数十分、空には色とりどりの花火が、絶え間なく打ちあがった。

 夕日は、自然にフェードアウトしており、日の光を失った空では、花火が暗

闇をバックに鮮やかさを増していた。


 僕らは、手ごろな岩に並んで腰かけ、それを見ていたが、僕の右腕と、彼女

の左腕は意識なく触れたままだった。


 「見て洋輔君、花火の向こうに星が見えてる!本当に綺麗。」

 七海は、子供みたいに無邪気にはしゃいでいた。

 それは、特大の花火が打ちあがる度に、立ち上がっては、花火に向かって掛

け声をかけるという奇妙な行動もあらわれていた。


 「終わっちゃったね。」

 空を焦がすような度派手な連発の花火のあと、それまで続いた光と音が、宙

を割ったかのように一瞬で止まり、突然のことにそれまでの興奮の持って行き

場に困った。


 「来年、また来るね。・・・そして、また一緒に見よ!」

 彼女が、この夏一番の笑顔を見せた。


 「ああ、約束な!」

 僕は、迷うことなく即答した。というか、本当は、僕から誘うつもりでい

た。


 「そうだ、今度は正俊君も誘ってあげよ。」

 七海は、今日のこと、正俊に黙っていたことを気にしていたのだろう。実

際、僕も、少し気にはなっていた。


 「いやだ!」

 僕の答えに迷いはなかった。




 「そこの岩飛び出してるから気をつけて!」


 「あっ、はい!」

 空き地とは言っても、基本、岩場であり、決して足場が良い訳では無かっ

た。

 特に、完全に日の暮れきった今は、星の明かりだけでは、心許なかった。


 「ごめん、七海さん。懐中電灯があれば、も少し楽に歩けたのに」

 忘れた・・・というより、懐中電灯が必要だという認識さえ無かった。


 「別に気にしてないわ。手を引いてくれてるしね。」

 そう、状況が状況だけに、自然に手を差し出すことが出来た。

 

 少し時間は掛かったけど、無事に自動車の通る舗装された道に出ることが出

来た。

 ここまでくればひと安心だったが、僕はつないだ手をそのままにした。とい

うより、彼女から振りほどかれない限り、離す気は無かった。


 少し歩くと、大通りに出た。驚いたことに、車は既に大渋滞となっており、

人の流れも、行きよりかなり多かった。


 途中、公衆電話を見つけ、彼女は、心配してるだろう井森さんに電話を入れ

た。

 そのこと自体は何の問題も無いのだけど、ダイヤルするためにつないだ手を

離さないといけないのが、ちょっと残念だった。


 「紅茶いれて、待ってるって。」

 電話を終えた彼女は、僕の左隣に寄り添うように腕に自分の手を回した。


 「それじゃ、行こうか。」

 僕たちは、人の流れに乗って歩き始めた。


 砂浜の別荘までは、そう遠くは無かったが、さすがに疲れが出たのか、彼女

の口数は減っていた。


 「洋輔君、話があるの。」

 別荘の敷地に入ると、そこで彼女が立ち止まった。


 「話なら、部屋の中で・・・」そこまで言いかけて、僕は言葉を止めた。

 「うみ・・・見ようか?」笑顔が消えた彼女の表情から、つないだ腕に込め

られた力から、とても大事な・・・そして、とても言い出しにくい話であるこ

とは解った。


 僕たちは、玄関を素通りして、砂浜に降りた。

 彼女は、何も言わず波打ち際に座って押し寄せる波に右手を浸した。


 「私の病気の名前ね、トルーマン病って言うんだって・・・聞いたこと無い

でしょ、世界に数例しかない珍しい病気なんだって。」

 彼女はなんとなく他人事のように話し始めた。


 「原因もほとんどわかってないし、治療法だって当然ないの、患者が少ない

から、それを研究する学者がほとんどいないんだって、父がそう言ってた。」

 七海は、いつもと変わらない、にこやかな顔で話していた。


 「聞いていいのかな。それってどんな病気なの?」

 本当に気になっていた。ただ、前に訊ねたときに、誤魔化されたので、触れ

られたくないのかと思い、聞くのを躊躇っていた。


 「安心して、人に染る病気でもないし、今すぐどうこうなる病気ではないら

しいの。

 ただ、治療できない限り、死は確実なんだって、過去の例では30まで生き

た人はいないんだってさ・・・。それに・・・」

 声が詰まっていた。うつむいた顔は星空の影となりよく見えなかった。で

も、たぶん・・・泣いていた。


 「もう、いいよ。話さなくて。」

 彼女の隣に座り、肩を抱き寄せた。何か話さなければと思ったけど、今、口

を開くと、僕も涙を押さえる自身が無かった。


 「だめ。ちゃんと聞いて欲しいの。」

 彼女は、僕の胸に顔をうずめると、一度だけ顔を左右に振って、そして顔を

あげた。

 その顔には、もう涙の粒はなかった。


 「七海さん、今、僕の上着で涙を拭かなかった?」

 まさかとは思ったけど、僕のシャツには証拠の後があった。


 「だって、ハンカチ出してくれないから。」

 悪ぶれたそぶりもなく、いつもの屈託のない笑顔を見せてくれた。


 「あのね、私、検査と治療方針を決めるため、いったん東京に戻ることにな

ったの。

 それで、勝手だけど、洋輔君には、私のこと、この病気のことを知っていて

欲しいんだ。

 続けても・・・いい?」

 僕は、頷くしかなかった。


 「ありがとう。それでね、このトルーマン病っていう病気なんだけど、どう

いう病気かって言うと、骨を溶かしていく病気なんだって。ゆっくりと時間を

かけて、全身の骨を侵食していくんだって。

 小さいうちは、骨を作る量が多いから全然平気なんだけど、成長期を終えた

ころから、骨の細胞が溶け出す方が多くなり、だんだん骨が細くなっちゃうっ

て、そしてちょっと転んだだけで骨折するようになり、やがて自分の足で立て

なくなり、最後は・・・怖いから聞かなかった。」

 ここで、彼女は話を止めて、両手で顔を覆った。


 なんて言ってあげればいいのか、僕には分からなかった。


 「ごめんね、洋輔君。気持ち悪いでしょ。」

 も一度、彼女は顔をあげて、じっと僕の顔を窺った。

 

 「そんなことないよ。」

 言葉と裏腹に、僕は彼女の視線を避けてしまった。

 彼女が最大限の勇気を持って明かした秘密に、僕は何と答えたら正解なの

か、考えていた。


 「そう。ありがとう、今まで本当に楽しかった。それじゃあね。」

 彼女の作った笑顔は、笑顔になっていなかった。

 

 「待って!」

 砂の上を駆けだす彼女を呼び止めたが、体の反応は鈍かった。

 なかなか縮まらない彼女の背を追いかけながら、僕はまだ、迷っていた。

 彼女を捕まえて、なんて言えばいいのか?僕に何が出来る?これは同情なの

か?もうすぐ彼女は死んでしまうかもしれないのに!!!


 ”そうだ!”

 七海と出会った日の彼女の行動を思い出した。


 「お願いだそばにいて欲しい。」

 僕は息切れする声で叫んだ!

---そうだ!あのときの彼女のように、自分の気もちに素直になればいいん

だ。---


 彼女が立ち止まり、振り向いた。


 「俺、医者になって、七海の病気治すよ!だからそれまで一緒に生きて欲し

い。」

 その時の僕の気持ちに嘘はなかった。だから、彼女の目を真っ直ぐに見つめ

返すことが出来た。


 「うん。」

 遠慮がちに発したその声を僕は聞き逃さなかった。

 そして、彼女の肩を抱き寄せ、彼女の唇に、僕の唇をくっつけた。


 その後、ずっと彼女は泣き止まなかった。

 ただ、それが悲しい涙でないことは、ずっと僕の腕を放さないことからも僕

には解った。


 それから、僕たちは、しびれを切らして、探しに出た井森さんに見つかっ

て、さんざん怒られた。

 心配かけたのだから、叱られたのは当然だったが、気になったのは、七海の

言い訳で、泣きながらしゃべってるので文章になっていなかったが、”洋輔”

”東大””治す”のキーワードが聞こえた。・・・”東大”?




 翌朝、正俊を連れて、彼女に会いに出かけたが、既に出かけた後らしく、白

い玄関と門扉にも鍵が掛かっていて、チャイムの音に何の反応もなかった。


 検査のため一旦東京に戻ることは彼女から聞いて知っていた。

 昨夜のこと、もっとちゃんと知りたかったのだが、出発の日時を聞かなかっ

たことを後悔した。

 ただ、僕は、その時はまだ、”一旦”の言葉で、彼女はすぐに戻ってくるも

のと思っていた。


 それからは、毎朝。海岸へ行き、海辺の白い別荘の窓が閉まっているのを確

認することが、僕の日課になった。

 そして、窓が開くことはなく、高校最初の夏休みが終わった。



4.希望の花火



 2学期が始まって、生活が変わっても、海辺の別荘へは通い続けた。

 その頃になるとその行動は、彼女に会える希望からではなく、彼女に会いた

い気持ちのやり場が、そこしか思いつかなかったからだった。

 あえない日が続くと、かえって彼女への想いが強くなり、あれだけ一緒の時

間があったのに、東京の住所ひとつ聞かなかった自分が情けなかった。

 その頃の僕には、彼女の事を調べる知識も、方法も解らなかった。いや、調

べようとする努力が、必死さがなかった。

 ただ、君の帰りを待つだけのペネロペ(オデュッセウスの妻)でしかなかっ

た。


 そんな彼女への思いも、変わらずに保ち続けてるつもりでいても、正俊との

会話にも、彼女の話題が少なくなっていることに気づいていた。

 ただ、それでも別荘の不在確認は続けていた。それに時々、七海の顔を思い

出しては、会いたい気持ちに心は縛られていた。


 それからも僕は何の行動も起こせず、それでいて想いを断ち切れずにうだう

だと時だけを重ねていた。


 その日は、雨が降っていた。

 プロ野球のキャンプが始まり、隣町で練習する球団のためにも、この時期の

雨は望まれていなかった。


 傘は、差していたが、横殴りの風のせいで、家に着く前に、学生服は、びし

ょびしょに濡れていた。


 「あっ、今帰って来ました。兄に代わります。」

 玄関を開けると、電話応対をしていた妹が、僕に受話器を差し出した。


 ”七海!”僕は心のどこかで、ほんの少しだけ・・・いや、かなりの大きさ

で彼女であることを期待していた。


 「はい、代わりました。」

 早く、早く声が聞きたかった。


 「もしもし、洋輔さん。お久しぶりです。井森です。」

 電話は、七海からでは無かった。


 「あっ、井森さん。久しぶりです。あのー・・・七海は、七海さんはどうし

ています。」

 井森さんには、悪いが、僕の心には七海のことしか無かった。

 ”やっと・・・やっと会える。今度こそ住所を、連絡先を聞こう。”確か、

そんなことを考えていたと思う。


 「あのー、そのことなんですが、お嬢さんは、七海さんは・・・っ」

 井森さんは感情を押し殺して、事務的な口調で話してるつもりだろうけど、

彼女をもってしても、感情を隠しきれていなかった。


 ”もういい。話さなくていい。”僕の心は叫んでいた。井森さんが、何を言

おうとしてるのか簡単に想像できた。でも、それを言葉で聞いて、確定したく

なかった。


 「先日、七海お嬢さんは、お亡くなりになりました。・・・とても、残念で

す。」

 井森さんは、最後まで、がんばって喋った。喋ってしまった。


 「そう・・・ですか。それは、いつのことですか?」

 僕は、何を話してるんだろう。思考を完全に止めてしまった僕の代わりに、

別の冷静な僕が対応していた。

 「七海さんは、とっても優しい方でしたのに、本当に、お悔やみ申し上げま

す。」


 「えっ、洋輔さん・・・。洋輔さんよね。」


 「はい、洋輔です。」

 落ち着いて答えているはずなのに、涙が止まらなかった。


 「ごめんね・・・いきなりだったから、そう・・・。今は、何も考えない

で、とにかく休んで・・・。それと、出来たら、カウンセラーにも相談して見

て。あと、自分を責めたりはしないのよ、いいわね・・・。本当に、ごめん

ね。」

 さすがに医者のことはあった。これだけの会話で、僕の異変に気づいて、ア

ドバイスまでくれた。


 その後、電話は、七海の父親に代わって、娘によくしてくれたことへのお礼

と、娘を救えなかったことへの力なさを詫びていたが、何か、遠くの話し声に

聞こえた。

 相変わらず、別の自分が、丁寧な対応をしていたが、少しも現実味が無かっ

た。


 「ちょっと待って下さい。」

 やっと、現実に帰ってきたときには、既に通話は終わっていた。

 ”せめて、せめて、線香だけでも上げさせてください!”

 冷静な対応が出来ていた別の自分が、何故か肝心なことを聞いてくれてなか

った。




 「洋輔、ファッションチェック行くぞ。」

 高校生最後の夏、僕は進路も決めないまま、正俊と相変わらずの休みの日を

送っていた。


 井森さんの心配していたとおり、あの日からしばらく僕は、情緒不安定な状

態が続いた。

 ちょっとした悪ふざけで怒り、ちょっと冷たくしただけで泣き出す。そん

な、めんどくさい僕を、家族とともに支えてくれたのが、こいつだった。

 

 もう大丈夫と、自他共に認めるようになったとき、あの夏の記憶がところど

ころで曖昧となっていることに家族と親しい友人に気づかれ、それが自己防衛

本能によるものと診断した医者の処方で、彼女に関する記憶は腫れ物に触れる

ように扱われた。



 近くのリゾートビーチの入り口で入場券を購入するとき、窓口のガラスに張

られたチラシが目に入った。

 それは、花火大会の案内だった。


 「正俊、今日花火大会なんだって。」

 指を差して、それを、正俊に見せた。


 「これって、毎年やってるんだよな?」

 ”ああ”とだけ、正俊は答えた。前のカップルが、窓口でもたついてるの

で、少しイラついていた。


 「俺たちって、見に行ったことあったっけ。」

 何となく気になって、イラつく正俊に質問した。


 「何言ってるんだ、小さい頃、よくおじさんの車で、連れて行ってもらった

だろ。」

 やっと、前のカップルが購入を終え、僕たちの番になった。


 「ああ、それは覚えてるんだが、最近も行ったような。大事なことがあった

ような・・・?」

なんとなく思い出せそうで、上手くいかなかった。


 「大きくなってからは、お前が人混みは嫌だって言うから、行ってないんだ

ろ。」

 入場料を支払うと、正俊はこの話題を避けるように、入り口に急いだ。


 「そう言えば、そうだな。わざわざ、あんな人混みに行く奴の気がしれ

ん。」

 僕たちは、もうそれ以上、その話はしなかった。


 僕らは、砂浜に陣を設け、そこから今年の水着の流行をチェックした。

 ただ、その日は、特に暑く、太陽の下でそう長くは持たなかった。

 「正俊、俺、少し泳いでくる。」


 「おう、行って来い。俺はもう少し研究しておく。」

 正俊の、この熱心さは、何かのエネルギーに変換できるのではと思ってい

た。


 僕は海につかり、一人で思いのまま、泳いだり、潜ったりを繰り返してい

た。


 誰かが、放したのだろう。ビーチボールが僕の横をすり抜けて、沖へと流れ

ていた。

 誰も追ってこないビーチボールを、僕は、何となく追いかけた。しばらく泳

いだところで、深みに来たのか波が荒くなり、危険を感じた僕は、一番手近な

岩に避難した。


 その岩は、リゾートビーチの境界を示す、自然の突堤のようなつくりをして

いた。岩の上から見返すと、さっきいた砂浜からそう遠くは無かった。

 何気なしに、リゾートビーチの向こう側を覗いた。目に入ったのは誰もいな

い砂浜、そして、その奥に建つ白い別荘だった。


 ”行かなきゃ!”その白い別荘に行かなくちゃいけない、強い衝動が僕を襲

った。

 僕の心は高鳴っていた。


 岩の上を歩いて、僕はその砂浜に降りた。

 まっさらな砂浜に、足跡を残しながら、僕は先に進んだ。もやっとおぼろげ

だった記憶が、一部鮮明に蘇った。

 「そうだった。あの白い別荘に彼女が居たんだ。」

 僕の足は、だんだんと早足になっていた。


 「そう。2階のあの部屋。あの開いた窓から、彼女は僕を見ていた。」

 屋敷に近づくにつれて、白壁の反射の眩しさにも慣れてきた。

 そうだ!二階のあの部屋。海に面したあの窓が開いている?

 僕の足は、小走りになった。


 あの部屋の下に立ち、開いた窓を眺めた。


 ”七海・七海・七海”僕の中で封印のひとつが解かれていた。


 「七海?」

 あの部屋の中に、動く人影が見えた。


 「洋輔・・・さん?」

 久しぶりに聞くその声は、七海なのか?


 「そこで待ってて、すぐ下りてくから。」

  二階の部屋から、影が消え、ほどなく目の前の白い扉から、一人の少女が

現れた。

  ”七海!”・・・じゃなかった。


  彼女は、目の前まで走りよって、そして、大きく手を広げると、思い切り

僕の左頬に平手打ちをくらわした。


 「洋輔さん、あなたには失望しました。」


 ”何で?”

 この少女は誰?何でビンタ?僕にはさっぱり解らなかった。





第二章 善き魔女の約束



1.姫の選択



 「えーと、取り敢えず聞いてもいいかな?」

 七海を気の強くした彼女の容姿から、誰なのかすぐに見当は付いた。


 「確か美海みなみちゃんだよね。七海の妹の・・・。」

 妹のことについては、七海についてのハッキリとした記憶の一つとして忘れ

ていなかった。


 「ええ、そうよ。」

 そう答える彼女の眼差しで、歓迎されていないことはハッキリと解った。


 「あのー、俺、何かした?」

 確かに僕は、聖人とは言えないまでも、他人に恨まれるような悪人では無い

と今日まで自負していた。

 特に、七海の妹に恨まれるようなことは何も・・・無い、ハズ。


 「いいえ、あなたは何もしていないわ、何もね。」

 答えとは裏腹に、言葉はやはり冷たかった。

 

 その時ほぼ真上から、その存在を積極的にアピールしていた太陽を分厚い雲

が遮り、コンクリートの土閒に引かれた影の境が曖昧なものになった。

 そして、美海のスカートを揺らして、明らかに周りにある空気とは違う、冷

たい風が吹き抜けていった。


 「通り雨かな?」

 地元に住む経験から来る予言は的中し、ポツ、ポツとコンクリートに黒く散

らした点は、急速にその範囲を広げていった。


 「中へどうぞ。」

 そう言うと、美海は僕の返事を待たずに白い扉の向こうに消えていった。

 この時期の雨らしく、大粒の雨はスコールのように激しくなり、海パン姿で

もさすがに不快なものを感じ、僕は招かざる客として、美海の招待を受けた。


 中に入ると、ホールの壁に広げられた紅型の朱が鮮やかだった。玄関横に置

かれた白い小さな花瓶に、記憶とともに懐かしさがこみ上げて来た。

 ただ、そこには、あの日の向日葵の花も何も飾られていなかった。


 玄関ホールを抜けてリビングに入った。

 4人掛けのラタンのソファーセット。そこは、あの季節に僕と正俊そして七

海が毎日のように紅茶を飲みながら、たわいの無い話をして時間を過ごしてい

た秘密基地。あの頃の思いが、ひとすじの涙となって溢れ出した。


 もちろん、ここに七海はいない。七海の座っていた席には、今は妹の美海が

腰掛けていた。

 

 「どう、懐かしい?」

 僕の流した涙のせいか、敵意は薄れていた。

 「二年前、ここで過ごした思い出を姉から毎日のように聞かされたわ、洋輔

さん、特にあなたのこと・・・。ほんとに楽しかったのね、同じことを何度も

話してた。」

 美海の話すエピソードは、まるで当事者かのように鮮やかに表現され、ぼや

けていた僕の記憶を細部まで蘇らせた。


 「ああ、そうだったな・・・。」

 僕は、その話の最後に、そう相づちを打った。

 というより、思い出となってしまった七海を想い、こらえようのない嗚咽を

押しとどめて、それだけ話すのがやっとだった。


 「それで・・・。」

 それまでの流れを切るかのように、まるで悪戯で思い出のオルゴールを壊し

てしまった子供に対するような語調に変わった。


 「それで、あなたは、今、何をしているのですか?」

 彼女は、まっすぐ僕を見ていた。


 「えっと・・・何って・・・」

 ハッキリ言って彼女の質問の真意がわからなかった。”いったい何が知りた

いのだろう?”答えを間違えると、彼女の怒りを買う気がして、適当には答え

られなかった。


 「わかりませんか?それじゃ、これはどうですか?」

 彼女が、イラついているのは、簡単に分かった。


 「姉との・・七海との約束覚えていますか?」


 「七海とはいくつか約束したから・・・。」

 そう、”約束”この言葉に心が加速を始めた。


 「全部言ってみてください。」

 彼女の言圧に、簡単に要求を断ってはいけない必死さを感じた。


 「えーと、そうだな、話の流れでしたたわいも無い約束を含めると、黒糖屋

の限定ぜんざいを食べに行こうとか、うちの隣の仲西さんちの巨大デブ猫の”

チビ”を抱かせてあげるとか、僕の通ってる学校を案内するとか、後はこんな

のも約束したかな・・・僕の得意のホットケーキを一緒に食べようって・・

・。」

 僕は、話しながら、その事実に気づいて唖然とした。

 それらのうち一つとして叶えて上げていなかった。どれも、今すぐにでも叶

えられる約束だったのに・・・僕は・・・

 僕は大嘘つきだった。

 そう、実現できない約束なら結果としては嘘と違いは無い・・・その時の僕

はそう考えていた。

 何度行列に並んでも、どんなにぬくもりを抱かせてあげたくても、これから

何千枚の生地を焼き上げても、僕には約束を守ることはできない・・・もう彼

女はいないのだから・・・。



 「どれも違います。もっと他にあるはずです・・・大切なことが・・・。」

 美海の声から、怒りとも呆れとも違う言いようのない想いが伝わった。


 「ごめん・・・。」

 僕は、美海の顔を、もうまともに見ることは出来なかった。

 忘れてはいけない約束があることは心臓の鼓動が教えてくれてた。ただ、も

し今更正解を出したところで僕が嘘つきであることにかわりは無かった。


 静まった部屋に、窓を叩く雨の音がやけに響いた。


 「わかった・・・もう・・いいわ。」

 しばらく続いた静けさを、美海のとぎれとぎれの声が破った。


 多分、彼女は泣いていた。


 「ごめん・・・。」

 ここでも僕は謝ることしか出来なかった。

 あんなに居心地のよかったこの場所も、もう僕の居場所では無かった。

 力ない足で立ち上がった時、顔を上げた僕の目に彼女の姿が目に映った。


 「七海!!」

 そう・・・錯覚だった。

 美海は、淡い緑色のチップスを脱ぎ、大きなヒマワリ柄の白いワンピースを

現していた。

 

 「これ、姉とお揃いの・・・」

 美海の声が遠くに聞こえた。



 ”潮のにおい””星の輝き””人の流れ””浴衣姿””花火””涙””手の

温もり””唇の感触”鮮やかな映像が、頭の中にランダムに映し出された。



 「待ってる・・・待ってるって、言ったのに・・・。」

 思い出が蘇るとともに、沸き上がってきた感情に心は耐えきれなかった。


 「嘘つき・・・嘘つき、僕が治すから、待ってるって言ったのに・・・!」

 七海の幻覚に向かって、叫んでいた。

 悲しみなのか、悔しさなのか、怒りかもしれない・・・溢れ出す感情を、自

分でも抑えることが出来なかった。

 そして、叫び声とともに、何かが崩れだした。


 「洋輔さん!聞いてください!」

 美海が、僕の肩を揺すってた。僕の名前を呼んでいた。

 それを、無気力に眺めていた。


 「姉さんは・・・死んじゃいないわ!」

 言葉とともに、渾身のビンタが左頬にヒットした。

 皮膚を弾く痛みが、左頬を襲った。


 「七海姉さんは、死んでなんかいないの!」

 二発目は、左頬にキレイにヒットせず、空手チョップのようになってた。

 ヒリヒリした痛みを、鈍痛が上書きした。


 「美海ちゃん・・・七海は、生きてるの???」

 やっと、美海の右手の動きを止めた。


 「えっ・・・ええ。死んではいないわ。」

 さっき叩いた手が痛むのか、手を左手で、擦っていた。


 「じゃ、どうして・・・?」

 疑問が多すぎて、混乱した頭では、何が疑問なのかさえ分からなくなってい

た。


 「そうですね。こうなった以上、すべて話さないといけないでしょうね。」

 僕と違い、美海は中学生とは思えない落ち着きを見せていた。


 「姉の病気の事は、知っていますね?」

 美海は、元の席に戻ると、ゆっくりと話し始めた。多分、どう話すのか頭の

中で、整理しているのだろう。


 「一昨年、このままだと姉の命はもって10年という宣告を受けました。

担当医の話はそれだけで無く、今後の経過についての説明もありました。

 その話では、姉は3年以内に自力歩行が困難となり、それからさらに3年以

内に寝たきりとなる可能性が高いとの説明でした。

 もちろん、今後の医学の進歩・新薬の開発によっては状況も違ってくると言

う慰めもありましたが・・・この病気に対する研究者が少なく、その可能性が

ほとんどないことは、みんな知っていました。」

 当時を思い出したのか、美海の顔がうつむき加減に少し曇った。


 「その時の姉には、2つの選択肢が用意されていました。」

 数秒のうちに彼女は気を取り戻し、顔を上げて話を続けた。


 「ひとつは、運命を受け入れること。

 奇跡が起こることを信じて、そのままの時を過ごし自然に歳を重ねていくこ

と。

 ただ、その先にある現実は待ってはくれない。」

 

 「もう一つは、長い眠りにつくこと。

 最近開発された技術によって人の人工的な冬眠が可能になったのを知ってま

すか?それは、治療が出来るまで眠ったままその日を待つ、その間、肉体的に

はほとんど歳をとらないらしいの。

 ただ、治療できる日がいつになるのか、もしかしたら目が覚めたときには浦

島太郎になってるかもしれない。」


 「この重大な選択についても、姉は少しも迷わなかった。

 自信を持って、運命を受け入れていた。

 その決意を見て、父も覚悟を決めたみたい。人生の残りを姉の好きにさせる

ことにしたの。」


 「そして、姉は、この場所で残りの時間を過ごすことを決めたの。何故この

場所なのか聞いてみたけど、”運命の場所”だからとしか教えてくれなかっ

た。」


 「ここでの生活は、洋輔さんの知ってるとおり、姉にとって最高に幸せだっ

たみたい、というか洋輔さんあなたとの時間が七海にとっては代えがたい宝物

だったのでしょうね。あんなに堅かった決断に迷いが生じたのだから。」


 「そしてとうとう姉はおとぎ話を選んだ。それとも夢を見たかったのかな?

悪い魔女の魔法が解けて、王子様と幸せになる日のことを・・信じてた。」


 「姉に病気との闘いを選ばせた魔法の言葉と言うのが、洋輔さん・・・あな

たとの約束。

 東京に戻った姉が、うれしそうに話してくれた。あんな幸せそうな顔みせら

れたら・・・かなわないよ。

 それで、姉の・・・七海の眠り、コールド・スリープが決まった。」


 僕は、しばらく動けなかった。訊きたいことは山ほどあるのに・・・言葉の

持つ重みが恐かった。


 「その約束って・・・。」

 疑問では無い言葉がぽつりと、口からこぼれた。


 「そうよ、あなたは、東大の医学部を首席で卒業して、世界一の名医になっ

て、姉の病気を治してくれるんでしょう!七海がとてもうれしそうに、何度も

話してた・・・違ってる?」

 僕のつぶやきで、姉の話の真実に、美海は少しの不安を覚えたのだろう。声

に力が無かった。


 「いや・・・そうだよ・・・大筋は・・・。」

 約束が七海の中で成長しいた。それが、彼女の育てたものなら否定する理由

は無かった。


 美海が、あの時そこにいたのは、単なる偶然ではなく、僕の様子見のために

訪れていたことを、ずっと後に知った

 ただ、その目的は、七海との約束のために僕が無理していないかの見極め

と、彼女の影に囚われていた場合に僕をいなすためだった。

 しかし、あまりにも僕が自由なためにああいった行動を取ったとの事だっ

た。




 そして、僕の進む道が決まった。


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