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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Back To Black
86/110

Back To Black (14)

(1)


「人の少ない道を通ってノース地区へ向かってください」


 御者の背中に投げたハーロウの言葉に絶望で意識が遠のきそうだった。

 ノース地区と言えば、この街で一番治安が悪いと噂される場所。実際、噂は真実だと幼き日に身を持って経験している。馬車の外装に必死にしがみつく紳士が現われたら――、そこの住人達の格好の獲物になってしまう。それ以前の話、ノース地区に入るより先にシャロンが落下する可能性は極めて高い。

 見知らぬ男に口を塞がれ身体を密着させられる不快感、扉の僅かな隙間から覗くシャロンの指先と爪先が視界から消える恐怖。


 一刻も早く、馬車の走行を止めなければ。

 この、蛇顔の紳士に色目を使い、隙を突いて口付けようか。彼の動きを封じさえすれば。

 だが、対面の座席に座るミルドレッドと目が合った瞬間、愚策だと悟る。彼女に秘密を知られるのは得策ではない。知られたら最後、この紳士と御者のみならず彼女まで始末しなければならなくなる。当のミルドレッドは目が合うなり、ささっと俯いてしまった。この反応が自分への嫌悪感、もしくは罪悪感によるものとかであればいいのだが。

 ハーロウが扉の小窓のカーテンを閉めてしまったので、外の様子が全く見えない。今どこを走っているのか、皆目見当がつかない。


 車体の揺れは激しくなっていく。人気のない道は石畳ではなく、未舗装で地面が剥き出しのままだ。

 小石や泥濘、馬糞等、走行を妨げる障害物の数、種類は舗装された道よりもはるかに多い。それらが車輪にぶつかろうものなら、衝撃でシャロンが落下する可能性が更に高まってしまう。もう何度目かにグレッチェンは扉へと視線を巡らせる。

 シャロンの指先と爪先はまだ見えていた。見えていたが――、扉から覗く指先が震えている。

 自分を抱える(正確には押さえつけている)ハーロウの様子が気になり、そっと動向を窺う。

 ミルドレッドに偶然出会ってしまった自分を有無を言わさず連れ去り、シャロンに対する非道な行為を平然とやってのける彼のこと。シャロンをいつ突き落とすか気が気じゃないし、もしかしたら、その前に――


 ガコッ!


 大きめの石か何かが車輪にぶつかったのか、一際激しい衝撃に車体が大きく揺れ動く。ミルドレッドが小さく悲鳴を上げてグレッチェン達が座る向かいの座席に倒れかかった。

 ハーロウが彼女を支えようと咄嗟に手を伸ばした一瞬の隙に、グレッチェンは彼の腕から擦り抜ける。すぐさま伸びてきたハーロウの腕を逃れ、掴もうとした把手がひとりでに大きく回った。

 驚く間もなく後ろから強く腕を引かれ、再び抑え込まれたハーロウの腕の中、グレッチェンの視線は全開になった扉の先に釘付けになっていた。


「シャロンさん!!」

 小窓のカーテンが風に靡く。

 シャロンは右手で車体、左手で扉の外側の把手に掴まり、箱馬車にぶら下がっていた。

 辛うじて車内に差し入れた爪先を軸に、中へ飛び込もうとするつもり――か??

「もう少し速度を上げてください」

 案の定、シャロンの魂胆を察したハーロウは御者に命じる。ミルドレッドの顔色は更に白さを増し、抗議したげに唇をわななかせている。

「放して!放してください!!」

「なりません、レディ。それから、余り叫んでいると舌を噛みますよ」


 真っ赤な顔で脂汗をかき、必死にぶら下がるシャロンを、腕の中で叫び、もがくグレッチェンを。立場上や恐怖で抗議したくともできないミルドレッドを。

 救いようのない愚者を前にしたかのように、ハーロウは軽く鼻で笑ってみせただけ。

 駄目だ。ミルドレッドの目を気にしている場合じゃない。

 もう毒を使うしか――、遂に観念した時、バタン!!!!と壊れそうな程大きな音で扉が突然閉まった。


「え――」


 不規則且つ荒い呼吸で床に倒れ伏すシャロンに誰もが絶句した。ハーロウでさえ細い目を大きく瞠り、うつ伏せのシャロンを黙って見下ろしている。

 自然と緩んだ腕の中からグレッチェンは二度目の脱走を成功させ、床に跪いたが、そんなこと、今のハーロウにはもうどうでも良くなっていた、らしい。彼にしては非常に珍しく呆気に取られていたようだったが――、それも束の間、薄気味の悪い笑顔を貼りつけ、足元のシャロンとグレッチェンへ慇懃に告げた。


「ようこそ、薬屋マクレガー店主こと、Mr.シャロン・V・マクレガー。以後、Mr.マクレガーと呼ばせていただきますね。私めはハーロウ・S・アルバーン。ハーロウ、とお呼びください」


 ハーロウ・アルバーンという名を耳にするなり、グレッチェンとシャロンは揃って弾かれたように彼を見上げた。自分に代わって呆気に取られる二人をさも満足げに一瞥すると、ハーロウは話を続ける。


「Mr.マクレガーはレディ・ミルドレッドのお隣りへ。グレッチェン・ワインハウスこと、レディ・グレタは私の隣へお座りください」


 勝手に名付けた愛称で呼びかけられ、グレッチェンの全身の肌がぶわぁっと粟立つ。シャロンも同様に感じたらしく、当然とばかりに指示を振るうハーロウへの反発も含め、乱れた黒い前髪の下で渋面を浮かべていた。

 二人の反応に気づいていないのか、気づいていて面白がっているのかは不明だが、ハーロウがこの状況を楽しんでいるのは明白だ。シャロンをちらりと見やれば、『とりあえず、この男の指示に従おう』と目で訴えてきた。


 二人が黙って着席する間も、馬車はずっと走り続けていた。





(2)


「行き先を変更します。ノース地区から我が屋敷へ向かってください」

「承知致しました」


 御者はハーロウの指示に従い、再び大きく鞭を振るう。

 グレッチェンをハーロウと共に馬車に押し込んだり、シャロンを車体に張りかせて馬車を走らせたりと非情な命令に大人しく従うあたり、この男もクロムウェル党の一員かもしれない。

 当のハーロウは「度重なるご無礼、大変申し訳なく感じております」と、絶対に心にもなさそうな、白々しい謝罪をシャロンに述べていた。


「ですが、こちらにも事情がありましてですね」

「その事情とやらは、レディ・ミルドレッドが引き起こした誘拐事件について、でしょうか」

 乱れた髪や服を申し訳程度に整えたシャロンが早速核心に斬り込んだ。いつもと変わらぬ爽やか且つ、ハーロウに負けじと白々しい笑顔で。

「レディ・ミルドレッドは、たまたまアンドリュース夫妻とご令嬢と写真撮影されていただけですよ??新聞には失踪と書かれていたようですが、彼女はアンドリュース夫人に長期休暇を申請していたと述べております。ですよね??レディ・ミルドレッド」

 急に話題を振られ、ミルドレッドは強張った顔つきで黙って頷く。その後、『私には話しかけないで』とばかりに三人から顔を背けてしまった。

「でしたら、なぜ、私の店裏にご夫妻のご令嬢が捨て置かれていたのでしょうか??おまけに、私の子などと濡れ衣まで着せられてはたまったものではありません」

「それは大変お気の毒様でしたね。ですが、貴方が懇意にされているサリンジャー兄弟へ無事引き渡したのでしょう??」

「Mr.アルバーン」

「はい」

「この際、はっきり申し上げましょう」

 シャロンの微笑みが深まる。しかし、涼し気な目元は全く笑っていない。

 膝の上で指を組み、あくまで爽やかな笑顔と穏やかな語調で切り出した。

「何を企んでいる??」


 馬車の揺れ方が少し、安定してきた。舗装された道に入ったのだろう。

 爽やかな笑顔を保ったままのシャロンに対し、ハーロウも無言で薄気味の悪い笑顔を保っている。

 膠着する二人をグレッチェンは緊張の面持ちで見守り、二人の様子が気になるのか、ミルドレッドもちらちら横目で視線を寄こす。


「私はともかく、彼女(グレッチェン)のフルネームを知る者は少ない。サリンジャー兄弟の内、兄のハロルドは私と知己の仲だというのは認めるが、弟のディヴィッド――、一家の二代目との繋がりを、なぜ貴方がご存知なのか。アンドリュース夫妻のご令嬢が捨て置かれた数日前、確かに兄弟は私の店に訪れたし、ある男を捕らえる為に三人で歓楽街で大立ち回りを演じた。しかし、それだけで弟の方まで懇意にしていると判断するのは些か早計では??」

 ハーロウは薄気味の悪い笑みを崩さず、依然、無言を貫いている。

「お答えいただけませんかね、Mr.アルバーン。レディ・ミルドレッドの姿を見てしまった彼女をその場で始末せず、連れ去った訳を」

「シャロンさん」


 余りしつこく食い下がっては、また何をされるか――、先程散々冷やした肝が再び冷えていく。冷たいのは肝だけではない、凍りついたように指先も冷えきっている。

 ほんの短い時間で一癖も二癖もある厄介な人物だと分かるだけに、彼が素直に答える訳がない。答えたとしてもどこまで真意を語るのか定かではない。全くの嘘ばかりを並べ立てるかもしれない。

 シャロンの爽やかな笑顔とハーロウの薄気味わるい笑顔を交互に見比べる。始めはシャロンを、次にハーロウを――、見た瞬間、ハーロウは嗤った。獲物を丸のみにする直前の蛇の顔で。

 血の気が下がる程の恐怖を覚えた瞬間、蛇の細長い身体に絡めとられるように、グレッチェンは三度、ハーロウに拘束されてしまった。折れそうに細い首には折り畳みナイフの刃が宛がわれていた。

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