BacK To Black (12)
(1)
相変わらず小柄で貧相な体型、みっともない身なりをしている。理知的かつ品良く整った顔立ち、清潔感はあるのでまだ良いが、そうでなければとても見れたものでない。
薬屋の娘の存在など無視して両親の墓の前にもう少し留まっていたかった。だが、安っぽいバラの花束を抱えた顔のみ美しい貧相な娘は、ミルドレッドを凝視したまま呆然としていた。と、いうことは、例の新聞記事を知っている。
女の癖に、せいぜい上位中流出身の癖に、新聞を読むなど生意気だ。しかもこの娘は薬屋店主の慈善で拾い上げられた養女でしかない。噂によれば、亡き元婚約者(準男爵の家柄だったらしい)の家の家令の娘というが、あやしいものだ。寄宿女学校に入学せず十五で働き始めたあたり、どうせ下層出身の孤児だろう。
なのに、訛りの少ない言葉で店主や客にいっぱしの口を叩いたりなどの厚かましさときたら!妙に賢しげで大人びた態度も鼻について仕方なかった。
降って湧いた幸運に乗っかっただけ、大した努力もせず周囲から大切にされ、生きたいように生きるこの小娘がミルドレッドは心底嫌いだった。否、嫌いなんてものではない、軽蔑すらしていた。
だから、薬屋の小娘などこの目には映らないかのように、立ち尽くす彼女を背に墓所の出入り口にあたる門へと向かった。墓所には二か所、背の低い申し訳ばかりの鉄門がある。一つは教会、もう一つは低位中流階級者、労働者階級者の居住区へ続く通りに繋がっている。
人目を避ける必要さえなければ、教会側の門を利用したかった。身分卑しい者達の居住区に、ほんの少しでも足を踏み入れるなんておぞましい。
『では、墓参は諦めますか??貴女は近いうちにこの街を離れ、少なくとも数年はこの街へは戻れないのに??どうしても躊躇いがあるようでしたら、私も馬車に同伴しましょう。あぁ、墓参の邪魔にならないよう、私は馬車に残り貴方を待ちますから』
悔しいが、今回もまたハーロウに頼らざるを得なかった。そして、男に頼って生きるしかない己自身にも歯噛みしたくなった。
「待ってください」
案の定、薬屋の小娘に呼び止められたが、当然無視をする。
止まってやる義理など、こちらにはない。
「待ってください、ミルドレッドさん」
気安く私の名を呼ばないで。
薬屋の小娘が後を追ってくる足音、ガサガサと草を踏みしめる音が続く。
教会側の出入り口が樹々に囲まれているように、こちらの出入り口も多くの樹々に囲まれている。むしろ、教会側よりこちらの方が樹々の陰は昏く深く、伸び放題の草叢の背も高い。
清々しい青空は急激に拡がりだした黒雲に覆い隠された。湿り気を帯びた埃臭さが不快に臭う。空も木陰も足元の草陰も全てが昏く、夜の始まりに似ていた。
「本来の貴女は非常に気高く気丈な方です。自分よりはるかに弱く、抵抗すらできない赤ちゃんを害するなんて……、貴女らしくありません。何があったかは知りません、知ろうとも思いません。同情や憐憫は貴女が最も嫌うこと。ですが」
「お黙りなさい!お前ごときが分かったような口を利かないで!!」
ハーロウが待つ二頭立て馬車に乗り込むまでひたすら無視すると決めていたのに。
思わず振り返って反論してしまったのが悔しくてならない。ミルドレッドの心中などいざ知らず、薬屋の小娘は挑むような目つきで見据えてさえくる。どこまで身の程を弁えない娘なのか。
「いいえ、黙りません。うちの店に、分かり易過ぎる嘘をついてまで、あの子を置き去りにしたのはなぜですか??」
「何を証拠に??いくら被疑者の疑いがかかっていようと、確たる証拠がないのに私を誘拐犯扱いするなんて失礼にも程があるんじゃなくて??」
「そうですね」
予想に反し、薬屋の小娘はあっさりと口を噤んでしまった。大方、セオドアとアンと共に私が写真に写っていたから、という理由のみで犯人扱いしたに違いない。浅はかな。これだから、しかるべき高等教育を受けず育った者は困る。
「ですが、置手紙の筆跡の特徴が貴女のものだと、サリンジャーさんとジョゼさんが揃って仰ってました」
そうだった。この小娘、というか、あの薬屋は、裏社会で権勢を誇るサリンジャー一家と懇意にしていたのだ。次期頭目、彼と腹違いの兄だけでなく、あの卑しい東の混血児とまで関わりがあるなんて!
半分は自分と同郷の血が流れているから、などと安易な理由で数か月だけ読み書きや礼儀作法を教えてやったが、本心では口を利くのも傍に置きたくもなければ姿を目にしたくもなかった。一家の手の者の命令は絶対だったから、否応なしに面倒見ていただけ。
いっそ出て行けばいいと、嫌悪感が募る余りわざと意地の悪い言動や態度を取ってやったこともある。だが、卑しい人間というのは性根が異常に図太いのだろう。(でなければ、生きていること自体に恥じ入りたくなる筈だ)柳に風とばかりに流され、知識だけはどんどん吸収していく。
もう教えることはない、の一点張りで(認めたくないが、事実だったし)、数か月で見習い期間を強引に終わらせたような。
忘却の彼方に飛ばしていた、どうでもいい些末な記憶を呼び起こされ、ミルドレッドの不快感は更に増していく。ああ、そうか。この小娘とあの混血児は似ているのだ。中性的な美しさとふてぶてしさが。
薬屋の小娘の質問に答えることなく、ミルドレッドは再び彼女に背を向けて馬車へと向かう。少しでも追いつかれたくなくて、貴婦人にあるまじき雑な早足で。
けれど、早足で歩いているつもりでも、ドレスの裾に足を取られながら歩くミルドレッドと、歩きやすいズボン姿の小娘とでは足取りが違ってくる。結果、馬車の上で居眠りしかけている御者に呼びかける直前で、自分よりも細い腕に手首を掴まれた。
「立場を弁えなさい!お前は私に触れるどころか、口すら利けない人間なのよ!!」
振り払おうと腕を動かすも、びくともしない。小枝のような腕のどこにそんな強い力があるというのか。小娘の薄灰の双眸は怜悧でいて、深い哀しみの色が揺らいでいる。責められるよりずっと質が悪い。
「その目は何なの??お前に哀れんでもらう筋合いなどなくてよ!!」
叫びと共に怒り任せに乱暴に腕を引けば、ようやく小娘の手が離れた。あっ、と、よろける姿にいい気味だと嘲笑ってやるより前に、自分も反動でよろける。
「きゃっ」
受け身を取り損ね、自分まで無様に転倒してしまった。手やドレスが汚れてしまったじゃない、と、同じく転倒した小娘を睨みつけた時だった。
馬車の扉が開き、金属製の踏み台が下ろされる硬い音が背後で聞こえた。
(2)
咄嗟に椅子を引き倒し、テーブルの下へ身を滑らせる。天板を裏から蹴り上げ、脚を掴んで盾代わりに身を守る。
トランプカードと小銭が宙を舞い、あちこちへ飛び散った。
ディーラーは這う這うの体で逃げ出し、対戦者達は悲鳴を上げて床に伏せる。怒号と悲鳴、グラスが割れる音が飛び交う中、厚みある天板はハルを守る見事な盾となり、次々と弾丸を弾いていく。
聴こえてくる音から判断するに、銃による死人どころか怪我人はいなさそうだ。また、わざと外しての威嚇射撃か。
「……つまり、いくらでも奪える命をあえて見逃してやってる、ってか。舐められたもんだな」
拳銃を取り出そうと懐に手を忍ばせる。やられっぱなしなのも癪に障る。ディヴィッドの安否も気になるし。
「あんたはあくまで堅気だよね??下手な手出しは無用じゃない??」
「あん??」
自分の後ろにいた筈のジョゼの気配が消えている。まさか。
立てたテーブルを見上げる。一番上で黒髪を靡かせ、ふわりと頭上に浮かんだ影。
影はしなやかな右手を長く膨らんだ袖に差し入れる。流麗な手さばきでいくつもの鋲を、銃弾が飛んできた方向へ鋭く投げ入れた。
「……やったか??」
「とりあえず、所持していた銃は手元から落としてやったし、床に突き刺してやったよ。それよりも」
トンッ!と床へ舞い降り、ジョゼは屈んだ姿勢でハルの背中に回り、囁く。
「ディヴィッドさん、無事だといいけど」
「その心配は無用」
ジョゼの疑問に答えるように、扉の向こう側から声がした。
「ディヴィッド・サリンジャーなら二階にいる。嘘だと思うなら、我々について階段を上がってこい」




