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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
美しい名前
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美しい名前(2)

(1)


「グレッチェン、今日はどのお衣装にする??」

「あ、えっと……」

「昨日は場所が場所だったから落ち着いた色合いにしたけど、今日はシャロンとのお出掛けでしょ??だったら少女らしさ重視でいきましょ!」

「あ、あの……」


 朝食が終わるやいなや、事前にシャロンから話を聞かされていたマクレガー夫人がいそいそとグレッチェンとエドナを伴い、食堂を出て行く。

 鼻歌でも歌い出しそうな、余りにもウキウキと楽し気な夫人に背中を押されるがままグレッチェンは廊下を進み、一階奥の夫人の自室へと連れていかれる。

 娘が欲しかった夫人はグレッチェンを着飾らせることが楽しく楽しくて仕方ないのだ。

 一人取り残されたシャロンは苦笑交じりに温くなった紅茶を飲み干し、食堂から居間へと移動した。


 女性の身支度にはとかく時間が掛かるのは定例ゆえ、居間の長椅子に座ってじっくり新聞に目を通したり、机上に置きっぱなしにしていた医学書の頁を何となしに捲って過ごすこと、約一時間。

 ノックの音と共に、ふふふふ……と思わせぶりな笑みを浮かべた夫人が室内に入ってきた。


「……お母さん、なぜそんな悪い、いえ、黒い……、企んだ笑顔なんですか……」

「ま、失礼ね!人聞きの悪いこと言わないで頂戴」

「……何でもいいですけど、グレッチェンは??」


 すると夫人は待ってましたと言わんばかりに得意げに微笑む。

 だから、普通に笑えばいいのに、と、呆れ果てる息子に構わず、「グレッチェン、もう入って来ていいわよ」と扉の外に向かって優しく声を掛けた。

 遠慮がちなノックに続き、そっと扉が開く。


「ね??可愛いでしょ??」


 自信満々な夫人とは対照的に、トランプのカードを想起させる赤、黒、白の三色のダイヤ柄を基調とし、袖口やスカートの裾に黒いレースがあしらわれたドレスを着用し、長い髪は下ろして深紅のハーフ丈ボンネットを被ったグレッチェンが、恥ずかしそうに扉前に立った。

 シャロンはもじもじと俯くグレッチェンの目の前まで近づくと、床に膝をついて目線を合わせ、これ以上ない程爽やかな笑顔で告げた。


「どこの愛らしいリトル・レディかと思ったよ、グレッチェン。こんな素敵なリトル・レディと外出できるなんて私は幸せだよ」

「……あ、あ、ありがとう、ございます……」

「……ところで、お母さん。その笑顔、いい加減やめてもらえませんか……」


 最高に腹立つ笑顔で一部始終を見守る母の視線から逃げるように、シャロンはグレッチェンの手を引いて居間から退出し、玄関前で長らく待たせている辻馬車の元へ急ぐ。




(2)

 上流の令嬢顔負けの愛らしいリトルレディへと変貌したグレッチェンは、シャロンと共に辻馬車に乗り込んだ。

 馬車の小窓を少し開け、流れていく街並みを眺めながらずっと抱いていた疑問をシャロンにぶつけた。


「シャロンさん、馬車は何処へ向かっているのでしょうか??」

「サウス地区にあるゴールディだよ」

「……えぇ?!」


 ゴールディとは、レストランやカフェ、菓子屋から雑貨屋、高級宝石店などが集まる繁華街であり、看板を並べる店はどれも上流階級などの富裕層が集う一流店ばかりで中流以下の人々は滅多に足を踏み入れられないような、敷居の高い場所でもあった。

 何だってそんな場違いなところへ……、と戸惑いながら馬車に揺られている内に、早々にゴールディに辿り着いてしまった。


「さぁ、リトルレディ。早速お店を覗いて参りましょうかね?ご要望があれば何なりとお申しつけを」

 グレッチェンが馬車の踏み台から降りる手引きをするシャロンの、いつも以上に気取った口振りが可笑しくて、グレッチェンは思わず噴き出してしまう。

「そうですね……。まずはどんなお店があるのか全体を回ってみたいです」

「かしこまりました」


 シャロンは恭しく一礼するとグレッチェンの小さな手を取り、赤煉瓦で綺麗に舗装された道の両脇に様々な店が軒を並べる一画へと案内し始めた。


 精緻で美しい硝子細工が店頭に飾られるヴェネチアングラスの店、色とりどりの鮮やかな布地が目に眩しい仕立て屋、猫や兎の可愛らしい動物や『不思議の国のアリス』の世界をモチーフにした雑貨が数多く並ぶ雑貨屋。

 グレッチェンは薄灰の瞳を輝かせ、通りを挟んで向かい合う店一軒一軒をきょろきょろと興味深げに眺めていた。


 ところが、グレッチェンが入りたい、とシャロンに強請るのは決まって甘い菓子が売っている店ばかりだった。


「君は本当に甘い物が好きなんだなぁ」

 四件目に入った焼き菓子の専門店で、フォーチュンクッキーの詰め合わせの缶を手に取るグレッチェンにシャロンは半ば呆れている。

「でも、お菓子ならお義母様へのお土産にもなりますしお客様にも出せますから、皆さんが喜ぶかと。それに私、どうしても欲しいものって特にないんです」

「君は本当に欲がないなぁ……」


 しかし、グレッチェンの過去を省みれば仕方のないことかもしれない。

 一瞬、沈みかけた気持ちを上げるかのように、シャロンの脳裏にある考えが閃く。


「そうだ、グレッチェン。最近開店したという、ルースターというカフェに行ってみようか。その店のココアが美味しいと、もっぱらご婦人方の評判になっているそうだ」

「ココアって何ですか??」

「それは行ってからのお楽しみさ」


 クッキーの缶を胸に抱えたまま首を傾げるグレッチェンに、シャロンは悪戯っぽく笑ってみせた。








(3)


 ルースターは、更に奥へ進んだ場所――、真っ赤なペンキで塗装された、趣のある外観の建物の一階にあった。


 店内へ入れば、湾曲型の天井に幾つもの豪奢なシャンデリアが吊り下げられており、古いアンティーク調の二人掛け、もしくは四人掛けのテーブルセットが設置され、二人は一番奥の二人掛けの席に腰を下ろした。

 床一面に敷き詰められた毛足の長い高級カーペットと、テーブルの天板の端に掘られた金細工、何より場違いな場所に気後れして俯くグレッチェンに構わず、シャロンは女給に注文を告げている。

 程なくして二人の元に、それぞれの段に、サンドイッチ、スコーン、パウンドケーキが乗った三段ティー

 スタンドと、紅茶とココアが運ばれてきた。


「これが、ココア……ですか??」

  机上に置かれた、生クリームがたっぷりと浮かぶ黒い液体を物珍しそうにグレッチェンは見つめる。

「そうだよ。さぁ、冷めない内にどうぞ召し上がれ」


 シャロンに促され、グレッチェンはおずおずと高級そうな白いカップ(のちにウェッジウッドという会社のものだと知る)に口を付け、二、三度ふーふーと息を吹きかけて舐めるように一口啜る。

 チョコレートのようなほろ苦さやコクはないが、生クリームも相まってかどこか舌に優しい甘さに、自然と身も心もじんと温まってくる。

 ココアの甘さと暖かさに徐々に表情を緩めていくグレッチェンを、立ち上る湯気の向こう側で見守りながら、シャロンは別の事を考えていた。


 彼女が実父や姉ではなく、あの女性に似ていて良かった。

 髪や瞳の色のみならず理知的で儚げな雰囲気は、間違いなく彼女の叔母譲りだ。



『もしもまだ、あの娘の新しい名を決めかねていらっしゃるなら――、グレッチェンと名付けてくださいませ』

『……構いませんが、その名に何か特別な理由でも??』

『ええ……、実は――、エリザベスが……、亡くなったマーガレットとあの娘の母で私の姉が生前こっそり私にだけ教えてくれたのです。お腹の子が女の子だったらグレッチェンと名付けたい、と……。マーガレットを産んでから子供がずっとできなくて、ようやく二人目ができたら次は跡取り息子を、と周囲の期待が大きかったせいで誰にも言えなかったみたいなんです』

実際のヴィクトリア朝期にダイヤ柄があったか??という指摘はスルーでお願いします……。


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